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2016年10月16日 (日)

愛を積むひと 映画

Aiwo

  原作はエドワード・ムーニー・Jrの「石を積む人」です。タイトルを愛に変えたのは映画化に当たって、倫理性を準備して欲しかったのだろう。道徳と言ってもいい。
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 愛は関係です。関係は作るもの、マニュアルに添ったルールのような所がある。原作は読んでないがキリスト教が下地と思われる。つまり他人を許すことで自分もまた許される。
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 そこはレ・ミゼラブルに似ている。孤立して自殺するジャベール警部は出て来ないが……上手く行く側に立って、その方向でまとめればこうなる。あ、話では自殺する人でてくるワ。
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 1度悪いコトをした奴は取っちめた方がいい。本人のため……そう言う人は出てきます。端的には人殺しは死刑にしないとダメ、先進国中で死刑を容認する国は、つまりジャベールの国です。
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 佐藤浩一扮する篤史は元々は人嫌い、つまりジャベールです。妻の感化によってジャン・バルジャンに変ります。人を信じる信じないは半ば、習慣で短い間に変われるか、どうでしょう?
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 人は取っちめられた事で弱くなるか? 強い人や社会に従順になるものか? 死刑に賛成する人は基本的に人を許さない人で、そういう人は大らかな幸福も得られない。映画ラストのように……
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 性や年齢が同じ、考え方も同じような人としか付き合えません。子供や親、家族を傷つけられたら倍返しの報復をしようとする。このように課題を超えられたら良いと、時には思うこともあるのでしょうが……。

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 キリスト教はひとつの宗教で他の宗教にはキビシい。倫理は人の道、国内の人にはやさしいが他国の人にキビシい。善人にはやさいいが悪人にはキビシい。やさしさには塀があり、それは越えられない。
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 私なども大半は善人ですが後の半分は分かりません。悪というコトもないが自信は持てません。100円や千円は盗みませんがジュラルミンケースにいっぱい札束だったら、ネエ。そんな物はないから善人で生きられるダケ、ダケかもしれません。
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 早い話が私って善人などではなく、気が小さいだけではないでしょうか。100円盗まれたら許せます。千円だったら……ジュラルミンケースで盗まれたらどうですか?
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 他人はともかく自分の家族を殺されたら殺人犯は許せないでしょう。でも許せるかも知れない、その条件はなんでしょう。間違いなく善人になれる約束とか……そんなの当てにならない? やはり許せませんか?
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 そうなのです。でも許すことからしか深い信頼は生れない。誰も信じられなかったら美しく楽しい老後もありえない。何のために他人を許すか、自分自身のために許すという理屈になります。

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