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2016年12月30日 (金)

シン・ゴジラ 映画

Gozira

 映画では大杉漣の目が泳ぐと、柄本明が判断を補佐します。だが判断可能な現実は終わり、不可能の事態にオチ入っている。不可能下の判断は賭けを意味する……時代からいうと大杉さんの役は管直人首相がモデルですか?
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 東京映画祭に生出演した安陪首相は、むろんシンゴジラを推奨します。選挙前にヒラリーさんに会った首相、要請があって会ったと言われる。米国ではトランプさんとは会わずに帰ってきた。大統領選のフタが空く、まさかの……
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 この時は菅官房長官が判断を補佐をします。この件での苦い現実感を昭恵夫人が吐露します。むろん映画完成後の現実であって、映画が皮肉だった訳ではない。怖いことに映画を現実がなぞったのです。
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 シン・ゴジラは実写とはいえアニメと変わりません。画像作りがコントロールされ、観客の目線に自由度いうか少ないのです。当たり前だが私たちは目は前を向いている。横を見、後ろから音でもすれば後ろを向くが何を見るべきかを知らない。
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 シン・ゴジラにおいて特撮シーン、官邸の首相ないしは配下、あるいは自衛隊の面々。二つのシーンを交互に入っていくが、ほとんどの役者に演技は要求されない。役者は早口で決まったセリフを、言うだけとされます。
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 なぜなら200名を超える役者にいちいち演技されたら2時間の尺で映画は収まりません。人々は同じ目線で、同じ人々としてゴジラと対決する。「日本対ゴジラ」のキャッチコピーの由縁です。
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 新世紀エヴァンゲリオンと同じ構図です。使徒をゴジラに置き換え、特務機関ネルフを日本に置き換えたものです。ただエヴァではネルフの描写あとに、シンジの通う学校などの描写があり、内容にはグラデーションがあった。
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 だがシンゴジラでは首相役、配下の自衛隊となって、庶民はほとんど描写されない……これも尺の関係と思われる。従来のゴジラではマッドサイエンティスト、孤独な科学者が出たが、シンゴジラでは出ない。それで社会は偏向しても見える。
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 極度に単純化された現実と空想の怪獣を対比しながら、テンポを進める手法です。これは誰にも分る反面、個人の心の奥の深い理解はない。観客はエキサイトから覚めると、子ども扱いされたと気が付く。
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 むろん気が付かない人もいる。興奮から覚めずに騒ぎ続ける人です。東宝としては続編を作りたいようです。日本から米国に向かうゴジラ、ロスから上陸したゴジラは全米を放射能の海に。

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 激怒し癇癪を起した米国大統領は、冷静を失い米国に核爆弾を打ち込むのか? また国際連合は日本相手に裁判を起こし、欧州で日本の敗訴は決定する。安倍首相はどんな賭けに?

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 日本の運命やいかに? ゾク・ゴジラに御期待ください。

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