芸術 Feed

2017年3月29日 (水)

車中泊から

Syatyu

 震災以後、クルマは宿泊の場として見直された。緊急時、何かあった時、臨時の泊場と意識されると、平常には更なる注目された。震災と関係なく安上がりな娯楽と意識される。

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 2方向があった。いざという時、近くの公園や林でのキャンプを実行するには……一度はキャンプ場に行ってみなければ実用にならない。スムースに火が起こせ、飯が炊けないと話にならない。そういった意識がある。

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 もう一つの方向は道の駅などに車中泊する。宿を取らなければ物見遊山も安く上がり、もっと気楽も出来る。狭い軽車であっても最新の道具を使えば、それなりの事は出来る。百均の店頭で、ふと気がついた人がいた。

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 マキを数本拾えば湯が沸かせる。そんなストーブが作れる事を、ご存じだろうか。ロケットストーブとかエコストーブと言われる。買うのでなく手作りで作るストーブが話題になっている。エコで効率がいいとされる形式で、ガスを使うのとでは良い対照になる。

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 カセットのガスコンロは2600円からある。これ一台でコーヒーはむろん麺類もカレーパックも温まる。何なら米から飯を炊いてもいい。ただし車中泊でスーパー、コンビニに寄って半額処分を狙う方に人気がある。

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 車中泊とは、夕暮れに夕日を見ながら酒を飲む。後は読書とかゆったりする。ノートパソコンを持って行って映画を観るのが一般ですね。寝袋から計算すると何なのだが、一回あたりの費用が千円しない場合もありうる。つまり旅館施設を使った時の費用は十分の一か?

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 この2つの方向の間にキャンピングカーがあり、軽車の改造がある。そこまでいうと大袈裟かもしれないが、別荘を買うような意味付けでクルマが選ばれる。努力で別荘が買える時代は終わった。生きる意味を謳歌するに、それほど高価な沢山の物もいらない。

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 私も昔、少しだけやったことがある。屋根の空く車に乗っていて、望遠鏡を積んで星を見に行く気だった。中古の望遠鏡が五千円からあった。望遠鏡を買う前に裸眼でも見える、ほうき星を観に行く計画を立てた。

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 男の友人に話すと、どういう訳か女性の友人から「連れて行け」と電話がかかった。下見もしてないが多分トイレに困ると思った。

「バケツとナイロン袋でもいいのかい」聞いたら話はオジャンになった。

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 こういう事は女性に出来ない訳ではないが、それなりのリスクがある。男でも人によっては向かない。その夜、田んぼの脇の小道でクルマの天井を広げて、ひとり私はほうき星を探したが、見つからない。つまり体験不足だった。

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 この話にはオチがついた。部屋に帰って窓を開けた時、視界ギリギリに奇妙な星が見えた。まさか! 気になって磁石で方向を探ると、それが問題のほうき星らしい。カメラを窓枠に押し付けながらタイマーでシャッターを切った。

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 電話をかけてきた女性とは違う女性に、私は取った写真を見せた。いや見せる気はなく見られてしまった。

「ああっ」際どい声がもれた。

「構図が悪いんですよねえ。何だか分かりますか?」そう聞いた。

「分かりますよ、撮ったんだあ」彼女は暫し写真に見とれた。

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 それなり私は中古望遠鏡を買わなかった。知らない道にクルマまで止め、泊まるのはバカバカしい気もした。焼きたてパンとパック牛乳なら、別に温めなくとも食べられる。コーヒーだって自販機がある。股関節に悪いというので酒は飲まない。

2016年10月25日 (火)

ディラン

Goho

 ディランさんはハリケーンの入ったLPを洋盤で買った覚えがある。ほとんどの曲にバイオリン伴奏の入ったヤツです。おかげで歌詞はさっぱり判らなかった。地震でどこかへ行って見つからない。

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 ノーベル文学賞に米歌手のボブ・ディラン氏が選ばれ、氏が素直に受け取るかに注目が行きます。これまでの受賞は小説家や劇作家、詩人に限られたが、スウェーデン・アカデミー側が文学の概念を拡大した。

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「歌手というより、歌詞ではないですか? なぜ違和感があるのか違和感」との賛成意見もむろんあるが、日本から上がる声の圧倒的多数は、
「村上春樹はなぜ賞を取れないか?」です。(画像は幻、誤報から)

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 立場にはないが書いてしまおう。同賞は革新的の成果を認める事が多い。ディラン氏の受賞はまさにそうで、大江健三郎さんの著作内容もそうなら、川端康成さんは手法が特にそうです。

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 しかし村上さんには悪いがジュニア小説いうか、青少年向けであって大人向けでない。当然ながら革新的ともいえず、その意味で残念ながら今後も受賞はないト思われます。

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 さてディラン氏は賞を受け取るでしょうか? それとも無視か……いい声でも楽しいメロディでもない、私としてはディランのハリケーンをもう一度、聞きましょう。

2016年9月24日 (土)

共喰い 映画

Tomogui 父にしろ母にしろ、親に違和感を持つのは当たり前と精神科医樺沢紫苑さんはyoutubeでそういう。これ位では裏にもならないが、文字通り近親嫌悪、同族嫌悪との言葉もある。

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 父親(円)が後妻の(琴子)とヤッている。足音を忍ばせて息子17才(遠馬)はのぞく。こうなると近親嫌悪いうよりエディプスコンプレックスか? 映画は露骨な素材を選んだものです。(R15指定)
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 生まれた町にいると、近所の人に親に似ているト指摘される。「あなた、お父さんに似て来られた」どの辺りがどう似たか聞こうとするが、それ以上ははっきりしない。息子遠馬は、父親円に似ているのだ。
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 私の場合は何となくとの指摘です。よく父の趣味と息子の趣味が同じになるが、たとえば楽器やカメラ、その他の楽譜や教則本が、家にそのままあり、見よう見まねで使えるからです。
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 この映画ではセックスの最中に、父は女性の顔をなぐる趣味がある。尻を平手で打ついう趣味は他でもあった。これは目の周りにアザが残るなど、DVめいて穏やかではない。
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 遠馬の実の母(仁子)は、それで離婚したと主張している。遠馬には2才年上の恋人(千種)がいる。自分も千種に、父のようにサディズムを行うのではないか。そんな不安に駆られる。
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 秀逸な比喩があって、仁子は遠馬に酒やタバコを勧める。未成年なのに遠馬の方がそういうが……遠馬は仁子家のそばのドブ川で、自分では食わないウナギを釣る。そのウナギを円が食べてしまう。
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 私hataの親父はカメラが好きで、楽器が不得意だった。私は若いころギターに関心を持った。その頃は誰もがギターに関心を持った。中古のギタ-が手頃な時代で……私もやがて余興で弾ける位にはなった。しかしカメラのように上手くは行かなかった。
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 そういう訳でDNA検査をしなくとも父と私の血縁関係に間違いはない。性的な指向についは判らない。ただ三島由紀夫の趣味はなかったようだが、それは私の趣味にもない、それ以上は最早、聞きようがない。
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 自己とは何か、のっぴきならない問いかけや、強い他者関係がないからか? つまり私の年齢だと死ぬ方に近く、今さら恋愛の緊張関係もない……まるっきり判らない。
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 青山真治監督か原作の田中慎弥さんは、サディズムに同好があるのか? 映画を観る限りで、女性を仁子と琴子に分け、さらに琴子と千草にも分けるが、必然が薄い気がする。
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 遠馬の欲望はストレートには琴子に向うかに見えるが、遠馬は千草を担保する。その他にもアパートの女が設定されるなど、物語は婉曲に進んで行く。この3人は一目では区別がつかない。
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 だが直接には遠馬は仁子とヤリたい。それを仁子が察知しての酒タバコと思われる。という事は両者は遠回しに誘い合う。千草がもっと美人だとよかった、との感想には吹き出しそうになる。

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 つまり性は支配衝動だろう。谷崎潤一郎さんには明瞭に趣味があって、昔は流行った。団鬼六さんや谷ナオミさんからの間接影響なら私も受けた。それはどこまでが谷崎だったのか? それ以上は判らない。
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 小説「共喰い」で衝撃的なクライマックスがあり、映画ではさらなる結末をつけた。今回もネタはバラさないが、映画は大島渚監督の「儀式」のテーマと共通する。
●儀式 https://www.youtube.com/watch?v=-VERrnsEWqc

●付き合いづらい親との接し方【精神科医・樺沢紫苑】 https://www.youtube.com/watch?v=pvxrG-UkZog&feature=youtu.be&list=PL1gV4_eisFl9R_Leoi5i82PXGlkEQJsL7#t=40.852375

2016年3月14日 (月)

燃えつきた地図 映画

Moe

「燃えつきた地図」は「砂の女」等と表裏をなす、疎外感をテーマとする安部公房の連作です。他人に関心を持てば際限なくまとわりつかれ、持たなければ孤立のハメになる。

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 失踪人を追えば暴力沙汰に巻き込まれ、その夫人と抜き差しならぬ関係に追い込まれる。追われる関係を調節し自己を保つ……ハードボイルドに似せた物語の、書き出しとエンディングは巧妙に重ね合わされる。

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  自殺をしたいほどの孤独感も、隣り合わせた人の性癖を見たとたん、ささやかな連帯に変わる。絶望の深さは希望の高さに、名前の無い猫の死体さえ、小さな意欲につながる。

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 私は若い頃、コウボリアンだった。この映画のポスターにも記憶がある。見たかったけど行けなかった。ポスター右下にある市原さんが勝さんの傷をナメまわすカット……玉緒さんとどっちだろう思った。

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 60年を超えて見たかった映画を観るのは不思議です。死ぬ前に観るという走馬灯に近い感覚があって、楽しいうれしいを超える。いわば非現実を感じる。

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 アスペルガー症で身障者だった私にはズバリのテーマだった。もっとも砂の女の方が判り易く、五木寛之さんの方が更に分かり良い。ただ五木トラウマに、私はすぐ食い足りなくなって行く。

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「なるほど」とか「そうですね」という相槌の打ち方が出てくる。会話の仕方は本作、今も面白い。ハミ出し者も性でつながるという話は、谷崎や川端と変わらない。そういえば箱男は性をどう処理していたか?

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「他人の顔」では脇で出てきたが市原悦子さんが「地図」メインになる。「顔」のメインは京マチ子さん、安部さん現実での好みは山口果林さんだった。ただこれは原作でも市原さんに近い丸顔の設定だった。

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 暴力でも性でもない、生きる意味の根底にあるものを前衛映画は捉え得たか? お伽噺のように静かな水際でお爺さんが少女に話しかける訳には行かなかったか? しきりとそんな感じがする。

●予告燃えつきた地図 https://www.youtube.com/watch?v=MgtpKS8OtoU

●本編燃えつきた地図 https://www.youtube.com/watch?v=VkScoBmwq9s

2016年3月 1日 (火)

鉄道絵画

Fukusima

 鉄道信号事業や交通情報システムなどを手がける「日本信号」が公開した報告書が話題になっている。注目されているのは、その表紙。列車が並んだ写真にしか見えませんが「手描きの絵」です。描いたのは埼玉県日高市に住む福島尚(ひさし)さん(46)。自閉症で人とのコミュニケーションが苦手で、大好きな鉄道の絵を得意としています。2015年12月05日

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 簡単にいえば平成の「山下清」ですネ。サヴァン症候群は見たものを脳裏に焼きつける。写真のように細部まで再現するスーパーリアリズム、絵画界でそう呼ばれる作風に似る。違うのは山下清さんのように……

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 自閉症サヴァン症候群は他人との交流が苦手です。交流の全部を否定するのでなく、絵を通してなら可能、特別なメディアを通せば可能な場合がある。つまり福島さんの場合は鉄道絵画でした。

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 福島さんを通すと列車は生き物のように表情を持ち、線路も信号機も命のように温もり始める。福島絵が、写真やスーパーリアリズムとは違う点です。ではそれはなぜか?

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 福島さんの意識は交流を拒否するのでなく、どこかで求める。交流の余地を残すと言うべきか。むしろ過剰に人間的、生物的に命の感触を発して思えます。

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 福島さんの絵を見た後では、線路や電柱に触ってみたくなる。汽車や列車にふと話しかけたくなる。あるいはもっと、汽車が声を出して話しかけてくるかに……不思議な気持ちになる。

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●まるで写真!自閉症の画家が描いた表紙が話題に 作者の父に思い聞くhttp://withnews.jp/article/f0151205000qq000000000000000W00o0401qq000012810A

2015年12月11日 (金)

紀里谷さんの黒い服

Kiriya

 「服は4着しか持たない」という。ラストナイトの宣伝で、紀里谷和明さんのTV出演が重なり、このような面白い発言があった。

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 でその4着の話を取るが、夏冬で黒服がすでに2着を占める。どこのTVに出る時も、同じ黒の揃いだから……多分、嘘ではないでしょう。

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 いろいろ考え「このパターンにしたんです」紀里谷さんはいう。ただし黒の着回しは古いと、ファッションチェックのドン小西さんはいっている。ある国の大統領の服装を評し、そう言った。報復が怖く、私はその国名は書けない。

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 TVに出るからにはオシャレでなければ……そういう決まりはない訳で着たきり雀でも服は服、私は思う……が、私なんかの思いでは説得力がない。同じく評論家のピーコさんは言う「カッコいい人は何を着たってカッコいいのよ」

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 紀里谷さんは背が高く、首が長く肩の線がよく出る……ここはポイントで、これだけでカッコいい……つまり水準を上回れる。極論すればファッションチェックの必要がない。

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 同じ番組に出た藤本順一さんが「紀里谷さんのような服が着たい」と言っている。黒で揃えるのは一応基本で、誰でもそこそこは似合う。昔は私も黒服をやったことはある。

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 その、そこそこで止めた所に紀里谷さんのセンスがある。センスのない人は黒から、ああでもないこうでもないトつまり自分を見失う。そしていう、私は何を着ても似合わない。

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 悪いが藤本さんは、紀里谷さんのようには黒服が映えない。理由は書いたように条件が違うからです。そこら辺を飛ばし、オレだって同じようにとは、思ってはいけない……つい思ってしまう心は、私にもよく判る。

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 黒にも許容量の限界がある。いうなれば、ドン小西さんの言う意味です。黒の揃えは、まず自分の気が滅入る。ついで人の気も……ラストナイトの宣伝とは、行く先々で映画の名刺を配ることだった。その仕事にも黒服はちょっと暗かった、かも。

●紀里谷和明監督作品 CASSHERN http://gyao.yahoo.co.jp/player/00460/v12546/v1000000000000000913/?list_id=2031943&bplay=1&tab=1

2015年5月 3日 (日)

印象派のふるさとノルマンディ展

Siroki

「印象派のふるさとノルマンディ展」に行きました。おおむね印象派といえば、モネに始りディフィに至る。古典から始まり、ざっとイラストの元祖あたりまで。

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 その間には、日本の浮世絵の影響もあったそうです。ポスターでも取り上げられた代表画は、ヴィットリオ・マティオ・コルコス(伊)の「別れ」、実物も際立って鮮やかでした。

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 タイトルからは蒸気船で去っていく人を見送るト、解釈されます。ただ蒸気船は近代へ入った女性の、もう帰れない運命も思わせる。白い服で極端に腰のくびれを強調する。

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 思わず目が行ってしまう性的な魅力、もう一方で顔を隠す。魅力の主が誰なのかも判らない。具体的なモデルはあったが、大ぴらには出来なかった。そういう事情を感じさせます。

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 この画像から判りませんが指輪が克明に描かれている。おそらく送られた、ここで別れた相手、男性側からの絵の注文です。しかし絵は保存される事なく、売りに出された。注文主は私物化がかなわなかった。

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 おかげで私たちは、こうして観れるんですがね。没落の運命には時代の流れ、蒸気機関の台頭があった。蒸気の力はやがて男の力、筋肉の力を空しくした。男女が働く時代へつながる。

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 下記画像の逞しい女性の腕と比較頂きたい。むろん直には関係ないだろうが、ここからそういう時代が始っている……そして、また会おうの約束も果たされなかった……との推理は如何でしょうか。

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 女性の立ち姿を描いたのは浮世絵です。博覧会がパリで開かれ、これに日本も始めて参加します。これがイタリア人のマティオの印象にも残った。だから今までない縦長のカンバス。

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 印象派の絵には、浮世絵からの引用が濃いい作品が多いそうです。最近のプロモビデオではむろん下記のように、戻っています。

Siro

●ノルマンディ展、熊本県立美術館本館で2015年6月21日まで。5月18日は障がい者の日。

2015年3月 3日 (火)

移動祝祭日 本

Idou_2  映画「シティ・オブ・エンジェル」の冒頭では小さな子が死ぬ。熱を出し病院に行くが助からない……なぜというに、求めても理由はない。私の発病もそんな風だったし無論それに納得します。
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 現実の物事には理由はなく、時はそんな風に過ぎていく。生まれた年から順番に死ぬとか、病院の受付やスーパーのレジを待つようには、現実はならない。
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 あの映画が面白いのは、そのままそれを再現し……ただ天使の仕事に見せかける。主人公の仕事内容は、むしろ死神だが、そうは言わないのがミソです。
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 生ものは死ぬ。理由をつけるとすれば、死ぬまでを必死に生きる……そういう風になる。ダラダラ長くならないように世代間の交代は急ぐようトカ。命題は以外に簡単なものです。
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 文句をいうなら、この始まり方に文句を言うべきだろう。映画はこの始まりに決定された、あらかじめ用意された結末に向け、映画は物語を押し流していく。
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 物語は図書館が重要な場所になる。本は人の遺書のようなモノで、生きる決意であり、それは死ぬ決意にも重なりますが……ヘミングウェイの「移動祝祭日」がその代表とされます。ヘミングウェイは「ミッドナイトインパリ」にも出てきます。
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 移動祝祭日は遇然ではなく、意図した最後の一冊です。ヘミングウェイは最初の妻に宛て、作家デビューの妻との日々を書き、そしてその後に猟銃自殺を遂げます。この本かなりのところまで明確に遺書じゃないか。
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 シティは移動祝祭日については描きませんから、ヘミングウェイに関心のない人には何がナンだか判りませんが……この意味を悟るのは難しい。しかし天使が自殺すると、人間としての人生が始る。映画の進行とは重なります。
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「ミッドナイトインパリ」のウッディ・アレン監督は自殺しないが、明らかに行詰って、何本撮っても同じですから、何で自殺しないんだろ……そういう風に見るとあの映画も面白い。どこまで生きても君は同じ、何で自殺しない……ウッデイは観客にそう問うんです。
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「シティ」は何でハッピーエンドじゃないんだ、そう怒る人もありますが、ハッピーエンドの映画は「めぐり逢えたら」ですでに撮ってある。娯楽映画じゃなくって、生きる意味とか死ぬ意味を問い直す。哲学的というか、もっとアーティスティックにやろう。
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 だから「めぐり逢えたら」はシティの下敷きで、段取りは全く同じ、見比べるとおっかしいほど。私も小さな子の時に死ぬはずだった。熱を出し病院にいき、何とか間にあった。間に合わなかった部分は死んで障害として残る……そう了解するのです。
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 誰でも死ぬ。順番じゃなく死ぬ、何時にとか老人だからとか、そういう理由はない。文句を言っても仕方がない。出来ることは生きてる間を必死に生きるだけ……すっきり理解とは行きませんが、この辺の納得は書いたとおりです。

2014年11月17日 (月)

パスキン展

Pasukin

 色を先に置けば、線はあとに、にじむ。線を先に引けば後の色にかすれる。どっちでもいいが、にじむ色とかすれる線だけが、絵の世界を構成する。むろん現実世界に、二次元の線も色のにじみもない以上、描かれた世界とは虚構でしかないのです。

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 パスキンの絵には、絵自体の持つ矛盾、絵そのものを描く。だから線はかすみ色は薄まり、線と色が食い合うように存在の彼方へ消えて行く。原稿用紙1枚近く書いた原稿の、たった一文字を消しゴムで消せば、はずみで一句を消す羽目になります。

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 そして一行を消せば数行を消す羽目になる……消しゴムで原稿一枚までは消さないが……もう数字まで書いた一枚分を、丸ごと丸めて捨てることはある。その意味で、ですが……パスキンの絵はチリ箱の中の原稿用紙に似ている。

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 もっとも最近はメモ以外は紙に書かず、パソコンのディスプレーに打つのが大半……これも絵を説明するのに作った話に近くなります。だが丸っきり嘘とは言えないでしょ? 一枚の絵という存在がそうだったとして、パスキンという人の存在がどうだったか?

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 裕福なユダヤ人の一家に生まれるが、1930年に45才で自殺。なぜか? むろん特定はできませんが、ナチスの台頭、うつ病、アル中、ダブル不倫と条件は、むしろそろいます。それで浴室で手首を切り、したたる血でドアに短いメッセージを書き、首をつる。

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「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)典型的とほめていうか、ありふれるとけなすか。破滅型芸術家のよくある光景になります。そうすると作品の主題、その解釈も容易に見えて来ます。リュシーというのは友人の奥さんで、この展覧会のポスターにもなった絵。

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 ただし絵はリアルな現在形ではなく、出会った頃の若いリュシーが描かれます。もしかすると想像上の、少女のリュシーかも知れません。パスキンは椅子に座った子供の絵をよく描いている。物心つく前の幼い少女、現代心理学では女性の性の訪れは早い事をいうが……

 画家としての出会いはパスキン25才、モデルをしていたリュシーは20才そこそこです。パスキンの絵は一応はモデルを置くが、一種の自画像として内面の孤独を描きこむ。現在形では中年同士、むろん実在の家庭を抱え、お互いに幻想の相手を求める。

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 パスキンは椅子に、家具として家庭の意味や家族を見ている。同時に椅子は喪失の象徴になります。大人になればやがて崩壊する家庭と人生感があります。だから座った若い人物を描く、それは男より女、たとえば太宰治の手記体の小説につながります。

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 現実にはパスキンも中年ならリュシーも中年、短い逢瀬にデッサンを描いて、それを再構成した絵ではない。幻想とも追憶ともつかない、夢の画像にパスキンの真骨頂がある。なぜ私はそう思うか、たとえば障害者は家から離れ施設に収容されました。

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 家に居られてはジャマになる……そういう訳の時もありで、そうでない時もあり、社会にあってはジャマにされる時もあり、そうでもない時もある。弾き出されたようにポツンとある。弾き出されたことのある人は、人の中にあっても自分がポツンとあることを知ります。

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 つまり色を先立てれば線はかすみ、線を先に引けば色の後に滲む。書いた光景から、自分を残すか他人を残すか、自分で消えなければ誰かが収容にやって来る。居てもいい場所はどこにもないから、ひそかに無言の告別をするように滲む悲しみ、それがパスキン。

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●パスキン展、熊本県立美術館本館で2015年1月12日までの開催。

2014年10月25日 (土)

織田信長からの手紙

Nobunaga

「織田信長からの手紙」について2つの講演を聞きます。昔のことは意外なほど判っていません。二人の先生の研究結果を比べ聞いて……信長って言われるより普通でした。

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 新聞に出ましたから明確な事実と言えます。信長は足利将軍を頭にいただき、全国統一しようと考えていた。ということは突拍子もない、伝説にもなった革命児ではなかった。そういう手紙が出ました。

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Nobunaga2

 いっては何ですが武田信玄と変わらないような、普通武将だった。いえ武田に比べれば格下の、当時としては小さくはないが中級の武将です。信長は信玄亡き後の武田軍を打ちのめす訳です。

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 むろんこの結果は変わりませんが、信長の持っていた銃は本当に3000丁もあったのか。1000丁を3に書き直した後がある……のだそうです。むしろ武田を破ったので話が大きくなったのではないか。

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  信長は武田と一向一揆に、特別の怨念があって手紙では「根切」という言葉を使うが、容赦がなかった。この2つのケースが一般化して考えられた。昔のNHKドラマでは信長をイメージして、高橋孝治さんを当てた。

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 大映映画では若山富三郎(城健三郎)さんを当ててましたから、極端にイメージが違います。知的で現代的な高橋さん、野生的で荒々しい若山さん……どっちも嘘と思われます。だって残ってる資料は、有名な絵あの肖像でしょう。

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 今回、熊本県立美術館もあの絵を元にマンガを描きます。そうしないと子供には説明ができない、らしい。いえネ。むかし私の友人が高橋信長に心酔して、映画の若山信長を見ましてね。不満で不満で仕方がなく、映画に文句いってました。友人は子供だったんですね。

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 ファンは現実を認めない。そういうモンなんでしょうけど……あの信長絵については一般にも評判が悪く、イメージが違うと言われてます。元となった絵に、秀吉による改ざん疑惑があるという。つまり信憑性の高い信長絵は存在しない。

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 信長のイメージとは、勝手に作られた想像、悪くいうと妄想になる。なにがしか調査によるのが歴史小説、想像や妄想による創作が時代小説と別けられる。だが、こうみると2つの間に大差はないでしょう。創作って想像、根拠を求めても……

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 アスペルガー症候群ではなかったか。信長にはそういう事をいう人もいます。アスペの診断は難しくて出来ない。したがって典型的な妄想……坂本龍馬には負けるものの、聖徳太子や真田幸村に並ぶスター偉人。日本史の華ですからねえ……意外な実像はショック。

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●熊本元気塾10月22日 山田貴司 県立美術館主任学芸員

●熊本県立美術館講演会10月18日 稲葉継陽   熊本大学文学部付属永青文庫研究センター教授