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2018年5月 7日 (月)

虹蛇と眠る女 映画

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 親子、親戚、隣人、友人……人は社会にあれば、当たり前に人間同士の関係や、やり取りに終始します。しかし植物や動物の存在やその関係性には、もう少し根本の意味を帯びる。
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 いや意味をも帯びる時がある。植物を採集して食べたり動物を捕まえて食べたりあるいはペットにしたり……しますねえ。だが人間社会の外に生きるコトは難しい。そう例えば親と喧嘩して……
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 林の中で生きられないかトカ思った事ないですか? 湧き水はあるから食料を確保できれば……トマト畑のトマトを盗むとか。つまり朝昼挽、トマトだけを食べて生きられないか?
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 まあゾッとしない想像で、私はすぐ止めてしまった覚えがある。第一トマト畑は自然にはなく、盗んで食べるのは野生や自然から自立したとは言えません。魚を釣っても、3度3度食えるほどには釣れません。
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「INTO THE WILD」という映画は、若い主人公がお父さんとの喧嘩して社会から出ようとする物語です。野生を生きるというサブテーマがある点で「レヴェナント: 蘇えりし者」でも自然が我々を呼んでいる。
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「虹蛇と眠る女」ではテーマが食べて生きる自然ではなく、女性がセックスで自然に帰ろうとする。オーストラリアの原住民に伝わる民話に基づく脚本と言うが、私が見るとそうなる、さあこじ付けか?
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 ニコール・キッドマンが脚本に惚れ込んで映画化、制作にあたったという。見たのだが私もしばしは解釈に困ります。難解です……私は人付き合い悪く、得意とは言えない。その感覚を伸ばして解釈した。
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 アスペの特徴と言われるが、そうかも……キャサリンの娘リリーは怪しい。男に下着姿を見せつける癖がある。いわゆる色キチの描写にある。人間性を問題にせず性的にのみ男を誘惑しようとする。
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 キッドマンが演じる母、キャサリンは昼間から夫マシューにセックスを要求し、あろうことか保安官を誘惑しようとする。マシューはこれに気がついていて娘リリーとの血縁を否定までする。むちゃくちゃな話だが、キッドマンが演じると説得力がある。
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 マシューが厳しいことを言った日、砂嵐の夜、リリーは家出して行方が知れなくなる。家の外に……オーストラリアの圧倒的な巨大な自然、植物が攻めあぐむ荒々しい地形、岩肌の露出した環境に人間は対抗し切れない。
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 白人は卑弱で原住民はタフである……あるかのように見える。原住民とセックスしたがるリリーは色キチではなくく、色キチだけではなくアスペ的な強さで、こうした自然と戦おうとしている。
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 キャサリンが高収入のマシューの妻を表面で演じながら、安月給で街を束ねる保安官の誠実な強さにも内面では魅かれる。あるいはすでにリリーは保安官の娘なのかも知れない。マシューも暗黙の内にはすべてを認める。認めざる得ない。
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 日本もドコへ行ってもコンビニがあるようになった。つまり人と人と人です。しかし人付き合いだけが生きる意味ではない。「INTO THE WILD」「レヴェナント: 蘇えりし者」「虹蛇と眠る女」といった映画はそう教える。

2018年5月 1日 (火)

ザ・イースト 映画

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 一見、FBIの婦人警官に見えるが、民間下請けとの設定。この設定、シナリオ執筆にあたっては主演女優が取材して書いたという。主人公が自己意思で、自由に動ける内容物語は斬新だが、物語全体では北欧ドラマ「ブリッジ」が先行している。
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 上司と合議の上でだがスパイとなる。ブリッジではヒロインは独身でポルシェに乗っていた。女の子に見えるが冒頭で夫が横に眠る。この夫はマヌケに見えても、主人公は30代半ば子供はいないが既婚者です。
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 潜行先の、組織のボスは知的でイケ面です。不倫はないが性を暗示するシーンはある。会社は絶対で上司にも服従、許される範囲での自由な自主……過酷な仕事だからお目こぼし頂くのでなく、自身で手探りする自由という訳です。
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 仕事はあらかじめ辞表を持って行う。昔はそういう設定がありました。むろん男、あの007だってロシアの女スパイと寝る訳で、敵の情報を取るためいうより美人でセクシーだから、組織からみたらワルです。
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 だから受けた。シェーン・コネリーはハリソン・フォードへ対抗するキャラクター設定です。だけどこの「ザ・イースト」は受けなかった。少なくとも日本ではヒットしなかった。間抜けに眠り込む夫より、信念を追行するリーダーにまいる方が人間的じゃあ……
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 主演のブリット・マーリングさん、キレイなだけではなく共同制作で監督、脚本、調査員までやった。役柄がちょっと本人を反映している。うんと反映かどうかは知らないが……J・キャメロンに対するC・ビグローとか、女性の制作監督の前例はあります。
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 主演も兼ねる作品はないでしょうね。だが、そういう時代に入っている。米国にあれだけ起こる乱射事件に銃規制がない。それで高校生が抗議デモって、大統領より高校生たちに義があるって思いません? 私は思います。
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 こういうと左翼とかリベラルいわれます。社会は薬害がヒドい、利害追求も行き過ぎてる。だけど言うだけ……私も学生に理があるといってるだけ……あなた家族が薬害に倒れることや利害追求は個人の自由、仕方ないと思います?
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 ザ・イーストでは自分は飲まないから薬害だって……食べ物を粗末にしても金を払うなら勝手じゃないか。自然なんていつかは壊れるからと……札びらを切って注目を浴びようとする人へ批判がある。
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 私も身障でヒョコ歩くと目立ちます。アスペだからイロイロ、特技はあって需要があればご披露申し上げます。目立ちたい訳でないが、まあ目立ちます。地味な人は好んで地味な訳ではなく……で嫉妬されます。
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 みんな一丸となって誰それを応援しましょう。それでトランプさんが大統領になってるから、異議を唱える人は裏切り者とされます。私は弱くても少数でも義のある方を支持します。ブリット・マーリングが美人で才能があるから支持してる訳ではありません……本当かなあ。
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●ブリット・マーリングの談話「無政府主義者やフリーガンのグループが全国にいることが分かったし、いくつかのグループとはしばらく一緒に暮らしたわ。彼らは食べ物の栽培法や、車の修理、身を守る方法を学び、小さな社会で暮らし、お互いに物を分け合い、もう一度、根本的に自律した存在になる方法を教え合っていた。当時は、この経験から映画が生まれるとは考えていなかったわ。ただ生活しているうちに、ストーリーがだんだんと形になっていったの」
●ブリッジ シーズン2
……やがて、キツネ、ブタ、ネズミ、ウサギのマスクをかぶった4人組の犯行声明ともいえる動画がネットにアップされる。犯人達は、人間による環境破壊を訴える。ペスト菌。毒入り食品。爆破事件。毒を注入された遺体。貯水池の薬品汚染。組織的な犯行でその手口はまたたくまにエスカレートしていく……
●相手の身体にさわりたいのは欲望であり、髪を洗うシーンは性交の極みか、女性が男に髪を洗ってもらったら……そういう意味と考えてよい。ズバリそのシーンをなぜ出さないか? 洗髪は不倫にならないから。

2018年1月14日 (日)

リピーテッド 映画

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 人生の半分を生きた……との認識は、40才ではないだろう。男は50代からでもないと後半とこの認識はない。だが主人公クリスティは朝、男の腕の重さに目が覚まします。彼女は青い目が印象的な白人です。
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 現実では40歳、覚えない夢の中では20代だった。それに軽く失望しながら、横に眠る男を重く感じる。すでに人生の半分を終えた。クリスティは事故による記憶障害で他のことは思い出せない。
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 そんな障害は現実にないのだが、映画の中でクリスティの記憶は夜までしか持たない。翌朝、目が覚める度に人生に失望する。リピーテッドは邦題で繰り返しの意味、原題はBefore I Go to Sleep……寝る前に。私hataは11才で障害児になった。10代ずっと、いやもっと長く朝の夢の中でだけ健常者だった。
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 つまり現実は受け入れ固く、夢から覚める度に憂ウツを極めた。クリスティを演じるニコール・キッドマンは40才に見えない容貌で特に書いたような目に、特別な意味がこもる。そういう訳で苦くにがく私は笑う。そういう事はある、悪気はない。
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 ニコールの左眉の付け根にはシワがある。シワを見ると、もう20代ではないのがはっきり判る。だが出来る事なら、まだ自分が20代であって欲しい。初めて接するように……それも分かる。人生には失望でなく、何の準備もなく期待だけを抱いて生きたい。
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 30代では準備し整理しなければならない。40になれば不可能はあきらめ、可能だけを伸ばす。人生の仕度、つまり老い支度のユウウツが始まる。身障者になった私は逆立ちしても出来ない事はできないと、夢は夢、無念は無念、早々と始末する必要があった。
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 出てくる男優、コリン・フォースさんは、女性に若い夢を見せてくれる人ではない。容貌も演技の質も……映画の現実からも、この映画は逃避して逃げ込めるコメディや、そんな安手の映画ではない。ある意味、苦い現実の味を突き付ける。そこが面白いのだが……。
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 自分はこんな腕の重い男は選んだのか? シャレで重いと思いをかけるのではないが、思いが駆け巡る。つまり不運な者は青春を早く終わりにして、人生の行動にかかるべきだろう。シリーズ「神様のカルテ」という小説、映画がある。
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 漱石の前期3部作に影響を受けた夏川草介さんのシリーズだが、これが3まで行って前の時代、0の青春に帰る。つまり40才といえど人は青春を立ち去りがたく人生を始めがたい。いかにも裕福な家に生まれた人らしい内容になる。私も早くに生に見通しを立てる必要があった。
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 その難しさは分るつもりだ、私もまた上手い人生整理が出来なかった。映画はほどほどの娯楽作で、自分を反映させながら見ていくと醍醐味が発揮される。40から50才、もっと過ぎた人でも可能かな? 若い人はコメディや夏川さんにした方がいい。
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 具体的には? 自分に子供はいるのか、いないのか。浮気相手はどうか? 思い出せそうで思い出せない記憶の謎をめぐってサスペンスフルに物語は進行していく。頼りになるのは家族ではなく、医師か親友か?
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 米国資本は入っているが基本的にスエーデン映画です。荒涼とした風景に白夜が見える。壁いっぱい写真の自分をはって置かなければ自然に飲み込まれそうです。監督ははっきりしないが、プロデュースは欧州出身のリドリー・スコット、シニカルが効いてます。いい意味での強かさ、これが邦画や米画にない映像を見せます。
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 身障者の私が健常者で生きたかったように、人は誰もがお金持ちでありたい。米国人、白人でありたい。なぜなら、そうであれば長いモラトリアムも許されるから。物語は納得の結末、いや意外な結末を当てて来ます。

2018年1月 7日 (日)

沈黙、棄教ということ

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 どの本をどう読むか、それは読者の勝手であり、作者や出版元にも何も言われる筋合いではない。だがそうは言っても双方向の時代、作者のつもりも読者の気持ちも、互いを述べ合うのも、また一興です。
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 去年見た新作の方の映画「沈黙」の棄教と、旧作の篠田版「沈黙」での棄教の違いに感慨がありました。原作の遠藤周作さんは、日本人的な思いと宗教的な思いとに、軽い矛盾があります。
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 日本人的部分には神道の影響もあろうが、まあ仏教的と言い換えられる。沈黙は神父の棄教を問題視し、それは一般信者のものと同一ではないが……キリスト教を信じない日本人には、むしろ考え易い入口になる。
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 実際の長崎奉行も、会った事はありませんが、神父に直接拷問は加えず、信徒の拷問を見せるだけにしたらしい。心だけの苦しみを与えたらしい。このテーマで芥川龍之介は「おぎん」を書いてます。作としてこの「おぎん」は必ずしも有名ではなく、私も知らなかった。
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 芥川は若い頃に読んだ。漱石を知ってからは読まなくなった。ある程度、年を取るとと芥川は読めなくなる。芥川は切り口鮮やか、感覚こそ鋭いが、漱石のように深い味わいといった物に欠け、体験を積むと物足りなくなる。
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 転び伴天連も有名なのは柴田錬三郎の眠狂四郎シリーズへの取り込みかもしれない。篠田版、映画への脚色にも遠藤本人が参加し、原作にない転び伴天連の妻帯を書き込んでいる。この影響は芥川でなく柴田ではト、私は思っています。映画はネタバレになるのもかまわずポスターにまで出している。
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 それでキリスト教的設定では、日本人でそのころ信者にならなかった人は(あるいは今もそうか?)全員、地獄に落ちる事になり、それでおぎんの実の両親は地獄にいる。必ずしも転ぶ必要のないおぎんは、育ての両親と分かれてまで、単独、地獄に落ちようとする。おぎんを追い、育ての両親もまた転んでしまう。
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 おぎんという作品は、そういった宗教的な貫徹と人情の矛盾から、芥川的な孤独を書く小説になります。遠藤はともかく芥川には、宗教的な矛盾を強調するつもりはなく、なぜなら芥川はおぎんの前にも「杜子春」でも似たような光景を書きます。つまり類型なの行為です。
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 芥川本人も養子で、実は親子の愛を信じていなかった。それで必ずしも必要ないのに何度も同じような養子話が出てきます。ただ遠藤も養子は養子で、育ての親からキリスト教の洗礼を受けさせられている。
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 一方、私たち日本人は大半、キリスト教教徒ではない。韓国あたりだとキリスト教信者の割合がもう少し多く、国民25%くらいとされます。日本では10%くらいですか? まあそれでも結婚式とクリスマスとハロウィンとで大半が臨時の信者にはなるから、それで良かろう。
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 別に悪いとは私は言っていません。生みの親は神道か仏教であり、育ての親はキリスト教と、遠藤や芥川や柴田は指摘しました、心情的な矛盾というか。心の奥に抱えた2枚舌の部分は消せない物として、私たちにのし掛かったと思われます。年末、お宅のお子さんは、どこかクリスマス会に行かれましたか?
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 また、あなたは家族へプレゼントを何か買われましたか? 「ウチはキリスト教じゃないからサンタクロースは来ない」とか子供には教えられましたか。結婚も教会式ではしない。不倫はしないつもりだけどワザワザ誓いは立てない……トそうなのですか?
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 だから新旧映画も、本の沈黙も何の関係もない言われますか? あなたは棄教した自覚はありますか。神道あるいは教育勅語、または仏教あるいはキリスト教を捨てて転んだ記憶はありますか? ないとすればなぜ、ないのですか?

●棄教=背教、改宗、信じていた宗教から他の宗教に転ずること,あるいは非宗教的立場に移行すること。〈棄教〉ともいい,いずれも放棄された宗教の側からの非難をこめた表現として用いられることが多い。

●6歳少年がサンタに出した冷めた手紙[12月4日 ロイター]
米バージニア州に住む6歳の男の子が、学校で書かされたサンタクロースへの手紙に「あなたは僕の悩みを知らない」などと書いた文面が3日、母親を通じてツイッターに投稿され、ネット上で話題を呼んでいる。
 小学1年生の男の子の手紙は「サンタ様」で始まり、「僕は授業のためにこれを書いているだけ。あなたのいたずらっ子リストは空っぽ。あなたのいい子リストは空っぽ。あなたの人生は空っぽ。あなたは、いままでの僕の悩みを知らない。さようなら」と書かれており、4日までに、ツイッター上で最も人気がある話題とされる「モーメント」に挙げられた。
 手紙は「love」で結ばれているが、「自分の名前は書かない」とあり、男の子は名乗ることを拒否している。

2017年12月31日 (日)

大人のための人生入門 映画

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「シーモアさんと、大人のための人生入門」には、すでにメモ書きが出来てます。平たく言えば、公開レッスンやインタビューを合わせたキュメンタリー映画です。だが中身は濃い。ツタヤも大きい所でないと在庫がない。
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 シーモアもしくはセイモアさんの指導はピアニストのための物であり、演奏会での緊張を問題とする。とりあえず原点を起点に、考察や指摘はやがて人生の多岐にわたる。原題はSeymour: An Introduction 紹介の意味。
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 監督はイーサン・ホーク、ビフォア・ミッドナイト3部作の脚本も演技も素晴らしかった、本職は俳優です。彼も演技と自己の間では演奏家のように苦悩したらしい。これに対するシーモアさんの答えが振るってます。
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 大衆の望むものと演奏家の望むものは違う。だから芸術家は孤独を糧とする。孤独の中から紡ぎ出されたものを提示する、演奏会は緊張せざるえない……なるほどね。だけど自分の孤独が食えるなら、客との間の緊張だって食えるだろう。
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 緊張をエネルギに変え。練習では出来なかった演奏は、不可能か……そんな減らず口を言ってみたい気もする。このDVDは音もいい。ピアニストの諸田由里子さんは音が澄んでいると言ったが、録音もいいので私の部屋にピアノを持ち込まれたような錯覚が起こる。
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 もっと根本的な問題は人はなぜ自閉するか? シーモアさんが演奏家を止めて指導に回ったように、グレン・グールドは録音演奏専門になってしまう。グールドは神経症で、シーモアさんは違うように言っている……グールドは動物園で象の前に行って、象をノセるシーンを撮らせている。
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 シーモアさんはイーサン・ホークをノセて映画を撮らせたのではないか? 自閉して孤独を糧にする、言葉の意味は入れ子、マトリョーシカになっている。私とグールドではむろん桁が違うだろうが、医師に過敏症と言われ複数回、悪い方に評価されたことはある。
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 友人間での悪い評価は嫉妬が絡んでいる。身体障害はお互い様だが、私の場合は劣等感を逆手に取れる時もある。泉谷しげるさんのステージを生で見て「ア、やっぱり同じなんだ」思ったことがあります。あの人もシャイで障害がからむと何も言えない。
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 身障者の劣等感のせいだと思っていると、犬や猫の子供好きは、子供の劣等性を埋めようとする……イルカなどの哺乳類も犬猫と同じで子供好き、人間の子供も好きで。時には大人の身障にも配慮を見せる。重度身障者の障害感と現実は矛盾します。
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 その辺を私風にいえば、自分の孤独が食えるんなら他人との間の緊張だって食える、そういう表現になる。これは何度見ても飽きる事のないDVDで、日本美術の若冲の絵あたりと重なって行きます。
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 シーモアさんは恋愛体験が空しい。時間的に長い意味を持たないト最初の方で言います……では子供の意味は? 弟子の子は子供ではないか。ここに出て来る生徒さんは(イーサン・ホーク監督を含め)みなシーモアさんの子供たちと読めます。


●「シーモアさんと、大人のための人生入門」http://www.uplink.co.jp/seymour/aboutseymour.php

2017年12月21日 (木)

聖夜にて

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 ありがたいと思う気持ちを表すこと、または気持ちその物を感謝という。別に難しい事ではないが、平素に抱けない。なぜなら人の心は大抵、フラットではない。昨日のニュースでは6才の少年がサンタへ覚めた手紙を出した。
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「僕は授業のためにこれを書いているだけ。あなたのいたずらっ子リストは空っぽ。いい子リストも空っぽ。あなたの人生は空っぽ。あなたは、今までの僕の悩みを知らない。さようなら」。サンタへの手紙は「love」で結ばれているが、「自分の名前は書かない」とあり、男の子は名乗ることを拒否している。
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 仏教で感謝と言うこのことをキリスト教では愛という……少し違うかもしれないが何、大差はない大筋で同じです。だが愛し合う同士を見て、嫉妬する人がいるように愛を抱くことも平素は出来ない。私などは通りにすれ違う健常者ごとに嫉妬しますので、かなりの所、頻繁に忙しい。そこの胴長で足の短い君、君のことも忘れずに嫉妬しよう。
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 悟るというと難しいが最後まで知って気がつく。映画「メッセージ」を見終わって、すぐにもう一回見ることにした。コーヒーも入れずにそう思ったのは間違いかも知れない。もう1回みれば結末が変わる気がした訳ではない。自分が結婚する相手と、生まれてくる子の行末までも知った上で、人生をもう一度生きてみよう。
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 最後まで生きてみようとする。つまり知る事は許しに似ている。感謝できる結末かどうかは生きてみなければ分からない……どうであったとしても許せるだろう。ここでの許しと感謝はほぼ同じか……厳密な解釈はしらないが何、大差はない大筋で同じならそれでいい。そう思ってネットを検索すると、映画「メッセージ」についてこんな記載があった。
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「こんな話に誰が納得するか。こんな話を引っ張るなら宇宙人と戦争しないと意味ない。観客はそれを待ってる。インデペンデンス・デイのほうがマシ」
 いやあ、なるほどと思う。つい笑ってしまって困る。この感想はちょっとしたギャグだが、書いた人は本気です。知らないでコップの水をこぼすように、無意識で感じる感謝は感謝だろうか。こぼす事はあっても無意識に水を汲むことはない。キリスト教より仏教は少し無理をしているいうか、意識過剰なのです。
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 仏教の意識過剰には理由がある。ブッダが仏教を始める前に、インドにはヒンドゥ教があった。ヒンドゥ教とはカースト製や多神教の、仏教の土台となる宗教です。私は前世とは潜在意識のことではないかト思っている。私が子供の時に、両親や家族の影響を受けたように、仏教はヒンドゥ教の影響を受けた。
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 キリスト教はユダヤ教の影響を受け、イスラム教もユダヤの影響にあった……違うかもしれないが、私は私の考えだけで生きているように見え、潜在意識の上に生きている。意識下の愛は憎悪や劣等感に影響され、明確な意識も存在する。つまり完全に自立した意識ではない。
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6才の少年がサンタへ覚めた手紙を出すように、私の神への祈りは他愛なく歪んでいる。私の愛は歪んでいる。むろん憎しみや哀しみや、その他様々な感情や前提や思いも、似たようなところにある。少しましな部分もあるかも知れないが、それは錯覚というものだ。

2017年11月15日 (水)

こわれゆく世界の中で 映画

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 タイトルは物々しいが「世界」ではなく「こわれゆく家庭の中で」です。建築家ウィルはリヴとその娘と同棲、共に暮らした。ビーはウィルの実娘ではなく自閉症児、リヴとの間はしっくり行かなかった。
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 つまり同棲は失敗で、ウィルは母娘と別れたがっていた。だが同棲は長くなり過ぎた。ウィルは意識下で解放を求めた……文章でなら大筋こうだが、映像でどう説明するか? この映画ロクに説明してません。
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 おまけに英語映画だし、私には分かりません。見終わった後にコメンタリーで「え、そういう話だったの」テナもんです。英語が出来る人なら分かるのか読めるか? まあ無理でしょう。単なる恋愛映画ではなくカルトムービーです。
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 ただアンソニー・ミンゲラ監督はこの手の話が好きで97年『イングリッシュ・ペイシェント』03年『コールドマウンテン』と、どちらも似たような細部はありました。今回は身障児に原因があり、私はそこが興味深い。
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 身障児がいると母子関係が濃くなって、一般にも夫、お父さんは行き場がなくなる。小規模には健常者と友人関係でも起こりうるので困ってしまう……これほど典型ではないが、まあ有りうる話です。こういう話は一般に邦画に出て来ません。
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 夫婦、子という三角関係に次児が生まれ、四角関係に発展して問題は自然解決というか、解消していく。だが身障児というと自然解消とはいかない……そういう話ですが、ウィルの浮気相手アミラ、この未亡人の息子も高機能自閉症らしい。
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 ウィルの事務所に強盗が入る。犯人は鳶職のような高い身体能力を持ち、盗賊団と関係しているという設定です。書き忘れたがビーも似たような身体能力で、体操選手を志願してます。同じような二組の親子の間に、ウィルは同時に介入することになる。
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 監督脚本のミンゲラさん、何を書こうとしているのか? 一組の愛には答えがないが二組の愛には答えがある。二組の家族の間に立って、ウィルは連立方程式を解くように答えを導き出します。ただネエ……設定が異常というか?
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 ミンゲラ監督自身が高機能自閉症、アスペルガーを認めています。ウィルやアミラは嫉妬心が薄くて素直に愛を受け入れます。普通は嫉妬心が邪魔してチャンスや、見出された解決策が受け入れられない。感覚が大人なのです。
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 この映画はトリッキーというか奇想天外な映画ではないか? コメンタリーによると本作は140分の大作だったのを(監督には標準サイズ?)120分に縮めた。アスペルガー説明部分も切ったと言います。それで判り辛い部分があるのか。
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 逆にいうと映画公開があまり不評なのでコメンタリーを付けて説明したのではないか? そう思われます。未公開シーンでは生理を嫌がり、大人になるのを拒絶するビーとか、母の仕事を嫌がる息子の様とか、内向する病気の欠陥を指摘します。単に病気による欠陥ではなく、それは社会の欠陥、国が持った欠陥に似ている。そういう意味では「こわれゆく世界の中で」いや間違いない。

2017年10月25日 (水)

水泳やめる理由

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 今頃になってDVDで「悼む人」を見ます。関心はあって何で見なかったかは分からないが、まあ、一種のお伽話の内容は、好みが分かれます。

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 今回は映画の話ではなく、主演の石田ゆり子さんの水泳愛好家としての挙動です。つまり氏は「悼む人」のプロモーションに出てきて、水泳を止めた話をしてます……何でまた、聞きたくなるのに理由は言わない。この画像は少し前の物かと……

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 水泳を止めて6年、もう水も見たくなくなったそうな……その理由を推理する。バカですねえ。水泳は中毒になり、プールに行かないとイライラします。ましてや水を見たくなるなくなるまでには並大抵ではない。

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 吉永小百合さんはバタフライで週に6キロほど泳がれます。2,3回に分けて毎回2,3キロという所か、これを見てかどうか? 桃井かおりさんは宮沢りえさんを誘ってスイミングスクールに行ったそうな。およそ30数年前。

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 この頃から水泳は俳優女優の心得として注目された訳です。石田さんも水泳を40年くらい続けられ、女優としてより子供の習事から、どちらにしろ似た計算になります。「奇跡のアラフィフ」には訳がある……とすれば止められた理由とは?

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 伊達公子さんが再デビューされた時にピラティスと水泳をされていた。言動からはピラティスが上位で水泳は下位でした。その後、ピラティスやホットヨガ、ただのヨガは、体幹、インナーマッスルを鍛える方法として注目されて行く。

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 はっきりはしないがそういった流れがあるのでは? つまりゴジラ松井だけではなく高校野球が水泳を取り込み、ハリウッドスターが自宅に25mプールを作るのは、何ら関係はないものの読む分にそう読めます。

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 伊達さんの水着写真は出ており、私は見ました。逞しくも仁王像のようで、言っては何だが女性を褒めて言うに適当ではない……しかしテニス姿も基本的にそうなので現実というモノでしかない。

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 伊達さんでなくシャラポアさんだと顔に目がいくのだろうが、試合のリアルは誰だろうが違いはない。毒を喰らわば皿まで、国策に沿って違法薬物を打った事実も消えない……それがプロという事です。

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 論理は脱線したが、伊達さんは尊敬するが私はああは成りたくない。試合のプロではない女性は思うのではないか……言うのが私の推理です。むろん何と思おうと勝手であって水泳もピラティスも各自の自由です。

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 筋肉っぽくない。ふわっと健康がどこかにないかしら……いうのが石田ゆり子的な本音ではないのか? 水泳では筋側に効きすぎる、証拠としては、最近インナー筋トレ両にらみのトレーニング用のゴムチューブの類がよく売れている。

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 インストラクターや女性の客に聞いてみよう。いや「悼む人」のお伽話の部分をもう一度、見てみよう。

2017年10月10日 (火)

カズオVS春樹

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 村上春樹はダメで、なぜカズオ・イシグロがOKになったか? 今年のアカデミー文学賞の選考理由は、すんなり理解できました? 去年度に村上の受賞はない。そう断言した私としては首を縮めました。
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 ざっくり言うと「ノルウェイの森」になくて「私を離さないで」にあるモノ? 2作を比べ見て、ひとつ謎を解いてみましょう……いい加減過ぎかな、いや話題をゲーム化して文学で遊びましょう。
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 文学とはいうけれど2作はどちらも純文学ではなく、内容が軽い言うか、若向き、誰でもチャレンジできます。恋愛が題材であって、人生の長帳場についての言及は薄い。それもこの際は長所と取りましょう。
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 新刊ではないのでブックオフなら、両作そろえても千円で買えます。DVD化もされているので200円あればレンタルも可、本を読み慣れない人でも参加も出来ます……私も再読はせず映画です。
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 話の方向をあらかじめ絞りますと、表立っては書かれませんが、潜在的には宗教の違いが根底にあります。つまり仏教とキリスト教による解釈の違い。キリスト教は奇跡に祈る宗教で、仏教は悟りを開く。マインドフルネスとか、悟りに注目が来てます。
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 「森」の直子は20になり、2人だけのバースデイです。ワタナベに向かって印象的な事をいう。成人までの時間に猶予があればいいのに、19才からもう一度18才にもどり……ゆっくり20才になれたら生きる事が苦しくないのに……生きるのが苦しいと感じますか?
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 ここは「離」の臓器提供の猶予制度と似ている。「離」に出て来る主人公たちは臓器提供のために生かされ、およそ20才から30才までに死ぬ運命……ただ仲間うちで本当のカップルになれたら提供は3~4年、猶予されるらしい……そういう設定です。
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 生きるのが苦痛な直子は精神病を発症し、自主的にサナトリウムに入ってしまう。大人になると責任が伴い、それで自殺や精神病を発症しやすくなる。私にも統合失調から自殺に至った友人があります。それは判るが精神病にサナトリウム療法はない。ウツ病にも統合にも、そんな治療は存在しません。
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 ここは提供と同じフィクションです。結核のサナトリウム療法は「風立ちぬ」でも描かれ、まあ、あんな感じです。私は結核ではないが、20才までの3年ほどをサナトリウムで送りました。直子が望むような、一種、ゆるい場所で……村上さんの意図が、ある意味ではよく分かる。
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「離」のヘールシャム学校やコテージや一種のサナトリウムと読めます。では社会がルールを甘くしてあげれば、直子は無事に大人になれたか? 「森」では奇跡は起きない。ワタナベを置いて直子は自殺してしまう。「離」では猶予のルールが、不確かなまま噂で伝わり実際は……青春にサナトリウムは効くか?
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猶予されれば主人公たちは深く生きられ、提供するから浅い生になるのか? 一人になった主人公も、自分の提供日をむかえ「提供を受ける人も提供する自分も同じこと」ト悟ります。奇跡を求め奔走するのがキリスト教的で、仏教では終りを見届け、その意味に気がつく。
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 ワタナベにとっては青春全体がサナトリムで、もっと言えば3人の女性とのセックス自体がサナトリウム効果をもたらし、こういう形であれば不倫にならない。あるいは罪が軽い……つまり仏教的です。でもセックスは結婚の形を取らなければ許されないのでは……そうみればキリスト教に縛られる。
 それはともかくこう見てくると両作は似ている。偶然似たのはなく、イシグロさんが村上を読んでいたから……そう考える方が自然でしょう。「ノルウェイの森」に影響されて、宗教の違いをより意識して「私を離さないで」は書かれた。
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 提供するとされるが同じか……むろん議論は分かれます。人という字は支え合う二人という解釈はよく言われる。ホントは支える人と支えてもらう人が一緒にある。キリスト教も宗教、仏教も宗教、こういった適当な話をして経済活動にする……幸福のために不倫を許しあう愛だってアリなのでは?
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 長命化とか超能力とかタイムスリップとか、簡単にいうとあれ全部、奇跡です。奇跡が起きれば人は必ず幸福になれるか。キリスト教的な価値が大きくなり過ぎて……仏教的に緩和が図られた。マインドフルネスの流行や、ノーベル文学賞選考にも入り込んだ……それが私の読みになります。

2017年10月 4日 (水)

パルムの僧院

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 誰でもそうと思いますが、地震はどうしたらいいか判らない。熊本市では震度7の地震が続けて2度あり、いい大人が手も足も出ず、困り果てた体験があります。
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 あんな地震がもう一度あれば、さすがにガスを止めテーブルの下に逃げ込むくらいは出来る。だがそれ以上に賢い行動を取る自信は未だになく……体験の意味はそんなものです。
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 ここで地震と自信をかければ話は落ちる。いい大人になれば大抵のことに、人は自信を持てるが、大岡昇平さんも恋愛体験に(性愛も含む)どうやら自信が持てなかったようです。
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 漱石にもカミさんがあった。愛人どころかカミさんももない私としては、両方あった大岡に教えを乞うしかなかった。だが大岡の自信のなさは私の地震体験どころですらなく、なんとも青天の霹靂となった。
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 そこで大岡の専門のスタンダールを見た。「パルムの僧院」は恋愛心理劇。若き貴族、ファブリス・デル・ドンゴはつまらない事で殺人を犯し、城内に幽閉される。そして人生の失敗が決定するまでの物語がスリリングに進む。
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 主人公は運命、あるいは出世をめぐって、年上の女性と若い女性の間を、行き来する。テーマと構成は「赤と黒」と大きくは変わらない。つまり災害心得手帳とか避難袋づくりが流行ったように、スタンダールは恋愛論を書いている。
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 年上の女性は具体的には母のことです。スタンダールの父とは不仲で、母はスタンダールを溺愛した。愛されるから愛を学び、愛する方向に向かう。受動から能動へと形を変える心理が、スタンダールの書いた恋愛術となります。
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 母の束縛がうるさいから、スタンダールは兵隊になってナポレオンのように出世しようとします。しかし武術の才なく軍で出世は出来なかった。「パルムの僧院」では決闘シーンがあり、若いファブリスは中年男をやっつける。
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 漱石は八雲のようには人望がなかったので、三四郎ないでは生徒に人望があったと書いてます。大岡は「事件」ないでは姉妹に男を取り合うシーンを演じさせる。私はそんなの何も書けません。
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 スタンダールは軍でイタリアに遠征体験があって作品にもチラチラ出て来ます。こういった先に若い女性と体験があるかも知れません。恋愛は男女どちらかがリードしなければならず、あまり平等にこだわっても進展は難しい。
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 年長者が普通はリードします。しかしリードする体験、される体験をペアで持たないと不満は残るでしょうな。実際にはリード体験のある男が、次々と女性をリードします。性愛に主なウエイトを置いて……
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 性愛ももちろん重要事項ですが、あまり重点を置かれても困る。食事、飲み物、美術、音楽、スポーツにアアだこうだ相性のすり合わせあうか、ある訳です。そんな面倒なといって重要事項だけ重点を置いて、あとは金で済ます。
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 そういうのもあり、どういうのもありです。スタンダールの時代はキリスト教が支配権を持っていて、一応の目安にはなった。そういう物の何もない自由社会と、どちらが生き易いのかは人による。
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 どうしたらいいのか困り果てる……その意味で恋愛も地震と変わらないモノという認識があった気がする。震度1か2の恋愛では困らんが、震度7で人生を揺さぶられる恋愛は困る……ただ人生に、そういうのはなしで終わる可能性の方が高い。
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 熊本もまた地震は来ると考える人と、来ないではないが何十年かは来ないと考える人があります。年の70に近くなって恋愛に準備なんか私はしません。そう決めると大岡の気が知れてくる。ただ問題は漱石です。