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2014年5月20日 (火)

三島文学と裏付け

Kinkaku

伊藤洋一さんが古典の推薦を求められ、三島由紀夫の「春の雪」を推します。そして2番目は潮騒です。理由は文章の美しさ……三島入門の著作として、私も全く異儀がありません。では三島の一番、重大な著作は何か、それは春の雪や潮騒とどういう関係にあるのか。

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「潮騒」は三島が地中海を旅行し、ギリシャ彫刻に着想した作品とされる。地中海を瀬戸内海に置き換え、理想的な若い男女の関係性を探します。三島自身の事実はご存知のように、同性愛にセンスがあった。事実と小説では違います。

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春の雪は「豊饒の海」四部作の初作で、これは正に美文なのです。しかし続く3作の評価は低い。豊饒全体で何を書こうとしたか読み取れない人まである。そもそも三島文学は主張内容から何だったのか。そういう疑問を想起させる。

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その意味で次の重要作は「金閣寺」です。これは放火事件をモチーフにした小説で、潮騒のように事実との類似と違いが隣合います。主人公、三島は自己のこれまでの外側を溝口に反映させ、もう内面を柏木に反映させる。そして理想的な鶴川青年を配置する。

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金閣寺の執筆前から、三島はボディビルを始めており、これまでの貧弱な体からの脱皮に成功している。ボディビルの成功から剣道への着手、剣道の成果は居合へと展開される。金閣寺にはそういった成功、あるいは予感に裏打ちされた自信によって書かれます。

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金閣寺に比べれば、潮騒は表面的でアイデアの域を出てない。瀬戸内海を取材したそうです。つまり金閣寺は題材と別に、自己内面を3人の青年に分けて作り変える。手の込んだ手法に成功します。あまり間を置かず書き連ねる。

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地中海を瀬戸内に置き換えたのもある意味でのドキュメンタリなら、これは別な意味のドキュメンタリになります。潮騒ほどの美文には、金閣寺がなってないとすると、その原因は金閣寺は現在進行形で書かれ、そこまで美文に整える余裕がなかったからでしょう。

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現実の犯人は自殺しようとして失敗するのだが、三島は小説の主人公に「生きてみよう」と思わせる。まだ自分は成功の途中にあると考えた、三島の率直な声だろう。裏づけは事実を持って来てもいいし、理論や哲学や、もっと曖昧な教えであってもいい。

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ただ教えはあいまいで試している間に失効もする。ボディビルや剣道は三島の身体を作り変えはしたが、生き方や信念には結びつかなかった。今、考えれば当り前だが、それは最近、判った事です。中近東に飛んだサヨク青年もあれば、北朝鮮にあこがれた青年もあった。

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それは時代の限界です。三島も全学連の集会にゲスト参加している。彼らと共に……とは思えないが、ウヨクもサヨクも、思われるほど違いはない。春の雪の美文は、三島の裏づけが伴わなかった事を意味し、豊饒全体の失敗は、その美文さえも力尽きた事を意味する。つまり「生きてみよう」とさえ思わなくなった。

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三島はボディビルや剣道の向うに何を、いえ三島文学は何を求めて展開していたか。三島文学のドコに、それはどのように前ぶれされているか? 興味深いと思いませんか。それを書くには私もまだ準備不足です。いつか書きたいとは思うのですが……

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2014年4月30日 (水)

ピカソ 版画展

Mazusiki

何度も結婚する人は、いるもんです。ピカソには3人の女性の間に4人子供がある。愛人も多かったそうで……モデルに雇って描いた訳です。描いてからヤルか、ヤッテから描くか……失礼しました。どんな時も一人でいられない人でした。

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日本では先にビッグダディが4回目の結婚をした。それで20人目の子の父になったとか? そういう連続ドキュメンタリの主人公のことが話題になりました。どういう人か、TVを持たない私には詳しいことは判りません。

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映画界でクリント・イーストウッド監督は6回とかの結婚暦が有名で、子供の数はビッグダディに負けますネ。結婚回数はエリザベス・テイラーさんの7回があって、簡単に達成出来ないウルトラセブンといわれてます……また失礼しました。

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結婚回数や愛人が噂になるのは関心があるからで、一般にもある種の充実と見られる。性体験あるいはその反芻によって人生を計る。ある意味の比較が行われてるト思われます。ピカソは女性にまめでモテる言うことではなかった。

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ただ絵に関しては最初から、ある程度は出来、その上に急速に手を上げた。器用だった。技術的な側面の大きい版画は、ピカソの持味に合っていた。コントロールがままならない版画は巨匠の意欲を、逆にあおったのでしょう。

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版画とそれ以外の絵では構図に若干、違いがある。版画には自己と言えないのも含め画家が写し出されています。「人生」は当初自画像が入る予定だったが友人に置き換えられる。またモデルだけを切り離すと版画以外の絵になります。

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人の意欲の三分の二が性欲といわれる。恋だとか愛だとか言い変えても、人の欲望の大部分が性とのつながりにある。性欲も関係で、ピカソはその関係をどう捉えたか、原型は版画の方にある。個人的な話で恐縮ですが、物書きのモノは印象が薄いです。

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私は書いたモノの知名度はなかなか上がらず、記事に添える写真を撮るようになってカメラマンとして目立ち印象が深かったという。あとコーヒーが入れられ、出前コーヒー屋の印象はさらに強い言う話です。物書きの才能は極めて低いことが判りますネ。

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ピカソの話にもどります。版画におけるピカソは自己と女性の間を多く描いた。つまり男としてよくある事です。その画家が牛だったり醜かったりする。優越感は劣等感と裏表でどちらか片方はない。強い劣等感が、才能を育てているト指摘しましょう。

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タブローについては2007年にピカソ展があって、このブログでは10月29日などに扱っています。学芸課長、村上さんのお話はピカソ、マザコン説がありました……うーん、マザコンは男女共みんなマザコンでその現れ方が違うだけ。前回コンプレックス説の方が面白かった。

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●TKU主催5月18日まで http://www.tku.co.jp/web/ai1ec_event/picasso2014

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2014年2月15日 (土)

織作峰子さん

Orisaku織作峰子さんは美人カメラマンです。それは女性は誰でもそれぞれに美人といった、軽い意味ではなく、撮影モデルのほとんどを食べてしまう。写真は、ある意味でカメラマンの自画像だが、あれではセルフポートレートでも取る他に、自画像も出来なかろうト……そう思える美人です。

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昔、その織作さんの講演を聞いて引掛った。で、何に引掛ったか考えたが、さっぱり判らない。織作さんの師匠という、大竹省二講演会にも出かけてみます。大竹さんには、それはそれで納得しますが、命題は解けません。画像は大竹さんと織作さん。

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それで命題を諦め、どこかで織作さんの最初の傑作という、アクビ美人を見ます。それで「ああ、こういう事か」と納得します。あくび美人というのはモデル撮影会のあらかた終った。で、疲れたモデルがアクビした、その一瞬を捕らえたものです。

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これはアクビが出る前にカメラを構えた構図の準備、モデルの疲れに共感した感性と、偶然を反射的に捕らえる運動神経が必要になる。つまりカメラを学習して写した写真ではない。謎はひとつ解けると次の謎になって行きますが、織作さんはなぜ、そんな配慮を知っているのか?

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人が配慮を知るのは幸福からではなく自らの不幸からト……誰かそんな警句を言った。だが誰かは忘れます。面倒なことは忘れるに限る。講演は終ったし、幾ら美人でも、もう知ったことではない。そして何十年も経った先日、ラジオで織作インタビューを聞きます。

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晴天の霹靂、織作さんは投槍の体育少女である前に、美術少女だったという。近所に画家が住んでおり、その画家に習ったと言う。通知表で絵は評価5だったそうな……つまり絵筆をカメラに持ち替えただけ、構図の作り方も判っていた。

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ひとつ解けた謎は、また次の謎になっていく。この人はなぜ、そんなに美術が好きになったのか? 傍証になりますがミスユニバースに応募したのは友人でした。本人も了解してのことですが、まさか受かると思わなかったので、そう理由付けされている。

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それは前から言われ、私はよくある謙遜と思っていました。織作さんは体も大きく声もよく、それがいかにも美人のそれ……なのに自分が美人とは思われなかった……不自然です。まだ引掛かる。またそれで考えるが、さっぱり判らない。

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ト、話はここまでです。この先はない。もし先があるとすれば、ですが……織作さんは幼い時に、何かあったのではないか。例えばですがお母さんが亡くなられたとか、良くないことが何かあった。そんな気がします。

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発表の写真を見ると子供のほかに……女性は誰でも子供を撮るのが上手い。ほかにお祖母ちゃんの写真に特色が出る気がします。織作さんの近作は桜、山の中に1本だけ咲く桜とか……つまり一種のお祖母ちゃん写真です。どうなのでしょうか?

2014年2月14日 (金)

サイケデリック

Saike性が生きる意味の大きな部分を占める。そして、その後の子育てになる。大きな宗教の根はひとつで、諸悪の根源を性に見ています。ただ仏教は別で、仏教は性より生に根源を見るのか?

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盗むな殺すなという原則的な悪も、理由を問うと性につながる。カネがあれば自分も、もう少しモテるかもトカ。それを理由に泥棒にトカ、お金持ちを殺したとか、そういった事件になります。

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先の大戦後、聖書に書いてある事は違うんではないかト、言われます。ベトナム戦争で米国が負けますしね。男は女性より偉いとか、白人は黒人より偉いとか、これまでの常識が変わります。

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深く宗教を信じていても、運悪く病気になったり、事故に会うことがあります。何のために教会に行くか、そういう不幸に会いたくない……信心の理由と現実の不合理も明確化して。これを不条理といいます。

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ちなみに11才の私は、あまり信仰していません。病気から身障者になりました。私の若い担当医は、それで不条理を感じたようです。神と人間の合理的な関係が問われるようになります。

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時代の風潮は時々で変わりますが、この流れ、方向は変わらず逆流はない。その中で私は、流れの生き証人になった気がする。信仰を否定した訳ではないが、あまり積極的に信ずる気にはなりません。

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町を歩いていくと人がいいます。あなたが悪かったから、そういう事になったのだ。信仰しなさい。子供が私を見ます。お母さんが子供にいいます「見ちゃいけません」ト、私には世の中が、しっくり来ません。

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身体障害は死にかけ、その死にかけた跡が残った。そう言っていいでしょう。ある意味で死後の形になります。しかし一度も死にかけた事のない人は、死をそういう風には見たくない。 これは仏教も含みます。

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その人なりの違う考えがある。性は妄想を伴ないます。妄想は罪悪感の元となり、聖書では人間の罪をここに置く。著作のネタとしている……2千年の時代が下って色んな事が判ってくると矛盾も出てきた。

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どんなあの世も妄想なら、神との決りも妄想ではないか? そういった考え方が出ます。夢や麻薬からの妄想とこの世界は、根本的に同じではないか。極端にいうとそうなります。

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そういう考え方を、サイケデリックとかシュールレアリズムと呼びます。無意識という意味です。実現してみせると差し障りますので、絵や文学や映画に作品として出す訳です。これは身障の私には合ってました。

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親のような神がいて、子供のような人々を、いつか何処かで公平に裁く。あるいは安らかな死後に導く、そういう世界観から見ると、これらの作品は訳が判らない。まるで性の妄想のように、世界を不思議へ導いてしまう。

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お母さんが子供にいいます「見ちゃいけません」ト、私には世の中が、しっくり来ません。

2013年10月22日 (火)

劇団夢桟敷 遊戯療法

Yumeアートプレックスくまもとで劇団夢桟敷が「遊戯療法」いや「療法遊戯」どっちだったか。本公演の予告のような劇をやります。座長とおぼしき年配者がプロローグの案内し、観客はそれに従う。実は公演では天井のない中庭を使う。(振らなかったが予報では雨)
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観客に移動を要求する。昔はこういうの前衛劇と言いました。今は取り立てて言いませんが、客を選びますよねえ……4人連れの中国人は大きな声で話していたが、始まる前に席を立ち、それぎり帰りません。20代とおぼしきカップルも始まって10分くらいで出て行きました。
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寺山修司さんの作風はこうです。ミズエは1と書くつもりだったのに手が書いたのは2でした。「赤糸で縫いとじられた物語」意志が本人を裏切るのではなく、手が本人を裏切るイメージ、それが寺山さんになります。
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自由になりたい。その思いは強いらしい。でも何から自由になりたいか、それは判らない。意志に従うのではなく手に従えば自由になれる。机の上で字を書くのではなく町の文房具屋に、違う鉛筆を買いに行けば自由になれる、そう思うようです。
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三代前の祖母を殺せば自由になるとか……幻想の中から自分が始まる。母も家族も置き去りに、どこかの町で生きる。自立自活的な意味でですがイメージは、そういう事はありました。心理とか前衛とか言っても基本は芝居です。
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漱石の「坊ちゃん」は母が死んだので、清を母に見立てて同居したいんで、そうなる所で終わります。三四郎とかそれからも、結局そういう試みではなかったか? 寺山さん逆で、お母さんを置き去りに自由になりたかったト思う。
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書を捨てよとか言うけど、あれは母のイメージです。それが出来なかったので三代前のとか、言い出す。芝居に行く事が、常識とか明日の予定をチャラにして、役者の衣装と化粧の匂いに酔いしれる。あれは女性の世界です。
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衣装を着てポーズを作って、アクションを入れてセリフをいう。セリフは言う前は明々、自分の言葉ではないのに言った後で、不思議にも自分の言葉になって行きます。私もライブのディスクジョッキー等、訳の判らない事をしていた関係で、その辺りは多少、覚えがある。
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曲名とか演奏紹介は違うけど、内容の話は少しづつ形を変えた自己紹介になっていきます。芝居の独白はあれは自己を語る場面ですネ。この夜も誰か、女優さんがモノローグをやってましたね。
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寺山さんの自由のイメージは精神病院にも近いらしい。町には患者とも医師看護師ともつかない人々が行き交っていて、行けば自分も入院あつかいで直してもらえる? 本当の精神病院は払いが大変らしい。(画像はちらしよりコラージュ)

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●劇団夢桟敷公演 遊戯療法 レミングより 2000円
11月28日~12月1日 河原町ギャラリーADO 090-4581-5190

2013年10月 7日 (月)

山下清 展

Kiyoshiこの半券チケットは拾ったもの。身障者入場に半券はありません。チラシにもポスターにもあるこの絵は、山下清さんの代表作「自分の顔」「長岡の花火」2枚をコンピュータ合成したものです。場内で半券は届けず、ちょっとスーベニールにもらって来ました。

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そういう訳で贋作の半券絵を探してもあ会場、どこにもありません。原作の「自分の顔」「長岡の花火」の2枚はちゃんとあります。どうしても見たければ頭の中で合成するしかありません。ここがちょっと面白かった。行かれた人は納得されましたか、それとも違和感がありました?

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この宣伝に作られた、画像で判るように、実際の絵はそのままでは足りなくなっている。言っては何ですが時代の流れに絵が古くなったトいう事でしょうネ。そんなバカなモリジアーニやピカソ、それに山下清さんとも比較された、ゴッホやルソーが何時、合成されて宣伝された事があったか?

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何か違うのではないか……そういう意見には一理あります。最初にゴッホを引合いに出したのは梅原龍三郎さんですが、これはちょっと褒め過ぎた。清さんは知的な構成力には欠けており、誰のアイデアか知りませんが、今回展でも補われて原作を越えたト言わざるえない。

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昭和に良く合った、清さんの作風は昭和だから愛されました。素朴で生真面目でひたすら根をつめた絵ではあるが、心に裏表のない。難しい事をしない作風は、平成には合わなくなっている。絵葉書でもコピーでも、何か一枚買うとするなら、合成と判っても、半券絵が欲しい方はあるでしょう。

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清さんの絵は普通の絵ではなくプリミティブ・アートと言われる。そのジャンルに属して原始的造形と言われます。身障者だけでなく未開民族美術もそう言われる。未開美を手仕事で再構成したのがモジリアーニ、ピカソ、ゴッホでした。好意的にいうと清ポスターでのコンピュータ役を、彼らが手で行った。

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悪くいうと、彼らの芸術も盗作に過ぎません……がネ。誰が何といおうと清さんの絵に引き込まれる物がある。それは判り易いキャッチフレーズがあると、より入り易い。画家というとゴッホしか知らなかった時代にあって「日本のゴッホ」のキャッチフレーズで引き込まれた訳でしょう。

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小林桂樹さんの主演で「裸の大将」が映画になる。有名にならないと絵が売れない。絵で食えないと困るのは清さんでした。身障者のプリミティブ・アートもレコードジャケットやカレンダーになれば、それでは食えないでしょうが画材くらいには化けます。

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新作映画では音楽家の石川浩司さんが清さんを演じる。映画でもドラマでも止まる事がない。今回展でも使われた「放浪の画家」も清さんのキャッチフレーズだが、行方不明だった時期は1940年から54年と短く、生涯放浪を続けた訳ではない。だがイメージで商品化されます。

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売れないよりは売れたがいい。しかし清さんは放浪中に絵を売っていた訳ではない。日記はあったが、実は絵はあまり描かれていない。今はコンビニ弁当など、それなりあるが、戦争をはさんだ時代は無銭旅行、信じ難いが食べ物ももらっておられた。飢えた戦争孤児も沢山いた時に……人徳でしょうなあ。

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清さんは晩年、弟さんと同居、享年49才でした。知的障害も身体障害も個々の事情は違うが、およそ体を動かすのが苦手になります。それで清さんも高血圧から眼底出血で、まず目が悪くなり次に脳出血に倒れられる。小林さんから石川さんまで清さんのイメージである、あの体型が清さんには命取りになります。

●熊本県立美術館 障害者の日は11月18日(月) http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event_cal/pub/Detail.aspx?c_id=10&id=23&type=top&trk_kbn=A

2013年8月30日 (金)

マンガとアニメの表現

 Kennetu様々な問題をめぐって「はだしのゲン」「風立ちぬ」がそれぞれ話題になっています。私はどちらも見ていない。はだしのゲンについては発表当時、噂は聞いており、読みたいとは思った。どうしても読みたいとは思わなかった。風立ちぬについては今、現段階でそういう受け止めです。

 

マンガやアニメには昔から、そういうスタンスです。映画や文学に比べると関心がうすい。どうでもいいトいう事でもないが結果からいうとそれに近い。その一方で矛盾はするが、どちらも題材が特殊で他に類がない。見ないより見たがいい、そう結論も出ます。

 

私はリベラル寄りです。保守化といわれる最近の傾向には、感覚的に付いて行けない。ただし、このブログにも書いているように、三島や川端さんの文学はよく判る。公房はともかく大江さんに比べると、むしろ共感します。二人とも札付きの保守です。

 

民主にも共産にも共感はない……というと本当の本当は、中立ではないのか? まあ、そうも思います。はだしのゲンについて調べると、初出の「少年ジャンプ」の当時からそんなに人気はなかった。編集長が特別視して連載を続けた。そういう経過がネットにあります。

 

風立ちぬに関しては、宮崎アニメではあるが子供向けでは必ずしもない。宮崎作品としては最後になる可能性も……という事で一番人気、そういう作品でなければタバコシーンが多い事も問題にならなかった。映画としては面白いけど玉にキズ、そういう可能性がある。

 

私はタバコは吸いません。若い頃は吸った時期もある。よく言われるようにタバコのタの字も見たくない。今は脇で吸われるのは迷惑です。強い嫌煙の傾向にあります。一度も吸ったことのない人のように、ゆるい嫌煙家ではありません……アニメ見たら嫌になるかも。

 

私はそうですが、一般論としてこの映画も機会があれば見ます。ケムそうだから見ないとはしません。監督の宮崎さんは愛煙家でしょう? 昔はタバコを吸うのが普通というと何ですが、喫煙権が確立されていた。監督としては時代への郷愁もあるのでしょう。

 

で、出してみたら叩かれた。首を縮めておられるのかも……自民、公明、その他保守支持の人たちも、民主のつまづきに乗って一気に保守化を狙ったら、思ったほど全体は保守化しない。好みの分かれるマンガに封をしようと思ったら、逆風を食らってしまった。

 

言ってはいけないが、そういう共通性は感じますねえ。私? 私はこのまま、世間がどうなろうと私は私、変えようがない。代わりようもない……東日本が大変でも原発が怪しくとも、ある意味では平和です。何だかんだ言っても他にネタがない。そんな所ではないでしょうか?

 

 

2013年8月16日 (金)

モーツァルトのメヌエット

Mozart音楽に寄せる思い出は切ない。気取る訳ではないがモーツァルトのディベルトメント、喜遊曲というと……馴染みなく見えても俗にいうモーツァルトのメヌエット。それも知りません? いえ聞けばアナタも思い出す、K334は名曲との評判が高いのですから。

 

 

 

私も小学校で聞いて以来、どこかで聞いた曲として、認識はあったものの、長く思い出せない。334の作品番号はモーツァルトの青春期を指します。モーツァルトといえばマリー・アントワネットに恋したとか言われてますが、実質な恋愛感情だったかは怪しい。

 

 

実質的には従妹との恋愛でしょう。作品はその時期に重なります。ただ本当に内容の反映があるかどうかは知りません……華やかで軽やかな曲に、初体験が重なるようなメヌエット、聞いて得する聞かずに損する。別にアーティスティクな曲でもなく……

 

 

 

私も小学校の頃は音楽が得意ではなく、ドの音がレともミとも区別がつかない。つまり音痴だった訳です。中学生になって再発して入院し、それが一番長い入院になる。この時期にFMで聞いたクラシックの、モーツァルトはそれは切ない。

 

 

 

人がみな春を謳歌する日に、ウツウツとして病室にあれば、生きているさえ恨めしい気がします。ただ、この時は病名も明確に、死ぬ事はないいう意味では気が楽でした。しかし曲を最初に聴いたは小学校のどこだったかは思い出せない。それで番号だけ記憶していました。

 

 

 

ブックオフの100円セールのCD棚に、K334を見た時には曲が思い出せない。人は忘れるもんです。幼児期も少年期も、青春は誰の上をも過ぎ行き、2度と帰りません……何かいわれがあったような、記憶も思い出せず……それだけで買うのです。

 

 

 

この曖昧では3400円のCDは買いませんでしょう? 廉価版2000円でも1000円でも買いません。100円だから買う、これは私の懐状態の反映でも……アナタなら違うかもしれません。いえ失礼、大きく違いましょうね。アナタはクラシックのCD、何か買いました?

 

 

 

まあいいか! カーステレオで、アアあれかト再度、思い出す。それで曲調から言って運動会のダンス遊戯とかに使ったのではないか? それで特定の女の子を思い出されます……指の感触が蘇る……むろん小学校時の、従妹ではなくマリー・アントワネット状態ですがネ。

 

 

 

思い出しませんか? そういう名曲ゆえ、どこの小学校でも使ったと思われ、アナタが手と手をつないだ子が誰だったかは、むろん私の知った事ではないが……そういう事はアナタにもあったと……思い出せませんか。

 

 

 

●モーツァルトのメヌエット http://www.youtube.com/watch?v=ASeax-zxPKI 

 

 

2013年3月25日 (月)

音楽とのスタンス

Kobayashi小林亜星さんがコンサート宣伝にラジオに出られます。どういうコンサートか言うと童謡です。亜星さんの話では「童謡には普遍的な価値がある、それを見せるから来てくれ」簡単にいうとそういう発言に終始されます。

 

私は童謡は好きでない。先日、ある綜合病院に行ったら、突然、待合でミニコンサートが始まります。それは医学部の学生さんの発表会で、ほとんど童謡です。一部ニューミュージックも入るが、本命は童謡を弾くらしい。

 

私は童謡より亜星さんのCMの方がいい。日立の歌とかブリジストンの歌とか、あれはいいです。童謡は意味の判らない歌詞で馴染めません。医学部のそれは童謡を歌わない。クラシック弦楽器で演奏しました。

 

だから歌詞はない訳ですが、聞いていると呪文のような歌詞がまつわりついて来ます。ふるさととか、赤とんぼには、怨念や悪い状況が染み付いて聞こえます。メロディは似ているけれど亜星さんの、日立やブリジストンの歌に怨念はない。

 

亜星さんには悪いけれど子供に童謡なんて、聞かせるべきではない。そう思う私は間違っているでしょうか? でも楽器はクラシックのバイオリンとかチェロ、ビオラですから、バッハとかクラシックを弾くのが本筋でしょうネ。

 

「G線上のアリア」とか「主よ人の望みの喜びを」とかは難しいからだと思います。ちょっと聞きたかったが、殴られそうな気がして聞きせんでした。私たちの世代は、子供の頃には亜星さんのCMを聞きます。

 

大学生になった時に同世代音楽としてフォークやニューミュージックも聞きます。森田童子さんの「さよなら僕の友達」ユーミンの「私のフランソーワーズ」……そういうの聞くと宿題が出ます。

 

「さよなら僕の友達」に「君の居なくなった部屋にチャーリー・パーカー、見つけたよ」という詞があって、ジャズがどんな音楽か知らなければなりません。まあ、パーカーさんでもマイルスでもコルトレーンさんでもいいが、聞いてみない事には話にならない。

 

フランソーワーズはシャンソンです。フランソーワーズ・アルディさんのこと。まあ、これもジェーン・バーキンでもセルジュ・ゲンズブールさんでもいいが、何かそういう現代シャンソンを聞かない事には話にならない。

 そんなに色々聞いてどうするか? 気持ちに合わせて聞き分ける。ジャスを聞きたい気分と、シャンソンを聞きたい気分は違う。つまり今の気分のを見極め、聞く音楽を変える。心をコントロールする。それが私の、いえ私たちの音楽へのスタンスです。

2013年2月 6日 (水)

松元伸之介さん

Matumoto_4 聞いてませんが、大原美術館展シリーズを書いたからト思う……松元伸之介さんの、このカレンダーを頂きます。松元さんは89年生まれのイラストレーター、自閉と知的障害を言われた人です。

 

ご覧のように動物が好きで、大きな動物の形をした乗り物に、何10種もの小さな動物が、左向きに乗っている……これが典型の絵を描かかれる。描き方でいうと肉食動物が好きなのか? トラとかライオンが優位に描かれる。

 

竜の時もある。画面はどこも同じではなく、向って左上に優位な場所があり、絵の眼目になります。そこに何が描かれるかで画家の意図を読みます。例えばこのブログでも左上に、象徴的な画像を出しています。

 

画像は右上でも左下にも出せますが、左上の画像がいい。私は意図的に行いますが、無意識つまり自然に行っても結局そうなる。これが絵の不思議なところ。松元伸之介さんも左上に一番好きな動物を描きます。

 

その位置はトラや竜、ライオンである事が多い。動物群は単に群れとして描かれるのではなく、多分ですが松元さんの分身、トラに率いられ左を向いている……トまあ、読む訳です。

 

同じように動物と乗物を描いた、ジミー大西さんを連想させます。なぜ動物なのかト考えて、推測に推測にを重ねてもどうなのかトも思います。大西さんの障害症状は軽い気がします。私が壁に貼っているのは大西さんの「LOVE」シリーズの一枚です。

 

これは結婚が決ってからの絵で、やはり画面の向って左上に自画像がある。右上には奥さんらしい女性の顔がある。「LOVE」シリーズは二人を描くので、動物や乗物は友人関係を意味します。大西さんの最初の絵には、乗物や動物だけの絵がありました。

 

シリーズでは主人公は、はっきり自分で、ついで女性、自分たちを幸福に包み、取り囲む世界として描かれる。それが見る者も受け入れ幸福に変える。つまりジミー大西はもうお笑い芸人ではなく、自信を持って芸術家になった。そういう意味があります。

 

大西さんはどこかに行って旅先で描いた、着想した物は現地で画材を出し、色を決め、帰ってから仕上げる……本人発言でそうありました。旅先で受けた刺激が絵になるいうのは、山下清さんがそうでした。松元さんはどこで何に刺激を受け、絵を描いているか?

 

私には判りませんが、バスのような乗物での、通所かよいではないか? 動物たちはバスに乗ったように左向きに並ぶ……映画や舞台でいえば下手に向うことを意味する。映画では約束、下手は帰る意味がある……とすれば、通所から家に帰る途中のバスと読める。

 

松元さんは通所先での仕事より、家でリラックスされた方が楽しいのか……このように、あまり読み込んでの鑑賞は適当でないのか? 私には判りません。ただ松元さんの絵には背景がない。背景は周囲との関係性が薄いから、そう思わせる。

 大西さんの絵も周囲との関係性から、複雑な発展、展開が見られます。それが幸福感につながり、芸術的な価値にまで高まる。若い松元さんはもっと色々に、自分を展開して行くのでしょう。イラストももっと広がって行くと思われます。

ソニックジャパンは複数の保険会社から、客様に合った最適商品を勧めるという総合保険会社、ソニックジャパンでは当カレンダーの製作費の一部をスペシャルオリンピックス日本に寄付した。