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2017年9月12日 (火)

それから4

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 ここで奇妙な事が起きる。大岡昇平さんは、なぜ漱石に魅かれたか? 愛人と奥さんの間を行ったり来たりした大岡にとって、恋愛というか性愛というかは、珍しくもなかった……はずです。
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 たとえ講演録にしろ500ページをかけて追求するような何が、漱石にあったか? 大岡はスタンダールを専門とし、スタンダール以外で深くこだわった作家はいないので、つまり漱石は例外中の例外です。 
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 鴎外の「舞姫」にはモデルがあって、最近、彼女が日本に来た痕跡が見つかったそうな……同じく漱石の書いた美人のモデルは誰それではないか? むろん大岡も「小説家夏目漱石」で書いている。
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 モデルで有名なのは江藤淳さんの、登勢という兄嫁説です。私の説ではモデルは問題にならない。あれは母、それも観念的な架空の存在です。「それから」でも架空の存在としなければ納まりがつかない。
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 恋愛の駆け引きで波風も立たず、結婚生活に入っても衝突が起きない。それはキレイな人生ではあろうが……それで人間は成長できるか? 波風や衝突といった事件の中からしか、人間の熟成は見込めないのでは?
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 漱石は熊本にいた時、年間で千に近い俳句を作ります。これが松山で子規に習った時より多い……理由は寺田寅彦に教えていたからです。この句数が、漱石の心の開かれた状態を示している。本当に寅彦と、肉体関係があったかなかったか?
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 気持ちが悪いので恋人寅彦説はこれ以上、追求しませんが……漱石の会話体の面白さは、おそらくこの時に出来たものでしょう。俳句は出来なくとも、弾む会話はありえたのでは……それはそうでしょう。鏡子夫人も三千代モデルとして確かな位置を占めたと思われる。
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 だが漱石の面白さとはシュミレーション恋愛、シュミレーション色恋、不倫、姦通……違うのではないか。恋愛は楽しく色恋は快感、不倫や姦通は悦楽……私はよく分からないが、それも違っていないか? つまり来るべく恋愛のテキストとして漱石を読むのでは利用法が違う。
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 するとデイトコースを下見、ロケハンするのも無意味という事になる。ロケーションハンティングは映画作りで言われるが、小説でもありうる。デイトでコンサートに行くとすると、クラシックにするかポップスにするかで、効果が違うからです。
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 小説での恋愛相手は美人だったりスマートだったりするが、現実ではそういう必要もない。本人が納得できれば周囲の誰にひけらかす必要もないからです……給料が安すぎると生活できない。恋愛感情も維持できない……まあ、そういう人もあるのかも知れませんが。
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 漱石は恋愛小説には不用意でうかつ、本番の色事には更にそう。漱石のうかつを知りながらながら大岡はNGを出さない。大岡は用意万端を整え、武蔵野夫人を書き「事件」を書いている、かのように見えます。実際「事件」では男女関係が、物語の謎のカギになる。
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 奇妙でしょう……本当のことは奇妙なもんです。昨年は「君の名は。」が流行りました。あれ、まだ今年でしたっけ……やっぱり君の名はのような恋愛をしたいとか、若者は思うのか。……そもそもアレでは恋愛でも、ないでしょうね。(終)

2017年9月10日 (日)

それから3

Ooka

 淡い初恋の感覚なんて忘れました。濃厚な不倫の味は知らない。トシも年なので、もうないでしょう……しかしミック・ジャガーは私の年で、恋愛ざたで子供を作ったのか!
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 大岡昇平さんは、漱石の文章が実体験に元づかないと看破します。野火などドキュメンタリーを書き,武蔵野夫人の恋愛ものも書き、「事件」のミステリも書いた……大岡なら何かを嗅ぎつけると私は推測します。
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 漱石の蔵書にはリストがあり、詳細まで研究され尽くされる……更なる研究が出来たにしても、私はしませんが……一目瞭然、読めば分るでしょう。漱石の文章は調べ物しながら書いた文章ではない。
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 調べながらとすると例えば鴎外の文章になる。漱石は新聞小説の特性を考え、毎日、気持ちよく読める事に重点を置く……必ずしも純文学とは言えない。まして鴎外のように発禁にでもなった日には新聞社が困ります。
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 そういう意味で離婚交渉の実際を取材する必要はない。読者より程度のいい家庭の、羨ましい暮らしぶり、浮世離れした思いを書き連ねていけば良い。「坊ちゃん」で同僚の婚約者をねらう赤シャツを書きましたから、友人の奥さんを譲り受けたい男でも……
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 それで赤のイメージ、危険な男という意味です。頭がいいのに無職、ピアノまで弾ける。これは漱石自身がバイオリンを習ったことからの影響で。前作、三四郎が学生ですから代助も学生のような事をしています……私はギターを弾きました。入院が長かったので弾きながら歌う事が出来ました。
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 出来は悪いが初めて聞く人は羨ましくて、これを上手いと聞きます。よせばいいのに重度身障者の前で演りました。嫉妬され逆効果というか……ど下手でもなんでも朝日新聞を取る人より上流階級を、代助は演じます。
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 もともと読売は分かり易い新聞です。今はどうか知りませんが朝日は知的レベルが高い、ほんの少しネ。漱石は英語教師です。英語の研究で留学辞令が降りる。漱石はそれを英文学研究にしてしまう。漱石にはそういう意味でインチキな所がある。
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 時代が下って谷崎潤一郎の頃になると、小説ではなく本当に他人の奥さんを譲り受けます。大岡さん自身も……つまり「それから:の代助とは、先行したイメージに過ぎません。私にしても泉谷さんか、せいぜい武田鉄矢さんのイメージに過ぎない。
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 だが弾き語りで歌ういうと、拓郎さんとか陽水さんとか、巨大に好いイメージを皆さん持って来られる……はずが、はずがないでしょ、同じです。百合を抱えてやって来る三千代、楚々として美しい着物の女なんて、巧妙なイメージ戦略にある訳です。
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 大岡は不倫の経験者です。なのに女性の中に入り込んで書くの難しさをいいます。野火が新しく映画化されました。劇映画と言えるかどうか、あれはいい……「事件」も昔ですが映画でドラマでヒットしました……それに比べると武蔵野夫人はショボい。
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 恋から色事へ至るグラデーションいうか、恋愛の小説化はいまだに上手くいってないのでは? 恋か色かによれば、それはありますが……漱石の小説は、合意による色事ではなく、許容によるそれへこだわりましょう……その時のそれは性か愛か、確かに色事ではあろうが恋愛といえるか?

2017年9月 7日 (木)

それから 2

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 大昔の事で書いても仕方がない。どんな嫌がらせだったかは書きません。あれは小学生も初めの頃、私は友人の男生徒にいやがらせを受けます。
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 それで親は「これはいやがらせでは……」いうと担任は訝しい顔をします。担任のその後の報告で、
「あれは私にもそう見えます」という。その理由を判らないまま、私も親もことを忘れてしまう。
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 モーツァルトの喜遊曲を聞きます。その3番目の曲に衝撃を受けます。俗に「夕べのメヌエット」という曲に聞き覚えがある。小学生の頃に運動会で女の子とフォークダンスを踊った。
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 やがてバイオリンの音色が記憶にたどり着く……と言っても小学生では指の感触には男女差もなく、記憶のメヌエットはステレオに乗って軽やかに行き過ぎる。
「あたしはこん人とよ」小学生の彼女は私の肩をつまんで引き寄せます。早く相手をしろという意味です。
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 主張に友人は驚きの声を上げる。女生徒の主張いうよりも順番を守れば、そうなるはずでした。宣言して肩をつまむ行為は躊躇われた。ためらわず行動で示した。女生徒は私たちより凛々しかった。
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 女生徒は勉強も出来ました。私が女生徒の隣の席になった時「私はA君が好き」と宣言しました。A君とはクラスで一番できる男生徒で、つまり私など暗に嫌いと宣言されました。
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 宣言した割に女生徒は親切で、別にA君と付き合ってる風情もない。今と違う昔の小学生、当たり前です。ただ運動会の準備で、友人の前でそう言ってしまった。
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 3番目だか4番目だかは知らないが、À君の次に私は気にいられたのでしょう。友人にとってショックで、それで友人の嫉妬を買った。それとこれがメヌエットの一曲のうちにつながります。
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 音楽の記憶は不思議なもんです。自意識には淡くても殺意がこもる事を、漱石は明晰に問います。嫉妬は本能で無意識にあります。男の本能はスカートの翻る所、必ずスイッチが入る。
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 女生徒がA君を意識した事も、友人が何を嫉妬したかも、嫉妬するほどの事はないトなだめてもすかしても、根本的には解決しないのかも知れません。つまり本能が異性を選ぶ……そういう部分が消えない。
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「それから」では代助の枕元に生けられた椿が、首のように落ちるところから始まります。それで代助は自分の胸、肋骨の上から心臓のあたりを探ります。生きている事は、死に誘われている事でもある。
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「それから」は赤いイメージで始まり赤いイメージで終わる。意識と無意識が交錯する。たとえば九月は油蝉が、黄色い枯葉の上にひっくり返る。セミの生も死も本能で秋を生きるようには出来ていない。
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 赤のイメージは何を意味するか? 意識と無意識のせめぎあう人間の全意識、つまり生死をいうのでしょう。図書館から大岡昇平さんの「小説家夏目漱石」を借りて来ます。
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 文庫で五二〇ページを超える厚さにはうんざりしますが、本は講演録で割とスルスル読める……大岡さんも「それから」の赤を狂気と読みます。

2017年9月 6日 (水)

それから 1

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 16才カップルが胸を何度も刺され、男子は死亡した。犯人は15才男子で、本人が言うに女子のカレだったト……客観的にはどうか? その辺はまだ確定しないが三人の関係バランスが崩れました。
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 夏の日それまで友人だった子が、恋人になる。一方の男子は弾き出され、もう一方の男子の胸を、とくに念入りに刺した。女子も刺されるが助かっている。嫉妬の感情は花火と燃えたのだ。
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 事件にならなければ三角関係はある意味で、ありふれる。一方で恋愛はある人にはあり、ない人には丸っ切りない。原因はともかく恋愛は平等ではない。男女二人の出会いがカップルへ進行する。
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 関係が円滑に進めばよいが難関はあるもので、異性の取り合いになる。異性も注目されやすい人と、そうでない人がある。言い方を変えると一人が、もう一人を選んでしまう。それで至難にまで関係はこじれます。
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 こじれは本人には困る事ですが、他人には面白く、まあ娯楽になります。恋愛を書いて本にすると売れ、映画やドラマになると視聴率も取れます……つまり恋愛はない人にはないからです。
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 下らない日常はいいから、お前も恋愛を書け、そう言われます……私にそんな面白い体験などあろうはずもなく、ないものは書けません。すると「なければ作れ」とまで言う人があります。まあ書けるなら小説は恋愛小説に限るようで。
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 熊本では今、新聞に「それから」が連載されています。漱石が書いた前期三部作「三四郎」の続きです。前作より三角関係はこじれます。代助と三千代は好き合ってはいたが、平岡が望んだので代助は三千代を譲ってしまう。
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 好きではあるが、代助は平岡との友情を先行させた。後に代助はそれを後悔する羽目になる……漱石は書いてないが、そう想像するに難くない。三千代に決めさせるべきとか何とか、今の人は言いますが……大昔の昔、恋愛なんてなかった。
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 ないは言い過ぎですが、恋愛するのは限られた人でした。つまり男女共学もない時代にどうやって異性と知り合うか。そこから困難がある。なにしろ話は明治です。私が明治生まれの人に聞くと、軽くそう言われた物です。
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 不思議でも何でもなく異性が対象として見える時、同性同士は戦わねばならないライバルとして見えてくる。買ったばかりのゲームを貸してほしい言われて、貸す子がある。恋愛も最初はそんな感覚じゃないでしょうか。
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 恋愛相手へあるいは友人へ、イエスとノウを決める。ここはノウそこはイエス、決めるのは自分、はっきり自分がなければ決められない。決めるのは母でもなく父でもなく、親友でもない。ただ自分だけ……それが分ったのは割と近い昭和のことです。
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 漱石自身、恋愛ではなく見合いで結婚を決めます。父や母に行けと言われれば、泣く泣く嫁に行くものでした。平岡に望まれ代助に祝福され、三千代は結婚を決心した。あまり感情に注目せず見て行けばそうなる。
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 人はなぜそうも激しい自分を、持つようになったか? 漱石は恋愛より自分というものに関心を置くように、私には思えます。

2017年8月26日 (土)

永い言い訳 映画

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 西川美和監督作品は、結局、みんな見ている。「ゆらり」の後半から裁判になり……コメディか逸脱か判らなくなり、これは監督本人から夢での発想と聞いて納得した事がある。


 批判でなく、空想といえば映画はみんな空想です。裁判だけが空想ではなく、死んだ人も殺した人も空想、すべて夢と思えば悩む必要はない……その後の作は夢ではないらしいが。


 見始めから、これは夢と分る夢を明晰夢という。現実にしてはオカシイ、夢ではないかとの疑念が伴う……2度寝や金縛りの時は明晰夢になりやすい。リアリティの造りが薄くなる。

 それ以降を明晰夢、西川監督の映画は全部が夢に浸ると思う事にした……これは鑑賞側のネタばれか。どうも西川監督は男に被害を受けたとの意識がある。そして復讐の念が執拗です。

 現実の仇は取れない。仕方がないので夢で仇を取る。子供を妊娠するのは女性……納得いかない。夢で男が子供を産む世界を夢見る……では女性は何をするか。家ではセックスだけして会社に帰っていく。

 めしを食いに来て風呂に入って寝る。だが朝になれば会社に帰る。その繰り返しを繰り返し、日曜日には天井に棚や、庭に畑も作るが、たいていは酒を飲んで終わる……他愛もなく、これは夢です。

 それも良いが、選手交代しただけで男と女性が入れ替わっただけ……だから何だ。それ以上のつけ足しはない。だからたいしてて溜飲も下がらないのか……いやそれでも女性は下がるか?

 嫉妬の向こうは殺意に近い憎悪としても、嫉妬はただ嫉妬に過ぎない。男の殺意の動機は、たいてい富や自由であるが、西川監督の映画にそれはない……あれまあ、そう、それは良かったネの、笑いで終わる。

「永い言い訳」を見た。散髪シーンでの動機、後のシーンはただ嫉妬のようだ。嫉妬は笑うと消えるが、2時間の持続も笑えない現実、それ以上に長くはもたない。

 衣笠幸夫という名前に関する、思いに夫婦は意見の違いをみる。夫婦でも本人と比べ、妻の意見は他人になる。他愛ないちょっとした食い違いを、シリアスに捕らえる。

 そして唐突に妻は死ぬ。名前原因で死ぬ訳ではないが成り行き上、都合があっての死です。そりゃヒドい思う人もあろうが、それが現実ではなく映画の中だから……話は笑いに向けて突き進む。

 それにしても暫くは笑えない場面が続く。暫くしばらくの我慢です。前半が終わると楽になる……明晰夢のようなシリアス度が軽滅され、馬鹿バカしい言い訳度が増してくる。この映画も時間を追うごとに冗談に近くなる。

2017年7月25日 (火)

二重生活 映画

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 仏文学の誰かに「理由なき尾行」という本があるそうな……そんな高価そうな本を出さなくてもブックオフの文庫棚には「燃えつきた地図」があるでしょう。
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 ありふれた安部公房を例にしないのは原作、小池真理子さんのハッタリだろう。同映画版はYOUTUBEに出ていた。もっとも主人公を若い女性にし、門脇麦さんを当てなければ新作はヒットしない。
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「現代における実存とは何か」という。哲学の篠原教授はそういう卒論テーマを出し、女子大生「珠」にだけ理由なき尾行というヒントを出します。
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 実存とは現実存在、いつも私が書いてます。実際の、生死からの感想、悟りや気づきという意味ですが……現実に触れた事のない教授に、ましてや学生には……しかし生は性、極言すれば。
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 映画は朝、珠が起きる所から始る。同棲の卓也はシーツの中から、珠の下半身を探りにくる。卓也は漫画家志望だが、本気の恋愛相手ではない。
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 つまり部屋と性を共有するだけは論文の題材にもならない。正しいコンドームの装着をすればだが、97%の正確さで避妊が可能です。この朝、二人は付けたのかな?
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 ただし日本におけるコンドーム避妊率は約80%とか、理由は正しい装着が出来ないから……中学でも高校でも教えないから。だが米国では70%、日本以下です。理由は教会が教えるのを禁止するから……
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 コンドームの装着法を教えても、実存認識は生まれない。寝た子を起こすことを教えなければ、妊娠も起きない……ト信じる。だから子供を下すような、大きな自体になる。免許を取るからクルマに乗りたくなる。クルマに乗るから事故が起きる。
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 実行すればおバカな事が起きる。おバカな子を相手にセックスするのはおバカです。だが、おバカな子のどこがおバカかかは、実際に付き合わなければ分からない……事故を逃れる為には免許を取らないという論理には……
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 二人の部屋の向こうに見える石坂夫婦を標的に、珠は尾行を始める。出版社勤務、石坂という男には意外な秘密がある。貞淑な妻と反対の性格というか、奔放な愛人がある。それで二重生活というのだが……
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 燃えつきた地図は、失踪者を追う探偵を書きます。この追跡話は前作「砂の女」と対になる。砂の女は、現実から逃げだす男が書かれた……実人生から逃げる。子供も2人も作れば、もういい。もしかして3人ですか?
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 どっちでもいいが3人、子供が出来てしまえば性欲は治まるか? そうはいかない。良妻というか、そういう妻とは別に愛人が必要になる。探偵は命がけで失踪者を追い、危険な目に会った夜、失踪者の妻と出来てしまう。
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 女子大生、珠は相手に知られ、接触したら終わりと条件づけられてます。石坂は卒論取材での尾行を許してくれるか? それは接触してみなければ分からない。許されなかった時どうすればいいのか。
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 楽しみな結末ですねえ……でも命がけでもない尾行で実存の卒論が書けるか? 本格主演第一作の門脇麦さんに命がけのシーンなんてありませんよ。残念ながらギリギリ生きるって、そんな事では足りない。

2017年7月 3日 (月)

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ  映画

Fif

 物語はかの米国で……とある男女は出会うが、スムーズに恋愛関係に入る事ができない。このアナの場合、未経験、キスの体験もなかった。男、グレイはアナに「恋愛ではなく、主と従隷の契約を交わそう」と言い出す。
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 男女どちらのケースも現実にはありえない。ただ日本ではこの女性のようにあって欲しいので、教育でも性はご法度……避妊具の使い方も教えない。少なくとも校内、教室では……それでは困るだろう、不正確な情報による誤った知識……むろん心配だが「寝た子を起こすな」とPTAの主張。
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 米国でこの話、原作を書いたのは中年女性だが、自伝を書きたかった訳ではない。ケータイ小説に夢を展開したかった……青春期に若い富豪に見初められる話、小説で怪しい体験を夢見たかった……で突飛な設定を思いついた。
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 マルキ・ド・サド伯爵は自らに行状により、刑務所や病院に長く幽閉され、なんとか生き延びようと妄想小説をくり広げる……そしてサディズムの語源となる。主婦のはこれは重なるような離れるような……施設内の身障者の暮らしもレベルは違うが、似たような倦怠にある。
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 それ以来、人は生活に倦怠するとサディズムやマゾヒズムに関心を示すようになる。悪徳の栄え、O嬢の物語、マンディアルグの諸作……等々。言い遅れました。私もフィフティ・シェイズ3部作の初作「オブ・グレイ」を見ました。
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 およその青年男女が出会い結婚し、子供を作って子育てします。しかし子育ての内から「この子育ての先に、何があるのか」ト人生に疑問を持つ。やがて大した物が何もないと本当の倦怠におちいる。これはサド侯爵の倦怠とどう重なるか?
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 いろんな答えはあるのでしょうが、悟りを開こうと死と関連づけて、性とも関連させます。両方重ねると、悦楽の先にもっと深い悦楽をと期待しますから、勢いサドマゾ方向にも流れやすい。果たしてドラマは、ソフトSMを志向します。
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 主人公アナをダコタ・ジョンソンが演じますが、ダコタさんはモデル出身で、有名俳優と女優の娘、出るべくて出て来た逸材です。おでこを眉の上まで隠した髪は、女子大生どころか女子高生にさえ見える。日本でいえば多部未華子さん、あの人も本当は広いおでこを隠し続ける。
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 アナにはケイトという友人があって、いいように根回ししてくれる。知識、判断もカバーする。漱石が「こころ」でお嬢さんと未亡人をセットにしたのと変わりません……一般に学生の頃はグループ内で情報を共有し判断します。
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 買ってやったゲームを、友人が来て持って帰った。お母さんから見るとゲームはモノですが、子供たちにとってはゲームは情報で共有化されるべき物、その友人は判断した訳です。お子さんと友人は対等ではなく、リーダーと家来の関係だった。
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 まあ原作者は心得た主婦で、物語では女子大生の仮面をかぶって出てくる。「こころ」では漱石が、先生とKの一人二役で出てくるのと、大枠は同じです。だが物語の中では友人を出し抜き、アナはケイトを抜いて成功しなければならない。
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 空想ではゲームは、リーダーから取り返される物だから……つまり原作を書いた主婦も一番好きだった男の子とは結婚できなかった。あるいは富豪の男とは結婚できなかった……その復讐戦、代償勝利であるから。
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 問題をクリアできるキャラとは、例えば多部さんでありダコタさんです。先生は漱石だが、Kもまた漱石という物語にハッピーエンドはないのです。私もけっこう重度ですが、私より重度の身障者はいくらもあり……彼らは嫉妬の目で私を見ます。
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 ある意味、彼らから見れば、私は多部さんダコタさんなので……そう思うとどんなハッピーエンドもありえない。サドは牢獄で70代まで生きた。サドにはインクと紙束があれば、牢獄も自由の天地と変わらなかった……のではないか?
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 2作目「ダーカー」は仮面舞踏会が売りだそうな……もっとエロいとの噂です。今回グレイ編の売りはロープ変わりにネクタイでアナの両手を縛る画像シーン……でも高価なネクタイでなくて、バンダナか新聞紙まいても、SMシーンを演じる事はできる。
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 高価な、あるいは高価そうな物がエロい訳ではない。金物屋のアルバイト店員が高価な下着つけても、むしろ興醒めしてしまう。つまり恋愛を描かせると米映画は、どうしても仏に負けてしまう……感性って金では買えない。そう私は見てしまいました

2017年6月25日 (日)

整形逃亡

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 リンゼイ・アンホーカーさん殺人事件を覚えておられるか? 市橋達也の整形逃亡は今も類型が少なく、革新性は関心を引いた。だがなぜ市橋は整形を繰り返し、2年7ヶ月間もの長きを逃げられたのか?
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 逮捕後、市橋は手記を書き、手記を元に映画化もされた。だが映画は人々の関心を満足させモノではなかった。読んでないが手記も同じ……殺人の理由、心の移行や拠り所、確信の根拠……市橋はどう生きたかったか?
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 もっと平たく言えば市橋は優秀だったのか、おバカだったのか? 家庭では溺愛されたのか虐待されたのか。一説によると韓国系の混血という。一審に服役を決め上告しなかったのはなぜか……そういった事々は明らかにされない。
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 特に女性に関心が高いのは、整形で顔を変えて人生をやり直す願望いうか。むろん私にもあるが、妄念です。この関連だけでいえば、ボクサーの亀田3兄弟の妹、姫月さんは女子ボクサーにデビューしたそうな……理由は整形費用が欲しいから。

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 事件を下敷きに小説を書く吉田修一さんの方法は、「悪人」や「横道世之介」から「怒り」と移るにつれ手慣れ物です。映画で見る限り物語は、市橋には直接関係がない。亀田姫月さんには特に関係がないが……書き遅れた。映画「怒り」を見ます。
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 姫月さんの整形希望が、どのような物かは知らない……私の整形願望は顔ではなく下肢です。顔を変えて、生き直したい願望なら……人は整形しなくとも緩やかに変化している。友人の娘さんは結婚後に顔が変わって、友人の父つまり祖父に似てきたという。私もそう思うが、写真紹介は出来ない。
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 一般にいわれるのは娘は父に似て、息子は母に似る。子供あるいは若い時はそうでも、これが中年になると分からない。娘はけっきょく母に似て、息子はけっきょく父に似るモノかもしれない……そういう場合が、ないではない。無論そのままの場合もありうる。
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 整形は直後はいいが大抵は崩れる。若い時は成功に見えても、時間を経て中年期に入ると逆効果となる場合がある……私は美容整形したことはなく断言しない。ケースとしてRレッドフォードさんを写真引用しよう。Rは若い時に比べ顔が変貌されて身長も変化している。
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 誰もが若い時を経て老化していく。いきなり老人で生まれもせず、若いまま止まったりは出来ない。その時々に生きていく他はない……こういうのを実存という。この世はあの世の為にあり、あの世はその次の世の為……との考え方もある。三島由紀夫の「豊穣の海」シリーズはそうです。
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 若い時が全てである。子供時代は前準備であり中年以降は残骸でしかない……むろんそういう考えもある。長く生きすぎる。人はなぜに、もっと早く死なないのか? 私はそう思わないが、そう考える人は止められない、むろんそれも勝手です。
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 余計なお世話というか、なぜあの人はあんなに長く生きるか? 自分は別として、一般に他人が長く行き過ぎる。少数だがそう主張する方がある。私のような身障者が生きてる意味もない。早くに亡くなるべき、無くすべきと考える方もある。余計なお世話いうより、浅墓、若気の至りですなあ。
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 一番の応用はダイエットだろう。2年7ヶ月間、市橋のように意思を持ち続けられればダイエットは完成する。完成しないでもメハナがつく……市橋に女性が関心なのは、そういう動機理由にある。残念ながら吉田原作「怒り」は、そこに関心はない。

2017年6月15日 (木)

こころ4

 出世という言葉は古い言葉です。元々の意味は仏教用語で、俗世間の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)し悟る。悟りの内容を指した。しかし最近では高い身分を得て、世間に名が知れる。簡単にいうと成功ということ。
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 つまり上司に不実、部下に冷淡、ひとり非情に風を読む……そうしないと出世しない。少なくともマキャベリはそう言う。明治の初めこの時、日本はインドや中国やロシアを出し抜いた。東洋にありながら植民地にならず、まあまあ白人世界の仲間入りに成功したかに見えます……明治の初めは、その上昇志向の中にありました。
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 だが明治から大正やがて昭和へ、風は止まります。そういった時代にあっては、仏陀の出世ではなく、ライバルを出し抜く意味が大きくなる。昨日も子育てに失敗してノイローゼになって、どうやら心中を試みたらしい男があります。
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 漱石がなぜ小説家になったか? 留学はしたものの教官、大学勤めが無理とまで考えた。それで作家になります。漱石が死んだ時、夫人に葬式は出せるのか? 旧友、中村是公は夫人に聞いたそうです。その時、中村は満鉄の総裁で給料は当然、漱石より高かった。
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 同じ頃にドイツに留学した鴎外は医学で名を成し、文章は片手間に過ぎなかった。鴎外にはその後もその方面で、浮名を流してます。今でこそ漱石は、その鴎外より一葉より、格上に扱われます。それはごく最近の事で、ちょっと前まで違った。恋愛も色事も不得意といっていい。
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 漱石は止まろうとする風の中に焦燥感を持っています。熊本でも東京でも大学構内、学生の間では漱石よりハーンの方に人気があった。「三四郎」で「偉大なる暗闇」と呼ばれる広田先生は、そういった事々をこぼす漱石が出てくる。「それから」以降に高等遊民と表現される無職者は、そういう意味で漱石自身が書いた自画像、敗者の像です。
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 そうすると「こころ」もまた高等遊民の続きであり、敗者の苦渋を吐露しまくる。本当は私も、もっと出世したかったト、では出世がどういう物か、漱石はどう思っていたか。同じ後期3部作でも彼岸過迄、行人を読めば参考になります。
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「彼岸過迄」で漱石は自分を出すのは嫌だ。他人を例に明治社会と人間を書きたいと思う。「三四郎」には心中話のモデルがあって、それがそうでした。「行人」は自信たっぷりな自画像を書きます。その後ですから逆に自信のまるでない、弱気の自画像を書き直す。
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 そういう意味で後期三部作は、前期三部作をほぼ、なぞっていく。ゆったりと書きたい物を書いて見え、意識と無意識の間にテーマを広げ、日本社会に意味をなす、漱石は明治社会に貢献する人間像を模索します。
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 漱石の本名は金之助です。漱石はいつも金という物を意識した。朝日に入社する時は編集長とじゃ嫌だ、社長と契約を交わす……そう言ったそうです。 もう例は上げませんが終始一貫、お金がからむと厳しくなる。むろん現代では普通の事ですがね。
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 テーマには恋愛と死、金銭と成功……クリスチャンでもないのにキリスト教的に生きなければならなくなる、日本の運命が予知されています。「こころ」は仏文学の「赤と黒」より、金と恋の両方に成果を求めるディズニー・アニメの世界に近いでしょう。
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 ひとつに意識次元と無意識次元を1次元的に管理した所からの破たんが出た。別な管理というと何だが、考え直す必要がある。「こころ」は宗教や哲学、あるいは道徳が過剰に個人に介入した悲劇と取れない事もない。漱石はこころ以降に別な展開を試みます。(終)

2017年6月 2日 (金)

こころ3

 我は我が咎を知る。わが罪は常にわが前にあり……別れ際に美祢子は三四郎にそうつぶやく。恋愛では相手の都合をも差し置いて、自分の都合を優先します。
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 都合が出来たから、美祢子はもう三四郎と付き合わない。先生も都合が出来たから静、奥さんとは最後まで付き合わない。2つの小説はこの点で同じ構造になっています。
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 その共通項目はどこから来たか。西洋から来たので、もともと日本にはそんな決りも裏切りもなかった。もっというとこれはキリスト教の決りでしょう。日本では人が死ぬ話は縁起が悪いからしない……それが日本式、日本のもともとの決りです。
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 だが日本も神道だけでは間に合わないので、まずは仏教を輸入しました。それでも間に合わないと西洋を輸入したのが明治期です。純日本で間に合わすか、仏教で間に合わすか……漱石は見合いで結婚を決めます。
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 見合いは別に悪くはないが、鴎外はドイツで「舞姫」に当たる恋愛事件を起こします。この恋愛はまとまらないのですが……漱石はそういう具体的な経験なしに恋愛を書いたト私は思います。
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 自分が死ぬ前に、自分の死んだ先を考える。死後への指示を書いて残しておく。それは西洋式で遺書という体裁になります。西洋式とはいっても書くのは日本人で、本当は日本式に馴染む。死ぬ間際まで見極めがつかない。それどころか時間切れに終わってしまう。
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 後世の都合でカタがつく。恋愛も同じで、なかなかカタかつかない事情がある、まあそんなものです。恋愛に向いてる人は10人に1.2人もあるでしょうか? あなた自分でどう思っていますか。私hataに言わせると恋愛に向かない人が、見えを張って恋愛に挑んでいるように見えます。
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 お釈迦さんは絶食で悟りを開いたものの、死にかけます。通りがかりの女性が彼の命をすくいます。もう悟りを開いた釈迦としては死んでもよかったが、女性は自分の母乳で粥を作って食べさせる。それで生き返ります。意味深長ですが、そういう訳で死は性衝動とセットになってます。
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 キリスト教はそこを意識した宗教で、近代からはフロイトが無意識を問題にします。「こころ」が「舞姫」より優れる理由は、ここにあります。先生は生きてる奥さんより、死んだKに執着する。奥さんを置いて自殺するとは、そういう事です。Kと競ったのは、お嬢さんが大事ではなく、競うKが大事だった……ト先生は気が付いた。

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 この症状は統合失調症のせいか、同性愛のせいでの結論かは、私hataも分かりません。そういう事があったとして、一般にこういう結論になるとは今も思えない。そういう意味では「こころ」の結論は、いつも納得できない。一般には……
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 熊本日日新聞が熊本震災から一年後の作文を募集し、その選考結果を3作品ほどにまとめ発表しています。若い夫婦と赤ちゃん、その祖父母、あるいは友達の関係絆とのまとめ方です。端的にいって、私も地震では死に損ないました。死に損なって感じる生きる衝動は、性と思う。
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 先生と奥さんの間には子供がない。漱石と鏡子夫人の間はちがう。「こころ」では一人称で人物と読者は対になる。つまり漱石と読者は主観の語りでユーモアなしに進行します。それは当時の小説の極限と限界を見せます。
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 若い先生と死ぬ前の先生は同一人物にも関わらず、統一できなくなっている。先生とお嬢さんの関係は、先生と静とで食い違う。違いを微妙で小さいとみるか大きな隔たりと見るか……原因は性は本能であり無意識、意識は知識であり言葉で操作できる……その辺にありましょう。(続く)