恋愛・結婚 Feed

2018年2月18日 (日)

行なりて

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 人には裏表がある。裏表が出来ないよう客観的にその人を調べるのも方法だが、心の裏の裏が表にもならない……心はしばしば、そんな構造にある。そういう意味では調べるのも難しい時がある。
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 犬や猫の心は比較的かんたんで「人よりはペットの方が純粋」と人間を不純とする方もある。またマインドフルネスでは、ウォーキングやジョギングをして、その間、座禅のように人とは話さない。いわば行とする。
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 運動で自分を他人から閉じ込める。人と話すより、動物と話す方に見えて来る物もあるし、誰とも話さなければ見えてくる自分もある。鳥の声を聞き、蝶やトンボの間にいると、心もふだんと違う、聞いた事のない声を出す。
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 スニーカーを脱いで裸足になって木の根の上に立って、両手のひらを幹に押し当てれば、ふと前世の記憶さえ蘇る気がしてくる。釈迦はなぜ菩提樹の下で座禅を組んだかさえ分る気がしてくる。心は不思議な側面を持つ。
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「菩提樹」を3度、口づさみ、シューベルトは生きる意味を悟ったという。前作「美しい水車屋の娘」と違い「冬の旅」には恋愛感情が希薄です。恋愛の終わりは人生の終わりに似ている。
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 冬の旅は愛の例えでははなく、生きる意味が直に浮かび上がってくる。それは自分の死期が近いから……愛の意味ではなく生きる意味が浮かび上がる。死んでから生きる意味を分っても仕方がない。本当の死ではないバーチャルな死で生きる意味を悟れないか。
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 つまり嘘の死、詩や小説の想定された死から意味だけを取り出す。たとえば死後にあるという地獄極楽をこの世に見る。シューベルトの恋も失われたのではなく、実は成就していたという説がある。(シューベルトの死因は梅毒という説がある)
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 シューベルトは音楽で失恋して孤独になることをいう。だが恋は成就しても孤独になります。恋のあとは女性の出産でしょう。出産の後は子育てでしょう。子供、夫、妻の三角関係ですねえ……女性はともかく男は間違いなく孤独になります。
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 子が巣立てば女性も同じになって、女性の状況も大きくは男と変わりません。子供を二人育てても三人育てても、女性の閉経まで基本的に同じで、首尾よく行ったとしても夫婦が残されます。菩提樹は菩提樹、冬の旅は冬の旅。
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 30代で男の感じる孤独と、50代で女性の感じる孤独は、感覚の違いはある訳ですがそれは基本で同じです。どんな人も、人は一人でしかない。夫婦だからと言って同時に死ぬ訳には行きません。
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 だから人は心を隠す。自分だけの顔を持つ……木の幹に手を押し当てるか、水面に浮いて天を仰ぐか。木の間を歩き大気の厚さを感じるか、自分の鼓動の高鳴りに驚くか……不純とは言わず秘密とも言わず、そんな風に心を隠す。

2017年12月26日 (火)

愛の終わり

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 男女問題は難しい……のだそうです。齢70近くにもなれば、さすが問題に遠くなる。のだそうですト他人事で済まそう。ネットニュースによると「オレたちって付き合っていたっけ」と最後の最後にとぼけられた。憤懣やる方ない女性がコラムを書かれている。
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 最後つまりデイトお付き合い段階の終わった、ベッドイン同棲も後の「じゃあこれからどうするのよ」という、最後の最後の事らしい。私は団塊の世代です。故郷遠く別な県の大学に行く、それが普通になった世代です。構内で出会い頭、目が会って、高校が同じだった。
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 それが理由で付合うという最初の世代です。部屋に帰っても猫一匹家族がいない。寂しいという、くだらない理由で恋愛に走る。趣味や志向が同じいうような高級な共感はありませんで、食も服も好みが違うのに同棲してしまう。若いから別れられない。喧嘩が絶えないのに結婚してしまう。
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 学生運動に引き込まれカモフラージュに組まされ、警察対策で同棲してそれぎり結婚した人たちも知ってますが、お見合いよりいい加減なカップルな訳です。あなたが気になるとか好きですとか告白、コクって付き合う訳ではない。
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 目が合ったとか話しかけたとか。どちらもコクらないままにズルズルと最後の最後まで行ってしまうそうです。そうすると男の方が有利になって、折角だからこの2年間をこのまま解消しようト考える。女性もズルズルしてた2年に何の担保もない事に気がつく。
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 およそ男はいや、ほぼ全部の男は結婚は40才まででいい、むしろ急ぎたくない。女性は20代の内にとかタイムリミットが早い。二人で話し合うと大抵、そこで破綻します。身障者の場合は当初から子供を作らない前提が、何割とか数値は出せませんがそういう方々があります。
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 そういう意味で学生結婚と身障者の結婚は似ている所があります。ベッドインの後とか新婚生活のどこかで、各自の勝手ですが、どこかで話題にしなけれならない。行動や責任が予定と整合するかは別問題ですがネ。まあズルズルでは済まない。
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 私が30に入った頃、身障者協会から結婚希望者登録するように言われます。協会は実績を上げたいのです。10才だか年上の身障者は結婚を勧めます。そういう自分は子供作っていない。子供作らない結婚は結婚といえるか? 気の弱い私は問題の核心を聞けません。
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 お付合いしたい健常者も、付合って欲しいらい身障者もありましたが、その辺の話を切り出せないのでウヤムヤにする。まあ適齢期は終わり中年期も終わり、老年期に入ります。よかったような悪かったような……時代は変わり見合いと言わないで、合コンとか婚活とかいうようになって、デリヘルとかセフレともいうようになる。
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 すっかり世の中は便利になったか思うと大差はない。当たり前だがこの問題の芯には、いつ言い出すか言い出されるか。どちらにしろ見込みを立てなければ協力しようもない。申込みをどう切り出すか、あるいは受けるか受けないか覚悟しなければ……ズルズルするとツケは後に回るだけで消えないんですね。
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自分の事は棚に上げていえば、「付き合っていたっけ」と最後の最後にとぼける不誠実を見抜けなかった。見抜いていたけどズルズル来てしまった。不真面目というかズルでの同罪というか? 当然ながら愛も永遠とは行かない。

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 賞味期限3年の愛の喪失は大きいか、小さいか? え、オタクは5年? それはそれは後半の人生をシリアスにやって下さい。

2017年11月15日 (水)

こわれゆく世界の中で 映画

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 タイトルは物々しいが「世界」ではなく「こわれゆく家庭の中で」です。建築家ウィルはリヴとその娘と同棲、共に暮らした。ビーはウィルの実娘ではなく自閉症児、リヴとの間はしっくり行かなかった。
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 つまり同棲は失敗で、ウィルは母娘と別れたがっていた。だが同棲は長くなり過ぎた。ウィルは意識下で解放を求めた……文章でなら大筋こうだが、映像でどう説明するか? この映画ロクに説明してません。
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 おまけに英語映画だし、私には分かりません。見終わった後にコメンタリーで「え、そういう話だったの」テナもんです。英語が出来る人なら分かるのか読めるか? まあ無理でしょう。単なる恋愛映画ではなくカルトムービーです。
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 ただアンソニー・ミンゲラ監督はこの手の話が好きで97年『イングリッシュ・ペイシェント』03年『コールドマウンテン』と、どちらも似たような細部はありました。今回は身障児に原因があり、私はそこが興味深い。
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 身障児がいると母子関係が濃くなって、一般にも夫、お父さんは行き場がなくなる。小規模には健常者と友人関係でも起こりうるので困ってしまう……これほど典型ではないが、まあ有りうる話です。こういう話は一般に邦画に出て来ません。
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 夫婦、子という三角関係に次児が生まれ、四角関係に発展して問題は自然解決というか、解消していく。だが身障児というと自然解消とはいかない……そういう話ですが、ウィルの浮気相手アミラ、この未亡人の息子も高機能自閉症らしい。
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 ウィルの事務所に強盗が入る。犯人は鳶職のような高い身体能力を持ち、盗賊団と関係しているという設定です。書き忘れたがビーも似たような身体能力で、体操選手を志願してます。同じような二組の親子の間に、ウィルは同時に介入することになる。
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 監督脚本のミンゲラさん、何を書こうとしているのか? 一組の愛には答えがないが二組の愛には答えがある。二組の家族の間に立って、ウィルは連立方程式を解くように答えを導き出します。ただネエ……設定が異常というか?
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 ミンゲラ監督自身が高機能自閉症、アスペルガーを認めています。ウィルやアミラは嫉妬心が薄くて素直に愛を受け入れます。普通は嫉妬心が邪魔してチャンスや、見出された解決策が受け入れられない。感覚が大人なのです。
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 この映画はトリッキーというか奇想天外な映画ではないか? コメンタリーによると本作は140分の大作だったのを(監督には標準サイズ?)120分に縮めた。アスペルガー説明部分も切ったと言います。それで判り辛い部分があるのか。
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 逆にいうと映画公開があまり不評なのでコメンタリーを付けて説明したのではないか? そう思われます。未公開シーンでは生理を嫌がり、大人になるのを拒絶するビーとか、母の仕事を嫌がる息子の様とか、内向する病気の欠陥を指摘します。単に病気による欠陥ではなく、それは社会の欠陥、国が持った欠陥に似ている。そういう意味では「こわれゆく世界の中で」いや間違いない。

2017年10月10日 (火)

カズオVS春樹

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 村上春樹はダメで、なぜカズオ・イシグロがOKになったか? 今年のアカデミー文学賞の選考理由は、すんなり理解できました? 去年度に村上の受賞はない。そう断言した私としては首を縮めました。
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 ざっくり言うと「ノルウェイの森」になくて「私を離さないで」にあるモノ? 2作を比べ見て、ひとつ謎を解いてみましょう……いい加減過ぎかな、いや話題をゲーム化して文学で遊びましょう。
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 文学とはいうけれど2作はどちらも純文学ではなく、内容が軽い言うか、若向き、誰でもチャレンジできます。恋愛が題材であって、人生の長帳場についての言及は薄い。それもこの際は長所と取りましょう。
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 新刊ではないのでブックオフなら、両作そろえても千円で買えます。DVD化もされているので200円あればレンタルも可、本を読み慣れない人でも参加も出来ます……私も再読はせず映画です。
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 話の方向をあらかじめ絞りますと、表立っては書かれませんが、潜在的には宗教の違いが根底にあります。つまり仏教とキリスト教による解釈の違い。キリスト教は奇跡に祈る宗教で、仏教は悟りを開く。マインドフルネスとか、悟りに注目が来てます。
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 「森」の直子は20になり、2人だけのバースデイです。ワタナベに向かって印象的な事をいう。成人までの時間に猶予があればいいのに、19才からもう一度18才にもどり……ゆっくり20才になれたら生きる事が苦しくないのに……生きるのが苦しいと感じますか?
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 ここは「離」の臓器提供の猶予制度と似ている。「離」に出て来る主人公たちは臓器提供のために生かされ、およそ20才から30才までに死ぬ運命……ただ仲間うちで本当のカップルになれたら提供は3~4年、猶予されるらしい……そういう設定です。
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 生きるのが苦痛な直子は精神病を発症し、自主的にサナトリウムに入ってしまう。大人になると責任が伴い、それで自殺や精神病を発症しやすくなる。私にも統合失調から自殺に至った友人があります。それは判るが精神病にサナトリウム療法はない。ウツ病にも統合にも、そんな治療は存在しません。
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 ここは提供と同じフィクションです。結核のサナトリウム療法は「風立ちぬ」でも描かれ、まあ、あんな感じです。私は結核ではないが、20才までの3年ほどをサナトリウムで送りました。直子が望むような、一種、ゆるい場所で……村上さんの意図が、ある意味ではよく分かる。
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「離」のヘールシャム学校やコテージや一種のサナトリウムと読めます。では社会がルールを甘くしてあげれば、直子は無事に大人になれたか? 「森」では奇跡は起きない。ワタナベを置いて直子は自殺してしまう。「離」では猶予のルールが、不確かなまま噂で伝わり実際は……青春にサナトリウムは効くか?
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猶予されれば主人公たちは深く生きられ、提供するから浅い生になるのか? 一人になった主人公も、自分の提供日をむかえ「提供を受ける人も提供する自分も同じこと」ト悟ります。奇跡を求め奔走するのがキリスト教的で、仏教では終りを見届け、その意味に気がつく。
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 ワタナベにとっては青春全体がサナトリムで、もっと言えば3人の女性とのセックス自体がサナトリウム効果をもたらし、こういう形であれば不倫にならない。あるいは罪が軽い……つまり仏教的です。でもセックスは結婚の形を取らなければ許されないのでは……そうみればキリスト教に縛られる。
 それはともかくこう見てくると両作は似ている。偶然似たのはなく、イシグロさんが村上を読んでいたから……そう考える方が自然でしょう。「ノルウェイの森」に影響されて、宗教の違いをより意識して「私を離さないで」は書かれた。
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 提供するとされるが同じか……むろん議論は分かれます。人という字は支え合う二人という解釈はよく言われる。ホントは支える人と支えてもらう人が一緒にある。キリスト教も宗教、仏教も宗教、こういった適当な話をして経済活動にする……幸福のために不倫を許しあう愛だってアリなのでは?
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 長命化とか超能力とかタイムスリップとか、簡単にいうとあれ全部、奇跡です。奇跡が起きれば人は必ず幸福になれるか。キリスト教的な価値が大きくなり過ぎて……仏教的に緩和が図られた。マインドフルネスの流行や、ノーベル文学賞選考にも入り込んだ……それが私の読みになります。

2017年9月28日 (木)

脳内麻薬と幸福ホルモン

Nakano

 気付き分かる。あるいは対応行動を取る。それがどうしてもワンテンポ遅れる。つまり判らない人はいます。間抜けにも終わった後で、今あったことを言葉に直して上げないと理解できないのです、そういう人はいる。

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 場面が終っていても前の気持ちを引きずり、次の場面でも屈託のある姿勢ですから、姿勢自体が違う。マイナス表現になるがイジけます。つまり一つ先の場面までも気持ちを引きずる。それは身障者にも少なくないです。

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 悪いとまで思いませんが、ちょっとヤボでしょうかねえ。性差、個人差はある。リセットが起こらない。終わった事は何もなかったに等しい。ニヒルになるのではなく、これからを大事に思う分、過去に淡白になる。前向きと言います。

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 何を書こうとしているか? こういった受け止めについては個人差があって男女差もあります。脳学者の中野信子さんが面白い発言を行っている。男より女性の方が嫉妬深い……という事は自分の認識の間違いで自身を傷つけている。

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 もう少し説明しないといけません。独身時代は男の方が嫉妬深いんです。元々は女性の嫉妬心はセーブされている。賭けやゲームやスポーツに熱中するのは、まずは男ですから、負けると悔しい、ここに異論はないでしょう。

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 女性が恋愛し、家庭に入ってダンナ子供を抱えると、その性差は逆転します。女性は自分の家庭やその維持に男以上に関心で、競争意識むき出しにします。女性は家庭の心地よさが大きな快楽源になる、それが原因と思われます。

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 中野説によると家庭から、幸福源から脳内麻薬が分泌される。脳はさらなる麻薬を求めて家庭をさまよう……部屋に掃除機をかけ浴槽、風呂桶を洗う。たいていの男は掃除機を毎日かける意味が分からない。一日置きでは何で悪いか?

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 週1で何が悪いか……男も脳内麻薬の中毒者である事には大差ない。ただ昨夜、巨人が負けた。巨人が勝たないと脳内麻薬が分泌しない。むろん掃除機にも浴槽を磨くことにも関心がない。家庭には晩飯の前のビールと、巨人戦があればいい。

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 女性はせっせと掃除機をかけ浴槽を洗うと、独身時代よりホルモンの分泌がよくなる。ホルモンの分泌がよくなると脳内麻薬の分泌もよくなる。一日に2回、掃除機かけたらもっと幸福になれるかも……何でこの人、家事に協力がないんだろ。そういう目で夫を見る。

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 毎晩、TVばっか見てビールばっか飲んで……それでも自分の幸福というか、脳内麻薬の分泌は、ダンナが浮気しない限りは維持されます。安定した家庭は女性に幸福を保証しホルモンの分泌をよくし、麻薬の分泌もよくしている。

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 ここで浮気とは、給料の減額、家庭維持金の減額を意味します。ダイソンの掃除機が壊れたら修理できない、代替え機だって買えないかも知れない……そうするとメラメラと嫉妬の炎が燃え上がる訳で、既婚後に愛情とは別に、女性は嫉妬深くなる。

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 恋愛感情そのモノはおよそ3年しか続かず、人間には一夫一婦制は合わない。向いてない制度を定着させたキリスト教の野暮だった。仏教とイスラム教がだらしなかった。いや日本では神道もつまらなかった。

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 私がいってるんではなく中野信子さんが言われています。男に家庭は必ずしも必要なく、つまり飲み屋のTVでも巨人戦は見られるからです。いって置きますが私個人はゲーマーではありません。ゲームで脳内麻薬は出ない。

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 いわゆる水泳中毒でプールに行く人です……コーヒー党でビールも飲みません。従ってここでは感情表現はありません。気付き分かり、幸福になりたければ対応行動を取ります。つまり夕食後はプールでしょう。

2017年9月12日 (火)

それから4

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 ここで奇妙な事が起きる。大岡昇平さんは、なぜ漱石に魅かれたか? 愛人と奥さんの間を行ったり来たりした大岡にとって、恋愛というか性愛というかは、珍しくもなかった……はずです。
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 たとえ講演録にしろ500ページをかけて追求するような何が、漱石にあったか? 大岡はスタンダールを専門とし、スタンダール以外で深くこだわった作家はいないので、つまり漱石は例外中の例外です。 
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 鴎外の「舞姫」にはモデルがあって、最近、彼女が日本に来た痕跡が見つかったそうな……同じく漱石の書いた美人のモデルは誰それではないか? むろん大岡も「小説家夏目漱石」で書いている。
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 モデルで有名なのは江藤淳さんの、登勢という兄嫁説です。私の説ではモデルは問題にならない。あれは母、それも観念的な架空の存在です。「それから」でも架空の存在としなければ納まりがつかない。
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 恋愛の駆け引きで波風も立たず、結婚生活に入っても衝突が起きない。それはキレイな人生ではあろうが……それで人間は成長できるか? 波風や衝突といった事件の中からしか、人間の熟成は見込めないのでは?
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 漱石は熊本にいた時、年間で千に近い俳句を作ります。これが松山で子規に習った時より多い……理由は寺田寅彦に教えていたからです。この句数が、漱石の心の開かれた状態を示している。本当に寅彦と、肉体関係があったかなかったか?
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 気持ちが悪いので恋人寅彦説はこれ以上、追求しませんが……漱石の会話体の面白さは、おそらくこの時に出来たものでしょう。俳句は出来なくとも、弾む会話はありえたのでは……それはそうでしょう。鏡子夫人も三千代モデルとして確かな位置を占めたと思われる。
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 だが漱石の面白さとはシュミレーション恋愛、シュミレーション色恋、不倫、姦通……違うのではないか。恋愛は楽しく色恋は快感、不倫や姦通は悦楽……私はよく分からないが、それも違っていないか? つまり来るべく恋愛のテキストとして漱石を読むのでは利用法が違う。
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 するとデイトコースを下見、ロケハンするのも無意味という事になる。ロケーションハンティングは映画作りで言われるが、小説でもありうる。デイトでコンサートに行くとすると、クラシックにするかポップスにするかで、効果が違うからです。
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 小説での恋愛相手は美人だったりスマートだったりするが、現実ではそういう必要もない。本人が納得できれば周囲の誰にひけらかす必要もないからです……給料が安すぎると生活できない。恋愛感情も維持できない……まあ、そういう人もあるのかも知れませんが。
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 漱石は恋愛小説には不用意でうかつ、本番の色事には更にそう。漱石のうかつを知りながらながら大岡はNGを出さない。大岡は用意万端を整え、武蔵野夫人を書き「事件」を書いている、かのように見えます。実際「事件」では男女関係が、物語の謎のカギになる。
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 奇妙でしょう……本当のことは奇妙なもんです。昨年は「君の名は。」が流行りました。あれ、まだ今年でしたっけ……やっぱり君の名はのような恋愛をしたいとか、若者は思うのか。……そもそもアレでは恋愛でも、ないでしょうね。(終)

2017年9月10日 (日)

それから3

Ooka

 淡い初恋の感覚なんて忘れました。濃厚な不倫の味は知らない。トシも年なので、もうないでしょう……しかしミック・ジャガーは私の年で、恋愛ざたで子供を作ったのか!
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 大岡昇平さんは、漱石の文章が実体験に元づかないと看破します。野火などドキュメンタリーを書き,武蔵野夫人の恋愛ものも書き、「事件」のミステリも書いた……大岡なら何かを嗅ぎつけると私は推測します。
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 漱石の蔵書にはリストがあり、詳細まで研究され尽くされる……更なる研究が出来たにしても、私はしませんが……一目瞭然、読めば分るでしょう。漱石の文章は調べ物しながら書いた文章ではない。
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 調べながらとすると例えば鴎外の文章になる。漱石は新聞小説の特性を考え、毎日、気持ちよく読める事に重点を置く……必ずしも純文学とは言えない。まして鴎外のように発禁にでもなった日には新聞社が困ります。
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 そういう意味で離婚交渉の実際を取材する必要はない。読者より程度のいい家庭の、羨ましい暮らしぶり、浮世離れした思いを書き連ねていけば良い。「坊ちゃん」で同僚の婚約者をねらう赤シャツを書きましたから、友人の奥さんを譲り受けたい男でも……
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 それで赤のイメージ、危険な男という意味です。頭がいいのに無職、ピアノまで弾ける。これは漱石自身がバイオリンを習ったことからの影響で。前作、三四郎が学生ですから代助も学生のような事をしています……私はギターを弾きました。入院が長かったので弾きながら歌う事が出来ました。
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 出来は悪いが初めて聞く人は羨ましくて、これを上手いと聞きます。よせばいいのに重度身障者の前で演りました。嫉妬され逆効果というか……ど下手でもなんでも朝日新聞を取る人より上流階級を、代助は演じます。
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 もともと読売は分かり易い新聞です。今はどうか知りませんが朝日は知的レベルが高い、ほんの少しネ。漱石は英語教師です。英語の研究で留学辞令が降りる。漱石はそれを英文学研究にしてしまう。漱石にはそういう意味でインチキな所がある。
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 時代が下って谷崎潤一郎の頃になると、小説ではなく本当に他人の奥さんを譲り受けます。大岡さん自身も……つまり「それから:の代助とは、先行したイメージに過ぎません。私にしても泉谷さんか、せいぜい武田鉄矢さんのイメージに過ぎない。
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 だが弾き語りで歌ういうと、拓郎さんとか陽水さんとか、巨大に好いイメージを皆さん持って来られる……はずが、はずがないでしょ、同じです。百合を抱えてやって来る三千代、楚々として美しい着物の女なんて、巧妙なイメージ戦略にある訳です。
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 大岡は不倫の経験者です。なのに女性の中に入り込んで書くの難しさをいいます。野火が新しく映画化されました。劇映画と言えるかどうか、あれはいい……「事件」も昔ですが映画でドラマでヒットしました……それに比べると武蔵野夫人はショボい。
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 恋から色事へ至るグラデーションいうか、恋愛の小説化はいまだに上手くいってないのでは? 恋か色かによれば、それはありますが……漱石の小説は、合意による色事ではなく、許容によるそれへこだわりましょう……その時のそれは性か愛か、確かに色事ではあろうが恋愛といえるか?

2017年9月 7日 (木)

それから 2

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 大昔の事で書いても仕方がない。どんな嫌がらせだったかは書きません。あれは小学生も初めの頃、私は友人の男生徒にいやがらせを受けます。
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 それで親は「これはいやがらせでは……」いうと担任は訝しい顔をします。担任のその後の報告で、
「あれは私にもそう見えます」という。その理由を判らないまま、私も親もことを忘れてしまう。
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 モーツァルトの喜遊曲を聞きます。その3番目の曲に衝撃を受けます。俗に「夕べのメヌエット」という曲に聞き覚えがある。小学生の頃に運動会で女の子とフォークダンスを踊った。
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 やがてバイオリンの音色が記憶にたどり着く……と言っても小学生では指の感触には男女差もなく、記憶のメヌエットはステレオに乗って軽やかに行き過ぎる。
「あたしはこん人とよ」小学生の彼女は私の肩をつまんで引き寄せます。早く相手をしろという意味です。
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 主張に友人は驚きの声を上げる。女生徒の主張いうよりも順番を守れば、そうなるはずでした。宣言して肩をつまむ行為は躊躇われた。ためらわず行動で示した。女生徒は私たちより凛々しかった。
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 女生徒は勉強も出来ました。私が女生徒の隣の席になった時「私はA君が好き」と宣言しました。A君とはクラスで一番できる男生徒で、つまり私など暗に嫌いと宣言されました。
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 宣言した割に女生徒は親切で、別にA君と付き合ってる風情もない。今と違う昔の小学生、当たり前です。ただ運動会の準備で、友人の前でそう言ってしまった。
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 3番目だか4番目だかは知らないが、À君の次に私は気にいられたのでしょう。友人にとってショックで、それで友人の嫉妬を買った。それとこれがメヌエットの一曲のうちにつながります。
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 音楽の記憶は不思議なもんです。自意識には淡くても殺意がこもる事を、漱石は明晰に問います。嫉妬は本能で無意識にあります。男の本能はスカートの翻る所、必ずスイッチが入る。
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 女生徒がA君を意識した事も、友人が何を嫉妬したかも、嫉妬するほどの事はないトなだめてもすかしても、根本的には解決しないのかも知れません。つまり本能が異性を選ぶ……そういう部分が消えない。
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「それから」では代助の枕元に生けられた椿が、首のように落ちるところから始まります。それで代助は自分の胸、肋骨の上から心臓のあたりを探ります。生きている事は、死に誘われている事でもある。
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「それから」は赤いイメージで始まり赤いイメージで終わる。意識と無意識が交錯する。たとえば九月は油蝉が、黄色い枯葉の上にひっくり返る。セミの生も死も本能で秋を生きるようには出来ていない。
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 赤のイメージは何を意味するか? 意識と無意識のせめぎあう人間の全意識、つまり生死をいうのでしょう。図書館から大岡昇平さんの「小説家夏目漱石」を借りて来ます。
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 文庫で五二〇ページを超える厚さにはうんざりしますが、本は講演録で割とスルスル読める……大岡さんも「それから」の赤を狂気と読みます。

2017年9月 6日 (水)

それから 1

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 16才カップルが胸を何度も刺され、男子は死亡した。犯人は15才男子で、本人が言うに女子のカレだったト……客観的にはどうか? その辺はまだ確定しないが三人の関係バランスが崩れました。
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 夏の日それまで友人だった子が、恋人になる。一方の男子は弾き出され、もう一方の男子の胸を、とくに念入りに刺した。女子も刺されるが助かっている。嫉妬の感情は花火と燃えたのだ。
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 事件にならなければ三角関係はある意味で、ありふれる。一方で恋愛はある人にはあり、ない人には丸っ切りない。原因はともかく恋愛は平等ではない。男女二人の出会いがカップルへ進行する。
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 関係が円滑に進めばよいが難関はあるもので、異性の取り合いになる。異性も注目されやすい人と、そうでない人がある。言い方を変えると一人が、もう一人を選んでしまう。それで至難にまで関係はこじれます。
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 こじれは本人には困る事ですが、他人には面白く、まあ娯楽になります。恋愛を書いて本にすると売れ、映画やドラマになると視聴率も取れます……つまり恋愛はない人にはないからです。
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 下らない日常はいいから、お前も恋愛を書け、そう言われます……私にそんな面白い体験などあろうはずもなく、ないものは書けません。すると「なければ作れ」とまで言う人があります。まあ書けるなら小説は恋愛小説に限るようで。
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 熊本では今、新聞に「それから」が連載されています。漱石が書いた前期三部作「三四郎」の続きです。前作より三角関係はこじれます。代助と三千代は好き合ってはいたが、平岡が望んだので代助は三千代を譲ってしまう。
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 好きではあるが、代助は平岡との友情を先行させた。後に代助はそれを後悔する羽目になる……漱石は書いてないが、そう想像するに難くない。三千代に決めさせるべきとか何とか、今の人は言いますが……大昔の昔、恋愛なんてなかった。
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 ないは言い過ぎですが、恋愛するのは限られた人でした。つまり男女共学もない時代にどうやって異性と知り合うか。そこから困難がある。なにしろ話は明治です。私が明治生まれの人に聞くと、軽くそう言われた物です。
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 不思議でも何でもなく異性が対象として見える時、同性同士は戦わねばならないライバルとして見えてくる。買ったばかりのゲームを貸してほしい言われて、貸す子がある。恋愛も最初はそんな感覚じゃないでしょうか。
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 恋愛相手へあるいは友人へ、イエスとノウを決める。ここはノウそこはイエス、決めるのは自分、はっきり自分がなければ決められない。決めるのは母でもなく父でもなく、親友でもない。ただ自分だけ……それが分ったのは割と近い昭和のことです。
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 漱石自身、恋愛ではなく見合いで結婚を決めます。父や母に行けと言われれば、泣く泣く嫁に行くものでした。平岡に望まれ代助に祝福され、三千代は結婚を決心した。あまり感情に注目せず見て行けばそうなる。
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 人はなぜそうも激しい自分を、持つようになったか? 漱石は恋愛より自分というものに関心を置くように、私には思えます。

2017年7月25日 (火)

二重生活 映画

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 仏文学の誰かに「理由なき尾行」という本があるそうな……そんな高価そうな本を出さなくてもブックオフの文庫棚には「燃えつきた地図」があるでしょう。
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 ありふれた安部公房を例にしないのは原作、小池真理子さんのハッタリだろう。同映画版はYOUTUBEに出ていた。もっとも主人公を若い女性にし、門脇麦さんを当てなければ新作はヒットしない。
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「現代における実存とは何か」という。哲学の篠原教授はそういう卒論テーマを出し、女子大生「珠」にだけ理由なき尾行というヒントを出します。
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 実存とは現実存在、いつも私が書いてます。実際の、生死からの感想、悟りや気づきという意味ですが……現実に触れた事のない教授に、ましてや学生には……しかし生は性、極言すれば。
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 映画は朝、珠が起きる所から始る。同棲の卓也はシーツの中から、珠の下半身を探りにくる。卓也は漫画家志望だが、本気の恋愛相手ではない。
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 つまり部屋と性を共有するだけは論文の題材にもならない。正しいコンドームの装着をすればだが、97%の正確さで避妊が可能です。この朝、二人は付けたのかな?
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 ただし日本におけるコンドーム避妊率は約80%とか、理由は正しい装着が出来ないから……中学でも高校でも教えないから。だが米国では70%、日本以下です。理由は教会が教えるのを禁止するから……
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 コンドームの装着法を教えても、実存認識は生まれない。寝た子を起こすことを教えなければ、妊娠も起きない……ト信じる。だから子供を下すような、大きな自体になる。免許を取るからクルマに乗りたくなる。クルマに乗るから事故が起きる。
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 実行すればおバカな事が起きる。おバカな子を相手にセックスするのはおバカです。だが、おバカな子のどこがおバカかかは、実際に付き合わなければ分からない……事故を逃れる為には免許を取らないという論理には……
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 二人の部屋の向こうに見える石坂夫婦を標的に、珠は尾行を始める。出版社勤務、石坂という男には意外な秘密がある。貞淑な妻と反対の性格というか、奔放な愛人がある。それで二重生活というのだが……
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 燃えつきた地図は、失踪者を追う探偵を書きます。この追跡話は前作「砂の女」と対になる。砂の女は、現実から逃げだす男が書かれた……実人生から逃げる。子供も2人も作れば、もういい。もしかして3人ですか?
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 どっちでもいいが3人、子供が出来てしまえば性欲は治まるか? そうはいかない。良妻というか、そういう妻とは別に愛人が必要になる。探偵は命がけで失踪者を追い、危険な目に会った夜、失踪者の妻と出来てしまう。
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 女子大生、珠は相手に知られ、接触したら終わりと条件づけられてます。石坂は卒論取材での尾行を許してくれるか? それは接触してみなければ分からない。許されなかった時どうすればいいのか。
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 楽しみな結末ですねえ……でも命がけでもない尾行で実存の卒論が書けるか? 本格主演第一作の門脇麦さんに命がけのシーンなんてありませんよ。残念ながらギリギリ生きるって、そんな事では足りない。