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2017年9月 6日 (水)

それから 1

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 16才カップルが胸を何度も刺され、男子は死亡した。犯人は15才男子で、本人が言うに女子のカレだったト……客観的にはどうか? その辺はまだ確定しないが三人の関係バランスが崩れました。
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 夏の日それまで友人だった子が、恋人になる。一方の男子は弾き出され、もう一方の男子の胸を、とくに念入りに刺した。女子も刺されるが助かっている。嫉妬の感情は花火と燃えたのだ。
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 事件にならなければ三角関係はある意味で、ありふれる。一方で恋愛はある人にはあり、ない人には丸っ切りない。原因はともかく恋愛は平等ではない。男女二人の出会いがカップルへ進行する。
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 関係が円滑に進めばよいが難関はあるもので、異性の取り合いになる。異性も注目されやすい人と、そうでない人がある。言い方を変えると一人が、もう一人を選んでしまう。それで至難にまで関係はこじれます。
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 こじれは本人には困る事ですが、他人には面白く、まあ娯楽になります。恋愛を書いて本にすると売れ、映画やドラマになると視聴率も取れます……つまり恋愛はない人にはないからです。
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 下らない日常はいいから、お前も恋愛を書け、そう言われます……私にそんな面白い体験などあろうはずもなく、ないものは書けません。すると「なければ作れ」とまで言う人があります。まあ書けるなら小説は恋愛小説に限るようで。
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 熊本では今、新聞に「それから」が連載されています。漱石が書いた前期三部作「三四郎」の続きです。前作より三角関係はこじれます。代助と三千代は好き合ってはいたが、平岡が望んだので代助は三千代を譲ってしまう。
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 好きではあるが、代助は平岡との友情を先行させた。後に代助はそれを後悔する羽目になる……漱石は書いてないが、そう想像するに難くない。三千代に決めさせるべきとか何とか、今の人は言いますが……大昔の昔、恋愛なんてなかった。
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 ないは言い過ぎですが、恋愛するのは限られた人でした。つまり男女共学もない時代にどうやって異性と知り合うか。そこから困難がある。なにしろ話は明治です。私が明治生まれの人に聞くと、軽くそう言われた物です。
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 不思議でも何でもなく異性が対象として見える時、同性同士は戦わねばならないライバルとして見えてくる。買ったばかりのゲームを貸してほしい言われて、貸す子がある。恋愛も最初はそんな感覚じゃないでしょうか。
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 恋愛相手へあるいは友人へ、イエスとノウを決める。ここはノウそこはイエス、決めるのは自分、はっきり自分がなければ決められない。決めるのは母でもなく父でもなく、親友でもない。ただ自分だけ……それが分ったのは割と近い昭和のことです。
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 漱石自身、恋愛ではなく見合いで結婚を決めます。父や母に行けと言われれば、泣く泣く嫁に行くものでした。平岡に望まれ代助に祝福され、三千代は結婚を決心した。あまり感情に注目せず見て行けばそうなる。
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 人はなぜそうも激しい自分を、持つようになったか? 漱石は恋愛より自分というものに関心を置くように、私には思えます。

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