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2017年10月 8日 (日)

倫敦塔~ジェーン・グレイの処刑

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 ロンドン塔は古い城塞だったが、政治犯を幽閉する監獄、処刑場として使われた。禍々しくも今なお幽霊が出る。つまり熊本城とは違う。漱石がロンドンに行ったのは1900年、明治でいうと33年、33才のこと子供も生まれた後のことです。
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 漱石が亡くなるのは49才、言うまでもなく今の一生から考えると、ずいぶん短い。「倫敦塔」を書いたのは直後ではなく5年後、38才、東大講師時代に書かれます。「倫敦塔」が先で同じ頃に「猫」を連載、あいだには「坊ちゃん」も書きます。
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 それで気になるのは漱石が倫敦塔に行った。そこでこの絵「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を見たという内容を……文章にした動機です。同じ頃に書いたのなら猫も同じ動機と思われますが……5年後に何でこんな話を書いたんでしょうか?
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 懐かしい思い出、楽しい思い出いうなら分かりますが、こりゃあハーンか、泉鏡花です。 鏡花はあれが趣味ですが、漱石は違う。絵を思い出し取り上げた動機がある。そう話を立てましょう。絵の説明いうか、漱石が文章で再現を試みた所を下に引用します。(青空文庫からの引用、よみがなが混じる)

「猫」とは違う文体で、どこを違えて分けたのか……ただジェーン・グレイのように禍々しく写されているのは、ある意味で猫も同じです。誰にも受け入れられなければ死、「猫」は冒頭で書生に食われると読者にうったえています。
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「倫敦塔」では塔に入る前に子連れのジェーン・グレイに似た女性を見かけたという。親子は鴉の話をしていた。本当だか幻影だか作ったのだか、それは知りませんがね。そういう意味では似ている。いえ漱石は間を置かず、2つの作品でほぼ同じことをアピールしてます。
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 「倫敦塔」は当時としては常識的な漢文書き下し体というか、この3年後「草枕」でも使われる。猫の方を発展させた文体は「坊ちゃん」で、猫の文体は落語です。漱石は小さんの落語が好きで原稿用紙の上で、小さんのマネをした。
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 だからユーモラスなんです。倫敦塔のような漢文体で何本も書いていたら、自分の息が詰まる。東京大学講師で食えるようには成ったものの、学生の評判は悪く教授たちへの評判も悪く、漱石は陰鬱でした。教授になれない講師で終わる可能性があった。
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 漱石の持病は今で言う、躁鬱か統合失調かは知りません。予定より早くに帰国した。後の修善寺の大患とか「行人」執筆中の行き詰まりとか、精神病を抱えていて……実は漱石は発病発作寸前だったト、私は思います。そうでもなければこんな陰鬱な文章は書きません。
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 むろん評判になったのは猫で、しかし評価が高かったのは草枕です。草枕を見て朝日新聞は雇いに来ます。だから東大を辞める、辞められたのです。用心して編集長ではなく社長と約束を交わす……それは先のこと漱石自身は、文明開化落語体とも言うべき文体で、自分の鬱を笑い飛ばしたかった。
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 新聞一作目に「草枕」のようなと注文があったかも知れません。そして「虞美人草」は漢文調です。何しろいまだに「草枕」を褒める人があります。坊ちゃんはダメだ、言う人がダメと私は思う。猫や坊ちゃんで開発された文体は「三四郎」に統合されて行きます。
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〇倫敦塔より 「 女は白き手巾ハンケチで目隠しをして両の手で首を載のせる台を探すような風情ふぜいに見える。首を載せる台は日本の薪割台まきわりだいぐらいの大きさで前に鉄の環かんが着いている。台の前部ぜんぶに藁わらが散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎ようじんと見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩くずれている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣ほうえを裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色こんじきの髪を時々雲のように揺ゆらす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉まゆの形、細き面おもて、なよやかなる頸くびの辺あたりに至いたるまで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳かけ寄ろうとしたが足が縮ちぢんで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探さぐり当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前さいぜん男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分すんぶん違たがわぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫おっとギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺ゆり越した一握ひとにぎりの髪が軽かろくうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真まことの道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹きっとして「まこととは吾と吾夫おっとの信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後あとならば誘さそうて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色すすいろの、背の低い首斬り役が重た気げに斧をエイと取り直す。余の洋袴ズボンの膝に二三点の血が迸ほとばしると思ったら、すべての光景が忽然こつぜんと消え失うせた。」


〇作家でドイツ文学者、中野京子氏が2007年に出版した美術書「怖い絵」シリーズで紹介した。ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(1833年)が10月7日から上野の森美術館『怖い絵』展に来てます。ロンドンまで行かなくても絵が見られます。解説は中野さんが書かれたか、吉田羊さんが読まれたそうな。

2017年10月 4日 (水)

パルムの僧院

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 誰でもそうと思いますが、地震はどうしたらいいか判らない。熊本市では震度7の地震が続けて2度あり、いい大人が手も足も出ず、困り果てた体験があります。
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 あんな地震がもう一度あれば、さすがにガスを止めテーブルの下に逃げ込むくらいは出来る。だがそれ以上に賢い行動を取る自信は未だになく……体験の意味はそんなものです。
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 ここで地震と自信をかければ話は落ちる。いい大人になれば大抵のことに、人は自信を持てるが、大岡昇平さんも恋愛体験に(性愛も含む)どうやら自信が持てなかったようです。
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 漱石にもカミさんがあった。愛人どころかカミさんももない私としては、両方あった大岡に教えを乞うしかなかった。だが大岡の自信のなさは私の地震体験どころですらなく、なんとも青天の霹靂となった。
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 そこで大岡の専門のスタンダールを見た。「パルムの僧院」は恋愛心理劇。若き貴族、ファブリス・デル・ドンゴはつまらない事で殺人を犯し、城内に幽閉される。そして人生の失敗が決定するまでの物語がスリリングに進む。
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 主人公は運命、あるいは出世をめぐって、年上の女性と若い女性の間を、行き来する。テーマと構成は「赤と黒」と大きくは変わらない。つまり災害心得手帳とか避難袋づくりが流行ったように、スタンダールは恋愛論を書いている。
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 年上の女性は具体的には母のことです。スタンダールの父とは不仲で、母はスタンダールを溺愛した。愛されるから愛を学び、愛する方向に向かう。受動から能動へと形を変える心理が、スタンダールの書いた恋愛術となります。
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 母の束縛がうるさいから、スタンダールは兵隊になってナポレオンのように出世しようとします。しかし武術の才なく軍で出世は出来なかった。「パルムの僧院」では決闘シーンがあり、若いファブリスは中年男をやっつける。
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 漱石は八雲のようには人望がなかったので、三四郎ないでは生徒に人望があったと書いてます。大岡は「事件」ないでは姉妹に男を取り合うシーンを演じさせる。私はそんなの何も書けません。
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 スタンダールは軍でイタリアに遠征体験があって作品にもチラチラ出て来ます。こういった先に若い女性と体験があるかも知れません。恋愛は男女どちらかがリードしなければならず、あまり平等にこだわっても進展は難しい。
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 年長者が普通はリードします。しかしリードする体験、される体験をペアで持たないと不満は残るでしょうな。実際にはリード体験のある男が、次々と女性をリードします。性愛に主なウエイトを置いて……
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 性愛ももちろん重要事項ですが、あまり重点を置かれても困る。食事、飲み物、美術、音楽、スポーツにアアだこうだ相性のすり合わせあうか、ある訳です。そんな面倒なといって重要事項だけ重点を置いて、あとは金で済ます。
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 そういうのもあり、どういうのもありです。スタンダールの時代はキリスト教が支配権を持っていて、一応の目安にはなった。そういう物の何もない自由社会と、どちらが生き易いのかは人による。
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 どうしたらいいのか困り果てる……その意味で恋愛も地震と変わらないモノという認識があった気がする。震度1か2の恋愛では困らんが、震度7で人生を揺さぶられる恋愛は困る……ただ人生に、そういうのはなしで終わる可能性の方が高い。
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 熊本もまた地震は来ると考える人と、来ないではないが何十年かは来ないと考える人があります。年の70に近くなって恋愛に準備なんか私はしません。そう決めると大岡の気が知れてくる。ただ問題は漱石です。

2017年9月14日 (木)

黒猫は3度くる

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 夜中にトイレに起き、寝ぼけまなこで用を足す。水を流して出た所で気がつく。室内にかすかな気配がする。これが人なら泥棒なのだが気配は人ではない。
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 私は動きを止め様子を伺うが、相手も動かずこちらの様子を見る。一瞬の不気味。まだ暑いのでベランダを開けたまま寝るが、そこから猫が入ったらしい。やれやれと台所から猫を追い出して安心する。
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 夕べはサンマを食います。今年のサンマは高いというが、スーパーに行ったら小さいのばかりが残り、それで108円という。これを逃したら今年は食えないかもと買って来た。そのサンマを焼いたので、今まで来た試しのない猫が匂いを嗅ぎつけた。ベランダから出て行ったのを見て、ガラスを閉めます。
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 ところが、この黒猫をまた来ます。成猫に達しない、子猫でもない。中くらいの黒猫で近所をウロつく言う話です。今度は朝になって私と顔を合わせてニャアと言うんだから……セリ込み猫です。ガラスを開けておいた夕べに入り込んで、何もないので寝てしまい、朝起きだして来る。
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 ただ3度目は分からない。ガラスを閉めておいたのに、入れるワケがないのに入っている。野良ではなく元々アパートかなんかで飼われていて、飼い主は秋になって引っ越し、部屋に置き去りにされたか? そんな所でしょう。
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 漱石の家の猫もセリ込みの黒猫だったそうな……お手伝いさんが追い出しても行かず、漱石の一言で飼われることになったトあります。勝手なことをすれば大家に私の方が追い出されかねない。いえ熊本市では猫を飼う場合はむろん、数軒で一匹の地域猫とする場合も、手続きは踏まねばならない。
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 しかしエサだけ与えるとか、始末もなく短い間だけ飼うとか……勝手な人はいて、後には不幸なノラ猫が残ります。吾輩だってあれはネコの形を借りてレコを重ねて……そういう方があります。
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 頭の上のハエを追えない身障者が猫や犬を飼うのは……そういう話題になった事がある。むろん決論など出ないが、健常者であっても似た問題を抱えた方がある。女房子供を抱え、それが自分になつかず、猫や文鳥を飼わねばならなかった。
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 漱石の心の闇というか、冷え冷えと温もらぬ部分というか……感覚はあった訳です。それともまあ最近の猫は生活レベルが高く、飼い主と一緒にインターネットくらいは心得て、私のブログの漱石シリーズ、読んでいて押しかけたのかも知りません。「オレも漱石は好きだニャ」とか。
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 つい先ごろまでは犬と猫では犬に人気があった。それは逆転して猫人気が勝って来た……こんな画像が出て来るには、微妙な変化があるのかも。猫ならいいが泥棒もありますので、ベランダのガラスは閉めて寝られた方が無難かと思われます。

2017年9月12日 (火)

それから4

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 ここで奇妙な事が起きる。大岡昇平さんは、なぜ漱石に魅かれたか? 愛人と奥さんの間を行ったり来たりした大岡にとって、恋愛というか性愛というかは、珍しくもなかった……はずです。
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 たとえ講演録にしろ500ページをかけて追求するような何が、漱石にあったか? 大岡はスタンダールを専門とし、スタンダール以外で深くこだわった作家はいないので、つまり漱石は例外中の例外です。 
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 鴎外の「舞姫」にはモデルがあって、最近、彼女が日本に来た痕跡が見つかったそうな……同じく漱石の書いた美人のモデルは誰それではないか? むろん大岡も「小説家夏目漱石」で書いている。
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 モデルで有名なのは江藤淳さんの、登勢という兄嫁説です。私の説ではモデルは問題にならない。あれは母、それも観念的な架空の存在です。「それから」でも架空の存在としなければ納まりがつかない。
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 恋愛の駆け引きで波風も立たず、結婚生活に入っても衝突が起きない。それはキレイな人生ではあろうが……それで人間は成長できるか? 波風や衝突といった事件の中からしか、人間の熟成は見込めないのでは?
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 漱石は熊本にいた時、年間で千に近い俳句を作ります。これが松山で子規に習った時より多い……理由は寺田寅彦に教えていたからです。この句数が、漱石の心の開かれた状態を示している。本当に寅彦と、肉体関係があったかなかったか?
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 気持ちが悪いので恋人寅彦説はこれ以上、追求しませんが……漱石の会話体の面白さは、おそらくこの時に出来たものでしょう。俳句は出来なくとも、弾む会話はありえたのでは……それはそうでしょう。鏡子夫人も三千代モデルとして確かな位置を占めたと思われる。
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 だが漱石の面白さとはシュミレーション恋愛、シュミレーション色恋、不倫、姦通……違うのではないか。恋愛は楽しく色恋は快感、不倫や姦通は悦楽……私はよく分からないが、それも違っていないか? つまり来るべく恋愛のテキストとして漱石を読むのでは利用法が違う。
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 するとデイトコースを下見、ロケハンするのも無意味という事になる。ロケーションハンティングは映画作りで言われるが、小説でもありうる。デイトでコンサートに行くとすると、クラシックにするかポップスにするかで、効果が違うからです。
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 小説での恋愛相手は美人だったりスマートだったりするが、現実ではそういう必要もない。本人が納得できれば周囲の誰にひけらかす必要もないからです……給料が安すぎると生活できない。恋愛感情も維持できない……まあ、そういう人もあるのかも知れませんが。
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 漱石は恋愛小説には不用意でうかつ、本番の色事には更にそう。漱石のうかつを知りながらながら大岡はNGを出さない。大岡は用意万端を整え、武蔵野夫人を書き「事件」を書いている、かのように見えます。実際「事件」では男女関係が、物語の謎のカギになる。
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 奇妙でしょう……本当のことは奇妙なもんです。昨年は「君の名は。」が流行りました。あれ、まだ今年でしたっけ……やっぱり君の名はのような恋愛をしたいとか、若者は思うのか。……そもそもアレでは恋愛でも、ないでしょうね。(終)

2017年9月10日 (日)

それから3

Ooka

 淡い初恋の感覚なんて忘れました。濃厚な不倫の味は知らない。トシも年なので、もうないでしょう……しかしミック・ジャガーは私の年で、恋愛ざたで子供を作ったのか!
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 大岡昇平さんは、漱石の文章が実体験に元づかないと看破します。野火などドキュメンタリーを書き,武蔵野夫人の恋愛ものも書き、「事件」のミステリも書いた……大岡なら何かを嗅ぎつけると私は推測します。
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 漱石の蔵書にはリストがあり、詳細まで研究され尽くされる……更なる研究が出来たにしても、私はしませんが……一目瞭然、読めば分るでしょう。漱石の文章は調べ物しながら書いた文章ではない。
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 調べながらとすると例えば鴎外の文章になる。漱石は新聞小説の特性を考え、毎日、気持ちよく読める事に重点を置く……必ずしも純文学とは言えない。まして鴎外のように発禁にでもなった日には新聞社が困ります。
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 そういう意味で離婚交渉の実際を取材する必要はない。読者より程度のいい家庭の、羨ましい暮らしぶり、浮世離れした思いを書き連ねていけば良い。「坊ちゃん」で同僚の婚約者をねらう赤シャツを書きましたから、友人の奥さんを譲り受けたい男でも……
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 それで赤のイメージ、危険な男という意味です。頭がいいのに無職、ピアノまで弾ける。これは漱石自身がバイオリンを習ったことからの影響で。前作、三四郎が学生ですから代助も学生のような事をしています……私はギターを弾きました。入院が長かったので弾きながら歌う事が出来ました。
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 出来は悪いが初めて聞く人は羨ましくて、これを上手いと聞きます。よせばいいのに重度身障者の前で演りました。嫉妬され逆効果というか……ど下手でもなんでも朝日新聞を取る人より上流階級を、代助は演じます。
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 もともと読売は分かり易い新聞です。今はどうか知りませんが朝日は知的レベルが高い、ほんの少しネ。漱石は英語教師です。英語の研究で留学辞令が降りる。漱石はそれを英文学研究にしてしまう。漱石にはそういう意味でインチキな所がある。
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 時代が下って谷崎潤一郎の頃になると、小説ではなく本当に他人の奥さんを譲り受けます。大岡さん自身も……つまり「それから:の代助とは、先行したイメージに過ぎません。私にしても泉谷さんか、せいぜい武田鉄矢さんのイメージに過ぎない。
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 だが弾き語りで歌ういうと、拓郎さんとか陽水さんとか、巨大に好いイメージを皆さん持って来られる……はずが、はずがないでしょ、同じです。百合を抱えてやって来る三千代、楚々として美しい着物の女なんて、巧妙なイメージ戦略にある訳です。
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 大岡は不倫の経験者です。なのに女性の中に入り込んで書くの難しさをいいます。野火が新しく映画化されました。劇映画と言えるかどうか、あれはいい……「事件」も昔ですが映画でドラマでヒットしました……それに比べると武蔵野夫人はショボい。
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 恋から色事へ至るグラデーションいうか、恋愛の小説化はいまだに上手くいってないのでは? 恋か色かによれば、それはありますが……漱石の小説は、合意による色事ではなく、許容によるそれへこだわりましょう……その時のそれは性か愛か、確かに色事ではあろうが恋愛といえるか?

2017年9月 7日 (木)

それから 2

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 大昔の事で書いても仕方がない。どんな嫌がらせだったかは書きません。あれは小学生も初めの頃、私は友人の男生徒にいやがらせを受けます。
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 それで親は「これはいやがらせでは……」いうと担任は訝しい顔をします。担任のその後の報告で、
「あれは私にもそう見えます」という。その理由を判らないまま、私も親もことを忘れてしまう。
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 モーツァルトの喜遊曲を聞きます。その3番目の曲に衝撃を受けます。俗に「夕べのメヌエット」という曲に聞き覚えがある。小学生の頃に運動会で女の子とフォークダンスを踊った。
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 やがてバイオリンの音色が記憶にたどり着く……と言っても小学生では指の感触には男女差もなく、記憶のメヌエットはステレオに乗って軽やかに行き過ぎる。
「あたしはこん人とよ」小学生の彼女は私の肩をつまんで引き寄せます。早く相手をしろという意味です。
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 主張に友人は驚きの声を上げる。女生徒の主張いうよりも順番を守れば、そうなるはずでした。宣言して肩をつまむ行為は躊躇われた。ためらわず行動で示した。女生徒は私たちより凛々しかった。
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 女生徒は勉強も出来ました。私が女生徒の隣の席になった時「私はA君が好き」と宣言しました。A君とはクラスで一番できる男生徒で、つまり私など暗に嫌いと宣言されました。
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 宣言した割に女生徒は親切で、別にA君と付き合ってる風情もない。今と違う昔の小学生、当たり前です。ただ運動会の準備で、友人の前でそう言ってしまった。
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 3番目だか4番目だかは知らないが、À君の次に私は気にいられたのでしょう。友人にとってショックで、それで友人の嫉妬を買った。それとこれがメヌエットの一曲のうちにつながります。
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 音楽の記憶は不思議なもんです。自意識には淡くても殺意がこもる事を、漱石は明晰に問います。嫉妬は本能で無意識にあります。男の本能はスカートの翻る所、必ずスイッチが入る。
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 女生徒がA君を意識した事も、友人が何を嫉妬したかも、嫉妬するほどの事はないトなだめてもすかしても、根本的には解決しないのかも知れません。つまり本能が異性を選ぶ……そういう部分が消えない。
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「それから」では代助の枕元に生けられた椿が、首のように落ちるところから始まります。それで代助は自分の胸、肋骨の上から心臓のあたりを探ります。生きている事は、死に誘われている事でもある。
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「それから」は赤いイメージで始まり赤いイメージで終わる。意識と無意識が交錯する。たとえば九月は油蝉が、黄色い枯葉の上にひっくり返る。セミの生も死も本能で秋を生きるようには出来ていない。
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 赤のイメージは何を意味するか? 意識と無意識のせめぎあう人間の全意識、つまり生死をいうのでしょう。図書館から大岡昇平さんの「小説家夏目漱石」を借りて来ます。
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 文庫で五二〇ページを超える厚さにはうんざりしますが、本は講演録で割とスルスル読める……大岡さんも「それから」の赤を狂気と読みます。

2017年9月 6日 (水)

それから 1

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 16才カップルが胸を何度も刺され、男子は死亡した。犯人は15才男子で、本人が言うに女子のカレだったト……客観的にはどうか? その辺はまだ確定しないが三人の関係バランスが崩れました。
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 夏の日それまで友人だった子が、恋人になる。一方の男子は弾き出され、もう一方の男子の胸を、とくに念入りに刺した。女子も刺されるが助かっている。嫉妬の感情は花火と燃えたのだ。
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 事件にならなければ三角関係はある意味で、ありふれる。一方で恋愛はある人にはあり、ない人には丸っ切りない。原因はともかく恋愛は平等ではない。男女二人の出会いがカップルへ進行する。
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 関係が円滑に進めばよいが難関はあるもので、異性の取り合いになる。異性も注目されやすい人と、そうでない人がある。言い方を変えると一人が、もう一人を選んでしまう。それで至難にまで関係はこじれます。
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 こじれは本人には困る事ですが、他人には面白く、まあ娯楽になります。恋愛を書いて本にすると売れ、映画やドラマになると視聴率も取れます……つまり恋愛はない人にはないからです。
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 下らない日常はいいから、お前も恋愛を書け、そう言われます……私にそんな面白い体験などあろうはずもなく、ないものは書けません。すると「なければ作れ」とまで言う人があります。まあ書けるなら小説は恋愛小説に限るようで。
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 熊本では今、新聞に「それから」が連載されています。漱石が書いた前期三部作「三四郎」の続きです。前作より三角関係はこじれます。代助と三千代は好き合ってはいたが、平岡が望んだので代助は三千代を譲ってしまう。
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 好きではあるが、代助は平岡との友情を先行させた。後に代助はそれを後悔する羽目になる……漱石は書いてないが、そう想像するに難くない。三千代に決めさせるべきとか何とか、今の人は言いますが……大昔の昔、恋愛なんてなかった。
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 ないは言い過ぎですが、恋愛するのは限られた人でした。つまり男女共学もない時代にどうやって異性と知り合うか。そこから困難がある。なにしろ話は明治です。私が明治生まれの人に聞くと、軽くそう言われた物です。
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 不思議でも何でもなく異性が対象として見える時、同性同士は戦わねばならないライバルとして見えてくる。買ったばかりのゲームを貸してほしい言われて、貸す子がある。恋愛も最初はそんな感覚じゃないでしょうか。
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 恋愛相手へあるいは友人へ、イエスとノウを決める。ここはノウそこはイエス、決めるのは自分、はっきり自分がなければ決められない。決めるのは母でもなく父でもなく、親友でもない。ただ自分だけ……それが分ったのは割と近い昭和のことです。
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 漱石自身、恋愛ではなく見合いで結婚を決めます。父や母に行けと言われれば、泣く泣く嫁に行くものでした。平岡に望まれ代助に祝福され、三千代は結婚を決心した。あまり感情に注目せず見て行けばそうなる。
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 人はなぜそうも激しい自分を、持つようになったか? 漱石は恋愛より自分というものに関心を置くように、私には思えます。

2017年8月26日 (土)

永い言い訳 映画

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 西川美和監督作品は、結局、みんな見ている。「ゆらり」の後半から裁判になり……コメディか逸脱か判らなくなり、これは監督本人から夢での発想と聞いて納得した事がある。


 批判でなく、空想といえば映画はみんな空想です。裁判だけが空想ではなく、死んだ人も殺した人も空想、すべて夢と思えば悩む必要はない……その後の作は夢ではないらしいが。


 見始めから、これは夢と分る夢を明晰夢という。現実にしてはオカシイ、夢ではないかとの疑念が伴う……2度寝や金縛りの時は明晰夢になりやすい。リアリティの造りが薄くなる。

 それ以降を明晰夢、西川監督の映画は全部が夢に浸ると思う事にした……これは鑑賞側のネタばれか。どうも西川監督は男に被害を受けたとの意識がある。そして復讐の念が執拗です。

 現実の仇は取れない。仕方がないので夢で仇を取る。子供を妊娠するのは女性……納得いかない。夢で男が子供を産む世界を夢見る……では女性は何をするか。家ではセックスだけして会社に帰っていく。

 めしを食いに来て風呂に入って寝る。だが朝になれば会社に帰る。その繰り返しを繰り返し、日曜日には天井に棚や、庭に畑も作るが、たいていは酒を飲んで終わる……他愛もなく、これは夢です。

 それも良いが、選手交代しただけで男と女性が入れ替わっただけ……だから何だ。それ以上のつけ足しはない。だからたいしてて溜飲も下がらないのか……いやそれでも女性は下がるか?

 嫉妬の向こうは殺意に近い憎悪としても、嫉妬はただ嫉妬に過ぎない。男の殺意の動機は、たいてい富や自由であるが、西川監督の映画にそれはない……あれまあ、そう、それは良かったネの、笑いで終わる。

「永い言い訳」を見た。散髪シーンでの動機、後のシーンはただ嫉妬のようだ。嫉妬は笑うと消えるが、2時間の持続も笑えない現実、それ以上に長くはもたない。

 衣笠幸夫という名前に関する、思いに夫婦は意見の違いをみる。夫婦でも本人と比べ、妻の意見は他人になる。他愛ないちょっとした食い違いを、シリアスに捕らえる。

 そして唐突に妻は死ぬ。名前原因で死ぬ訳ではないが成り行き上、都合があっての死です。そりゃヒドい思う人もあろうが、それが現実ではなく映画の中だから……話は笑いに向けて突き進む。

 それにしても暫くは笑えない場面が続く。暫くしばらくの我慢です。前半が終わると楽になる……明晰夢のようなシリアス度が軽滅され、馬鹿バカしい言い訳度が増してくる。この映画も時間を追うごとに冗談に近くなる。

2017年7月25日 (火)

二重生活 映画

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 仏文学の誰かに「理由なき尾行」という本があるそうな……そんな高価そうな本を出さなくてもブックオフの文庫棚には「燃えつきた地図」があるでしょう。
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 ありふれた安部公房を例にしないのは原作、小池真理子さんのハッタリだろう。同映画版はYOUTUBEに出ていた。もっとも主人公を若い女性にし、門脇麦さんを当てなければ新作はヒットしない。
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「現代における実存とは何か」という。哲学の篠原教授はそういう卒論テーマを出し、女子大生「珠」にだけ理由なき尾行というヒントを出します。
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 実存とは現実存在、いつも私が書いてます。実際の、生死からの感想、悟りや気づきという意味ですが……現実に触れた事のない教授に、ましてや学生には……しかし生は性、極言すれば。
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 映画は朝、珠が起きる所から始る。同棲の卓也はシーツの中から、珠の下半身を探りにくる。卓也は漫画家志望だが、本気の恋愛相手ではない。
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 つまり部屋と性を共有するだけは論文の題材にもならない。正しいコンドームの装着をすればだが、97%の正確さで避妊が可能です。この朝、二人は付けたのかな?
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 ただし日本におけるコンドーム避妊率は約80%とか、理由は正しい装着が出来ないから……中学でも高校でも教えないから。だが米国では70%、日本以下です。理由は教会が教えるのを禁止するから……
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 コンドームの装着法を教えても、実存認識は生まれない。寝た子を起こすことを教えなければ、妊娠も起きない……ト信じる。だから子供を下すような、大きな自体になる。免許を取るからクルマに乗りたくなる。クルマに乗るから事故が起きる。
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 実行すればおバカな事が起きる。おバカな子を相手にセックスするのはおバカです。だが、おバカな子のどこがおバカかかは、実際に付き合わなければ分からない……事故を逃れる為には免許を取らないという論理には……
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 二人の部屋の向こうに見える石坂夫婦を標的に、珠は尾行を始める。出版社勤務、石坂という男には意外な秘密がある。貞淑な妻と反対の性格というか、奔放な愛人がある。それで二重生活というのだが……
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 燃えつきた地図は、失踪者を追う探偵を書きます。この追跡話は前作「砂の女」と対になる。砂の女は、現実から逃げだす男が書かれた……実人生から逃げる。子供も2人も作れば、もういい。もしかして3人ですか?
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 どっちでもいいが3人、子供が出来てしまえば性欲は治まるか? そうはいかない。良妻というか、そういう妻とは別に愛人が必要になる。探偵は命がけで失踪者を追い、危険な目に会った夜、失踪者の妻と出来てしまう。
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 女子大生、珠は相手に知られ、接触したら終わりと条件づけられてます。石坂は卒論取材での尾行を許してくれるか? それは接触してみなければ分からない。許されなかった時どうすればいいのか。
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 楽しみな結末ですねえ……でも命がけでもない尾行で実存の卒論が書けるか? 本格主演第一作の門脇麦さんに命がけのシーンなんてありませんよ。残念ながらギリギリ生きるって、そんな事では足りない。

2017年7月 3日 (月)

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ  映画

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 物語はかの米国で……とある男女は出会うが、スムーズに恋愛関係に入る事ができない。このアナの場合、未経験、キスの体験もなかった。男、グレイはアナに「恋愛ではなく、主と従隷の契約を交わそう」と言い出す。
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 男女どちらのケースも現実にはありえない。ただ日本ではこの女性のようにあって欲しいので、教育でも性はご法度……避妊具の使い方も教えない。少なくとも校内、教室では……それでは困るだろう、不正確な情報による誤った知識……むろん心配だが「寝た子を起こすな」とPTAの主張。
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 米国でこの話、原作を書いたのは中年女性だが、自伝を書きたかった訳ではない。ケータイ小説に夢を展開したかった……青春期に若い富豪に見初められる話、小説で怪しい体験を夢見たかった……で突飛な設定を思いついた。
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 マルキ・ド・サド伯爵は自らに行状により、刑務所や病院に長く幽閉され、なんとか生き延びようと妄想小説をくり広げる……そしてサディズムの語源となる。主婦のはこれは重なるような離れるような……施設内の身障者の暮らしもレベルは違うが、似たような倦怠にある。
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 それ以来、人は生活に倦怠するとサディズムやマゾヒズムに関心を示すようになる。悪徳の栄え、O嬢の物語、マンディアルグの諸作……等々。言い遅れました。私もフィフティ・シェイズ3部作の初作「オブ・グレイ」を見ました。
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 およその青年男女が出会い結婚し、子供を作って子育てします。しかし子育ての内から「この子育ての先に、何があるのか」ト人生に疑問を持つ。やがて大した物が何もないと本当の倦怠におちいる。これはサド侯爵の倦怠とどう重なるか?
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 いろんな答えはあるのでしょうが、悟りを開こうと死と関連づけて、性とも関連させます。両方重ねると、悦楽の先にもっと深い悦楽をと期待しますから、勢いサドマゾ方向にも流れやすい。果たしてドラマは、ソフトSMを志向します。
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 主人公アナをダコタ・ジョンソンが演じますが、ダコタさんはモデル出身で、有名俳優と女優の娘、出るべくて出て来た逸材です。おでこを眉の上まで隠した髪は、女子大生どころか女子高生にさえ見える。日本でいえば多部未華子さん、あの人も本当は広いおでこを隠し続ける。
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 アナにはケイトという友人があって、いいように根回ししてくれる。知識、判断もカバーする。漱石が「こころ」でお嬢さんと未亡人をセットにしたのと変わりません……一般に学生の頃はグループ内で情報を共有し判断します。
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 買ってやったゲームを、友人が来て持って帰った。お母さんから見るとゲームはモノですが、子供たちにとってはゲームは情報で共有化されるべき物、その友人は判断した訳です。お子さんと友人は対等ではなく、リーダーと家来の関係だった。
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 まあ原作者は心得た主婦で、物語では女子大生の仮面をかぶって出てくる。「こころ」では漱石が、先生とKの一人二役で出てくるのと、大枠は同じです。だが物語の中では友人を出し抜き、アナはケイトを抜いて成功しなければならない。
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 空想ではゲームは、リーダーから取り返される物だから……つまり原作を書いた主婦も一番好きだった男の子とは結婚できなかった。あるいは富豪の男とは結婚できなかった……その復讐戦、代償勝利であるから。
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 問題をクリアできるキャラとは、例えば多部さんでありダコタさんです。先生は漱石だが、Kもまた漱石という物語にハッピーエンドはないのです。私もけっこう重度ですが、私より重度の身障者はいくらもあり……彼らは嫉妬の目で私を見ます。
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 ある意味、彼らから見れば、私は多部さんダコタさんなので……そう思うとどんなハッピーエンドもありえない。サドは牢獄で70代まで生きた。サドにはインクと紙束があれば、牢獄も自由の天地と変わらなかった……のではないか?
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 2作目「ダーカー」は仮面舞踏会が売りだそうな……もっとエロいとの噂です。今回グレイ編の売りはロープ変わりにネクタイでアナの両手を縛る画像シーン……でも高価なネクタイでなくて、バンダナか新聞紙まいても、SMシーンを演じる事はできる。
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 高価な、あるいは高価そうな物がエロい訳ではない。金物屋のアルバイト店員が高価な下着つけても、むしろ興醒めしてしまう。つまり恋愛を描かせると米映画は、どうしても仏に負けてしまう……感性って金では買えない。そう私は見てしまいました