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2016年11月14日 (月)

恋愛文化論

Sansi

「三四郎」が汽車で乗り合わせる女は一般女性で、新聞の連載小説を読んでいない人です。字が読めないのかもしれません。身障者には若干、今も字が読めない人がいます。障害があるから字が読めなくても仕方がない……といった考え方にある。
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 デイトしたコトがない健常女性は今もあるんでしょう? そうでなければ映画「君の名は。」がヒットするはずがない。夫が行方不明の女性はもう夫は帰らないかも、ト思って同宿したのか? 若い頃に何もなかった人は、映画で青春を体験するのかも知れません。
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 そういう風に考えれば明治も平成も、あまり変わらない。誰とはいいません。モテない男は合コンの終わりに、もうチュウをしたくなる。これではフーゾク嬢への気持ちと同じです。チュウは3度目のデートでも早すぎる場合があるトカ……私もそれほど詳しくない。
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 たとえばですが、恋愛は失敗しないと分からない。誰かに教わらないと分からない。その意味で恋愛もセックスもカルチャーであって、日本では特に親が教えてくれない。震災後、熊本の避難所では、女性にはトイレが怖い場所になります。
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 一人で泊まるのも怖い。ホテルはともかく、女性にとって今も宿、ネットカフェは怖いそうです。ただ一方ではスタンガンを持って旅行に出かける人もいます。性を教えるのは親で、学校で友人な訳です。この子は障害児だし字はいいかあ、とか親も思ったんでしょうねえ。
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 フーゾクに慣れると合コンからの駆け引きは面倒になる。かといって性の目的を放出に絞り込む訳にもいかない。三四郎は花と名付けた汽車の女性とではイヤだった。かといって美祢子とも無理があった。無理ではない関係作りが必要なのです。
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 三四郎が美祢子とうまくいかないように、広田先生は講師がうまく出来ません。いえ本の中の広田は「偉大なる暗闇」と生徒に歓迎されます。だが現実の漱石は英語講師として歓迎されません。前任の小泉八雲、ハーンの方が評判がいいのです。
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 原因はイロイロあるが、漱石は父子関係を知らず、関係つくりが不器用だった。美祢子は不器用な三四郎に見切りをつけて、社会的位置のある男に乗り換えます。講師としてやっていけない漱石は小説欄担当として朝日新聞に就職します。
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 鴎外も留学するが留学先で「舞姫」のネタになる恋愛をします。自力で恋愛し、どこまで事実かは知れませんが、恋愛小説に仕上げます。ただ我々、一般人は失敗例に学ぶ所が多いかも知れませんなあ。
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 香水の良し悪しとか、聖書の内容に詳しく、アアきたらこうする。コウきたらどうするとか、多少は心得がなくてはいけません。漱石先生といえど恋愛不得意で、見合いにしたんです。三四郎読んで手管を勉強しようたって、そりゃ無理でしょう。

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