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2017年10月17日 (火)

若冲の鶏

Niwatori

 伊藤若冲の絵の謎を解くべく、県立美術館に向かいます。「私の絵は1000年後に理解される」との言葉を残した。天才絵師は極彩色と精密な筆致で鶏(オナガドリ)などを描き「神の手を持つ男」と呼ばれています。
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 今日の天気予報は雨、それでも曇空はわずかに青い部分も見え……どこにも寄らずに急げば振られずに帰れそう。パンフレットで見る若冲は、ニワトリが好きで庭に数十羽放し飼いにしていたという。
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 なぜ鶏が好きか? 本当は孔雀を飼いたかったが当時は無理、では、なぜ孔雀か? 孔雀は鳳凰のモデルで……生きた鳳凰を無理にも見るには、鶏を飼うしか手段がなかった……もっと理由はなかったか?
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 そこまでは現物の絵を見なくとも分ります。絵を誰かが描いた絵に学ぶのではなく、極彩色と精密の現実から学びたかった。誰かがすでに概念化した概念は、本当とは限らない。若冲はリアリストだった事を示します。
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 似たような話ならあって、レオナルド・ダ・ビンチは最初から師匠より上手かった。師匠の絵をなぞって上手くなったのでなく、観察力、写実力が師匠よりあった。現実を師匠としていた事を意味します。
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 レオナルドはアスペルガー症候群だったといわれる。高機能自閉症と訳される。現代と違う限られた絵具、墨はワンタッチで一気に書かれている……若冲の絵は修練の技も見られる。ついレオナルドと比較したくなる。
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 そうか、自然や現実から学べば誰でも天才になれるのか? そうは行きません。鶏の動きは早く目に止まらない。虫を見つけると首を縮めて寄り、次の瞬間にはバネ仕掛けのように早く首を伸ばし食べていて……のみ込む仕草が見えるばかり。とても絵になんて出来ない。
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 むろん虫を狙ってない、動作の準備もしない時の、止まった絵は描けますが、それを描いても生気を封じ込めた事にならない。動かないポーズではなく、前のポーズから次の動きまでを一瞬の後を見せる。連続させ重ね合わせた、絵がまるで動画と動いて見える。
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 ニワトリも含めて鳥は象徴として、歩くより走るよりも熱量、カロリーを必要とする。つまり飛ぶという行為は絶え間なく勤勉に、一生懸命に食べなければならない。空想の鳥、むろん鳳凰と違うとしても、牛と違い、犬や猫とも根本から違う。
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 若冲は贅沢や音曲、女性にも関心がなかったトされる。家系は代々、青物問屋をし、裕福だったが、それを早くに弟に譲った。青物商いと鳥の暮らしは重なる……鶏や、花の上で溶けかかる雪の画題は、これを象徴して見える。
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 家督の問題があって父はレオナルドを引き取ろうとした。だがレオナルドはすでに成長しており後継者として適性に欠けた。父はレオナルドを後継とすることを断念した……といわれる。あいまいなエピソードとエピソードを重ね合わせても仕方がないが……
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 家督を弟にゆずった若冲のエピソードは、そう解釈すればだがレオナルドの父の心情と重なる。出来るとするは必ずしも重ならず、出来てもしないことは誰にでもある。私がいうのでなく若冲の敬愛した老子のいう事です。
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 空が怪しい。天気予報は雨です。ある種の共感を込めて若冲が鶏を描いている。それを発見した事を収穫として今日は帰ろう。若冲のもう一つの執着、溶けかかった雪の解明は次回とします。

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