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2016年4月24日 (日)

雀は黙々として

 よく知られたのはイオンの10円おにぎりです。問題は賞味期限でなく閉店数が多く、運ばれた数を捌けなかったからだが……この理由は後で判る。当初はびっくり。

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 取りようによれば美談にもスキャンダルにもなりかねない。物事には両面があるが先に思いつくのは片方です。ある程度、進行してから別な考えに至る。予めのブレーキはない。

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 スタンドに割り込んだTV局のクルマはなかったトいう。ケータイで撮られた写真があったはずでは、思うが、TV局も謝罪したのにアレは何だったか?(テレビ局が燃料をスタンドに預けただけ)

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 支援の自衛隊員が隠れるように冷たいカレーを食べる……そこまでヤらなくても、真相はしれない。こういう自体になると支援する人の映像もよく出る。そしてアラ映像も写る。

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 目につく絵が目をつく。瓦の落ちた熊本城はインパクトがあったが、19日に日本財団(ボートレース)から熊本城だけで30億円寄付が申し入れられる。ありがたいような、もっと後でいいような話です。(全体は90億余)

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 こういう話にもコメントをつけない方が無難です。熊本城は、くまモンと同じでファンが多い。誤解される可能性も高い。たとえばくまモンと同じにするな苦情が予想される。

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 冷たいカレーをたべる人があるのであれば、コーヒーを入れて差し上げたいが、避難される方はさわらないが、自衛隊員に上げるとさわりそう。まして隊員に変な質問などすると、ややこしい事になる。

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 正確は図らねばならないが正確は動機にならない。エネルギーは好奇心から湧いてくる。意図が善意か悪意かも、出して見なければよくは判らない。ためらい、またためらう。収まらない好奇心が行動になる。

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 前から身障者なので困った事には慣れている。身障と地震は違うが困ったことに違いはない。それは涙になったり笑いになったりする。少し距離をもって見れば判るか?

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 やっぱり判らないのか? 未明の朝が明けていく。市内にあれほど居たカラスがいない。最初の地震から一羽も見ない、声すら聞かない。雀はいる。見ていると軒先から飛び出した。

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 いったん道路に降り、それから遠く飛び立つ。巣の存在をカラスなどに見破られない為の防衛行為です。軒先に雀が子を育てる。自然の中では雀の子の存在は小さく……地震の存在すら小さい。

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 朝の中で人の思いも些細でしかない。古い城の地に落ちた瓦にも、コップ一杯のコーヒーにも、朝は始まり時は過ぎて行く。昼に向かって夜に向かって、そしてまた朝に向かって。

2016年4月23日 (土)

気にさわったらゴメン

  17日、日曜日「ここは危ないからウチに来て」と朝から親戚から声がかかる。地震に3度目があった話は聞かないが、2度目だって聞いたことはない。(震源地は熊本市西区と阿蘇のどこか、多少は別れる)親戚宅には2日、泊まった。

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 またある感は整理への意欲を削ぐ。震度1~2度では驚かないが、居眠り中、震度3度近い地震に揺られると反射的に目を覚ます。そして無意識に、その辺の物を両手で掴んでしまう。2度目のダメージはキツイ。

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 地震に負けないように……ラジオでアナウンサーはいうが、もう負けている。カミユ「シジフォスの神話」を思い出す。実存とは信じないのでなく、あまりアテにしない。あたり構わずオイオイ泣き出したい気になる。2度目でライフライン、水道が出なくなりガスが止まった。

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 コーヒーは布ドリップは無理で、不味くなるが紙ドリップに変えた。電気と電話はつながっていてネットも可能。クルマにもガソリンが満タン近く入っている……何でも出来る。自分にそう暗示をかけて立ち直る、つまり整理は放棄している。

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 冷蔵庫にはバナナ3本、食パン一斤、牛乳、ヨーグルトが……乾パン代わりのビスケット、グラノーラが2袋といった所。むろん米も……炊き出しまで数日をラクにしのげる量だった。それを目算で3つ、約3日に分け、買い出しには行かなかった。

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 ネット情報では民間の動きが早い。誰の態度が悪く、どこの行動が早かったと、地震に関する論評が次々と入る。むしろ色々いい過ぎるのか? もっと大目に見たいが、面白半分にいじる人が多いのか? 欧米の日本評判はよく、中韓の評判は悪い。

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 ラジオでは避難の慶徳小でも毛布が足りないで、女性は人によっては2人で一枚、男は毛布ナシの人も……水、おにぎり等食料も足りなかったという。避難して来てる人の中からボラを募っての活動ト、内容は恐ろしいほど具体的です。

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 更にラジオ、民間でスナックらしい店で、一般に向け炊き出したというニュースも……直近避難も悪くはなかった。不足する所と余す所があって平均化は難しい。県や市では仕事の一環で訓練したろうに、その手つきは馴れない。

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 夕食に、朝食のようなパンとバナナを食って、眠れない夜を本に埋もれてやりすごす。評論家気取りいう訳でもないが……何か書いてた方が、まだ気が紛れる。お読みの方で気に触ったらゴメン下さい。

2016年4月22日 (金)

ユラリ、ドーン

 14日木曜日、PM9:25の地震に関して、むろんダメージがなかった訳ではない。ユラリとした。それからドーンと縦に響く地震に、棚から一冊の本がづれ落ちる。

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 そして頭上に倒れかかる本棚全体を両手で支えた。その目の前で、両手の先にある別な本棚が傾いで本がバラバラと落ちる。3つの本棚を元に戻す大変と憂鬱を意識する。そういう訳で部屋のひとつは、散乱する本で埋まった。

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 翌日金曜日だけでは、片付け切れなかった。最初の地震では、もうひとつの部屋の天井灯の鎖が外れ、ぶらぶら揺れる。気にはなったが取りあえず、そのままにして寐た。

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 翌々日の土曜日も、本棚を立直して本を詰めた。2つ目の本棚を立てると、余震の中でも、やれやれ感が漂う。むろんダメージ感はなかった訳ではないが、まだ浅かった。

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 16日、AM1:25に2度目のユラリがドーンと縦に響く。天井灯の蛍光管のひとつが落ちるのと、どっちが先だったろう。蛍光管を持って起き上がる私に、タンスがゆっくり伸し掛かる。

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 持った蛍光管を放し、タンスと布団の間からすり抜ける。タンスと布団の下から毛布を抜き出し、頭に被って階下に降りて行く。その間の動きや余震に揺れる階段に現実感はない。悪い夢の中を這い出した。

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 外に出ると隣人の一人は「避難所に行こう」という。もう一人が避難所に電話した。すでに一杯、避難所は満員という。その間も余震は続いている。冷たく川風が吹く。なぜそんな所に集まったか判らない。1時間もして眠気と余震の中で、私は別行動を取る。

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 私は自分の車に入ってすぐに眠った。結局、隣人たちも同じ行動を取ったという。

2014年12月31日 (水)

賀正

A

賀正

1月 息白く 髪まで白く抜けた朝

2月 鬼の日や 豆まき海苔巻き外は風

3月 早き花 時と歩むや 我はノロ

4月 旅の蝶 しばしの眠りの竹の節

5月 風みどり、しぼむ思いに空光る

6月 ホコ天に降り出す雨や店じまい

7月 舗道には待ち人来たらずプラタナス

8月 少年兵 悲しき夏よ嫁人形

9月 何を見て 見て見ぬふりの蜻蛉の目

10月 ハロウィンの死装束に若さあり

11月  口開けてくしゃみで眺むる落葉樹  

12月 年の暮れ 現実逃避の夢を見る      

        桜葉は燃えて散りゆく 風の渦

2009年1月12日 (月)

ブログ閲覧方法が変化します

■q-ringブログ全体がbbiqに移行します。若干の期間お休みとなる予定です。

■データ移行期間中(1月13日-1月25日)のブログ閲覧は
ブログのURLを直接ご入力いただき、ブログを閲覧できます。
入力アドレスは以下のとおりです。
「hataさんのかけはし」http://blog.q-ring.jp/hata1
更新は行えませんが期間中も読みたい方はURLを記録下さい。

■なお1月26日データ移行後の新アドレスも変化します
「hataさんのかけはし」http://hata1.blog.bbiq.jp/blog/ と、なる予定です。
ついでながら念のために、このURLも記録下さい。     以上、hataでした。

■私だけがブログ移動するのでなく、q−ringのサイトごとの移行です。q-ringとは九州電力が作ったサイトであります。九電はbbiqという電話会社を立ち上げ、子会社化していく訳で、ここのサイトもそれに合わせて専門bbiqへ移行するのです。

HATAさんの……

前から思っていたのですが、サイトがデータ消失したらどうなるのだろうト……個人ではむろんハード・ディスクのデータ消失したことはあります。あれはどうしようもなく諦めるしかありません。実をいうと、それでブログ始めた所もあります。

メモや考えた事をことごとくブログに出して置けば、忘れてもブログ検索をかければ一発で出てきます。安心です。人に知られてマズイような事は出せませんが、講演会を聞いたメモなどは出してしまってイイ訳です。

講演メモはむしろ人気があります。どういう人が見に来られるのか。相当な人が来られます。アクセス解析を逆にたどると講演者の知らない面など、知る事が出来ます。A4紙で封筒を作るという、引用先の作者に訪問を受けたりもします(笑)

A4封筒は更にひねって、4つ折りを入れる封筒とすると、少し余裕が出来ます。つまりA4を3つに折って入れる封筒を作るから無理がある。4つに折るとハガキくらいの大きさになる。この4つ折を入れる封筒なら完璧で出来ます。

11センチ×16センチの封筒です。サンゴー封筒をアレンジすると簡単に出来ましょう? アイデアに対抗してアイデアをひねる面白いし、勝っても負けても気持ちがいいのです。まあ特許の段となると面白いでは済まないのかも知れませんが……

ハンバーガーを作る記事で、OX、オックス・テールのカレーを作る話を出しました。狂牛病が怖いので私は食べなくなりましたが、OXテールは今も売っているようです。自分で食わない物の作り方は抵抗がありますが、豚の尻尾なら大丈夫でしょう(笑)

それで作るかどうかは別にして豚の尾も売ってはいます。私は豚の軟骨や豚足でのカレーならお勧め出来ます。あなた作れます? そういうのも、お教えしなければいけません。私なら簡単に出来ます。簡単にお教えも出来ます。その内、やりましょう。

こういった事は書く事で広がります。情報というのは力であります。秘密にして私だけが持っていても力ですが、オープンにして出してしまうと別な意味で力になります。たちまち4つ折封筒や豚足カレーに化けましたでしょう?

実はそういう話ではありませんで、最初に書いたようにサイトに不安を感じ、試しに2つ目のかけはしを作ってあります。データ喪失対策にはなりませんが、休載期間中にもし何かを発表したくなった時にと言う訳です。

ブログなんて物はいくらでもフリーで出来てしまう。いい時代です。記事は古いのが、ひとつしか入っていません。タイトルは、
「HATAさんのかけはし�」都合により大文字になりましたが、
http://hata001.blog41.fc2.com/ での仮営業になります。

2009年1月11日 (日)

月のつづき

あまりは知らない人と映画を観に行って、後で映画の話をします。上映中は話しません。上映中は一人と同じという説があります。言えますなあ。最近は終わっても何も話す事がない映画もあります。あれはスピルバーグ監督あたりからでしょう?

「ああ面白かった」
「面白かったです」それでもう、お仕舞いになります。
たとえばジェラシックパークですと、恐竜がやたら追っかけて来ます。本当の恐竜がいても、あんなには追わないト思うのですが、本当には居ませんから文句もいえない。

追っかけて来るから逃げるだけです。逃げるだけで終われば、隣席とも話す事はありません。そこは当たり前です。それでホッとするような、がっかりするような部分があります。他を必要としない自己完結といいます。

トリックとかSFとかCG、コンピュータ処理が発達して、あの手の映画が多くなった……(笑)ウソですよ。本当は前からあったのです、昔過ぎて覚えていない。こっそりお教えします。お岩さんとか、化け猫とかの怪談が構造的には同じです。

昔のお盆映画はほとんどスピルバーグさん式であります。天地茂さんなんてお化けとの共演がお上手です。
「出たな、お岩。斬られて刀の錆びになれ」なんてね。眉の間にシワを寄せると、お岩さんが座敷の隅にいるような気になる。

恐竜なんて実体がありません。ないものと心交わすことは出来ません。お化けとも心交わしておりません。
「怖かった」そういう他はありません。それで終わる。自己完結とは心が退化して働いていない所に問題があります。

前に月の話を書きました。私が言う月とは他人と、誰かと見た月という意味です。映画を観るように誰かと観る。ないしは観た映画の話をする。対象化というのですが、それがないと観た意味は薄れます。

自分の見方と他人の見方を照らし合わせ、その違いを吟味する。それが心の営みというモンでしょう。たとえば昔の松竹映画で、
「あら月がきれい」と女性が言ったら、単に月が見える意味ではありません。相手方に話しかけている訳です。

大体、相手方は男です。父親や自分の子供にそんな事はいいません。多くを知らない男が傍にいて話しかけている。
「あなたの傍にいて気持ちがいいわ」くらいの言外の意味があります。

「ああ、良い月ですね」と男が返すとします。何かの意味で悪い月というのはありません。これにも言外の意味があります。
「私もあなたの傍でよかった。この、ご縁を発展させたいものです」そういう感じでしょう。自分の内側と外側とで対話が進んでいます。

心が活動し発展する、そこに意味があります。別に気が向かないなら止めてもいいのです。何でもかんでもスピルバーグ式、ホラーとコンピュータ画面ばかりでは発展が望めません。驚くだけでは心の働きとして足りません。

他人と対面して心が働かないとどうなるか……またにしましょうか?

●画面は、心を働かせる遊びと思われます。こういう遊びはしません。流行りません。

2009年1月10日 (土)

唐さんの事なら

唐さんの事なら用意があります。団塊の世代で唐十郎も寺山修二も鈴木忠志も知らなければ、それはモグリというもので、別に演劇にかぶれてなくとも、赤テント黒テントは知っていたのです。年末の深夜映画で「シアトリカル」というドキュメンタリがあって……

演劇的という意味の映画、いうなれば「行商人ネモ」のメイキングオフです。それを観て書いておこうという気になりました。昔、アンダーグラウンドを略してアングラと言ったのですが、新派新劇に対してのアングラ芝居の代表が唐さんでした。

さらに新劇が規制の台本を使ったに対し、唐さんは台本を自分で書くわけです。私が観たのは「風の又三郎」73年くらいと、もう一本は「ユニコン物語」か、定かでありません。唐さんは貧乏体験があって今もノートに小さな文字の横書きで書くそうです。

作家は下書きをせず、データマンと言われる調査を使うのが普通です。そんな事の出来ない弱小で、誰とは言いませんがネットで検索をする人もありますです。唐さんは長崎の島を「西南端だよな」と聞きます。周囲に唐組のスタッフや俳優がいて、聞く訳です。

ネモがいた長崎、それを日本、最南端と修飾したい。こだわりは偏執的です。悪く言っているのではありません。それが面白さに変化していく……唐さんは舞台を踊るように動き、歌うように話す。そのセリフと動きは内に内にと向かっていく。

まあ役者に夢中になるのは女性の特権、私は男、それと判るだけで夢中にはなれません。唐さんは小山の大将、山がなければ輝けない。たとえば商売道具の赤テントが古くなって、痛んだ時も自分では工面できなかった。

察して赤塚不二夫さんが750万円出したそうです。ホントは気が小さいと思います。公演前に客の行列を見に来る。誰かと連れ立って何処かに行く素振りで、客種を見て覚悟を決めるらしい。夜叉奇想だったか熊本が初演でした。

客を見ても覚悟が決まらなかった。時間になってもテントが開かない。私は係に聞きました。係は、
「座長がゴネてるらしいの。女の割合が多すぎる。俺の芝居は娘っ子に見せるもんじゃねえ……って!」私が大げさに肩を落とすと係は声を出さずに笑いました。

映画の中でスタッフが不用意に唐さんに聞きます。
「役者って何だって……俺は出てくる」唐さんは突然、出かけます。カメラはそれを追います。洗濯機のある部屋、組の水周りある部屋の奥に、唐さんは入って行ってシャワーを出す。

服のままシャワーを浴びる、唐さんの姿をカメラが追う。
「これが役者だ」濡れた顔でいう唐さん。部屋から唐組のメンバーが追ってきて、唐さん唐さんと口々に声をかけます。
「おい、お前たちも浴びろ」
メンバーは服を脱いで、シャワーするんですがネ。つまり唐組の中では唐さん絶対な訳です。

唐さんの一挙手一投足を支える形で演劇が成立します。熊本に来た時も子飼橋のあたりでテントを張りました。夕暮れの頃にテントを跳ね上げ、白川の風景を芝居に取り込みます。向こう岸から三下役の俳優さんが走って来るのです。

ド肝を抜かれて客は拍手をします。そのジャブジャブという白川の水音が凄まじく記憶に残っています。芝居のタイトルは消えましたけどね。偏執的はいいとしても、あまりに回りにツケを回すのは、どんなものかと思います。あれ以来、私は唐さんの芝居を見ていません。

行商人ネモ BS2 9月1日(土) 午前0:05〜2:05(31日深夜)
長崎県の生月島にある紳士服店「フタタビ」に勤めていたネモは、ジュール・ヴェルヌの書いた小説「海底二万里」をこよなく愛する男。ある日「フタタビ」は大手のスーツ屋に買収されてしまいます。会社とその仕事に誇りを持った人々も去り、ネモも退職金代わりにズボン75体を持って生月島を後にするのです。75体のズボンと共に旅に出たネモは流しの縫いっ子・松浦ミシンと東京・何処横丁で再会します。ミシンは発注ミスをしてきわどい償いを迫られる友人の身代わりを申し出てこの横丁にやってきたのでした。一方ネモは、かつて勤めていた会社「フタタビ」の宣伝部のボードビリアン・舌巻や会社に出入りしていたハンガー業者のエリマキトカゲらと巡り会います。75体のズボンを行商し続けるネモとミシンの前に「フタタビ」の買収元であるエリツキ達が現れ、そのズボンを売らすまいと立ちはだかるのでした。
(井の頭公園内 木もれ日原っぱ・2007年)作・演出:唐十郎
出演:唐十郎、十貫寺梅軒、鳥山昌克、久保井研、辻孝彦、稲荷卓央、藤井由紀、赤松由美、丸山厚人、多田亜由美、高木宏 ほか

2009年1月 9日 (金)

袋のない福袋

高名な作家が「夏場に正月をしたら、どんなに人が助かるだろうか」と説をぶった事があります。夏場なら冬場のように食べ物を用意しなくてよい。晴れ着、服も少なくていい。社会的格差を意識しなくて済むという訳です。

いえ一部、成人式などは説を取り入れ、盆に行われる地域があります。全部が全部を否定しようとは思いません。一理あります。しかし肝心なところが抜けている。なぜ正月が冬か、根拠を忘れています……あ、あなたも忘れましたか?

正月が冬である理由は、思い出してもらう事にして、今年も福袋が売れたそうです。女性は服の福袋、子供はお菓子やおもちゃの福袋……色々ある訳です。不景気とはいう物のまだ家計には余裕があって、めでたい方の日本国です。

その正月から縁起でもない、言われそうですが世界恐慌は、世間で言うより長引くそうです。経済学者がいうには、あくまで予測としながらも、情報の流し方が縛られているトいいます。1年は3年、3年というのは実は5年、5年というのはさらに10年後……

来年末に何とか収まるという説は、それは子供向けの説といいます。お菓子やおもちゃを欲しがるから与える。聞かれるから言う説というんです……本当のことをいうと福袋を買うような場面ではない。とまあ経済学者はいう訳です。

しかし心は浸ればやがて慣れます。来年の末と言われていれば気楽です。お菓子の袋が大きければ子供は安心します。3年先まで我慢できる気もします。子供のおもちゃも今はゲーム機ですから安くはありませんけどね。

それでも子供はおもちゃを手にしていれば機嫌がいいのです。親としても幸せというものです。3年先が来てから、もう2年とか3年とか言えば諦めます。それがダメなら諦めないなら、そのまた先の3年とか何とか言えばいいでしょう。

人の心はそんなもんです。心が細まると書いて心細いなんて、うまい事を考えました。細い心も寄せて集めりゃ太くなる……かどうかは知りませんが、そういう感じですねえ。連帯感という言葉がありますが、福袋を買う時の正月の行列で、連帯は感じませんねえ。

そうそう正月の由来、冬は寒く日が短くなるのです。日が短いと心は不安になります。このまま暗い闇に閉ざされそうな気になる。滅入る気持ちを払うためにお祭りをする。それが正月やクリスマス、火祭りの由来です……滅入らぬ夏にやっても仕方がない。

沈む心に福袋を買う……それが福袋の由来です。いうなればウツ対策という訳です。正月にはコンサートや美術展のチケットを買う……それでも福袋の役は果たします。むろん本やCDでもいい訳です。袋のない福袋、あなたは何を買いますか?
●画像は描き主が消えた、去年の福袋?

2009年1月 8日 (木)

柴咲コウの月

最近、月を見ていません。最後に見た月は満ちていく月だったか、欠けていく月だったか? 「月」は科学用語であると同時に文芸用語です。教養が足りずに図書館に行き、月について調べるとなると科学と文学、本棚の間を右往左往する事になります。

その辺がネットですと一発ですが、教養があればwebもいらない。もっともこの先は難しい話でもなく、この所、贔屓にしている柴咲コウさんの歌です。驚いた事に柴咲さんは歌う唄のほとんどを自分で作詞している。ヒットした「かたちあるもの」など特に秀逸です。

「夜空に消えてく星の声 儚げに光る鈍色の月」
あまり長く引用すると危ないが、はかなげって読めますか? 歌なんて、はかない物です。私の書く文章だってそうです。形になんてなりゃしない。せめて鈍色の月……その月を見ることを忘れた。

柴咲さんが月に託した物は……かたちあるもので歌われるのは、夏の夜の情事、ヤッちゃった(笑)歌の主人公の女性は、今も本気なのですが諸般の事情で、二人はうまく行かない。これからも……それで相手の男にエールを送るこの歌。

柴咲さんは歌もまずくない。上手いのですがコンサートステージがまた巧妙です。トークに内容があります。過去1年を振り返り次の1年の予定を考えます。自己分析をして生きる自分を客に伝え、客にもそういったやり方を勧めます。

ステージから客席に一方的な説教ではなく、
「何か質問ありますか?」というのが恒例の進行らしい。
「……どんな月が好きですか? 欠けてる月が好きです。下弦の月……これこれ、西側が欠けてる月です。下弦の月が好きです」

対話でステージを進めるのは楽ではない。客は何を聞いて来るか予測ができない。戸惑いもあります。それを即座の答えていく。柴咲さんの反応は早く、らしい答えを盛り込んでいく。webで一般検索してみても「西側が欠けた月」という表現はありません。

満月から十六夜に移って以降の、欠けていく月の表現としてオリジナルの可能性がある……断言はしないが、詞の創作力と重ねてもただの玉ではない。柴崎さんはキャラクターが濃く押し出しもいいので、演技では強気の女性を演じる事になる。歌詞に出てくる主人公とは違うが……繊細さとの両方を備えるらしい。

武田鉄也さんさだまさしさんのコンサートは歌より話しが長いので有名です。あれは予定した話を一方的に話されるので、即興性は薄いのです。たとえば岡本おさみさんの詞「旅の宿」にも月は出てきます。
「上弦の月だったっけ 久しぶりだね 月見るなんて」

ご承知のようにこちらの歌は、酒を飲み過ぎ酔いつぶれ、月観る余裕もないのです……それでも私は、柴咲さんにフォークの響きを重ねます。下弦の月のように儚く弱い私たちは、それでも生き延びよう。そう歌いかけて聞こえます。

満ちていく月ではなく、私たちは欠けていく月という自己分析は確かであると同時に、したたかな時代認識を感じます。日々のニュースは難しいが柴咲さんの歌は心地よい。最近、あなた月を見ましたか。最後に見た月は満ちていく月だったか、それとも欠けていく月だったか覚えていますか?

絵は「エアブラシの山登屋です・店主のブログ」からの提供。
http://ameblo.jp/yamatoya2007/
http://blog.q-ring.jp/yamatoya2007