芸能 Feed

2016年1月 1日 (金)

賀正

Kareha

粉雪の降る町を行く 薄着にて

アケオメのメールの過熱 昼を待つ 

ネオン消え 道見失いしカシオペア

雪さくら ひとつの空に開きける

昼過ぎに 日付の変わる花時計

双蝶の ビルより高き雲の波

変幻となりて走るや にわか雨

仏人と見間違いしや 泳ぎ人

ピケティを読みて待てども 人は来ず

逆上がり 出来ぬ子らにも法師蝉

メガネかけ帽子にマフラー マスクして

増税や 消費の陰り サイフ痩せ

不燃物 ビデオの束にたけしあり

舞降りて 地に燃え上がるイチョウの黄

2015年9月22日 (火)

安保法論議は面白い

 60年安保よりは70年安保が、70年よりは今回の安全保障関連法は面白かった。反対派はむろん賛成派も、まだ成り行きに目が離せない。成立後の世論調査は反対賛成が六四より、産経調査がまだ出ないが、まあ七三に近い数値も出る。

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 世論の賛否は僅差で、来年の参議院選を持たず「残念ながら忘れてしまうだろう」とTBSの武田記者はクールに分析する。これに「必ずや忘れずに、武田さんを出し抜いてやる」の投稿が笑わせた。ハガキやFAXでない、メールやツイッターの反応は早い。

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 SNS、ソーシャルネットワークと言われるネットの普及は即座の反応を生む。平均的市民とは違う反応といわれるが、ひとつの番組内に番組側意見と、聴取者側が並んでしまう。流れの逆転こそありえないが、臨場感は面白いとしか言いようがない。

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 ビートたけし(68)は19日、TBS系「新・情報7days ニュースキャスター」のレギュラーを務めるが、19日未明に成立した安全保障関連法について「法律で決めなきゃいいのにね。そううまくいかないよ」とコメント、「日本は商人なんだから、『へえ、へえ、へえ』って(頭下げながら)、『法律で決まってませんよ』って言いながらそ~っと裏できたねえことしてた方が、日本らしいな、思うんだよな」と発言した。

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 TVを持たない私は直接は聞けず、翌日のネット記事で読んだ。ニュースは早く、小さくても逃がしなしに読める。今回安保には有名人が揃って発言している。松本人志さんが日本の平和ボケを懸念「このままでいいわけない」と言えば、中居正広さん(43)は「若い子が声を上げるのはいいことだと思う。僕はうれしかった」と反論するといった具合だ。

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 デイリースポーツ(8月9日)は中居反論と書いているが、根拠や思いを述べただけ。対立しないで、まず述べ合うことから考えを深め合う。反対賛成論以前の、冷静な話し合いです。そのコトが楽しいしうれしい。ひとつ私たちが大人になった証明だろう。

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つるの剛士  僕の小学校時代(大阪、高槻)は国旗掲揚、国歌斉唱廃止、「皆平等」ということで運動会の点数制度廃止、何故か隣国の事を学ぶ授業。今考えればかなり偏った教育を受けていた地域、時代でした。イチ先生の歪んだ思想に多数の子供達を巻き込まないで頂きたい。断固。

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 つるのさんは自主的に意見を出される。安保とは関連なくも見えるが、この時期を選び、援護射撃です。左翼を歪んだ思想といい、それと反対の思想を中立と思わせたい。どんなイチ教師も、どちら側かには歪むもの、人間だもの。ご心配には及びません。つるのさんのように左翼教師から右翼思想を学び取る生徒もいますって。

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 中咽頭ガンを病む身にありながら、デモの先頭を切るように安保反対の声明を上げた坂本龍一さんは全くもって英雄だが、私などは氏に賛成ながら後続には躊躇する。そういう感覚もある。なぜというに論議の片側がうすい、ペラい。安倍さんもつるのさんも聞くに耐えない読むに耐えない。

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 もうちょっとイイ、納得の表現があるだろう思って自衛隊の機関紙も見たのです。だがまあ、書いたように耐えません。かつて保守系と目された小林よしのりさんなども、今回は実質リベラルとして論を張る。保守右翼系に有力な論客がいない。何か書けば左翼的に見えてしまう。そこは面白くない。

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●安保関連法成立「評価しない」57%<毎日新聞調査 9月20日>

安保法の審議不十分79% 共同通信世論調査47NEWS

緊急世論調査 安保成立「評価せず」58%日本テレビ系(NNN)(9月21日)

安保法、反対51%・賛成30% 朝日新聞世論調査朝日新聞デジタル(9月20日)

坂本龍一だけじゃない! 渡辺謙、笑福亭鶴瓶らも安保法案に反対の声〈週刊朝日〉

●芸能評論家の肥留間正明氏は「ファンの支持政党はさまざまで、それに配慮し政治色を出さないのがタレントの道とされてきた。しかし今回は戦争に反対するという趣旨でスポンサー離れの心配もない上に、『平和だから芸能界で生きてこられたのだ』という思いもあり、発言せずにいられなかったのだろう」と見る。  自分の意見を述べるのが当たり前になったことで「(思想的に)真っ白で可もなく不可もなく、というスタンスでは支持されないという損得勘定もあるのではないか」

2015年5月10日 (日)

桑田佳祐さん

Kuwata

2012・5・30に「赤とんぼはうたわない」というのを書いてます。これを134号に収録しました。そんな昔のをなぜ? 思われそうですが私は演歌も歌謡曲は基本、聞かない……それには理由があるいうのが前記文の趣旨です。それに下記の文を足し、入れました。

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桑田佳祐さんは「これまでも過激な言動が話題になることはあったが、国家間の問題や民族的な話には決して触れなかった。ターニングポイントは、やはり2010年に食道がんを患ったこと。あそこで桑田さんの死生観が変わったように思う。被災地復興などに尽力する一方、時の政権には批判的なスタンスを明確に出すようになった」(音楽関係者)

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 年末の紅白での演出で、桑田さんは右翼の批判を浴びた。「所属の事務所には、街宣車が毎日来て仕事にならない」(音楽評論家)それで謝罪した。そう聞いて桑田さんの「ピースとハイライト」を聞き直しました。「都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世は……狂気(innsane)20世紀で懲りたはずでしょう?」

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毎日、街宣車まで呼んだという、これが桑田さんの詞です。安倍批判? 角度を代えればパク大統領批判のようにも聞こえますヨ。どちらにしても、お互いに学べの趣旨が悪い事? これ街宣車のドジ、勘違い、早とちりじゃないですか? 唄歌いは歌うことを持って主張する。例え屈したとしても……桑田圭祐さんは立派です。

2015年1月 2日 (金)

田母神俊雄サン

Tamo

 田母神俊雄さんはTwitter、ツイッターで、増える在日中国人を話題にされた。外国人の地方参政権を認めれば、人口3~5万規模の町は合法的に乗取られる、という。また「公明党が連立与党にいては中国に対しどんどん脇が甘くなる」とも、これは脅えと言えそう。

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 在日の中国人という人は無論いるが、中国は中国でも台湾出身者や、その友人、観光旅行中に近い人を十把一絡げにしてないかなあ、私は心配になる。田母神さんは戦争は専門家だが、平和には素人で、双方をごっちゃにした話を時々されます。田母神さんと私は同年輩で、いちいち書かないが共通点もある。

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 それこそ脇の下まで見えてしまう。たとえば日本人が中国に行って、中国に住み、その町を乗っ取る計画を練る……そんなんするか出来るか? 日本人は出来ないが中国人ならするか。その田母神見解に私は首を傾げる。私には出来そうもないので出来る人の意見を聞きたい位です。

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 田母神さんは先の都知事選に出られ、そこそこの結果を出された。偉いなあ、そう思っていた矢先に、今度の衆院挙に次世代の党から出られた。即当選かとすら思われたが、そう行かなかった。何が原因か、その絶対理由は判らないが、田母神さんは離婚訴訟に負けていた。

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 フェイスブックやホームページに自身で書かれている「現在結婚しようと思っている女性を守らなければいけない……我がままですが、私も心が休まる温かい家庭が欲しいのです」としている。都知事選にも奥さんの応援はなかったが、事実も知られていなかった訳で……事が知れた後、今回選挙では女性票が入らなかった。

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 田母神さんは落ちるべくして落ちてしまった。私は田母神さんの表現に無理があると思ったが、表現方法だけでなく人間性に無理がある。それは愛人を作った後に、古女房に離婚を迫る短絡では、むしろ初めから当選しない方が無難という物でしょ。

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 元軍人だから軍隊を第一とするのは当り前で、生活だの福祉は削れるだけ削る。特に珍しい主張でなく、理解は出来ます。ただ現実はそれでいいか、疑問がある。次世代の党は意味不明の数字を出し、生活保護を攻撃して、議席を減らした。これには典型的な意味があったと、私は考える。

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 たとえば落語は話芸です。話と話を積み重ね、感情と気持ちを高揚させる技術です。ただ内容に論拠、拠り所はない。むしろ現実を忘れるための、束の間の高揚に醍醐味がある。中国に怯え創価学会を恐れる。田母神さんのそれが原点でしょう……話術で元気にはなれるが、空元気で現実対応は、むしろ手は薄くなる。

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 あり金を全部、今の奥さんに差す出す。それに近い状態になれば離婚は出来ます。その後、若い彼女の応援演説を得て、再度の立候補されるがいい。そうすれば女性票も少しは得られる。日本人の半分ちょっとは女性で、女性は高揚ではなく沈着に聞く。なめてはいけない。ガンバレ、まだ頑張れ、まだまだ、がんばれ。

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○似顔絵ブログのようなもの http://gakuzou.jugem.jp/?eid=7312

2014年9月20日 (土)

羽衣

Tennyo

 能は650年の歴史を持つという(実際はもっと前があるようだが、観世流では)能は口伝を重視し、資料はいらない。体得を旨とする……一応そのような論を張るが、花伝書があるなど例外はあり、悪くいえばダブルスタンダードになるのだが……

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  少なくとも平安時代には、お経が中国から文字で伝わって、つまり仏教も広まっていた。この前後から日本でも資料が出来るようなる。だが能業界は反発したか、文字を使わなかったらしい。能には羽衣という重大な演目がある。天女伝説を扱ったものです。

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 羽衣の世界では、天界と地上界は別れる。簡単には行き来というか、基本的には交流できない。羽衣は衣服ではなく、行来の道具になる。物語は仏教の影響下に成立したト考えられる。それまで日本には羽衣で行くような別世界は存在しなかった。

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 世阿弥の花伝書は能でも例外に当る。世阿弥の父は観阿弥といい、寺に協力し属した。寺がスポンサーだった。世阿弥のスポンサーは武士になった。武士は幽玄を好み、生者と死者が同一世界で渡り合う事を好んだ。寺にあった時とは質的な変化が思われる。

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 世阿弥は危機を感じたか、自分の能を文書化して残す必要を感じた……それまでなかった伝書が書かれた、あるいは伝言された理由になる。世阿弥が羽衣を重大な演目と考えた理由とは、ここでの死生感の変化ではないか。天女は再び羽衣をつけ、天界に帰っていく。

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 人は死後も無形となって、この世界にとどまるのか? あるいは帰りたい世界はないか。羽衣という演目には、そのような問いかけを感じる。演目では男は、その場で天女に羽衣を返す。これに比べ竹取物語では、かぐや姫は不死の薬を夫婦に差し出すといわれる。

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 後先をいえば竹取物語は古く、羽衣の成立はその後です。どちらか? 竹取はストレートに仏教の影響を受け、羽衣は後で竹取の影響を受けた。ト考えられる。物語、天女は返された羽衣で、天空の舞いを見せながら天上に帰っていく。舞いが見えなくなった所で演目も終る。

2013年5月13日 (月)

過敏に聞く

Sintyo2またというか、病気がまだまだコジれそうです。痔ではなく狭窄症でもなく、別な方。つまり副甲状腺機能亢進症と、バネ指とか弾ぱつ指とかいわれ、通りのいい名では腱鞘炎ともいう……これが治る見込みは立たない、インウツです。

 

インウツな時はどうするか? パソコンをネットにつないでyoutubeで志ん朝の落語を聞く、落語は作られた陽気です。話を笑い、話芸にのめり込むと短い普通が通りすぎる。揃いもそろって嘘が嫌いな人ばかり出て来る話とか、病気を抱えた陽気な男とか……

 

実際にはいない人々の実際にはない話を聞く。嘘で膨らんだ風船には、針を当ててはいけない。演者の志ん朝が、自分の嘘に覚めて死んでしまったように、聞き過ぎると覚めてしまう。だから覚めない程度に聞く訳です。

 

落語で気持ちがフワッとしたら、少し陽気な音楽を聞く。フォルクローレとかバロックとか。間違ってもシャンソンやシューベルトは聞いてはいけない。選曲を間違えるとインウツがぶり返す。歌謡曲はワザワザは聴きませんが聞こえてしまう時がある。

 

志ん朝の落語では返事した時、返事した相手が好きな「はあーい」と返事した相手が嫌いな「はあーい」を分けて出します。あなたは「好きよ」という表情と「嫌いよ」という声は当然、違っている。これは普段、私たちがそうしている。

 

あるいはもっと、嫌いだけど好きなふりの「はあーい」をも言い分けている。脇で聞いていて「あなた、あの人が好きでしょ」トいうとびっくりされる方があります。本人は知らないで言い分けている……つまり自然に声に出ます。

 

むろん志ん朝はその辺を聞き取って、幾分おおげさに言い分ける。言い分ける事からユーモア、笑いに持っていきます。普通の落語家、特に若手の落語は何の表情もない、ただの「はあーい」ですから詰まらない。声がのっぺりしている。

 

それは私も、体調が良いとむしろ聞き分けが出来ません。悪いと敏感になり聞き分けが出来る。志ん朝体調がいいと出来が悪く、体調悪いと落語の出来がいい……ジレンマを抱えたように見えますねえ。他の人の落語は健康なのです

 

いい加減で適当な落語です。「はあーい」は「はあーい」でしかない。このように神経過敏に聞く落語が、いいのか悪いのか。私にも判りません。聞き過ぎると志ん朝のジレンマが感染する……そういう事もある気がします。お勧めはしません。

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 だから適当な所で適当な音楽に切り替える。この辺、私としては使い分けが大切な気がします……病気がコジれそうです。コジれたらコジれたで忙しい。それはそれなりに研究を進めますから忙しい、なあーんてネ。

 

●昨日の「井戸の茶碗」で江戸表屋敷にも清正公を奉った所があったらしい。熊本の花園町には清正公神社があって、これ撤回します。

2013年5月12日 (日)

井戸の茶碗

Sintyou 私は知りませんで……落語に「井戸の茶碗」がある。元は講談で「茶碗屋敷の由来」があって脚色があって井戸の茶碗になったトいいます。もっといえば講談と落語は同じ芸です。伝来話に主体、笑いに主体と枝分かれして、現在の落語と講談になった。

 

舞台が講談では江戸屋敷の浅野家、落語では肥後細川藩になります。どちらが本当なのか、落語講談の世界ですから作り話、どっちみちアテにはなりません。クズ屋の清兵衛さんが、清正公様の脇を通りかかる。つまり本妙寺あたりト場所指定が出ます。

 

今でいうと西区は花園町あたりか? 清兵衛は上品な娘に声をかけられる……いえ、上品な娘が出る話に合わせて、私が花園町の地名も割り振ったんで、花園町は現在の現実にもありますが、落語は細川忠興公の頃、作り話です。リアルには判りません。

 

だいたいこの17、8のキレイな娘は落語には出て来るが講談には出ない。落語でも名前もなく、いえ初期の講談には出ないが後期の講談には出るとか、説は色々あります。

 

何を割り振ってどう思うかは、私の自由です。講談もゆるやかに時代を下り落語になった。ドコからドコまでが講談で、ドコから先が落語と境目がない。花園町の坂を上ったり降りたりするト、先にも書いた慈恵病院があります。

 

慈恵病院の看護師はたいていベテラン女性。それはそう、病院の主な仕事が産婦人科なので、男だったり若い女性に看護師には向きません。しかし医師は女医がおられない。その辺は不思議ですねえ……落語では、ここで出て来るのは17、8の娘です。

 

浪人川村の娘は、古い阿弥陀仏を清兵衛に売る。浪人は落語では千代田といい、本人が売りに出す。この阿弥陀仏を清兵衛は、細川家の家来、高木という若侍に売る。講談では若侍は田中といい、像の中からは、どちらも五十両の金が出てくる。

 

川村だか千代田だか、浪人の先祖が仏像に金を隠した。そういう風習はあったんでしょう。腹篭りの仏像という言葉もある。仏像の中に小さな仏像を入れる事が行われた。だが一般には経を入れたらしい。浪人は返礼に茶碗を若侍にゆずる。

 

落語では単に湯飲みになります。これがタイトルであります。井戸の茶碗とは高麗茶碗をいい、実際には茶道に使う茶碗を指す。この辺の合理性には問題があります。しかし小判の返礼にとかたちばかりのお返しと、無価値な茶碗がここで出ます。

 

無価値と思われた茶碗は、さらに骨董価値があり300両。浪人はその半分を受け、また返礼が必要になる。若侍が一人身と知って、浪人は娘を嫁にやる。話全体からは花園町も娘もそれほど関係がない。最初と終わりにチラチラ出て来る、名無し娘の関係性は薄い。

 

ただ娘に町名が相応しい。ト私が勝手に町名を割り振ったように、仏像と茶碗を重ねて骨董趣味の演者が、話を作ったんでしょう。浅野家細川家の違いにも関係性は薄い。どちらでもいい。井戸の茶碗の一席、下記に引用します。

 ●志ん朝 http://www.youtube.com/watch?v=2lHYNJ5wiVk

2012年9月14日 (金)

舞台とリハビリ

Hira 能役者の飯本さんに聞いた。一番、大事なのは膝と言われる。正座が長時間は出来なくなる。重りを付けたソックスで回復を試みられたが、完全に元にはもどらない。油断だったという。

 

「これ以上、悪化させてはならない」話の様子から不真面目な感じはしない。能役者からの印象もあって生真面目な印象がある。そういう方にして、気がついた時は手遅れという事です。

 

ご承知のように私の障害は、股関節にありリハビリも下半身にあります。筋トレ室に行くようになって2週目で良い感触があって、2ヶ月でじわりと効いて来るのが判ります。しかし、それは上半身のこと。

 

早く効いた上半身は、具体的には杖を使う時に判ります。握力や肩の筋力からフラ付きが無くなる。それで足取りが確かになる。コケる率も低くなります。比べて下半身は効きが遅いのです。

 

――平幹二朗さんは舞台で、正座で長セリフを言ってから刀をつかんで立ち上がる。その演技が出来なくなったそうです。侍役だからヨタヨタ立ち上がってはマズイ。

 

飯本「それは戻られたのですか?」

 

――平さんの場合、単純に歩いて1時間とか1時間半、交換用の下着などを背負って歩いたト、汗かくとビル影で下着を交換したそうです。演技が戻った後の発言です。

 

年配役者が筋トレ、あるいは水泳をしたいう話はいろいろあります。森光子さんの立ちしゃがみ、吉永小百合さんの水泳……桃井かおりさんも宮沢りえちゃんを誘って水泳教室に行った話を聞きます。

 

飯本「私はもぐりをやるので自信をもっていた。自分はそうならないト……」もぐりとは何か、素もぐり、映画「グランブルー」で知られたジャック・マイヨールさんの、あの素もぐりです。

 

スキューバダイビングより奥が深いそうです。ただ冬はやらない、夏だけ、イベント的にもぐっても体力につながらなかったのかも……週2とか3とか定期的に体を使う。老齢化するとそこが問われます。

 

飯本さんの能は十分に効いていて、印象的に発声で言葉が明瞭、営業に役立ったらしい。立ち振る舞いも年齢を感じさせない。ご両親が90代まで健康だった、遺伝的にも丈夫でおられる。

 

それでも油断がなければ、もっとイケタろうト、そういう話であります。そうすると、私のまとめとしては50代になったら油断できない、そういう話になります。

 

ただ50代まで油断した人は60代になっても油断を続けるでしょう。歳になったら油断を止める。そうはならない。リハも2年続けると、また少し変わる。健常な場合も2年後というとガッカリされる。

 意欲が続かない。もう変えまいと思う……仮に変ったとしても、まだ甘い。私も甘いかもしれない。生き方の地を変えるのは、それほど大変ということです。

2011年2月24日 (木)

樋口強 笑いは最高の抗がん剤

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漱石の「我輩は猫である」は落語をとのコンセプトで始まったト、私は見ています。このブログもその感じに習って始めました。つまり障害者問題を笑ってやろうトいうコンタンでありました……ただそれは不謹慎という面もあったのです。

社会人落語という分野があって樋口強さんは協会副会長です。氏には落語や笑いで、ガンから生き延びようというコンセプトがあるのです。むろん細部は違いますが、大筋は私と似たような物です。その樋口さんの「笑いは最高の抗がん剤」という講演を聞きました。

1952年生まれ、75年東レ入社。96年肺の小細胞がん発見、01年に独演会を開催という人生。現在49才、樋口さんは一番大切なのは家族という考えに至ります。忘れましたが50前の感じには、そういう面もあるのかも知れません。

落語という芸能は死と隣り合わせ、三木助、枝雀、他にも自殺で亡くなった落語家も、がんで亡くなった落語家もあります。漱石なども学者として終ったから作家になった所があります。樋口さんの中には、がんと一緒に何かが死んだのかも知れません。

樋口さんは家族大切を強調されまして、後に立った若い医師は「やり難い……がんは本人も大変と思う」言われていました。場内からは笑いがあった事は言うまでもありません。それは兎も角、主張はある程度、反対の主張もないといけません。

自殺したくなるような深刻な受け止めがあって、その裏側に笑いの受け止めがある。お笑いブームも長く、落語の流行も随分続いています。そうしますと、そろそろという感じがある訳です。

6月に熊本市では志の輔さんの独演会があります。売れっ子、志の輔やっとの生な訳ですが、私は少々気が抜けています。映画「歓喜の歌」ビデオ「志の輔らくご」をそれぞれ3度見ますと、私の中でのブームの終わりを感じます。

年齢62才、今の所、私は違いますが家系的にはがん、がんの性格や場所にもよります。あまりバタバタしたくない。がんの受け止めも出てきます。抗がん剤はいらない。和田勉さんのやり方ですねえ。予定と本当にそうなった場合も違います。

実際は私、書いたのと全く違ったナンテ事もありうる……それはアリという事でのこのブログ記事と、お願いしたい。正直いいますと股関節の具合もそれほど宜しくない。少し歩き過ぎるとヒリヒリと痛む状況で……こういう時はこういう風に書きたくなります。

それやこれやも含め、がん治療の患者さんと身障者いうのは共通点があります。同じではないが似ている所がある。一緒に頑張りましょう……おっと患者さんにガンばるは禁句だそうです。

樋口強さんは「頑張ってね」はいけない。「頑張ってるね」間に「る」を入れるといいそうです。似たような事は私もいいました。ガンバれる人は頑張って、頑張れない人はもうガンバらないで、それでも頑張って!

2011年1月20日 (木)

和田勉さん

Wada

和田勉2011年1月14日に食道上皮がんのため神奈川県川崎市の老人福祉施設で死去。80歳没。なお、がんと診断されたが手術や延命治療を行わず、約3年間病院や老人福祉施設で闘病生活を行っていた。以上はウィキペディアから。

クローズアップを多用したカメラワークに特色があって、人物の表情、感情を視聴者に確実に伝えた。ドラマは映画と比べると主観的、判り易い内容にはなった。しかしNHKを止めた後の作品、映画監督作品では上手くいかなかった。

映画は判り易さだけでは出来ない。手法は客観的真実、深い意味の表現につながらなかった。ドラマ「修羅のごとく」は評価と不評の分け目にあり、視聴率は高かったが内容には矛盾があったという。

「修羅のごとく」の矛盾は脚本段階からで、主演俳優が途中で降りたとも言われる。タレント、コメンテーターとしても活躍。熊本市の風景は空港に向う道路、唐人町の三角美術店、熊本城の石垣が三大と言った。写真は89年前後。