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2017年5月24日 (水)

漱石後期三部作

Kokoro

 漱石の小説では二人の男が出てくる。二人の女性も出てくる。だが、この二人は元々、ひとりの男でありひとりの女性です。
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 「坊ちゃん」に出て来る坊ちゃんと赤シャツは、もともとは同一人物と私は証明しました。坊ちゃんに出て来る清は、もしかしてマドンナと同一人物かもしれません。
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 「三四郎」に出て来る里見美祢子は、三四郎が風邪をひくと、野々宮よし子を差し向けます。よし子は手ぶらではない。見舞いのみかんを剥いて三四郎に食べさせます。
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 「三四郎」の序章とも言うべき、初めの方に、汽車で相乗りになった女に三四郎は手が出せない。小説の終わり方に漱石は手を出す必要がないベッドシーンを書いた訳です。そう読まなくては面白くないでしょう。
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 三四郎に影響された森鴎外は、似たような青春小説を書き、発禁処分を食らいます。そういう時代でした。漱石は「修善寺の大患」で死の淵をさまよう。その小説に変化はあったか?
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 釈迦は断食して死の淵を覗きます。そして悟りを開く。悟りというと何だか広過ぎて分かりませんが、気が付くという事です。悟るとは生きる上での気付きです。私も11才で病死寸前までになります。
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 幸い死にませんが、何かいう権利くらいあるでしょう。それで漱石文学からユーモアが姿を消します。ぎりぎりの書きたい書いて置かなければ、いつまたあの世に招集されるか? 漱石はそういう思いに至ります。
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 もはや蚤よけのまじないとか、みかんを食べてベッドシーンの代わりとかバカバカしくて出来なくなる。さりとて危ないことを書けば発禁処分の現実が見えます。それで書かれたのが彼岸過迄、行人、こころの後期三部作です。
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 中でも「こころ」は自分でも気に入ったようで、単行本化について漱石は装丁まで自分でやります。命がけの漱石は何を書き、何を伝えようとしたか……気になるところですが、今パソコンでは「こころ」は買わなくてもよく、青空文庫で読めます。
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 また老眼が進んだ方にyoutubeには朗読版があります。いやもっと善玉悪玉に分けてもらわなくては分からない、そういう若い方に向けてアニメ化もあります。youtubeで下記「青い文学」で検索して下さい。
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Aoi Bungaku Capítulo 8 - Kokoro 前後編

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