« マネーモンスター 映画 | メイン | 心理テスト »

2016年11月23日 (水)

三四郎、帰らず

346

 漱石は朝日新聞に評価された。これは「草枕」によったので「猫」や「坊ちゃん」ではありません。今、読んでみて草枕は、鴎外あたりでも書けそうな作で、鴎外や一葉が逆立ちしても書けないのは……
.

 文章は漢文に始まります。小説とは源氏物語、もともと女文、漢文を書き崩して作られます。草枕は漢文の影響が深く、鴎外などの作は全部そうです。なのに漱石を、今も漢文体として評価される方はあります。
.

「漱石は草枕、こころがよいので、坊ちゃんはあれは付録でしょう」とか何とかネ。そういう方には分らない。執筆時、登校拒否だった漱石の不信感は、最初の猫によく出ています。この感じは漢文体では出せない。
.

 坊ちゃんは夫人へのラブレターに当たるが、そうは読まれない。明治の落語家林家小さんは、今いう小さんの先々代、そのまた前の小さんにあたるのか? 漱石はその小さんが好きだった。
.

 坊ちゃんの文体は落語、あるいは講談を取り込んで作られた。三四郎は坊ちゃんを長編化したものですから、プロローグ、冒頭部に滑稽の余韻が残ります。つまり童貞クンをからかうの趣向です。
.

 八つあんやクマさんがバカなことを行い、インテリの大家やご隠居が修正しようとはする。だが、おバカは止まらない。原点は落語の笑い、趣向、ネタに基づく。この構造は、たとえば石坂洋次郎の「若い人」や「青い山脈」へと受け継がれます。
.

 石原慎太郎の「青春とは何だ」ドラマの「高校教師」ありとあらゆる青春モノが三四郎の影響下に作り出される。滑稽と同時に何やら悲しい、おバカを通り越して狂気さえ漂う。漱石の命は長くなかったが、作品の命は飽きれる程に長い、以って瞑すべきでしょう。
.

 三四郎は明治41年の執筆で、その影響で鴎外が「青年」や「ヰタ・セクスアリス」を書く。42年、セクスアリスは煽情的と見なされ発禁になります。むろん破戒、布団はその前です。青春を書くのに文豪たちは大変苦しんだが、笑いに転嫁する方法は思いつかなかった。
.

 性は幻想を伴います。私が若かった頃、男の子の間でギターが流行ります。ギターはモテる、正確には弾語りが出来るトです。男の弾語りを見ると、女性はあらぬ妄想をいだく。これは今もそうなんだそうです。
.

 私には音楽的な才能はない。ただギターが全く弾けない訳ではなく、この辺の実地体験をします。性に初体験があるように人生にも初体験がある。それを青春という。漱石の目線は青春ではなく、その人生を見据えた。
.

 セックスの意味だけでなく異性の存在が妄想につながり、良くいうと男に生きる意欲を持たせます。悪くいうと実人生を見誤らる。人生を生きる教科書として、三四郎は類のないテキストになった。当然か残念か、漱石の小説は2度と青春に帰ってこない。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/34008192

三四郎、帰らずを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿