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2016年12月 4日 (日)

新海式レンアイにおける合理と矛盾1

Sinkai

 新海誠監督作品における男女は、どこからなぜ恋愛関係になるのか、判らない? 私の友達は、異性の友人をまずは家族のように扱った。私はそれで納得がいった。恋愛にも理由があります。
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 何さんとは呼ばず「何ちゃん、お茶飲む? 今、hataが来たからお茶入れるよ、飲む?」家族に呼びかけるように、友人は同居人に聞いた。
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 実際問題として授業を受けるのに、実家からでは遠く、下宿などの必要があった。下宿先には一人も家族はない。つまり寂しさから友人は異性と家族のように話す事になった。
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 実際の家族は遠く、今の自分は寂しい。まずは代用家族としての異性が部屋にいた。「秒速5センチメートル」では明里の家族はボカされ影が薄い。それで明里はなぜか寂しい。家族のようにタカキを必要とした。
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 「さび」とは我と我が寂しさに弱音をいうではなく、かといって強くなって堪え切るのでもない。自分で自分を突き放し、他人事のように楽しむ。具体的には「孤独のグルメ」のような余裕をいう。これは美意識であって哲学とは言わない。
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 大人は寂しくて当然だが、若ければそうもいかない。文学という架空の国に住み、架空の家族と暮らす。芥川文学では主人公は若く、寂しさを読者に向かって吐露します。
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 私は若い頃、長い入院生活があり、それを秒速5センチの世界と重ねます。芥川から漱石へ、魔法の会得からヘリオトロープ……恋愛より先に家族がいない。
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 新海さんはブラッドベリが好きで、ブラッドベリ短編集のような作を作りたかったらしい。ブラッドベリと芥川なら近い……魔法使いになりたいという願望は寂しさを原因とする。
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 手術前に術後の生活に向け、シャツが一枚たりないト思い、私は「午後からシャツ等を買いに出ます」と看護師にいった。中年看護師は少し考え「隣の部屋のA子さんも手術だから、一緒に行くように」と言う。
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 二人で行けば双方の行場に付き合うことになる。行場は半分になる理屈です。時間が空くのなら、むしろ私は本屋に行きたかった。おせっかいな中年看護師に、その辺は丸め込まれた。
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 それでA子と電車で出かけることになる。電車の中で私はA子に貸した本の話をした。杜子春は牛になった親を前に、ついに沈黙を破る事になるが、その理由についてなど……公認デイトというか、二人の読書会というか。(続く)

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