« 信仰 DIY4 | メイン | 目出し帽 »

2017年2月28日 (火)

ファッション・ファン

Cara

 ファッションは好きで雑誌は読む、よく読んでいる方だと思う。なのに……多分センスが身につかない。服を人から褒められない。誰でもいいから褒められたい。
.

 そういう意味の事が書いてあった。顔の作りはともかく、その人の顔色はおよそ決まる。すると合う色もおよそ決まってしまう。では、好きな色を着てはいけないか?
.

 カラーチャートから補色関係を見ると、一つの色を選ぶと、もう一つの色もほぼ決まってしまう。その先は自由に好きに決められるものではない。その制約を無視する。そうしたとしても出鱈目になってしまう。
.

 自分に合わないのが判って着るのなら、出鱈目も勝手です。色の決まりを守ればいいが、流行のカラーに目がいけば、自分の色からは外れる色を、つい買ってしまう。あるいは合わない色を好きになる人もある。
.

 モデル体系でない胴長、肩の形や首の長さで、似合う服もデザインも決まる。制約を守っていればいい。だが外れると似合わない。流行を追いかけ、自分を良く見せたい。もっと端的にいえば目立たせたい。
.

 昔、サイモンとガーファンクルのLPに二人の顔が並んでいました。二人は横にでなく上下になっていて驚きます。それだけ身長差があった訳ですが、今の子は9頭身を通り越して10とか11頭身です。むろん全員がそういう訳ではない。
.

 昔通りの6、7頭身の子のほうが多い。つまり違い、格差は大きくなった訳で。それに伴い強くて深い劣等感を処理しなければならない。昔は考えられなかった違いを埋め合わせ、埋め合わせ生きていく必要があります。
.

 今は生きづらい、だから自分に対する他人の思いをコントロールしたい。若い身障者はよくコボします。障害の自分が普通なのだから特別視しないでほしいと……自分にとっての普通は、他人にとっての普通にはならない。
.

 どうすればいいか? 群衆の中に立った自分を見なければならない。部屋でひとりだけ写った鏡の自分は何も映していない。ファッションはある程度は一般論で、今日、自分が何を着るかトは違う。
.

 むろん書いたような間接関係にはありますがね。もう流行らなくなった昔の服が、私のタンスに山と詰まっている事と、ほぼ関係がない。そう見られたい自分と、実際に見える自分の相剋も、関係はあるようでない。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/34041470

ファッション・ファンを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿