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2018年8月

2018年8月15日 (水)

ビッフェ探し

 天草まで行くと1750円から3500円の海鮮丼があるそうな、ただ天草となると別にガソリン代というかバス代がかかる。熊本市から天草までの代金は?
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 熊本電鉄の日帰りバスツアーが6600円という。イカ刺食いに、なぜか佐賀まで連れて行くという。むろんどこへ行くのは個人の自由だし天草へも勝手となる。
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 カレービッフェだと6回、いや8回行ける。例のリバーサイドホテル、グラン・カフェでは、
「また来て下さい」というので割引チケットは私の手の内のままになっている。カフェというからにはコーヒー込みで、コーヒー好きの私にはありがたい。
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 また行ったグランカフェでドライカレーにトマトルーをかけて食べた。辛いライスに少し甘いルーが染みた。甘くないクロアッサンをブラックコーヒーで食べるのも初体験で面白かった。
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 マンナコーヒーの場合、ここは上通りのイタリアンの店でコーヒー店ではない。17時から20時までのビッフェで900円だがドリンクは込みなのか別なのか? 行ってないのでよく分からない。その後、こういう店は他にもある事が分かった。
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 駅前のザ・ニューホテル、フォンタナ、つまり旧のニューオオタニです。カレー・ビッフェがあるという。料金はシニア割引で1400円くらいになる。
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 切り抜きを持って行くとステーキをサービスするらしい。少し高い分、色いろグルメっぽい感じがある。ちょっとだけ孤独のグルメが出来るかな。
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 「孤独のグルメ」に影響されて、知らない街の知らない店に飛び込む。美味かった試しがないト、ネットに記載があった。
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 ご承知のように番組には原作マンガがあって、それを久住昌之さんが書いている。その久住が言っているのに、昔、夜汽車で駅弁を食べた体験がヒントになった。番組のヒットには……
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 紹介の店を探すのにも、今はデータマンを使うなど苦労しているのではないか? つまり飛び込みで、あんないい店がある訳がない。
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 簡単にうまい店が見つかるト思う方がどうかしている。私も若いころ、貧乏旅行をしていて天婦羅屋で揚げているエビを一匹だけ買った。
 そのエビを割ったバケットに乗せてもらおうとすると、
「オオッ、粋な食い方するねえ。ちょっと待ち、ソースかけてやるから……」なんて言われた体験がある。どんなに遠く旅立っても、人は思い出に帰る。
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 久住にも孤独と引き換えに自由だった、若い頃があるのだろう。スーパー、コンビニ。ドラッグストア、今は食材なら何でもある。飽食の果てに好物を失くし、行き場所を失くしたにしろ、それも自業自得か?
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 簡単に思うものは見つからない。当然といえば当然なことです。

2018年8月 1日 (水)

オウム真理教事件と「虹の階梯」

Photo

 オウム真理教事件が話題になります。あの事件は何だったのか、よく判らないまま主要幹部は死刑にされた。麻原彰晃、松本智津夫が教祖になって、信者を出家させサティアンに受け入れた。仏教まがいの形は何だったのか?
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 1981年7月の出版、中沢新一著「虹の階梯」階梯とははしごの意味。著作は ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェさんとの共著ということになっています。ラマというのはラマ教のラマで指導者、ほとんど中澤さんの著作に見える。
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チベットでの仏教の洗礼法に取材した。つまり取材先という方が正しいのではないか? ラマさんいうのはダライラマのラマと同じ意味ではないか? 麻原を尊師と読んだ言い方を連想させる。むろんラマさんを麻原と一緒いう意味ではない、
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 これによると修行は個人によらず教祖と弟子の関係性で行われる。本の表紙は二人が絡み合った図になります。よくよく見ないと分からない絵ですが服を着たまま抱き合った教祖と弟子、それはセックスに見えないこともない。信者が受け取るのは、悟り言うよりも神秘体験です。
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 日本ではお寺で、私たち信者は坊さんから一方的に教えてもらう。学校の教師と生徒に近い。それが二人三脚と言いますか、共同作業で境地を切り開くというのは、聞き始めです。この「虹の階梯」がオウムの始まり、ネタ本だったと言われます。
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 入信、出家の目的は悟りでなく、よくいえば教祖に体験を授けてもらう。取引要素が大きい、オウムでは体験を買う訳です。体験はひょっとするとセックスかもしれない。いかがわしい感じが私はします。障害者の私は、奇跡は信じません。むろん神秘体験も疑わしい。
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 持ち金を全部教祖に委ね、つまりお寺に寄付する。そして神秘体験を得たい。その気持ちは分からないではない。私は身障児になり元の健常児には戻らない。医師に言われました。この決定的体験は受け入れがたく、神に見放された感覚がある。どうしてもある。
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 人によっては自分ともあろうものが病気をしたとは受け入れがたい。不条理いう気持ちがあります。おそらく麻原もそういう気持ちだった。見えなくなっていく、そして父に盲学校に入れられる。それが納得できなかった。不条理といいますが、やがては不条理を感じる人の心にも付け込んだ。
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もっと軽い事例で、たとえば失恋します。20代で失恋をして痛手が固まります。(実例はシュルツの漫画チャーリーブラウン)また例えば地震があって混乱が受け入れられない。そういう方もあります。神秘体験をすれば、こんな不運な自分、不条理からも別れられる気がする。
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 父母に思うように愛されなかった麻原は、教団を通して父母への憎悪を増幅させた。不条理から自分だけ立ち直りたい、そういう人はいるもんです。私はその辺にオウムのリアリティを感じます。信者の内面に受け入れがたい現実、バブリーな日本いうか、そういう歪みもあるでしょう。
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トラウマになってしまう感覚、神に見放される感覚は違うが……いろんなことにあって自分の財産を叩いても、したい事とは何なのか? オウムの場合を研究されてよかった。少なくとも普通の仏教に入信したい人と。オウムに入信したい人とは違うようです。虹の階梯をざっと読むとそのような感じがします。