ペット Feed

2017年9月14日 (木)

黒猫は3度くる

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 夜中にトイレに起き、寝ぼけまなこで用を足す。水を流して出た所で気がつく。室内にかすかな気配がする。これが人なら泥棒なのだが気配は人ではない。
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 私は動きを止め様子を伺うが、相手も動かずこちらの様子を見る。一瞬の不気味。まだ暑いのでベランダを開けたまま寝るが、そこから猫が入ったらしい。やれやれと台所から猫を追い出して安心する。
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 夕べはサンマを食います。今年のサンマは高いというが、スーパーに行ったら小さいのばかりが残り、それで108円という。これを逃したら今年は食えないかもと買って来た。そのサンマを焼いたので、今まで来た試しのない猫が匂いを嗅ぎつけた。ベランダから出て行ったのを見て、ガラスを閉めます。
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 ところが、この黒猫をまた来ます。成猫に達しない、子猫でもない。中くらいの黒猫で近所をウロつく言う話です。今度は朝になって私と顔を合わせてニャアと言うんだから……セリ込み猫です。ガラスを開けておいた夕べに入り込んで、何もないので寝てしまい、朝起きだして来る。
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 ただ3度目は分からない。ガラスを閉めておいたのに、入れるワケがないのに入っている。野良ではなく元々アパートかなんかで飼われていて、飼い主は秋になって引っ越し、部屋に置き去りにされたか? そんな所でしょう。
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 漱石の家の猫もセリ込みの黒猫だったそうな……お手伝いさんが追い出しても行かず、漱石の一言で飼われることになったトあります。勝手なことをすれば大家に私の方が追い出されかねない。いえ熊本市では猫を飼う場合はむろん、数軒で一匹の地域猫とする場合も、手続きは踏まねばならない。
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 しかしエサだけ与えるとか、始末もなく短い間だけ飼うとか……勝手な人はいて、後には不幸なノラ猫が残ります。吾輩だってあれはネコの形を借りてレコを重ねて……そういう方があります。
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 頭の上のハエを追えない身障者が猫や犬を飼うのは……そういう話題になった事がある。むろん決論など出ないが、健常者であっても似た問題を抱えた方がある。女房子供を抱え、それが自分になつかず、猫や文鳥を飼わねばならなかった。
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 漱石の心の闇というか、冷え冷えと温もらぬ部分というか……感覚はあった訳です。それともまあ最近の猫は生活レベルが高く、飼い主と一緒にインターネットくらいは心得て、私のブログの漱石シリーズ、読んでいて押しかけたのかも知りません。「オレも漱石は好きだニャ」とか。
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 つい先ごろまでは犬と猫では犬に人気があった。それは逆転して猫人気が勝って来た……こんな画像が出て来るには、微妙な変化があるのかも。猫ならいいが泥棒もありますので、ベランダのガラスは閉めて寝られた方が無難かと思われます。

2016年1月 7日 (木)

小猫とチョコパフェ

Choco

「ネコにチョコレート食べさせた」と愛猫家が仰天した。TBS局には「ネコが死ぬぞ」「放送を止めてくれ」そういう内容で電話が入ったらしい。デ、局はどう対応したか? これが少し意外なのです。

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 ネコはチョコ内のテオブロミンという物質が分解できないため、最悪の場合には命を落とすのだが、TV局は「様々なご意見をいただいておりますが、その内容については」公表しないトいう。

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 簡単にいうと局の知った事ではない……インターネットでは犬猫、ペットの映像が送り込まれる。当然、人気のビデオは繰り返し見られる。ほほえましい映像が大半だが、中には猫とモルモットの仲がいいなど問題ビデオもある。

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 たまたまそういうケースもあるにしろ、一般化は出来ない。映像をうのみにして部屋で猫とモルモットを放し飼いにしたら……惨劇も起こりかねない。小猫にチョコレートパフェも実際は、似たような構図はある。

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 正直に申し上げると猫にチョコレートは知らなかった。むろん猫を飼った事もチョコレートを食べた事もある。ただ昔はチョコレートは高級品だったのでペットと一緒に食べる発想はなかった。

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 今時の飼い主は、猫を友人扱いにして一緒にお菓子を食べたいのかも知れない。昔とは違う。よく言えば仲がよい、悪くいえば見境がない……ただ漱石が「我輩」を書いたのも、自身がせり込み猫を受け入れた体験、猫好きの動機があった。

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 念の為に詳しく言うと……小説の中で奥さんや下女は、せり込もうとする黒猫を何度も追い出した。台所に来た漱石、くしゃみ先生がそんなに居たがるのなら、居させてやればよかろう。この鶴の一声で黒猫は家猫になる。

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 漱石という人は小猫を捨てるように、養育費を付けて実家を出された。せり込み猫に自己を投影してそう書いた訳で、「我輩は猫である」には屈託した漱石の心の声です。勤め先の、東大その他の学校の教官を本当は止めたい。

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 しかし職がなければ食うに困る。我輩がヒットして「草枕」も書いて、それが評価されて朝日新聞から声がかかる。それまでの屈託する漱石自身を描いたのが「我輩」の意味と位置付けになります。

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 小猫とチョコパフェを食べたい人は、意外と多いかも知れない。そんな事を知ってか……いや知らないのでしょう。小猫は命がけでチョコパフェを付き合ってくれる。猫というのは元々、山猫というくらいで鳥を食っていた。

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 もともとは海魚は食わない動物で、サザエさんに追いかけられて以来、サンマをくわえては逃げる動物になった。教訓としては、猫ちゃんにチョコパフェを安易に勧めてはいけません。

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●画像は古書と茶房「ことばのはおと」による

2013年7月 9日 (火)

くまモンの立つ所

 Bodo上熊本、熊本総合体育館の入口付近に「くまモン」が立っています。ここにくまモンは2枚あって、表口と裏口とに置かれる。その処置というか置かれ方が半端だと思われる。もう1つ、しっくり来ない。

 

それでこの顔、お前はどうしたいんだ。つい聞きたくなります。最初だけでなく毎回、見る度にそう思います。多分これは掲示ポードとして作られたんだ、ト思うようになる。胸のあたりの空白がコメントを書くようになっている。

 

「開店しました」「本日は閉館です」とかメッセージを書くように作られます……で、それがないまま毎回、ただ立っているのが淋しいというか。大袈裟にいえば欠乏につながる。つまりちょっと切ない。

 

ただ、くまモンボードは綺麗なイメージだけで出来ていない。熊本駅では新幹線のイメージキャラを立てる時、博多や鹿児島との共通キャラに反対し、単身くまモンを立てたと言われる。その共通キャラが何だったかさえ、今は忘れられた……勝ったネ。

 

それでくまモンボードは県から体育館でも使うよう、割り当てがあったという。売り物としてではないが、私は売った方がいいと思う。つまり、このちょっと切ない感じは売れると思う……まあ価格設定にも寄るが。

 

あまり軽々しい事は書けないが、胸のあたりに日々の告知文を張ればインパクトあるし、知りたくもなる。店の方のメッセージはよく伝わるト思う……ただし体育館もそのようなアピールとしては使ってない。

 

一般にも伝えたいアピール、メッセージなど、何もないのかも知れない。掲示ボードでない物としても結構つかえている。単純なデザインが複雑な感情を伝えるというか、多様性を含有する。ゆるキャラとして圧倒的に優れるとまで言われる。

 

ズバリ、ほっぺの赤がデザインのポイントと思われる。まだイロイロ加えたい所をあえて足さなかった。勝利の原因と思われるが勝てば官軍、後の理由は何とでも言える……このように沈黙し通り過ぎるのが難しい。

 

2010年6月 1日 (火)

インコになつかれて

Inko2 インコになつかれた事があります。誰にでもなつくインコかと私は考えました。が、その家の奥さんによるとそうでない。ご主人も否定しない。これは理屈から云うと合わない。

その家でインコはご主人になついて奥さんになつかない、と言うのです。「このインコは雌ではないか」と奥さんが推測します。ご主人の説では、インコは人を見ると言う。

――奥さんはそんなに、人が悪いのですか?

私が質問するとそれはギャグになって、お二人は笑われる。どちらにしろ、よそのインコ、どうでもいい話でした。

犬と猫でもなつき方に違いがあって、たいていエサをやる人になつきます。犬は「私は家来です」となつき、猫は「オレの家来にしてやろうか?」となつく場合がある。

軽くネット検索するとインコは異性として位置づけるようです。すると濃密すぎる関係もよくないトいう。ひとりの飼い主だけになつき、その分、他人を寄せ付けなくなる。

たとえば飼い主が旅行に行くのにインコを他人に預けると厄介な事になる。動物を飼うと犬でも猫でも基本的に、そういう問題は付いて来ます。

ただご主人になついたインコが、勢いで奥さんになつき、子供たちになつき、その家に来る色んな人になつく……そういう展開もないではない。

小学生や中学生の子が、なぜマウスを飼いたがり犬や猫を飼いたがるのか。心の中のメカニズムが幾分、透けて見えてきました。飼われる側の裏には飼う側の心も見え隠れします。

恋愛に向けての準備ですネ。ある意味でと断り書きはしなければなりません。恋愛準備ではいけなければ自立、親元から離れて自立した人になる為の準備ト解釈できます。

仏映画では恋愛は絶対視され、金銭を超えて宗教をも超える場合があります。ただの依存、性を伴うだけの関係とは見ない……少なくとも建前ではそうなります。

あまり神聖視しない方がいいのではないか、いうのが私の見方です。インコに一目惚れされた私としては、もう少し話を延長したい気もしますが、今日のところこれまで。

2010/05/14 放送「探偵ナイトスクープ」意外な結末に全員が驚がく!
1.『凶暴なインコをなつかせて』
探偵/たむらけんじ

大阪府の男性(34)から。娘の誕生日祝いにオキナインコを買ったが、私と娘になつかない。それどころか、ティラノザウルスばりに走ってきて、鋭いくちばしで噛みついてくる。恐ろしくて、カゴから出すことも出来ない。餌付けしようとしても、餌を取るふりして指に噛みつく。「風の谷のナウシカ」で、ナウシカがキツネリスのテトに噛まれても、じっと耐えて仲良くなったが、その方法が通用するか試したい、というもの。

2009年6月12日 (金)

犬と私の10の約束 映画

10yaku_2  犬から見た一家の十年を、映画時間2時間で流すという試みは「クイール」でありました。この「犬と私の十の約束」でも効果を上げます。理解の難しい部分は省略して、十年で人生全体を見渡してしまおうトの考えです。

斉藤一家では母がまず、亡くなってしまう。病名も何もない状態で死ぬんだからご都合主義ですが、2時間枠で終らせるには仕方がない。仕事好きの父の生き方も納得できないでしょうが、娘あかりの生き方の鏡と納得してもらう他はありません。

こう書くと私が納得してないように取られる方もありましょう。犬は主人の多忙を理解しないまでも納得はします。犬の名前はソックス、よくあるゴールデン種でクイールもそうでしたね。大人しくて演出がやりやすいようです。

父が医師であり、やがて娘も獣医を志すようになる。幼馴染の男の子はギター教室の息子で、やがてギタリストとしてデビューする。そういう風に設定は上流社会で、それで全体に口当たりのいい映像になります。

ソックスは大きな庭に、犬小屋で飼われます。しかし今の標準ではない。今は小型犬を室内で飼うのが標準です。むかしと違って日がな1日、人間に接するため、かなり高度に人の顔を読むようになる。

私の部屋に来るクロスケは、来るとワンと外から吼えてサインを出します。ドアを空けないと諦めて帰るようです。ドアを空けると私の顔をみて片足を上げる。ハンドの躾は覚えて、言われない先にやります。片足を握ってやると、もう片足を上げる。

全部、先回りして最終的にエサをねだる。エサをもらうと「バイバイ」いわれるか、手を振られるのを待って帰っていきます。一応は帰っていくのですが、すぐまた取って返し、またワン。最初から繰り返して……エサをもうひとつトねだる魂胆です。

頭がいい訳ではなく、室内犬は人馴れがこのように大きく、映画よりは繊細な親近性も示す。それが最近の犬ブームでの要因のひとつになる……ト私はみます。つまり我々は何かとわずらわしい人つきあいを止めて、犬に向かった。

クイールでは盲導犬だった為に見えなかった部分が、この十の約束では明瞭になります。他人の影響を受けると借りを作ることにつながり、その人に頭が上がらなくなるなど不都合が起きます。犬だとそういう事にならない。つまり好都合です。

たとえば主人公は犬の影響で獣医への道を取る。父の影響もあるのですが、親子といえども借りは作りたくない。そういう風な暗黙の認識がある。生きる道を選ぶ大きな場面にさえ……些細なプラスマイナスを……人間同士として影響しあった時代が、どうやら終ったようです。

2009年2月15日 (日)

クロスケ

Baron

私の部屋に犬が来ます。私がクロスケと呼ぶコッカースパニエルは、ほとんど毎朝やってきてはクンクン鳴いて、まずはノックする。それでも私が返事をしないとワンワン吠え出し、ドアをドンドン叩き始めます。教えた訳でもないのに……

クロスケとしては「何かちょうだい」おやつをねだるらしい。何かとはパンのきれはし、リンゴの芯、バナナの端……何でもいい。

何かやって「帰れ」というと一度は帰るが、ふりだけしてまた来て、同じ動作をします。両手を開いて「ない」というと来ません。

クロスケは自分勝手ですが、トレーニングと違うレベルで理解し、私の意向を読み取るらしい。猫のレベルより一段高いレベルの反応らしい。「何かちょうだい」と言う。

ある日「クウォン、クウォン」と悲しげにいう。

「僕、すごく腹がすいているんだ」との意味らしい。

それは嘘で、飼主がエサを忘れた訳ではない。クロスケはおそろしく食いしん坊です……トここまで書いて、犬は猫より、うっとうしい生態があることが、私は表現出来たでしょうか? 

これはクロスケに迷惑している話ではなく、犬一般が嫌いな訳でもなく、どこがドウとは言えないけれど実にそう、そうなのです。個体差で犬のような猫もいて、猫のような犬もいる。そういう人もあります。

クロスケは食物として魚にも関心が深く、かまぼこの板をかじるのも好きです。私でなく主人の留守中に化猫よろしくサラダ油をなめ、生米をかじり、日なたに干したばかりの渋柿を、食べたいとワンワン吼えたそうです。

その辺が、変ではなく犬好きにはたまらないエピソードかも知れません。私としては過剰な感情は持たないで、余計な関心も擁かないようにしているので、うっとうしいという事になります。犬が好きでトレーナーをしている人がいます。

仕事は仕事で犬とふれあい、疲れて帰って……やっぱり自分で飼っている犬と向き合うと言います。私には想像もつかない、並外れた好きです。いえ、その誰かに失礼申し上げるのではなく、私が犬の飼主には向かない性格なのです。

自分に性格がある。他人とはかけ離れていると思った事はありますか? 私は誰にでも性格があると思います。ただ犬についてさえ……ここまでは現実、すでにいい長さですが、まだ前振りの段階に過ぎません。そして話はここから別な方向に向かいます。