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2017年10月 8日 (日)

倫敦塔~ジェーン・グレイの処刑

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 ロンドン塔は古い城塞だったが、政治犯を幽閉する監獄、処刑場として使われた。禍々しくも今なお幽霊が出る。つまり熊本城とは違う。漱石がロンドンに行ったのは1900年、明治でいうと33年、33才のこと子供も生まれた後のことです。
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 漱石が亡くなるのは49才、言うまでもなく今の一生から考えると、ずいぶん短い。「倫敦塔」を書いたのは直後ではなく5年後、38才、東大講師時代に書かれます。「倫敦塔」が先で同じ頃に「猫」を連載、あいだには「坊ちゃん」も書きます。
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 それで気になるのは漱石が倫敦塔に行った。そこでこの絵「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を見たという内容を……文章にした動機です。同じ頃に書いたのなら猫も同じ動機と思われますが……5年後に何でこんな話を書いたんでしょうか?
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 懐かしい思い出、楽しい思い出いうなら分かりますが、こりゃあハーンか、泉鏡花です。 鏡花はあれが趣味ですが、漱石は違う。絵を思い出し取り上げた動機がある。そう話を立てましょう。絵の説明いうか、漱石が文章で再現を試みた所を下に引用します。(青空文庫からの引用、よみがなが混じる)

「猫」とは違う文体で、どこを違えて分けたのか……ただジェーン・グレイのように禍々しく写されているのは、ある意味で猫も同じです。誰にも受け入れられなければ死、「猫」は冒頭で書生に食われると読者にうったえています。
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「倫敦塔」では塔に入る前に子連れのジェーン・グレイに似た女性を見かけたという。親子は鴉の話をしていた。本当だか幻影だか作ったのだか、それは知りませんがね。そういう意味では似ている。いえ漱石は間を置かず、2つの作品でほぼ同じことをアピールしてます。
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 「倫敦塔」は当時としては常識的な漢文書き下し体というか、この3年後「草枕」でも使われる。猫の方を発展させた文体は「坊ちゃん」で、猫の文体は落語です。漱石は小さんの落語が好きで原稿用紙の上で、小さんのマネをした。
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 だからユーモラスなんです。倫敦塔のような漢文体で何本も書いていたら、自分の息が詰まる。東京大学講師で食えるようには成ったものの、学生の評判は悪く教授たちへの評判も悪く、漱石は陰鬱でした。教授になれない講師で終わる可能性があった。
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 漱石の持病は今で言う、躁鬱か統合失調かは知りません。予定より早くに帰国した。後の修善寺の大患とか「行人」執筆中の行き詰まりとか、精神病を抱えていて……実は漱石は発病発作寸前だったト、私は思います。そうでもなければこんな陰鬱な文章は書きません。
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 むろん評判になったのは猫で、しかし評価が高かったのは草枕です。草枕を見て朝日新聞は雇いに来ます。だから東大を辞める、辞められたのです。用心して編集長ではなく社長と約束を交わす……それは先のこと漱石自身は、文明開化落語体とも言うべき文体で、自分の鬱を笑い飛ばしたかった。
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 新聞一作目に「草枕」のようなと注文があったかも知れません。そして「虞美人草」は漢文調です。何しろいまだに「草枕」を褒める人があります。坊ちゃんはダメだ、言う人がダメと私は思う。猫や坊ちゃんで開発された文体は「三四郎」に統合されて行きます。
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〇倫敦塔より 「 女は白き手巾ハンケチで目隠しをして両の手で首を載のせる台を探すような風情ふぜいに見える。首を載せる台は日本の薪割台まきわりだいぐらいの大きさで前に鉄の環かんが着いている。台の前部ぜんぶに藁わらが散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎ようじんと見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩くずれている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣ほうえを裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色こんじきの髪を時々雲のように揺ゆらす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉まゆの形、細き面おもて、なよやかなる頸くびの辺あたりに至いたるまで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳かけ寄ろうとしたが足が縮ちぢんで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探さぐり当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前さいぜん男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分すんぶん違たがわぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫おっとギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺ゆり越した一握ひとにぎりの髪が軽かろくうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真まことの道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹きっとして「まこととは吾と吾夫おっとの信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後あとならば誘さそうて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色すすいろの、背の低い首斬り役が重た気げに斧をエイと取り直す。余の洋袴ズボンの膝に二三点の血が迸ほとばしると思ったら、すべての光景が忽然こつぜんと消え失うせた。」


〇作家でドイツ文学者、中野京子氏が2007年に出版した美術書「怖い絵」シリーズで紹介した。ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(1833年)が10月7日から上野の森美術館『怖い絵』展に来てます。ロンドンまで行かなくても絵が見られます。解説は中野さんが書かれたか、吉田羊さんが読まれたそうな。

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