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2017年7月 7日 (金)

或る終焉 映画

Aru

 生きたい理由はない。多分だが……積極的に生きたい動機はない。だからなのか、むしろ死の輪郭が見える。かなり年配になっても女性は恋愛したいと思うらしい。私は思わない。
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「或る終焉」は死を看取る看護師、男の話です。死ななかったが病死寸前まで、私は行った。熊本震災でも早い話、死ぬ直前まで行った。結局は死ななかったが、再び体験して死の認識は深まった。
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 最初の依頼人いうか、雇い主は病人で高齢ではあるが、美人です。画像の依頼の患者が浴槽の壁にもたれ、もう恥も外聞もなく、ただ介護を待つシーンは異様な説得力を持ちます。死はどういう物かを、カメラは明瞭に見せます。
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 この患者と介護人と、長いやり取りがありそうでしょう? 最初のと書いた通り、この依頼人はすぐ死んじゃいます。映画の尺で15分……カットされたという解釈もあります。ネタばれ書かない主義ですが、画面に力があって意味もあります。
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 映画の最初から書きましょう。ある晴れ渡った午後に、クルマの中から道路の向こうの、住宅の横にクルマが見える。カメラは壊れたように止まって動かず、映画としてのBGMも流れない。
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 じれったい長い時間が流れる。小さく見える住宅からクルマに、患者ではない女性がひとり乗り込み、見ていた男もクルマを動かし付けて行く。こいつストーカーじゃないか……思う間もなく冒頭の話に移ります。
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 つまり看護師には語りたくない自己や過去があり、看護の仕事の日常を通し、ゆっくりと染み出していく。2番目の話から3番目の介護の話へ……理解を急いではいけない。私の死が早急でないように、あなたの生も急がないはずです。
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 まあスト―カーする話には続きがありますが、看護師は飛んでもない性癖というか。映画の主人公としてはかなりな人で、付いて行けない人も? 娯楽映画で小学生でも分かる内容しか受け付けない人は見ないで下さい。
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 止まったように動かない映像を、要所要所で何度か挿入し、映画は主張というか、言いたい事を語っていきます。室内の取り方が際立って上手い。心の在処は絵のように美しく、今や邦画の松竹でもやらない小津的というか、撮影手法です。
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 生きる時間は死の時間と計り合う。確かに地震で倒れ掛かる書棚やタンスは、ゆっくり見えるので左手を添え、右手で支える余裕があります。その時はそうだが、通常には物事がゆっくり見えるなんて、ない。
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 書棚の下から抜け出し、落ちて来る物をかわし、私の位置が20センチづれていたら、書棚はかわせなかった……タンスからも抜けられなかった。SFXの特殊撮影でないと目を見張るシーンや、そういった驚きは表現できないか……そうではないと思う。
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 自分が死んだ方がいいと意見を持つには、何度かの体験が必要でしょうね。他人の死を判断するには……僭越と言われない、知識や判断力の集積が必要になります。この看護師は映画の見えないシーンで……判断している。今なお僭越にあるのか? そういう解釈も可能です。
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 たった20センチのずれは、むろん奇跡などではなく只のありきたりなのか? どんな人も例外なく年を取り、確実に老いて死ぬ。ガン、病気、老衰……積極的に自殺とかは思わないが、若ければともかくも、老いて生きる意味を、私は分からない。

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