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2014年10月18日 (土)

交差点(小説)

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 夢に出て来る光景、これは何処とはっきり判る、場合もあります。よくは判らず、あの辺りに似ている。昼近くに思い出し、ああト納得する場合もある。夢に会う人物についても同じ事で、心当たりのあるような、ないような人を夢に見る。それは気になります。

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映画館に行こうと歩いて行くと、女の子が出て来てアニメに行こうという。知らない子で中学前後、小学なのか高校なのかは、はっきりしない。そういう夢です。

「君はどこの子だっけ?」そう聞くと、

「教えない」という。

「名前は?」と聞いても、

「教えない」と答える。

その癖なれなれしく腕を組んできて、 「この前、一緒に行ったアニメはよかったよ」という。

 むろんこの子と初対面のはずで、私にはアニメを観に行った記憶はありません。

「そうだっけ、一緒に行ったの?」と聞くと、

「そう一緒に行った」その子は答えます。

「はて何を見たっけ?」と聞くと、

「思い出さないの。思い出すまで教えない」と子供はいう。

「じゃあ、これから行く映画はやっぱり『アナと雪の女王』だろう」と言うと、

「違う、アナに行くのなら一緒にはいかない」少女は立ち止まってしまう。

組んだ手もほどいて悲しい表情をする。その表情の中には幼いが女がいる。

そう私は思い、言葉をつごうとするが機嫌を損ねた女は、もう私にはついて来ない。それが誰だったのか、どこへ行くはずだったか、前にどこで逢ったか……

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なぞなぞを全部解かなければいけない。そうでないと人の機嫌は悪くなる。私はまた、いつの間にか一人で歩いています。すると後ろにいるはずの女の子は、私の前に突然、また現れ、

「そういう事よ、あんたは」と私を叱ります。むろんどういう事なのか、私には判りません。

女はもう子供でも少女でもなくなり、なぜか若い女になっている。鮮やかに化粧した女の顔に、どこか心当たりのあるような、それでいて一度も見ないような……女の夢はそこで切れる。そして私は目が覚めるのです。

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 私は朝から出かけました。そして交差点まで来た時、声をかけられます。

「あら、――さんじゃない」振り返ると女が立っている。夢ではない現実の中で、女は夢のあの子に似ている。

2013年12月 8日 (日)

今でしょ! 小説

021050勉強を「いつやるか? 今でしょう」と自問自答します。受験勉強だけではなく時間の把握には今しかなく、明日はおろかほんの1時間先さえも見えない。厳しいことを言うとだが今しかない。

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「今でしょ」は、東進ハイスクール現代文講師、林修(はやしおさむ)先生の言葉で、2013年新語・流行語大賞を受賞された。受験はそうだが人生の時間、お互いはもう少し余裕で捕らえてもバスには乗り遅れない。

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バスに乗り遅れ、汽車や電車に遅れ、大学試験を逃したドジな友人を知っています。高卒の友人はその時とっさに頭を切り替え、バッティングセンターにバットを振りに行き、家族には何食わぬ顔をしていたと言う。

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若い時の時間をたたんで一年かそこら、大事にサイフの中にしまえるのならいいが、そうはいかない。その時の時間はその時しか使えない。受験生には大事なことは受験しかないが、そうでない者には時間の対象はいっぱいある。

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いや人にもよるのか? バスの窓から団地のひしめく窓を見ていると思う。百人百様とはいうけれど人間は同じようにしか生きない。時間をたたんで仕舞えないのが不思議なほど均一に生きている。

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私はバスの座席に座り、サイフから取り出した札のシワを伸ばしている。高額な札の紙幣ナンバー、それが有効期限てないことを確認している。札を車掌に渡すと車掌は札と私を見比べ「この証明は1年間使えます」という。

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車掌が返した札は、いつの間にか青い証明に変わっている。私は「これ違い……」と言いかけ、サイフに仕舞いこんでいた物と思い出す。私は20代の頃の1年分を使い残し忘れていました。

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降り立った街には大学があり、ちょうど受験の受付中で……つまり私は友人の乗りそびれた、あのバスに乗った訳で、しかも試験を受ける事になっている訳で、受付係に受験番号を問われる所でした。

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私は私なのか、どこかで高卒の友人に入れ替わったのか。窓際の席について机の上のテストをめくる。その答案用紙に友人の名前を書いて、問題を読んで答えを書き込んでいく。この試験に通れば友人は別な生き方が出来るものなのか?

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試験が終ったので、私は校門を出た公衆電話の前で立ち止まります。代理試験を受けた事を友人に告げるべきか否か、少し迷って何も言わない事にします。道をあぐねて友人が行ったというバッティングセンターに行くことにする。

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それから私は気がつく……代理ではない私自身を生きなければならないト思う。受験の今は代行も出来るが、自分は簡単には決められない。気がつくと私はバスに乗っています。どこで降りる訳でもなくただバスを乗り続ける。

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蒼ざめた切符、いや蒼い証明書には友人の名などではなく、間違いのない自分の名が書いてある。陰が差して少し暗くなった私の前にはバスの車掌が立っていて、こう聞いた。「降りるのですか?」

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席をはじかれた私はそのままバスを降りてしまう。バス停の先の知らない街と知らない家並み、私が自分である他は何の手掛かりもなく、ほとんど途方に暮れます。そういえばそろそろ時間も夕暮れてきた。

2012年2月12日 (日)

言霊おたま

Otama 言霊はあるか?……というと言葉の意味を否定しにかかったように聞こえますか? そうではありません。言葉に意味があるかと言えば、あるに決まってます。では、肯定的な意味の言葉と否定的な意味の言葉があるのか?

 

 

 

否定的な言葉とは……何でもいいが「バカ」と言います。知識がない、用法を知らない、常識的でしかない……そういう人を一般にバカという。これが否定的なカテゴリーに入ります。そう呼ばれ喜ぶ人はいません。

 

 

 

普通はそうです。でも異性に自分の話を聞いてもらって、ちょっと間を置いて「バカ」と言われたら、アナタ喜びませんか? つまりバカという言葉すら肯定的な側面もあるんです。この場合のバカは「愛している」と同じような意味がある。

 

 

 

障害のガイはよくない意味があるトして、言葉狩りに遭いました。それはそうですが、問題を端的に示す言葉として障がいより障害がいい……そういう面もある。たとえばアナタ、異性にバカと言われたい、そう思いませんか?

 

 

 

1位2位3位って言います。1位が金で2位が銀で、3位が銅、あの1位です。当たり前ですが2位は1位につぎ、3位は2位につぐ。3位は否定的な意味あいがあるから、3位と言うのは止めよう。

 

 

 

1位も2位も3位も同じようにしよう。金も銀も銅も全部まぜて合金のメダルを作ろう……そういう風にはなりません。順位を競っているのに順位を失くそうというのでは困る。

 

 

 

こういうと障害者の癖に、お前は健常者至上主義か。言われそうですがそうは言っていません。障害者は健常者にサポートする必要があります。サポートの要不要を明確にする為に、明らかに出来ることは明らかにした方がいい気がします。

 

 

 

言葉の意味を理解するのは意識です。少なくとも最初は、好意敵意は無意識です。先に書いた異性からの「バカ」は、無意識の好意がにじんだから嬉しいのです。それで鼻の下を伸ばすと本当のバカという事になります。

 

 

 

なぜならバカが意識され、よからぬ下心に結びつきかけた事と関係します。意識されると心はいろんな方面に伸びて行きます。良くも悪くも意味が広がる、それを悪い方に伸ばしてはいけないト壁を立て掛けるのはドウカ?

 

 

 

悪くなった言葉は、さらに伸びて行った先で、良くならないと限った物でもない。障害者をサポートした事がない健常者は多く、意外にも一度したい。チャンスがないと思ってる人いるんですって……むろん思わない人もいますがネ。

 

 

 

えーと、この記事は、言霊はあるか、そういう書き出しだったのですが、収拾がつかなくなりましたネエ。本当は私、言霊はあってもなくてもいいんで……ここで便利な決めセリフを行使します。本日はこれまで。

 

2009年5月28日 (木)

赤軍のいた頃

70映画を観たので連合赤軍のいた頃を思い出しました。世界同時革命……彼らは言っていました。所属の友人も言う。私は聞きました。

――同時といっても……具体的にどうするんだ?

「それはまあ、やるんだよ」友人は答えます。

友人も判っていなかった。なぜ判りもしない物を信じたか? 赤軍を信じたのではない。何も信じなかった。なぜなら大学は巨大な使途不明金を出し、それで月謝の値上げで埋めるという。これは今も似ています。

国の赤字を消費税で埋めようという……そういう国がどこかにありますなあ。そこでは県も市も予算備蓄が発覚しても、使うべき所には使われない。同じではないが似ています。野党にでも期待してみようか? あの国には、なーあんて思う人があるかも知れません。

そう思う人を非難しますか?

連合赤軍に行った友人を非難できません。当時、文学でいうと大江健三郎さんが流行りました。「死者の奢り」は学生がアルバイトに医学部に行く話です。教習用の古い死体を洗うバイト、完全なフィクションですが大変、気持ちが悪い。

当時はフィクションと思わなかった。何を意味してるかさえ判らなかった。主人公の若い男は一緒に働いた女大生が、貧相で、異性として見えない。意味として目に入らない……たとえばですが、そういう現実が言いたかったのでしょう。

大学生というのは当時、エリートで豊かさや未来を担うシンボルでもあった。しかし当人はアルバイトに追われ、月謝が払えるか払えないか。切迫が気になって異性も目に入らないという。経済に困って死者にまで仕える。タイトルの意味です。

そういう皮肉があります。今だと簡単に理解できます。当時は判らない……判らない小説を一生懸命、理解しようとします。音楽もそう、私のようにマイルスは気楽に聞くジャズですが、パーカーとかコルトレーンは判らない。

哲学もすぐ判る安易なのはステイタスにもならない。サルトルやハイデガーが対象になります。ステイタスたって人に見せびらかすのでなく、自分で納得するために読む。どこかに漱石が判るの自慢にしてるバカがいます。漱石は哲学でさえない。

赤軍を弁護しようとは思いませんが、そういう時代でした。今は軽いのが流行る。流行は雑学でしょ? 昨日仕入れて明日役立てる。ジャズや文学はそうは行きません。コルトレーンを2~3年聞いたあげく、私にはパーカーが向いてるのが判った(笑)

冗談ではなく、そういう事もあります。2~3年かけて仕入れた年月は帰って来ません。それが怖いので音楽もじっくり聞くことが出来ない。向き不向きの少ないマイルスでお茶を濁す、実存もこの際はカミユで納得する。

今のように軽薄淡小が流行るというと私程度でも、けっこう重く見える物です。重い事は大事です。でも連合赤軍は間違えたのです。重く重く生きる事が、軽い軽い生き方と同じような結果を生む。昔のリンチ殺人は、今の無差別殺人と何やら似ている。そう思うのは私だけでしょうか。

〇画像は夏目房之介「講座」における当時の若者。