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2017年6月15日 (木)

こころ4

 出世という言葉は古い言葉です。元々の意味は仏教用語で、俗世間の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)し悟る。悟りの内容を指した。しかし最近では高い身分を得て、世間に名が知れる。簡単にいうと成功ということ。
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 つまり上司に不実、部下に冷淡、ひとり非情に風を読む……そうしないと出世しない。少なくともマキャベリはそう言う。明治の初めこの時、日本はインドや中国やロシアを出し抜いた。東洋にありながら植民地にならず、まあまあ白人世界の仲間入りに成功したかに見えます……明治の初めは、その上昇志向の中にありました。
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 だが明治から大正やがて昭和へ、風は止まります。そういった時代にあっては、仏陀の出世ではなく、ライバルを出し抜く意味が大きくなる。昨日も子育てに失敗してノイローゼになって、どうやら心中を試みたらしい男があります。
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 漱石がなぜ小説家になったか? 留学はしたものの教官、大学勤めが無理とまで考えた。それで作家になります。漱石が死んだ時、夫人に葬式は出せるのか? 旧友、中村是公は夫人に聞いたそうです。その時、中村は満鉄の総裁で給料は当然、漱石より高かった。
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 同じ頃にドイツに留学した鴎外は医学で名を成し、文章は片手間に過ぎなかった。鴎外にはその後もその方面で、浮名を流してます。今でこそ漱石は、その鴎外より一葉より、格上に扱われます。それはごく最近の事で、ちょっと前まで違った。恋愛も色事も不得意といっていい。
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 漱石は止まろうとする風の中に焦燥感を持っています。熊本でも東京でも大学構内、学生の間では漱石よりハーンの方に人気があった。「三四郎」で「偉大なる暗闇」と呼ばれる広田先生は、そういった事々をこぼす漱石が出てくる。「それから」以降に高等遊民と表現される無職者は、そういう意味で漱石自身が書いた自画像、敗者の像です。
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 そうすると「こころ」もまた高等遊民の続きであり、敗者の苦渋を吐露しまくる。本当は私も、もっと出世したかったト、では出世がどういう物か、漱石はどう思っていたか。同じ後期3部作でも彼岸過迄、行人を読めば参考になります。
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「彼岸過迄」で漱石は自分を出すのは嫌だ。他人を例に明治社会と人間を書きたいと思う。「三四郎」には心中話のモデルがあって、それがそうでした。「行人」は自信たっぷりな自画像を書きます。その後ですから逆に自信のまるでない、弱気の自画像を書き直す。
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 そういう意味で後期三部作は、前期三部作をほぼ、なぞっていく。ゆったりと書きたい物を書いて見え、意識と無意識の間にテーマを広げ、日本社会に意味をなす、漱石は明治社会に貢献する人間像を模索します。
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 漱石の本名は金之助です。漱石はいつも金という物を意識した。朝日に入社する時は編集長とじゃ嫌だ、社長と契約を交わす……そう言ったそうです。 もう例は上げませんが終始一貫、お金がからむと厳しくなる。むろん現代では普通の事ですがね。
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 テーマには恋愛と死、金銭と成功……クリスチャンでもないのにキリスト教的に生きなければならなくなる、日本の運命が予知されています。「こころ」は仏文学の「赤と黒」より、金と恋の両方に成果を求めるディズニー・アニメの世界に近いでしょう。
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 ひとつに意識次元と無意識次元を1次元的に管理した所からの破たんが出た。別な管理というと何だが、考え直す必要がある。「こころ」は宗教や哲学、あるいは道徳が過剰に個人に介入した悲劇と取れない事もない。漱石はこころ以降に別な展開を試みます。(終)

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