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2015年8月 5日 (水)

宗教の影響

Aberu

 実の兄弟といえども他人であり、殺意を持って向き合うことがある。そう旧約聖書に書かれ、時々、問題になる。キリスト教の影響下にある国では、それほど珍しくない。個人と家族の葛藤が大きいからだ。


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 だがこれに身体障害などの問題が絡むというと、気になってくる。兄弟どちらか身障者の場合、身障と健常の利害がどうかと、そういう話も時々、本や映画で取り上げられる。キリスト教では身障者は、かなり重く見られるようだ。

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 心理探偵フィッツ「恐るべき恋人たち」のティナには盲目の妹があり、両親の愛は妹に吸い取られる。歪んだ心理を抱えての自立は、不幸な結果しか生み出さない。ティナはセンチメンタルな自己憐憫に陥りがちで、自覚もしている。

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 最近の映画では「わたしの中のあなた」も似たような主題を追う。姉のために腎臓を提供するよう、母に言われ、妹は弁護士を雇って訴訟を起こす。古くは「エデンの東」や「ケニー」にも近い描写がある。……日本ではあまりは問題にならない。

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 ティナは吃音障害の恋人ショーンを操作し、次々と不都合な人間を殺していく。恐るべき恋人たちの原題は「To say that I love」と言い、もっと愛しての意味になる。幼い時に飢えた愛は、大人になってからでは満たされない……心理学ではそう言われる。

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 フィッツが太っている理由、ギャンブル依存症の理由、酒やタバコにもこの理由は当る。ティナの気持ちが判るから、フィッツはそれを厳しく指摘していく。小説では東野圭吾さんが、ここをよくテーマにして「容疑者Xの献身」が優れる。

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 親の愛では満たされなかった分を恋人に要求する。誰でもそういう所はあるが、問題が殺人となると供依存、悪いパターンになる。つまり親子愛も、悪いパターンがないとは言い切れない。身障者もある程度たてば、親兄弟から自立した方がいい、言われる根拠です。

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 ただ他人も親兄弟のように接してしまう、そういう人が多いのかも……どうしても甘くなってしまう。私なども自分より重度の人に甘くなる。身障者が健常者に、たとえば無脳児が臓器移植を提供するのは間違っている。そんな内容の主張を聞いた。

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 無脳児は生きていると言える状態かどうか。論争に負けた重度者は「無脳児は人間ではない」と私が、そう言ったと周囲に話をふり巻いた。論争に負けたのが悔しかったか、健常者感に違うものがあったか、また全然ちがう理由か、よく判らない。

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私自身はといえば健常者に借りを沢山作っていて、それは一生かかっても返せない気がする。フィッツには博打による借金が山ほどあるらしいが、マアそれと似たような物です。

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