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2016年9月 7日 (水)

マインドフルネス2

Maindo2_2

 誰でもいくつもの現実を抱えます。歩いて行く道の上にあっても、今から向かう会社の同僚と、今出てきた家の家族と無関係ではありません。同時進行する二つの現実の間に存在する。

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 どちらも大事だが、とりあえず自分は道の上に在り、どちら側の現実にも直には存在しない。しかしスマホやネットの発達で、そういった別の現実とも簡単に接続は可能になります。

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 まあ悪くいえばドコにも居られなくなった。完全所属は不可能になる……そういうコトになる。ここに居ればあちらが気になり、あちらに行けばこちらが気になる。つまり引き裂かれた状態に陥ります。

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 王家に生まれた釈迦は、城だか屋敷だかに住んで、その外で民が飢え、病気にかかって死んでいく。そうならない人も、やがては老い死んでいく。そういった現実に気が付き、愕然とします。

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 そんな判り切った事を今さら……私は11才の時に病気になり、病気は治るか治らないかよく判らない。治らないというのは死ぬという意味です。子供にも生死の境があると知ります。

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 だいたい人が触れるのは、祖父や祖母の死で、この世に死がある。老いや病気があると、深く知ります。思い知るいう意味です。父母の死で、死を思い知る人があります。そして愕然とする。

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 私は自分の死を悟り、単に死ぬかもしれないいう意味ですが、12か3才で愕然とします。私のみならず人は誰でも死ぬ、必ず死ぬ、例外はない……病気になると信仰を始める方があります。

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 その気持ちも判ります。親にもどうにもならない事がある。医師にも総理大臣にも、誰にもどうにもない事がある。キリスト教の奇跡を願う気持ちが、漠然というか、次第しだいに判ります。

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 家と会社の丁度、真ん中で地震に会ったら、家に帰りますか。会社に向かいますか。今回、熊本地震で私が思い出したのは、その11才の時の事です。生はせいぜい90年、100歳まで生きられる方もあり、70で亡くなる方もある。

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 誰も永遠に生きる訳ではない。一瞬先は闇、本当の自分はここにしかいない。あの世はあるか? どんな所か? 結局、それは判らない。今したい事があるなら、とりあえずして置いた方がいい。

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 奇跡は起きないかもしれない。いえ私は障害児として生き残ります。とりあえず死なないまでも、体は元にもどりませんでした。今、熊本城を修復しています。簡単には直らない。

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 それでも生きて行く……私に残った事はそれでも生きて行くいう事です。スマホもネットも錯覚いえば錯覚なので、今すぐ家に帰る訳にも、会社に到達する訳にも行かない。当たり前です。

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 当たり前が当たり前でなく、家にも会社にも同時に自分がいるような錯覚にある。悪く言うと心ここに在らずの状態に陥る。つまり自分がいなくなる。これがマインドフルネス(mindfulness meditation)気付きの瞑想が必要な理由です。(終)

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