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2015年8月

2015年8月26日 (水)

イン・ザ・カット 映画

Inthecut

 ハリウッド映画の世界は、男女や人種の差別の中にあって、現実を反映はしない。下記にその矛盾は数値化されている。関心の向きは読んでいただきたい。

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それで話だが……その女性がそれぞれ製作、原作脚本、監督した映画があってこれを観ます。タイトルからして意味深い、イン・ザ・カットはメグ・ライアン主演のエロチック・サスペンスだったが特には話題にならなかった。

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大学講師役(教授ではない)のメグはこの時42才。下記の数値でいえば、ハリウッド映画と縁の切れる年齢ゾーンに近くなっていた。ルーシー講師は黒人生徒の1人とデイトの最中に、トイレで性交するカップルを見る。

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メグは小心なハイミスを演じる。真田広之の高校教師を連想してもらえば、ある意味では重なる。厳密にいえばルーシーには、セフレがあり、この男、猟奇殺人の聞き込みに来た刑事に嫉妬したりする。

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セフレがあれば高校教師とは違うだろうト言われそうだが、心置かない相手だからセフレなのです。コレという相手に心開けないところに、ルーシーの葛藤がある。

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さらにいえばデイトの相手が黒人生徒のように、ルーシーは心底ではそういう相手を求め、講師の建前でリアルな関係は作れない。ここの葛藤は、介護者と介護される重度身障者の関係によく似ている。

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介護グループ内で約一名の障害者と、約一名の介護者が関係に至ると、それを切っ掛けに同じように関係する人々が出てくる。あのグループは淫らである……そう噂されるが。まあ噂が当る所もあり、ない所もある。

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映画にもどると私の理解はそこまでです。猟奇殺人事件の、すぐかたわらで人間関係を深めたい……とは私は思いません。高校教師は判るけどルーシーは判らない。謎の猟奇殺人も一応の決着を見るが、まあ途中から読めますしねえ。

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リアルというより唐突、しかし本当に試みたい展開はこんな事だったの? 具体的な行動のバリエーションは、ニューシネマ風にした方が判るのではないかトつい思ってしまう。あれはハリウッド映画には入りません。

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これも一種のニューシネマでは? そういう方もあるかト思うが、主人公は死ぬのがニューシネマの一応の定義になる。そうすると問題点が鮮明化し、話も完結するからです。この映画は何がどうなったか曖昧はあいまいのまま。

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ルーシーに都合のいい解決が見えない。そういう意味で監督の代表作ピアノ・レッスンと似ている。ピアノの置けない環境ではピアノは弾けない。確かにハリウッド映画の世界は変だけど、女性映画だからと変でなくなる訳でもない。

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・2007年~2014年で、セリフのある役を演じた女性は、30.2%にしか満たない。

・2014年のトップ100本で主演もしくは共同主演した45歳以上の女優は皆無。その他の役で中年女性俳優が登場するのは19.9%。

・2014年のトップ100本でセリフのある役を演じた73.1%が白人俳優、12.5%が黒人俳優、5.3%がアジア人俳優。

・4.9%がヒスパニック並びにラテン系俳優、2.9%が中東の俳優、その他の民族は2%(インディアン、アラスカの原住民、ヒマラヤの原住民、太平洋諸島の住民は1%以下)

2015年8月17日 (月)

解夏 映画

Gege

 視覚障害者になりそこね、あわてた事がある。あわててもなくても失明は失明……そうなったら仕方がないが、視覚を失うトいうコトは、不安より恐怖に近く……これって、前にも書きました?

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 この映画の「解夏」はその意味をいう。失明の不安を描いた映画とは知らずに観ます。ベーチェット病は眼底に異常が起こり、やがて視力を失うこともある。遺伝性などの原因は目下、解明中です。

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 解夏は少し古く、その段階で取材が及ばなかったかと思われる。失明不安はきれいに消える……ようなセリフがある。確かに不安は消えるが、不自由が具体的に始る。他人に悟られなければ、不自由ではない……そういうコトでもない。

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 日夜、誰かにサポートされたとしても見えない現実は変らない……解夏には首を傾げる。そこで取材不足の感が残る。では具体的に、失明前の隆之は、黒田という先輩に失明体験を聞きます。

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 黒田はここを語るだけで、ドラマ全体の進展には関係しない。柄本明さんが演じる。激励の意味とも取れる内容だが、失明してしまえば後は楽という。下肢障害の私は唖然を通りこし、失礼ながら笑ってしまう。

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 走れないのも困るが歩けないのはなお困る。走らなければいい、歩かなければいい……いう人もあるが実用はそうもいかない。失明は暗闇ではなく霧に包まれる状態ト黒田はいう。

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 闇でも霧でも、見えなくて困るコトには変りはなく……言い回しの問題ではない。また、あなたの目になるト文学的な意見表明でも解決はない。後の松村達夫さん演じる林の言葉にも、理はありそうだが実はない。

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 なぜならフォローされ助けられればいいのではなく、フォローする。他者を助けることでしか、自己は救われない。失明すれば他人の目になれないコトが悲しい。黒田はソコには気がついていない。黒田だけでなく登場人物すべて、映画監督も脚本家も原作のさだまさしさんも、気がつかない。

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……で観客も気がつかない。いや、そういう人もあるらしく、いとも簡単に感動する。そうすれば簡単にかたずくからだろう。この浅さの原因は原作者の取材先、宮﨑康平氏の言動にあるのではないか?ト私は思う。

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 ここには二人いるのではない。黒田は宮崎氏の分身であり、隆之もまた宮崎氏の分身です。それで失明に対し、まったく同じ対処をする訳です。だから取材が浅い、私には意義アリ。なぜなら人間はもっと多様な顔をしている。

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 フォローされるコトでは人は満足できない。誰かをフォローするコトでしか、本当に満足できない……心の研究は、ここ数年でまた進みました。この映画って古いヨ……まあ幾分おせっかいな、私の性格にもよりますがネ。

2015年8月14日 (金)

サイクロン掃除器の欠点

Px200

 サイクロン掃除機が壊れたト依頼者はいう。去年の末にも修理に出し、同じ症状と聞く。ネット検索すると、一般にサイクロン式は壊れやすく、これと同じ掃除機で3台ほど同じ症状が並ぶ。(価格コムで)
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 1年未満の故障はメーカー保障にあり、ここで壊れる物もある。あとは店による延長保障など、価格に応じ3年とか5年保障になる。依頼者の掃除器には3年保障が付いたので去年度末の分は保障で修理、今回は有償となる。
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  この間はほぼ半年、「紙フィルターは10数年使えたのに」トご不満です。サイクロン式が出てから、紙フィルター式は売れなくなった。だがネットを検索すると「あえてフィルター式を推薦する」という記事がある。

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 サイクロン式には無理があり、モーターなどに負担をかけ、構造的に壊れやすい。サイクロンほど鮮やかな吸引はないが、フィルター式は価格も安く長く使える。この1年強ほどで、そう言われている。
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「故障が前回と同じなら、もう修理はしない。また半年したら故障するもの」
――しばらく私の掃除器を使いませんか? 私のはツインバードという安物(2000円)でして吸引力もほどほどですネ。
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 依頼者はキレイ好きで、ほぼ毎日掃除器をかける。壊れる掃除器は1日おきに使えば、2倍長く使える訳だが、それにしても割高は割高。メーカーでは部分的に水洗いなどし、よりていねいに使うようにと説明するが……改良の方の責務が先だろう。

2015年8月11日 (火)

はじまりのみち 映画

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 常識と良識は違う……常識は一般的な見方で、良識は常識を越える見方でもある。ひとつの見方が良識か否かは、しばらく立証を待たなければならない。
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 木下恵介監督の映画には特徴があって、物語に深い感情が流れる。もっと悪くいうと、監督は並外れたマザコンです。感情が深いだけでなく頑固なので、何人に反対されても、説を曲げません。
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 いよいよ戦火が激しくなる。一家は母を奥地に移動させる段になる。弟、正吉(恵介)は母をリヤカーで運ぶと主張します。母は脳溢血で半身不随、言葉もままならない。
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「バスでは無理」との庄吉の持説は、「エライ」大変という家族の中で孤立する。本人、母だけがリヤカー案が支持する。やがて兄はサポートに回り、便利屋も雇う。この4人旅が「はじまりのみち」の主物語になる。
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 弟正吉のいうことを兄や父が聞く。逆いうかネジレが、物語の前提になる。兄や父も本当は納得していないのではないか? 旅行中に反対案をいうのは濱田岳さん演じる便利屋です。
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 弟に従う兄の屈折した心理を演じるのはユースケ・サンタマリアさん。セリフのない母を演じるのは田中裕子さん、主役の木下監督を演じるのが加瀬亮さん。
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 誰もいわないけれど常識では無理と思う。そんな事をしなければいいのに思う。観客もそう思う。そういう中、一行は奇跡のようにたどり着く……木下映画はある意味で米映画に似ている。キリスト教を信じれば奇跡が起こるいう話です。
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 むろん木下監督はそういうつもりはない。ないけれど似てしまう。この旅も弟原案を兄がアレンジしたから成功したのですが、兄の手柄にはならない。その部分は米映画と違う。黒沢映画とも違う。戦後日本の精神構造……いうほど大袈裟なものではない。
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 どちらかいうとニューシネマに心を置いた、私などは木下映画はそう見えます。アメリカナイズと言うと誤解だが、日本は意識無意識、アメリカと矛盾しない生き方をしたので、無意識の良識と言えます。ただ何時まで続くかと言うと……
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 無理な登山計画の中、遭難という話はよく聞きます。何とかなるはずが何ともならず。今からは奇跡は起きないかも知れません……となると映画にもならない。善意に善意に解釈しても、TVや新聞の訃報にしかなりません。

●現在、gyaoでの無料視聴が可。

2015年8月 5日 (水)

宗教の影響

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 実の兄弟といえども他人であり、殺意を持って向き合うことがある。そう旧約聖書に書かれ、時々、問題になる。キリスト教の影響下にある国では、それほど珍しくない。個人と家族の葛藤が大きいからだ。


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 だがこれに身体障害などの問題が絡むというと、気になってくる。兄弟どちらか身障者の場合、身障と健常の利害がどうかと、そういう話も時々、本や映画で取り上げられる。キリスト教では身障者は、かなり重く見られるようだ。

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 心理探偵フィッツ「恐るべき恋人たち」のティナには盲目の妹があり、両親の愛は妹に吸い取られる。歪んだ心理を抱えての自立は、不幸な結果しか生み出さない。ティナはセンチメンタルな自己憐憫に陥りがちで、自覚もしている。

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 最近の映画では「わたしの中のあなた」も似たような主題を追う。姉のために腎臓を提供するよう、母に言われ、妹は弁護士を雇って訴訟を起こす。古くは「エデンの東」や「ケニー」にも近い描写がある。……日本ではあまりは問題にならない。

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 ティナは吃音障害の恋人ショーンを操作し、次々と不都合な人間を殺していく。恐るべき恋人たちの原題は「To say that I love」と言い、もっと愛しての意味になる。幼い時に飢えた愛は、大人になってからでは満たされない……心理学ではそう言われる。

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 フィッツが太っている理由、ギャンブル依存症の理由、酒やタバコにもこの理由は当る。ティナの気持ちが判るから、フィッツはそれを厳しく指摘していく。小説では東野圭吾さんが、ここをよくテーマにして「容疑者Xの献身」が優れる。

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 親の愛では満たされなかった分を恋人に要求する。誰でもそういう所はあるが、問題が殺人となると供依存、悪いパターンになる。つまり親子愛も、悪いパターンがないとは言い切れない。身障者もある程度たてば、親兄弟から自立した方がいい、言われる根拠です。

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 ただ他人も親兄弟のように接してしまう、そういう人が多いのかも……どうしても甘くなってしまう。私なども自分より重度の人に甘くなる。身障者が健常者に、たとえば無脳児が臓器移植を提供するのは間違っている。そんな内容の主張を聞いた。

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 無脳児は生きていると言える状態かどうか。論争に負けた重度者は「無脳児は人間ではない」と私が、そう言ったと周囲に話をふり巻いた。論争に負けたのが悔しかったか、健常者感に違うものがあったか、また全然ちがう理由か、よく判らない。

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私自身はといえば健常者に借りを沢山作っていて、それは一生かかっても返せない気がする。フィッツには博打による借金が山ほどあるらしいが、マアそれと似たような物です。