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2017年10月

2017年10月28日 (土)

安倍対策

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 毎日新聞によると、保育幼稚園費への優遇は年収の高い家庭に……貧乏家庭より最大で10倍の優遇額となる。細かい数字は略するが、当然、高齢保障費を削減してとも充てる。豊かな家庭をもっと豊かに、弱者切捨政策となる。

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 出産・育児でもらえるお金は増えるか? 今から作っても増えるらしい。特に第三子については丸です。バカな事をいうな、俺をいくつと思うんだ。

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 お腹立ちもあるだろう。だが日本は子供を求める。未来に向いた力を求める。倦怠や退廃から明日は生まれない。それは日本だけでもないのか。

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 そういう方は「安倍ぎらい腹立ちまぎれに株を買い」の狂句にそえば儲かる公算が高い。週刊ポスト11月初旬号がファンドを特集している。

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 ファンド、投信とは、どんな株があるか分からない人にも向ける。株の詰め合わせ、おせちのようなもの……100万円を1年で130万円前後に増やすという。

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 バカな事をいうな。国債の利子は1%にさえ満たないのに、そんなに増えてたまるか……おっしゃる通り、それを出来るようにしたのがアベノミクスという仕組み。

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 経済学の浜矩子、野口悠紀雄さんは、これはインチキなバブルに過ぎないという。バブルははじける。来年か五輪の後か、正確には分からないが……

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 たとえバブルにしろ分け前、少し分け方を考えろというのが波頭亮さん、学者ではなく経済コンサルタントです。ムダ使いではない、節約でもない有効活用をという。

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 100万を130万にするのは難しくない。30万を有効に使い切るには……子供を作る以外に、それ以上の活用法ってあるか?

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2017年10月25日 (水)

水泳やめる理由

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 今頃になってDVDで「悼む人」を見ます。関心はあって何で見なかったかは分からないが、まあ、一種のお伽話の内容は、好みが分かれます。

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 今回は映画の話ではなく、主演の石田ゆり子さんの水泳愛好家としての挙動です。つまり氏は「悼む人」のプロモーションに出てきて、水泳を止めた話をしてます……何でまた、聞きたくなるのに理由は言わない。この画像は少し前の物かと……

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 水泳を止めて6年、もう水も見たくなくなったそうな……その理由を推理する。バカですねえ。水泳は中毒になり、プールに行かないとイライラします。ましてや水を見たくなるなくなるまでには並大抵ではない。

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 吉永小百合さんはバタフライで週に6キロほど泳がれます。2,3回に分けて毎回2,3キロという所か、これを見てかどうか? 桃井かおりさんは宮沢りえさんを誘ってスイミングスクールに行ったそうな。およそ30数年前。

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 この頃から水泳は俳優女優の心得として注目された訳です。石田さんも水泳を40年くらい続けられ、女優としてより子供の習事から、どちらにしろ似た計算になります。「奇跡のアラフィフ」には訳がある……とすれば止められた理由とは?

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 伊達公子さんが再デビューされた時にピラティスと水泳をされていた。言動からはピラティスが上位で水泳は下位でした。その後、ピラティスやホットヨガ、ただのヨガは、体幹、インナーマッスルを鍛える方法として注目されて行く。

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 はっきりはしないがそういった流れがあるのでは? つまりゴジラ松井だけではなく高校野球が水泳を取り込み、ハリウッドスターが自宅に25mプールを作るのは、何ら関係はないものの読む分にそう読めます。

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 伊達さんの水着写真は出ており、私は見ました。逞しくも仁王像のようで、言っては何だが女性を褒めて言うに適当ではない……しかしテニス姿も基本的にそうなので現実というモノでしかない。

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 伊達さんでなくシャラポアさんだと顔に目がいくのだろうが、試合のリアルは誰だろうが違いはない。毒を喰らわば皿まで、国策に沿って違法薬物を打った事実も消えない……それがプロという事です。

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 論理は脱線したが、伊達さんは尊敬するが私はああは成りたくない。試合のプロではない女性は思うのではないか……言うのが私の推理です。むろん何と思おうと勝手であって水泳もピラティスも各自の自由です。

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 筋肉っぽくない。ふわっと健康がどこかにないかしら……いうのが石田ゆり子的な本音ではないのか? 水泳では筋側に効きすぎる、証拠としては、最近インナー筋トレ両にらみのトレーニング用のゴムチューブの類がよく売れている。

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 インストラクターや女性の客に聞いてみよう。いや「悼む人」のお伽話の部分をもう一度、見てみよう。

2017年10月23日 (月)

若冲の雪

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 元気塾で講演会がありました。今回、講師は県立美術館の金子岳史さん。「若冲とみやこの美術」細見コレクションの精華……話題の絵師、若冲というので注目しました。謎の浮世絵師は写楽だが、若冲のどこがどう注目なのか……この段階では分かってません。
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 金子先生に質問しお答えをいただき、何とか書いてます。金子先生は色んな流派を勉強して後に若冲流を打ち立てている……若冲には特別性はない言うか、お考えで……私は時間や年月の受け止め自体、感性に特色を感じます。
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 前回、書いたように鶏はスーパーリアリズムの概念に合致します。だが鶏以外の題材については符合しない。竹に降った雪などはリアルでなく普通に見える……関羽とか宝珠とか縁起物、誰にでも喜ばれそうな絵も、後年は色々と描いています。
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 すると絵全体はーパーリアリズムや高機能自閉症の符合はない、ようにも見えます。琳派や狩野派に入門するには年齢的に遅かったのか? 何か不都合があったのか、そういう謎解きいうか理由が必要です。
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 若冲は結果としては長生きするが、40才を目前に絵師になっている。人生50年なら、急がなければト考えたのか。その画号の意味は老子の言葉から自分で付けたらしい。「本当に満ちている物は空っぽに見えて、その働きは枯れる事が無い」の意味。
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 物事には見かけではない深い意味がある、いう所でしょうか。孔孟が主流の中では、老荘は亜流になります。人間社会の表面的な規則より、自然に生きる意味を重視した。動植採絵などのネーミングに、そういった哲学性が出ます。人付き合いよりは生死が問題といった考えです。
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 溶けかかる雪に関しては鶏のようなスーパーリアリズムは断念されたらしい。雪は菊花に降り掛かって僅かに花びらが見える。つまり初雪か、それに近い季節時候です。夜から朝にかけて雪は振り、今は止み昼の光に溶けていくのでしょう。
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 下手をすれば醜い。なぜなら菊や植物の茎を伝う雪とは、高層から地上まで空気中の汚染物を吸い込んで、ただの泥水です。だが、したたりは泥水とは描かれず、白い雪としても描かれず、中間的な若冲的な象徴として、絵の中に存在します。これは私には不思議に見えます。
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 微妙な移ろいに時間が過ぎていく。年末年始の大きなイベントではなく、若冲は、その前の秋の終わり冬の始まりに注目します。人で言えば中年から初老に向けての時期がある訳で、例えれば小津安二郎の映画のようなブラッドベリの短編集のような味わいを感じます。
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 戦国時代はともかく、中年も初老も江戸時代にはありました。それは数年だっと思われ、今のように10数年なんなんと長く伸びた時間ではなかった。今は中年以降を水泳ピラティス、お能やダンスによって体を維持しないといけません。不用意に数年、何もしないでいると恐ろしい状況に陥る。
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 前回、書いたように朝早くから食べ貯める鶏のように、中高年は金力ならぬ筋力を貯めなければならない。昔は知らず今は鶏は空を飛ぶ訳ではない。なぜ勤勉に食べ続けるのか? 雪の寒い朝ぐらい、少し遅くまで寝ていてもいいじゃないですか、ねえ。
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 人に飼われ飛ばなくなった今、鶏の一生はいったい何を意味するのか? 解け溶けかかる雪は何を意味するか? 100年後ではなく1000年後と若冲は言いましたから、私の出番ではないのでしょうか。若冲の絵は解けない謎のように存在しますなあ。

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●同美術展は10月24日に後期に入ります。11月12日まで熊本県立美術館本館2Fでの公開となります。まだ行かれてない方はお急ぎ下さい。

●なお次回、元気塾は。

◆日 時 平成29年11月22日(水) 18時~20時
◆場 所 熊本市流通情報会館5F 第1研修室
◆内 容 『パルスパワー技術を駆使した
        イノベーション創出と日本の産業復活』
◆講 師 熊本大学パルスパワー科学研究所前所長
       名誉教授 秋山 秀典 氏

〒862-0967 
熊本県熊本市南区流通団地1丁目24番
熊本市流通情報会館
TEL 096-377-2091
FAX 096-377-2096

2017年10月17日 (火)

若冲の鶏

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 伊藤若冲の絵の謎を解くべく、県立美術館に向かいます。「私の絵は1000年後に理解される」との言葉を残した。天才絵師は極彩色と精密な筆致で鶏(オナガドリ)などを描き「神の手を持つ男」と呼ばれています。
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 今日の天気予報は雨、それでも曇空はわずかに青い部分も見え……どこにも寄らずに急げば振られずに帰れそう。パンフレットで見る若冲は、ニワトリが好きで庭に数十羽放し飼いにしていたという。
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 なぜ鶏が好きか? 本当は孔雀を飼いたかったが当時は無理、では、なぜ孔雀か? 孔雀は鳳凰のモデルで……生きた鳳凰を無理にも見るには、鶏を飼うしか手段がなかった……もっと理由はなかったか?
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 そこまでは現物の絵を見なくとも分ります。絵を誰かが描いた絵に学ぶのではなく、極彩色と精密の現実から学びたかった。誰かがすでに概念化した概念は、本当とは限らない。若冲はリアリストだった事を示します。
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 似たような話ならあって、レオナルド・ダ・ビンチは最初から師匠より上手かった。師匠の絵をなぞって上手くなったのでなく、観察力、写実力が師匠よりあった。現実を師匠としていた事を意味します。
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 レオナルドはアスペルガー症候群だったといわれる。高機能自閉症と訳される。現代と違う限られた絵具、墨はワンタッチで一気に書かれている……若冲の絵は修練の技も見られる。ついレオナルドと比較したくなる。
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 そうか、自然や現実から学べば誰でも天才になれるのか? そうは行きません。鶏の動きは早く目に止まらない。虫を見つけると首を縮めて寄り、次の瞬間にはバネ仕掛けのように早く首を伸ばし食べていて……のみ込む仕草が見えるばかり。とても絵になんて出来ない。
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 むろん虫を狙ってない、動作の準備もしない時の、止まった絵は描けますが、それを描いても生気を封じ込めた事にならない。動かないポーズではなく、前のポーズから次の動きまでを一瞬の後を見せる。連続させ重ね合わせた、絵がまるで動画と動いて見える。
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 ニワトリも含めて鳥は象徴として、歩くより走るよりも熱量、カロリーを必要とする。つまり飛ぶという行為は絶え間なく勤勉に、一生懸命に食べなければならない。空想の鳥、むろん鳳凰と違うとしても、牛と違い、犬や猫とも根本から違う。
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 若冲は贅沢や音曲、女性にも関心がなかったトされる。家系は代々、青物問屋をし、裕福だったが、それを早くに弟に譲った。青物商いと鳥の暮らしは重なる……鶏や、花の上で溶けかかる雪の画題は、これを象徴して見える。
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 家督の問題があって父はレオナルドを引き取ろうとした。だがレオナルドはすでに成長しており後継者として適性に欠けた。父はレオナルドを後継とすることを断念した……といわれる。あいまいなエピソードとエピソードを重ね合わせても仕方がないが……
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 家督を弟にゆずった若冲のエピソードは、そう解釈すればだがレオナルドの父の心情と重なる。出来るとするは必ずしも重ならず、出来てもしないことは誰にでもある。私がいうのでなく若冲の敬愛した老子のいう事です。
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 空が怪しい。天気予報は雨です。ある種の共感を込めて若冲が鶏を描いている。それを発見した事を収穫として今日は帰ろう。若冲のもう一つの執着、溶けかかった雪の解明は次回とします。

2017年10月12日 (木)

マインドフルネスの至福

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 一番、簡単なのは座右の銘、モットーというのもあります。具体的にありがちなのは和ですね。哲学的な支柱として「和をもって貴しとなす」……憲法という説もある。本当にそう思うのか? どうしていいか分からない時の原則なのだが……
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 実は処世術というとがっかりされる。処世術は相手が仲間内の場合はそれで通用するが、外部の人が多く交じると難しくなる。まあまあ、今日のところは……というと場の空気でまとめ、採決はしないで決める。
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 エイリアンが一人で徹底抗戦、白黒をつける論議にもって行くと、多数派になる場合もある。エイリアンは弱者のひとり狙って、口で攻撃する。多数の者も口撃の巧みに恐れかなわないト、一人ずつエイリアンの手下になる。
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 つまり多数派も最初から多数ではなく、理由があって多数派が形成される。理由は合理的、正しいとは限らない。最初は正しかったが、時間に古び劣化したかもしれない。その時々の合理性や正しさを見つける。普通凡庸ではできず時間もかかる。
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 そして多数派は形成され類型を学び、やがて保守性を身に着けていく。和をもって貴しとなすとは争ってはならない、いう意味です。争いは時間のムダ、労力のムダ、心労のムダ……確かに間違いではないのだが。
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 同じ頃に中国から入れたの知恵に孔子孟子の思想がある。老荘の扱いはやがて軽くなり次第にぞんざいになった。思想には盲点がある盲点を突かれると弱い。孔孟は書いたように対人間の教え、社交術であって一番、基本的な思想ではない。
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「然」は自然の然です。則天去私は漱石の愛した座右の銘だが、社交ではなく根本的な自然な生き方、然はないだろうか? そういう意味になる。漱石は英語の前に漢語を学んでいたが、漢語には孔孟に混じって老荘があった……らしい。
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 いわゆる日本的なモノとは多分に中国的なモノでもあります。セカセカしないでゆったりと構える……と言います。座禅とか散歩とか寺院参りとかは、スタイルやファッションと違う、もう少し現実的な意味があるのでは?
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 話は結局、ジジイ臭くなって来た。これだから年寄りはダメ……ダメとは言うな。ニューヨーカーが「マインドフルネス」を特集して入門講座での効果を報告している。事前と事後を測定するに。ホルモンの分泌がよくなり脳内に変化が生じた。
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 ゾーイ・シュランガー記者による「マインドフルネスの至福」は信ずべきか信じざるべきか。それにしても効く哲学があり、効かない座右の銘がある。何となく脳科学者の中野信子さんが言いそうな内容です。 

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2017年10月10日 (火)

カズオVS春樹

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 村上春樹はダメで、なぜカズオ・イシグロがOKになったか? 今年のアカデミー文学賞の選考理由は、すんなり理解できました? 去年度に村上の受賞はない。そう断言した私としては首を縮めました。
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 ざっくり言うと「ノルウェイの森」になくて「私を離さないで」にあるモノ? 2作を比べ見て、ひとつ謎を解いてみましょう……いい加減過ぎかな、いや話題をゲーム化して文学で遊びましょう。
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 文学とはいうけれど2作はどちらも純文学ではなく、内容が軽い言うか、若向き、誰でもチャレンジできます。恋愛が題材であって、人生の長帳場についての言及は薄い。それもこの際は長所と取りましょう。
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 新刊ではないのでブックオフなら、両作そろえても千円で買えます。DVD化もされているので200円あればレンタルも可、本を読み慣れない人でも参加も出来ます……私も再読はせず映画です。
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 話の方向をあらかじめ絞りますと、表立っては書かれませんが、潜在的には宗教の違いが根底にあります。つまり仏教とキリスト教による解釈の違い。キリスト教は奇跡に祈る宗教で、仏教は悟りを開く。マインドフルネスとか、悟りに注目が来てます。
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 「森」の直子は20になり、2人だけのバースデイです。ワタナベに向かって印象的な事をいう。成人までの時間に猶予があればいいのに、19才からもう一度18才にもどり……ゆっくり20才になれたら生きる事が苦しくないのに……生きるのが苦しいと感じますか?
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 ここは「離」の臓器提供の猶予制度と似ている。「離」に出て来る主人公たちは臓器提供のために生かされ、およそ20才から30才までに死ぬ運命……ただ仲間うちで本当のカップルになれたら提供は3~4年、猶予されるらしい……そういう設定です。
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 生きるのが苦痛な直子は精神病を発症し、自主的にサナトリウムに入ってしまう。大人になると責任が伴い、それで自殺や精神病を発症しやすくなる。私にも統合失調から自殺に至った友人があります。それは判るが精神病にサナトリウム療法はない。ウツ病にも統合にも、そんな治療は存在しません。
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 ここは提供と同じフィクションです。結核のサナトリウム療法は「風立ちぬ」でも描かれ、まあ、あんな感じです。私は結核ではないが、20才までの3年ほどをサナトリウムで送りました。直子が望むような、一種、ゆるい場所で……村上さんの意図が、ある意味ではよく分かる。
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「離」のヘールシャム学校やコテージや一種のサナトリウムと読めます。では社会がルールを甘くしてあげれば、直子は無事に大人になれたか? 「森」では奇跡は起きない。ワタナベを置いて直子は自殺してしまう。「離」では猶予のルールが、不確かなまま噂で伝わり実際は……青春にサナトリウムは効くか?
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猶予されれば主人公たちは深く生きられ、提供するから浅い生になるのか? 一人になった主人公も、自分の提供日をむかえ「提供を受ける人も提供する自分も同じこと」ト悟ります。奇跡を求め奔走するのがキリスト教的で、仏教では終りを見届け、その意味に気がつく。
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 ワタナベにとっては青春全体がサナトリムで、もっと言えば3人の女性とのセックス自体がサナトリウム効果をもたらし、こういう形であれば不倫にならない。あるいは罪が軽い……つまり仏教的です。でもセックスは結婚の形を取らなければ許されないのでは……そうみればキリスト教に縛られる。
 それはともかくこう見てくると両作は似ている。偶然似たのはなく、イシグロさんが村上を読んでいたから……そう考える方が自然でしょう。「ノルウェイの森」に影響されて、宗教の違いをより意識して「私を離さないで」は書かれた。
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 提供するとされるが同じか……むろん議論は分かれます。人という字は支え合う二人という解釈はよく言われる。ホントは支える人と支えてもらう人が一緒にある。キリスト教も宗教、仏教も宗教、こういった適当な話をして経済活動にする……幸福のために不倫を許しあう愛だってアリなのでは?
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 長命化とか超能力とかタイムスリップとか、簡単にいうとあれ全部、奇跡です。奇跡が起きれば人は必ず幸福になれるか。キリスト教的な価値が大きくなり過ぎて……仏教的に緩和が図られた。マインドフルネスの流行や、ノーベル文学賞選考にも入り込んだ……それが私の読みになります。

2017年10月 8日 (日)

倫敦塔~ジェーン・グレイの処刑

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 ロンドン塔は古い城塞だったが、政治犯を幽閉する監獄、処刑場として使われた。禍々しくも今なお幽霊が出る。つまり熊本城とは違う。漱石がロンドンに行ったのは1900年、明治でいうと33年、33才のこと子供も生まれた後のことです。
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 漱石が亡くなるのは49才、言うまでもなく今の一生から考えると、ずいぶん短い。「倫敦塔」を書いたのは直後ではなく5年後、38才、東大講師時代に書かれます。「倫敦塔」が先で同じ頃に「猫」を連載、あいだには「坊ちゃん」も書きます。
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 それで気になるのは漱石が倫敦塔に行った。そこでこの絵「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を見たという内容を……文章にした動機です。同じ頃に書いたのなら猫も同じ動機と思われますが……5年後に何でこんな話を書いたんでしょうか?
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 懐かしい思い出、楽しい思い出いうなら分かりますが、こりゃあハーンか、泉鏡花です。 鏡花はあれが趣味ですが、漱石は違う。絵を思い出し取り上げた動機がある。そう話を立てましょう。絵の説明いうか、漱石が文章で再現を試みた所を下に引用します。(青空文庫からの引用、よみがなが混じる)

「猫」とは違う文体で、どこを違えて分けたのか……ただジェーン・グレイのように禍々しく写されているのは、ある意味で猫も同じです。誰にも受け入れられなければ死、「猫」は冒頭で書生に食われると読者にうったえています。
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「倫敦塔」では塔に入る前に子連れのジェーン・グレイに似た女性を見かけたという。親子は鴉の話をしていた。本当だか幻影だか作ったのだか、それは知りませんがね。そういう意味では似ている。いえ漱石は間を置かず、2つの作品でほぼ同じことをアピールしてます。
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 「倫敦塔」は当時としては常識的な漢文書き下し体というか、この3年後「草枕」でも使われる。猫の方を発展させた文体は「坊ちゃん」で、猫の文体は落語です。漱石は小さんの落語が好きで原稿用紙の上で、小さんのマネをした。
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 だからユーモラスなんです。倫敦塔のような漢文体で何本も書いていたら、自分の息が詰まる。東京大学講師で食えるようには成ったものの、学生の評判は悪く教授たちへの評判も悪く、漱石は陰鬱でした。教授になれない講師で終わる可能性があった。
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 漱石の持病は今で言う、躁鬱か統合失調かは知りません。予定より早くに帰国した。後の修善寺の大患とか「行人」執筆中の行き詰まりとか、精神病を抱えていて……実は漱石は発病発作寸前だったト、私は思います。そうでもなければこんな陰鬱な文章は書きません。
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 むろん評判になったのは猫で、しかし評価が高かったのは草枕です。草枕を見て朝日新聞は雇いに来ます。だから東大を辞める、辞められたのです。用心して編集長ではなく社長と約束を交わす……それは先のこと漱石自身は、文明開化落語体とも言うべき文体で、自分の鬱を笑い飛ばしたかった。
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 新聞一作目に「草枕」のようなと注文があったかも知れません。そして「虞美人草」は漢文調です。何しろいまだに「草枕」を褒める人があります。坊ちゃんはダメだ、言う人がダメと私は思う。猫や坊ちゃんで開発された文体は「三四郎」に統合されて行きます。
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〇倫敦塔より 「 女は白き手巾ハンケチで目隠しをして両の手で首を載のせる台を探すような風情ふぜいに見える。首を載せる台は日本の薪割台まきわりだいぐらいの大きさで前に鉄の環かんが着いている。台の前部ぜんぶに藁わらが散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎ようじんと見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩くずれている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣ほうえを裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色こんじきの髪を時々雲のように揺ゆらす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉まゆの形、細き面おもて、なよやかなる頸くびの辺あたりに至いたるまで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳かけ寄ろうとしたが足が縮ちぢんで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探さぐり当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前さいぜん男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分すんぶん違たがわぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫おっとギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺ゆり越した一握ひとにぎりの髪が軽かろくうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真まことの道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹きっとして「まこととは吾と吾夫おっとの信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後あとならば誘さそうて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色すすいろの、背の低い首斬り役が重た気げに斧をエイと取り直す。余の洋袴ズボンの膝に二三点の血が迸ほとばしると思ったら、すべての光景が忽然こつぜんと消え失うせた。」


〇作家でドイツ文学者、中野京子氏が2007年に出版した美術書「怖い絵」シリーズで紹介した。ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(1833年)が10月7日から上野の森美術館『怖い絵』展に来てます。ロンドンまで行かなくても絵が見られます。解説は中野さんが書かれたか、吉田羊さんが読まれたそうな。

2017年10月 4日 (水)

パルムの僧院

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 誰でもそうと思いますが、地震はどうしたらいいか判らない。熊本市では震度7の地震が続けて2度あり、いい大人が手も足も出ず、困り果てた体験があります。
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 あんな地震がもう一度あれば、さすがにガスを止めテーブルの下に逃げ込むくらいは出来る。だがそれ以上に賢い行動を取る自信は未だになく……体験の意味はそんなものです。
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 ここで地震と自信をかければ話は落ちる。いい大人になれば大抵のことに、人は自信を持てるが、大岡昇平さんも恋愛体験に(性愛も含む)どうやら自信が持てなかったようです。
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 漱石にもカミさんがあった。愛人どころかカミさんももない私としては、両方あった大岡に教えを乞うしかなかった。だが大岡の自信のなさは私の地震体験どころですらなく、なんとも青天の霹靂となった。
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 そこで大岡の専門のスタンダールを見た。「パルムの僧院」は恋愛心理劇。若き貴族、ファブリス・デル・ドンゴはつまらない事で殺人を犯し、城内に幽閉される。そして人生の失敗が決定するまでの物語がスリリングに進む。
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 主人公は運命、あるいは出世をめぐって、年上の女性と若い女性の間を、行き来する。テーマと構成は「赤と黒」と大きくは変わらない。つまり災害心得手帳とか避難袋づくりが流行ったように、スタンダールは恋愛論を書いている。
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 年上の女性は具体的には母のことです。スタンダールの父とは不仲で、母はスタンダールを溺愛した。愛されるから愛を学び、愛する方向に向かう。受動から能動へと形を変える心理が、スタンダールの書いた恋愛術となります。
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 母の束縛がうるさいから、スタンダールは兵隊になってナポレオンのように出世しようとします。しかし武術の才なく軍で出世は出来なかった。「パルムの僧院」では決闘シーンがあり、若いファブリスは中年男をやっつける。
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 漱石は八雲のようには人望がなかったので、三四郎ないでは生徒に人望があったと書いてます。大岡は「事件」ないでは姉妹に男を取り合うシーンを演じさせる。私はそんなの何も書けません。
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 スタンダールは軍でイタリアに遠征体験があって作品にもチラチラ出て来ます。こういった先に若い女性と体験があるかも知れません。恋愛は男女どちらかがリードしなければならず、あまり平等にこだわっても進展は難しい。
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 年長者が普通はリードします。しかしリードする体験、される体験をペアで持たないと不満は残るでしょうな。実際にはリード体験のある男が、次々と女性をリードします。性愛に主なウエイトを置いて……
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 性愛ももちろん重要事項ですが、あまり重点を置かれても困る。食事、飲み物、美術、音楽、スポーツにアアだこうだ相性のすり合わせあうか、ある訳です。そんな面倒なといって重要事項だけ重点を置いて、あとは金で済ます。
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 そういうのもあり、どういうのもありです。スタンダールの時代はキリスト教が支配権を持っていて、一応の目安にはなった。そういう物の何もない自由社会と、どちらが生き易いのかは人による。
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 どうしたらいいのか困り果てる……その意味で恋愛も地震と変わらないモノという認識があった気がする。震度1か2の恋愛では困らんが、震度7で人生を揺さぶられる恋愛は困る……ただ人生に、そういうのはなしで終わる可能性の方が高い。
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 熊本もまた地震は来ると考える人と、来ないではないが何十年かは来ないと考える人があります。年の70に近くなって恋愛に準備なんか私はしません。そう決めると大岡の気が知れてくる。ただ問題は漱石です。