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2016年12月 1日 (木)

芥川龍之介

Akuta

 物語には何かしら矛盾がある。矛盾では言葉が強すぎるなら、おかしな所といおうか? 長い時間の流れをつまんだ跡や、人物を整理して簡略化したような、何かしらが付きまとう。
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 芥川龍之介の小説に「魔術」という話がある。雨の夜に私は、インド人のミスラ君に、魔術を見せてもらう。そして見た直後「私に魔術を教えてくれ」と頼み込む。
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 魔術といっても手品のような、それはランプが回りだすというだけの、催眠術を応用した魔術です。ミスラ君は教えてもいいが「欲のある人には使えない」ト私にいいます。
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 次の場面で私は友人を集め、魔術を披露しています。私は魔術で沢山の金貨を出します。友人たちはそれを元手に博打を打とうと言い出す。金貨を回収したい私は困ります。
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 私は不思議にツイて全金貨を回収するが、友人の一人は全財産を賭けると言い出します。欲を出した私は最後の賭けに、魔術を使います。
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 すると友人たちは消え去り、場面は雨の夜にもどり、私の前のミスラ君は言います。「魔術を使うには欲を捨てなければなりません。あなたはそれができないのです」
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 私は欲が捨てきれず、なぜミスラ君が欲が捨てられたか……物語が終わっても謎は残ります。そもそも欲のない人間がいるでしょうか? ……これは「赤い鳥」に書かれた、子供向けの話です。
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 芥川は同じような話の「杜子春」も書いています。杜子春では仙人が出てきて、杜子春に2度も財宝をもたらします。杜子春は3度目に無一文になった時、仙人にいいます。
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 「財宝はもういい、それより自分を仙人にしてくれ」杜子春は仙人になれたか? なれません。牛に変えられた両親が引き出され、刑に掛けられそうになるからです。
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 魔法や仙術とは、作話を意味し、芥川だけが書けた作り話という事です。本当ではない話になります。奇跡へのあこがれ、つまり努力しない成功を考えてはいけない、子供への教訓になります。
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 教訓話はつまらない。現実に沿った話をといわれるようになる。芥川でいえば「トロッコ」です。米国映画には「これは本当にあった話です」断りが付きます。日本のドラマでは「これはフィクションです」と断りが付きます。
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 何が本当か? 物語が終わった後で読者はどうすればいいか? 微妙なトコロがあります。私は漱石を読むようになる前、芥川を読んだ時期があります。同じように若い時、太宰を読む人もあれば、賢冶を読む人もある。
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 私は太宰、賢冶はそこそこに、漱石とか三島とか谷崎とか、種類は何でもいい、大人の小説に行って欲しいと思う。奇跡を待ちながらあてもなく生きるより、現実に働きかければ物事は少しずつ変わって行くからです。

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