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2016年11月19日 (土)

トランプ一色

Toranp

 変化は納得できないト、日本での週刊誌もトランプさん一色で、その内容も今後への不安が書かれます。コンサバティブとは保守の事ですが、あまり使われない言葉です。

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 リベラルは革新の意味で、これは時々ニュース用語で使われる。それよりニュースでは左右という言い方をします。右派左派は資本と共産のイデオロギー分類で、今では意味がない。
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 コンサバとはキリスト教の神を信じる人の意味になってきたト説が出てます。世の中のことは、最終的に神様が采配して下さる。楽観的にというか「お任せすればいい」との主張です。リベラルとは神を信じない人たちを指します。
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 科学はもともと神の存在を証明しようとの学問でしたが、どうも逆の方向に進んでしまった。科学的に世の中が明らかになるにつれ、どうも不都合を人間が采配しなければならなくなる。
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 すると意見が合わない。リベラル派は自分たちで何とかしようト思う。コンサバは神に任せればいいと考える。トランプ大統領は共和党から立ち、一応はコンサバティブ、保守です。
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 だが政治に理想を見る訳ではなく、口だけでキリスト教を信じる。実業家であってホントはお金を信じる。キレイな女性を見ると抱きつきたくなる……簡単にいうと私のような男です。
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 つまりコンサバは看板、昔は民主党だったこともある。それをネトウヨが支持して、米国ではオルタナ右翼といいますが、ネット右翼とオルタナ右翼は似てます。感情的に昔の米国を願うのです。
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 トランプ大統領は日本については古い認識しかなく、今後どんな政策を取るかは判らない。オバマさんとうまくやろうとした人は、オバマよりは愛想がいい、ト感想をもらしたそうな。
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 かって頼みとしたオバマさんは思った成果を上げられなかった。オバマに比べればヒラリーさんはさらに粒が小さく、アメリカ国民はヤケクソになってトランプ支持した。
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 どっちでもいいから米国を変えてくれ。奇跡を願い神を信じる言うのとは違うかも知れませんが、全体ではなく自分に都合のいいような政策を望むいう意味でトランプが巾を利かせた。日本は部外者でどうなるかは分かりません。
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 私はリハビリで手いっぱい、何とか体調をいい将来に向けたい。「なるようになるさ、体は動かさず食べたい物を食べたいだけ食べる」同じ障害者でも成り行き任せ、刹那主義の人と私は意見が合いません。
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 誰かに祈って健常者に成れる訳はなく、奇跡もあてに出来ない。それでも藁をもすがる。信じたい人の気持ちは分かる。別段、否定もしません。信仰のお勧めに応じないだけ……その意味ではリベラル派によく似ています。

2016年11月14日 (月)

恋愛文化論

Sansi

「三四郎」が汽車で乗り合わせる女は一般女性で、新聞の連載小説を読んでいない人です。字が読めないのかもしれません。身障者には若干、今も字が読めない人がいます。障害があるから字が読めなくても仕方がない……といった考え方にある。
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 デイトしたコトがない健常女性は今もあるんでしょう? そうでなければ映画「君の名は。」がヒットするはずがない。夫が行方不明の女性はもう夫は帰らないかも、ト思って同宿したのか? 若い頃に何もなかった人は、映画で青春を体験するのかも知れません。
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 そういう風に考えれば明治も平成も、あまり変わらない。誰とはいいません。モテない男は合コンの終わりに、もうチュウをしたくなる。これではフーゾク嬢への気持ちと同じです。チュウは3度目のデートでも早すぎる場合があるトカ……私もそれほど詳しくない。
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 たとえばですが、恋愛は失敗しないと分からない。誰かに教わらないと分からない。その意味で恋愛もセックスもカルチャーであって、日本では特に親が教えてくれない。震災後、熊本の避難所では、女性にはトイレが怖い場所になります。
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 一人で泊まるのも怖い。ホテルはともかく、女性にとって今も宿、ネットカフェは怖いそうです。ただ一方ではスタンガンを持って旅行に出かける人もいます。性を教えるのは親で、学校で友人な訳です。この子は障害児だし字はいいかあ、とか親も思ったんでしょうねえ。
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 フーゾクに慣れると合コンからの駆け引きは面倒になる。かといって性の目的を放出に絞り込む訳にもいかない。三四郎は花と名付けた汽車の女性とではイヤだった。かといって美祢子とも無理があった。無理ではない関係作りが必要なのです。
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 三四郎が美祢子とうまくいかないように、広田先生は講師がうまく出来ません。いえ本の中の広田は「偉大なる暗闇」と生徒に歓迎されます。だが現実の漱石は英語講師として歓迎されません。前任の小泉八雲、ハーンの方が評判がいいのです。
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 原因はイロイロあるが、漱石は父子関係を知らず、関係つくりが不器用だった。美祢子は不器用な三四郎に見切りをつけて、社会的位置のある男に乗り換えます。講師としてやっていけない漱石は小説欄担当として朝日新聞に就職します。
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 鴎外も留学するが留学先で「舞姫」のネタになる恋愛をします。自力で恋愛し、どこまで事実かは知れませんが、恋愛小説に仕上げます。ただ我々、一般人は失敗例に学ぶ所が多いかも知れませんなあ。
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 香水の良し悪しとか、聖書の内容に詳しく、アアきたらこうする。コウきたらどうするとか、多少は心得がなくてはいけません。漱石先生といえど恋愛不得意で、見合いにしたんです。三四郎読んで手管を勉強しようたって、そりゃ無理でしょう。

2016年11月 5日 (土)

ゴジラと漱石

Soseki

 親子は、人間関係の基礎です。おそらく母子関係に次いで父息子の関係が重要になります。私は障害児、あらかじめ出来ないことが判っていて、結局、親にも成れなかった。
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 成れなかったからもう問われない。成れば特に厳密に問われる……そういうコトもないでしょうが、父が何をし、あるいは何をしようと考えていたか。ふと思います。
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 ひとつに自分の死をそろそろ予感する、私がそんな年齢になったからです。つまり死に方が分からない。生をどう締めくくるか。死をどう納得すればよいか?
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 この頃そう言った形而上の問いかけの中にある。迫る年齢があるからでしょう。ゴジラ2014は父と息子の物語です。社会や組織には受け入れられない父と、要望されて仕事に命をかける息子と、二人のコントラストが映画になっています。
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 漱石は長女、筆子を膝に乗せ「もう17年たつと、これが18になって、俺が50になるんだ」と言ったそうです。そして偶然、漱石は50で亡くなります。(市政だより11月号)
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 逆算すると漱石は33で50を数えた。50とは人生わずか50年という時の人生、人生全体を指します。68は私の年齢ですが約2倍、およそ孫が成人する年齢です。
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 ややこしい計算はしないで、ここは単に長く生きたと書けばいいのか? そしてバトンタッチが出来たか、出来なかったか? 生物、DNA としては出来なかったのですが……
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 漱石は父役をうまく演じたか?には疑問があります。だが作家としては大役を果たした。いまだに朝日新聞に連載している訳です。漱石が何を書いたか、あるいは書こうとしたか? 大問題なのです。
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 2014版ゴジラは映画の中で一度死にます。映画の中では親子、父も息子の目の前で死にます。父は確かに死にますが、やがて倒れたゴジラは目を開ける。
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 ゴジラと漱石を並列にして何を言いたいか? さあ、今日のオチをつけなければいけません。ゴジラは起き上がり海に向かって帰って行きます。漱石は新聞紙面で起き上がるのです。
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 そして私は、また明日。 

2016年9月26日 (月)

読んだら忘れない記憶術 本

Yonndara

「読んだら忘れない記憶術」は読んでいない。BOOKOFFで見かけて買わなかった本です。先にも書いたが、精神科医樺沢紫苑さんはyoutubeで、4年くらい前から見ています。
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 これだけ見て飽きないから1冊くらい読みたいと思った。その本は目次と、パラパラ読みだけで趣旨が全部読めた。それから2か月もしない内に「講演録画をプレゼント」との宣伝に出会います。
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 録画は全2時間半、スライドPDFファイル付、たぶん内容は元の本より詳細です。樺沢先生初のヒット、念願のベストセラーなのです。まことに持っておめでたい。
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 先生は目下、出版性陽というか? プリンターズハイとも言える状態で、そんなものが本当にあるかどうか、医師免許のない私には診断できません。これ単なる表現ですネ。
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 私、ブログを見られたら樺沢先生に怒られそうな気がします。先生も忙しいので多分見ないでしょ。こんなブログは見ないに決まってる。見たとしても今、機嫌がいいから大丈夫、そもそも本の論旨が書くのを前提に読め。
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 私も頑張った君たちもガンバレ、そういう論旨ですもの。本がそうなら出版講演の論旨もそうでしょ? 録画ですから当然、それも同じ趣旨になります。なるほどと思ったら本買いなさい。読みなさい。
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 立ち読みで少しは読みました。そりゃあそうだろうと思いました。私も「身体障害者相談員名義でHP作っていいか?」市役所に聞きました。「えっ、そりゃちょっと待って下さい」担当は慌てます。
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 実際は数年後、ただのブログでしたがね。メディア戦略に長けた相談員として樺沢先生のやり方はよく判ります。共感します。全くそうと思います。市役所担当の答えは「各自の自由という事で」決着します。
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 ブログ記事から抜き出し、新聞を作るという手法も樺沢先生と同じとはいいませんが、似たようなモンです。「読んだら忘れない記憶術」の原案は「読んだ内容を10年忘れない読書術」youtube記事といいます。
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 ただ書くために読むのか、読むために書くのか? 自分の尻尾を追いかけるおバカな子犬の風情はあります。メルマガ作ってyoutube作って、やっとこ火男、風呂焚き男ですからねえ。
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 火男というのは障害者、脳性まひ者に似せた仮面ではないか? 言われます。私は一種の空しさ感じます。それは私がベストセラーに至れなかった言うことではない。樺沢先生の講演に自己顕示欲を観るからです。
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 私のその欲は極端に低い。障害者は何をどう行ったとしてもスマートに映らない。先生もそうなのだろうと思います。本という終わった媒体に執着される事に、自分と同じものを感じます。
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 先生にはやっぱり怒られるかなあ? 私は買いませんでしたが、このブログを読まれた方は是非1冊、買って上げて下さい。

2016年9月24日 (土)

共喰い 映画

Tomogui 父にしろ母にしろ、親に違和感を持つのは当たり前と精神科医樺沢紫苑さんはyoutubeでそういう。これ位では裏にもならないが、文字通り近親嫌悪、同族嫌悪との言葉もある。

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 父親(円)が後妻の(琴子)とヤッている。足音を忍ばせて息子17才(遠馬)はのぞく。こうなると近親嫌悪いうよりエディプスコンプレックスか? 映画は露骨な素材を選んだものです。(R15指定)
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 生まれた町にいると、近所の人に親に似ているト指摘される。「あなた、お父さんに似て来られた」どの辺りがどう似たか聞こうとするが、それ以上ははっきりしない。息子遠馬は、父親円に似ているのだ。
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 私の場合は何となくとの指摘です。よく父の趣味と息子の趣味が同じになるが、たとえば楽器やカメラ、その他の楽譜や教則本が、家にそのままあり、見よう見まねで使えるからです。
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 この映画ではセックスの最中に、父は女性の顔をなぐる趣味がある。尻を平手で打ついう趣味は他でもあった。これは目の周りにアザが残るなど、DVめいて穏やかではない。
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 遠馬の実の母(仁子)は、それで離婚したと主張している。遠馬には2才年上の恋人(千種)がいる。自分も千種に、父のようにサディズムを行うのではないか。そんな不安に駆られる。
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 秀逸な比喩があって、仁子は遠馬に酒やタバコを勧める。未成年なのに遠馬の方がそういうが……遠馬は仁子家のそばのドブ川で、自分では食わないウナギを釣る。そのウナギを円が食べてしまう。
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 私hataの親父はカメラが好きで、楽器が不得意だった。私は若いころギターに関心を持った。その頃は誰もがギターに関心を持った。中古のギタ-が手頃な時代で……私もやがて余興で弾ける位にはなった。しかしカメラのように上手くは行かなかった。
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 そういう訳でDNA検査をしなくとも父と私の血縁関係に間違いはない。性的な指向についは判らない。ただ三島由紀夫の趣味はなかったようだが、それは私の趣味にもない、それ以上は最早、聞きようがない。
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 自己とは何か、のっぴきならない問いかけや、強い他者関係がないからか? つまり私の年齢だと死ぬ方に近く、今さら恋愛の緊張関係もない……まるっきり判らない。
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 青山真治監督か原作の田中慎弥さんは、サディズムに同好があるのか? 映画を観る限りで、女性を仁子と琴子に分け、さらに琴子と千草にも分けるが、必然が薄い気がする。
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 遠馬の欲望はストレートには琴子に向うかに見えるが、遠馬は千草を担保する。その他にもアパートの女が設定されるなど、物語は婉曲に進んで行く。この3人は一目では区別がつかない。
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 だが直接には遠馬は仁子とヤリたい。それを仁子が察知しての酒タバコと思われる。という事は両者は遠回しに誘い合う。千草がもっと美人だとよかった、との感想には吹き出しそうになる。

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 つまり性は支配衝動だろう。谷崎潤一郎さんには明瞭に趣味があって、昔は流行った。団鬼六さんや谷ナオミさんからの間接影響なら私も受けた。それはどこまでが谷崎だったのか? それ以上は判らない。
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 小説「共喰い」で衝撃的なクライマックスがあり、映画ではさらなる結末をつけた。今回もネタはバラさないが、映画は大島渚監督の「儀式」のテーマと共通する。
●儀式 https://www.youtube.com/watch?v=-VERrnsEWqc

●付き合いづらい親との接し方【精神科医・樺沢紫苑】 https://www.youtube.com/watch?v=pvxrG-UkZog&feature=youtu.be&list=PL1gV4_eisFl9R_Leoi5i82PXGlkEQJsL7#t=40.852375

2016年9月15日 (木)

在宅医療

Ohashi

 週刊ポスト9・16号が「在宅医療」に一石を投じます。誰でも病院よりは家がいい。しかし家では済まないから入院する……仮住まいの不自由を別にしても病院は好きになれない。
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 結論から言うと、まだ死にたくないなら病院に留まるべき、家に帰ってはいけない。死ぬ覚悟が出来たら家に帰っていい。だが死ぬのは多少なりとも痛い。チクっとするくらいでは済まない時もあります。
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 大橋巨泉さんケースの詳細が少し判る。同記事によると11年のガン闘病があって大橋さんはいったん家に帰るが……書いてないが担当医は離れ、おそらく入院病院から在宅医を紹介した。
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 この在宅医はもともと皮膚科で、モルヒネの扱いは専門ではなかった。家に帰って5か月目、大橋さんは背中の痛みを訴える。そして意識障害を起こす量のモルヒネ投与が行われた。
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 つまり病院から帰るべきではなかった。あるいはそこそこ専門医のいる、家に近い病院とかに折り合いはあるにしても、麻酔に知識の深い在宅医は、まず無理というものだろう。
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 ところが記事は大橋ケースが特別ではないとする。夜に往診を頼んだら、酒の匂いをさせて来た在宅医とか、じゅくそうの対処が出来なかった在宅医とかの実例が上がる。
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 医師も人の子であり看護師の領分にも詳しくない。在宅医いうより救急車シーンに見える例もある。書いてある在宅医の欠点とは、裏返せば患者側の医師の使いこなしが悪い例なのです。
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 医療物の映画とかTVドラマとかで判る基本知識が足りないのでは? そう思える所もある。むろん記事は在宅医療、患者側に寄る形でまとめられる。おおむね私も賛成だが、問題はこれで解決しない。
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 大橋ケースで82才、ほぼ日本人の平均寿命に等しい。確かに対処がもっと良ければ大橋さんは、もっと生きられた。ほぼ満足すべき線ではないか? 他人の事にとやかく言いたくないが、こういう例が実は多いという。
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 さて私はコーヒーを好物とする。缶コーヒーではなく自分で入れないと満足できません。入院した時、午前と午後、日に2回の点滴を必要としました。近所の病院でも出来ない訳ではない。
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「どっちにする」主治医は私に聞きました。点滴の間違い等が怖いト私は入院を選びました。もう一面で病院脇の販売機にあるマズい缶コーヒーを選び、自分のコーヒーを断念します。
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 いえね。反省をせざる得ない。私も今年68才になったが、まだ覚悟は付かない。家が良くても痛いのが嫌でも、そろそろ死に生を見出さなくてはならない。生き方とは死に方です。

2016年9月14日 (水)

すみれの句

Sumire_2

 意味は定かでない、漱石の菫句は謎です。

「菫ほどな小さき人に生まれたし」

明治30年、熊本に来た漱石は子規に俳句の添削を受けており、この句は子規によって「な」を削って返送されます。
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「な」は字余りだから、四国方弁の必要ないからト、二つの理由が推定されます。漱石はもともと背の低い人で身長160センチほどでした。
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 これが翌明治31年に英国留学して、実際に大人国に行った小人のような、気分を味わう事になる。だがそれは詠んだ人も、まだ知らないことです。
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 漱石は2年の留学期間に精神的に不調を来たし帰ることになる。任務は重すぎた訳ですが、これを予言したようにも読めます。が、それもあるはずがない。
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 漱石にそういう超能力、予言力などはない。星菫派よろしく、ごく普通の光景を詠んだはずですが、この句に類例は見当たりませんなあ。
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 特定の女性を詠んだ句ではという説もあります。41年には短編「文鳥」があり、これと呼応する。つまり兄嫁説につながるという。だが結婚直後にそんな句を詠むかは怪しい。
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 今で言えば、まあスマホの連絡先をわざわざ明かすような、私ならしませんが……するとやはり謎の句になります。日本画家の堀文子さんが最近、この菫句を取り上げておられる。(サライ16年5月号)
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 小さな美しい花が自分の力でどこにでも自由に生きているト、堀さんは驚嘆されます。おお、鋭い画家の目線トお褒め申し上げます。菫はレンガの間の、ほんの隙間の土からさえ芽をふきます。
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 確かにその通り……だが申し上げます、いや言っていいのか? 私は嫌な性格で、なぜ菫だけがそう出来るか理由を知っている。菫の花だけ見ても、この理由は判りません。
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 菫の種に小さな砂糖が付いている。だから蟻は一族のために種の全体を巣に運びます。だが砂糖は少しで、全体は余分。蟻は砂糖をなめてしまうと種を自分たちのゴミ捨て場に運ぶことになる。
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 地上近い蟻のゴミ捨て場に根を張り、ゴミを栄養に菫は芽をふきます。蟻の力を借りる。蟻だけに有体にいえば騙す訳です。誰が菫に、そんな悪知恵を付けたのか?
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 レンガとレンガの間、ほんの隙間の土に見え、蟻の巣では十分な栄養が確保されます。菫は小さく見えるが、したたかで強い植物です。それもまた堀さんのいう自由の内なのか外なのか、そんなことまで私は知りません。
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菫いろ解釈めぐり虹の立つ

2016年8月29日 (月)

ある落日

Noguti

 野口英世は立志伝中の人物です。尊敬すべき存在であり千円札にもなります。野口も身障者なので、その内に読もうと思いながら「ある落日」をまだ読みません。
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 野口は手が不自由で回復手術を受け、立志が可能となった。手術代は地元の資産家に出させたという。言葉巧みというか、なかなかのやり手だったらしい。
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 野口は照れたのか、あの伝記は嘘と言ったとか言わなかったとか伝わる。南米奥地に得体のしれない病気を追ったには、その屈託した思いがあったそうな……
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 単純な使命感でない内面があった。評伝「ある落日」は渡辺淳一さんの著作です。不倫に自滅する人、恋愛に逃避する人をあれだけの量、書いた作家ですから、屈託への理解もあったのか。

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 私が小学2年の頃に、図書室に寄贈された方があります。学校は生徒に作文を書かせ、報いる方針を立てます。私はその寄贈本をまだ読んでませんでした。
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 困った私は、寄贈された方はどんな方であろうト友達と噂した。そういう小説を書いてしまう。クラスで一番面白い作文になり、校長も面白がって寄贈主に見せたらしい。
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 つまり作文の束の一番上に乗せたと思います。というのは校長は寄贈主に写真を一枚もらって帰ります。私は漢字の書き取りは出来てませんで、作文だけがよかった。
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 正確には良かったんでなく、面白かったんですネ……つまり資産家を口車に乗せ、手術代を出させる。そういう野口の感じがちょっぴり判る、あまり悪くも思わない。
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「先生はどんな方だろうと書いた作文がありまして……」えぇーっ、それオレだあ。
「先生も笑われまして、ぜひ写真を一枚、置きたいと頂いてまいりました」校長にもウケたのかあ……ああ、これで通知表が5になりゃあなあ。

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 4でもいいけど4にもならん、また国語は3だもんなあ。面白いらしいけど結局、カラ受けだもんなあ。

2016年7月31日 (日)

角田さんの整体

Kadota

「疲れと痛みを消す、自分でできる整体」という特集をクロワッサンがやっています。初めはdマガジンで済ますつもりが、けっきょく現物を買います。理由は気になる個所が6ページを越えたから……
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 冒頭部分で角田光代さんがモデルと結論を執筆します。角田さんはアラフォの年齢と思ったらアラファイブという。結婚離婚、再婚の履歴があり、子供はないらしい。ぎっくり腰を持病とする。
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 今時よくあるケースで私のコメントも必要ないが……整体と整骨、マッサージとカイロプラクティックの違いを求め、角田さんは近所に関係筋を渡り歩いたそうな。アホですなあ。
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 紙の月を観た時のアホな感じと、ぎっくり腰治療でのアホな感じが、私の中でつながる。つまり対岸の彼女も八日目の蝉も、簡単に読み解いてよさそうな感じではないか?
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 角田さんは作家スタート時にジュニア文学の執筆体験がある。一つはそれで読みやすいト言われる。反面どうも消極的で問題との直面を避け、まわりクドい。逃避的とも評される。
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 女、村上春樹といわれる程に女性読者が多い。男からは読後感にだから何と言われる。先日、私も紙の月を太宰と比較した。実は太宰でお茶を濁したので同列作家に大物もある。ウザイので避けたが……
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 文学論ではなく、ぎっくり腰の原因は執筆時間が長く、運動不足になるからです。椅子に座っても正座しても2時間を超えてはならない。文章もイラスト、絵画でも、クルマの運転もそう言われる。
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 それはそうだろうが書く側としては、そうもいかない。それでワープロ、パソコンの導入になるが、5倍能率が上がってもギャラが5分の1に下がったりするから、けっきょく同じ事です。ぎっくりと腰痛の痛みのみ残る。
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 ジムに行かず整骨に行く時点で思考のパターンが読み解ける……類型化にはちと早かった。角田さんはボクシングジムにも通ったトいう。それでトーンダウンして、それでも現実逃避の傾向はまだ消せない。
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 ぎっくり腰に無縁の人もあるからです。もっともクロワッサン雑誌その物にそういう傾向はある。問題は認めながらも逃げ腰で、欧州に規範というか、解決策を求める。直接の自己批判は避けるからです。
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 欧州の規範はカトリックが元になって、もう反面で実存主義や、ナチスの優生思想が流行った。それを直に学ばず、都合のいい所だけつまみ食いして和洋折衷を図る。そこに無理がある。
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 雑誌の作りには新自由主義の影響にある。問題は金で解決したい。表紙は「自分でできる整体」だが、裏表紙に近い巻末に整骨院と整体院のCMが並ぶ。このページはデジタルでは見えない、この雑誌ココが怪しい。
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 プロテスタント系に比べるとカトリック系は何かと高くつく。信仰の道といえども、やっぱりカネです。歳を取っても若くありたい。甘い体験をしたい。苦い体験は避けたい……無論そうなのでしょうが。

2016年7月27日 (水)

紙の月 映画

Kamino

 太宰治の小説はメロスとかを除くと、最初っからダメな人間がやっぱりダメとの話が多い。太宰本人は、心中未遂を繰り返したあげく、最後に本懐を果たすが……あれは本懐だったのか? 未遂を企んでの失敗ではないか。
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 そのあたりはよく判らない。角田光代さんは太宰とは違う。いや小説は太宰より上手いのか、私にはよく判らない。「対岸の彼女」にはもう一人の女性が出て来るが、この「紙の月」にはもう二人の彼女が出て来る。
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 その三人のうち、誰が男を騙し通したか? そしてどう幸福になり得たか、あるいはならなかったのか? 映画のキャッチでは「最も美しい横領犯」というが、この惹句にはチト嘘があるト私は思う。りえちゃんのベッドシーンは、やたら暗い。
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 苦情ついでにいうとポスターで、りえちゃんは札束のドレスを着ている。札束は風にめくれ上がり、りえちゃんから剥がれかかる。つまり金で幸福にはなれないの意味があるらしいが、どうすれば幸福になれたか、ヒントはない。
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 これは作者、監督も実は判らない。そういう風に見える。あれもダメなら、これもダメのマイナス思考、たまたま失敗したのではなく少女時代からのダメ癖が披露される。この時代では、あるいはこの国にあってはすべてダメ出し、ダメ思考か?
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 まあ結論ありきのダメが言われる。まるで太宰は心中するために女を口説いた……かのように見える。浮気のためではなく破滅するための相手だったか? 悲劇を演じるためなら、それならもっと単純なダメを選ばねば。
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 むろんダメ愛人を選び、ダメ横領を企む事もある。あらかじめ失敗するために人生がある。月は昔、恋愛光景によく出てきた。たとえば漱石時代の風景で、月がキレイといえば幸福の意味があった。
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「月がキレイですねえ」とのセリフには、私はあなたといると幸福なのです。そういう意味があった。
「ええキレイですねえ」と返せば私もあなたといると、そのように感じます、そういう意味があった。
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「いや本当に……」それでは私たちは相思相愛なのですね。
「ええ本当にそうですわ」もちろんです、そういう意味があった。それで恋愛が成立した。それから見ると月の意味も大分、変わってしまった。何しろ本当の月ではなく、書き割りの月、紙の月ですから……
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 紙の月をyoutubeでやっていた。画像の作りが変でラストもちょっと切れる。思わずこれを見てしまった。多分すぐ消されるだろうからレンタルで借りた方がいいかも知れない。どちらにしろ現状打開のヒントなら、ブルーバレンタインやビフォアミッドナイトにある。