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2018年8月 1日 (水)

オウム真理教事件と「虹の階梯」

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 オウム真理教事件が話題になります。あの事件は何だったのか、よく判らないまま主要幹部は死刑にされた。麻原彰晃、松本智津夫が教祖になって、信者を出家させサティアンに受け入れた。仏教まがいの形は何だったのか?
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 1981年7月の出版、中沢新一著「虹の階梯」階梯とははしごの意味。著作は ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェさんとの共著ということになっています。ラマというのはラマ教のラマで指導者、ほとんど中澤さんの著作に見える。
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チベットでの仏教の洗礼法に取材した。つまり取材先という方が正しいのではないか? ラマさんいうのはダライラマのラマと同じ意味ではないか? 麻原を尊師と読んだ言い方を連想させる。むろんラマさんを麻原と一緒いう意味ではない、
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 これによると修行は個人によらず教祖と弟子の関係性で行われる。本の表紙は二人が絡み合った図になります。よくよく見ないと分からない絵ですが服を着たまま抱き合った教祖と弟子、それはセックスに見えないこともない。信者が受け取るのは、悟り言うよりも神秘体験です。
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 日本ではお寺で、私たち信者は坊さんから一方的に教えてもらう。学校の教師と生徒に近い。それが二人三脚と言いますか、共同作業で境地を切り開くというのは、聞き始めです。この「虹の階梯」がオウムの始まり、ネタ本だったと言われます。
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 入信、出家の目的は悟りでなく、よくいえば教祖に体験を授けてもらう。取引要素が大きい、オウムでは体験を買う訳です。体験はひょっとするとセックスかもしれない。いかがわしい感じが私はします。障害者の私は、奇跡は信じません。むろん神秘体験も疑わしい。
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 持ち金を全部教祖に委ね、つまりお寺に寄付する。そして神秘体験を得たい。その気持ちは分からないではない。私は身障児になり元の健常児には戻らない。医師に言われました。この決定的体験は受け入れがたく、神に見放された感覚がある。どうしてもある。
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 人によっては自分ともあろうものが病気をしたとは受け入れがたい。不条理いう気持ちがあります。おそらく麻原もそういう気持ちだった。見えなくなっていく、そして父に盲学校に入れられる。それが納得できなかった。不条理といいますが、やがては不条理を感じる人の心にも付け込んだ。
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もっと軽い事例で、たとえば失恋します。20代で失恋をして痛手が固まります。(実例はシュルツの漫画チャーリーブラウン)また例えば地震があって混乱が受け入れられない。そういう方もあります。神秘体験をすれば、こんな不運な自分、不条理からも別れられる気がする。
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 父母に思うように愛されなかった麻原は、教団を通して父母への憎悪を増幅させた。不条理から自分だけ立ち直りたい、そういう人はいるもんです。私はその辺にオウムのリアリティを感じます。信者の内面に受け入れがたい現実、バブリーな日本いうか、そういう歪みもあるでしょう。
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トラウマになってしまう感覚、神に見放される感覚は違うが……いろんなことにあって自分の財産を叩いても、したい事とは何なのか? オウムの場合を研究されてよかった。少なくとも普通の仏教に入信したい人と。オウムに入信したい人とは違うようです。虹の階梯をざっと読むとそのような感じがします。

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