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2017年2月27日 (月)

信仰 DIY4

Tinmoku

 失礼ながら遠藤周作さんは圧倒的な秀才という訳ではない。医学部をめざしたが通れずに文学部に行った方です。その「沈黙」が再映画化でまた話題になっている。
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 ポルトガルの宣教師ロドリゴは師フェレイラを追いかけるように九州にくるが、日本は宣教どころの状況ではなかった。長崎奉行井上越後守は日本を守るため、信者、宣教師共々の信仰を捨てさせようとしていた。
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 ロドリゴはフェレイラの消息を知る。師の棄教とは? 棄教か殉教か? インテリと無知、信念と退廃の間に形而上学の意味と価値を問う。遠藤文学は信仰とは何をどうする事かト問う。
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 遠藤としては医学部に価値があり文学部にはない。そのような問いかけではないか。(安倍公房氏にも似た問題が)沈黙は一時、カトリックでは禁書とされ、関係筋では読まれなかった。それでか、遠藤はアカデミー文学候補となる。むろん今は違う。
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 私はアスペルガーのケがあって、成績の一部優秀、大半劣悪だった。また健常児から障害児になった体験もあり、その辺のイメージは似ているというか重なり……興味津々。むろん同じではない。
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 遠藤はロドリゴをキチジローを予め違う存在として描く。ロドリゴが転んでキチジローになるとは考えてない。健常者が障害者になる、あるいは障害者が健常者に回帰する。そんな事はないのだろうか?
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 ある部分で「ジキルとハイド」よろしくつながってないか? 私はやがて健常者にもどるのは無理と考えるようになる。実際にそうなる事は少ないが、誰もが障害者になる。可能性を含む、ただ高齢の場合はそう言わない。
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 多くの中途障害者は外身と中身をすっきり分けて考える。私はそうはいかない。障害者や弱者の立場だから気づき、思考や行動に反映する部分があるからです。外と中は混然とする。
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 熊本に地震があった。古い建物は倒れ、倒れないまでも壊れかけた。すると簡単に地震前には戻れない。戻ったとしても微細な部分では違う。様相は変わり、厳密には地震前の熊本ではない。
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 気が付くと熊本は身障者になっていた。そうでなければ熊本は老いていた。私が子供の頃から見慣れた熊本は何処にもなかった。数年いや数十年があっという間に流れ去ったように変貌していた。
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 転び変節した人は死ぬ訳ではない。変節してはいけないト言っても、そうせざる得ない時もある。変節と転びは違うかも知れないが、転びと障害も違うかもしれないが……
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 篠田正浩版「沈黙」は現在入手困難だが、youtubeには出ている。

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