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2015年3月26日 (木)

努力はお好き?

022045_2 平等は好まれる概念だが、そのように実際を乗りきるのは難しい。芝居の主役は1人しかいない。シンデレラにしろ桃太郎にしろ、主役が何人もいたら観る人も混乱するだろう。その義母にしろキジやサルにしろ、引き立て役を嫌がったら芝居は成立しない。
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 小学校の学芸会で、それで芝居はされなくなる。私は古いので、学芸会で鬼役ではなかったが、それに近い役をやった。ずっと後に大人なって、私の悪役はウけたと聞きます。それで言うのですが、主役を誰にも問題だが、学芸会全体をナシにするのは間違っています。

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 では主役はどうやって決めるか?……そういう方向の話ではないのです。スポーツは努力すれば成功するトの考えも間違っています。そう専門家がいうのに、素人が努力を否定してはいけない。ト反論する……いえ専門家の主張は理解されるが、努力論は残そうと……それが主張になる。

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 スポーツの場合は99%の可能性は肉体にあって、精神は1%と専門家はいう。現代スポーツは分析されつくして、昔のように精神論の入りこむ隙間はない。イチローやダルビッシュになろうと、毎日頑張ってトレーニングしても、まあ、無理な人には無理。

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 素人にもそれは判っている。だが専門家が言うと拒絶反応が起きてしまう。誰にでもチャンスはあるべきだ。可能性を否定してはいけないという……アレです。ここで似た別例を思い出します。クルム伊達公子さんが娘のような若い選手と対戦中、相手に点が入る度に観客からため息がもれる。

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 ため息とため息は壮大なハーモニーとなって、コートの伊達さんにまで聞こえた。伊達さんはこれで参った。観客はテニスというものが判っていない。これはスポーツというものがの、意味でしょう。娘のような若い選手に勝てるはずがない。戦っていること事体が奇跡なのに……

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 観客は対戦に勝つことを期待する。つまり観客は、テニスというものを理解してない……ト、伊達さんはいう。肉体的な限界を努力で埋めてほしい。埋まるモノと思って納得しない……努力によって全ては埋まるとの認識を意味します。

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 親子ほど年が離れても勝利の可能性は平等にある、そう試合は見られている。それも平等概念というか、勝負は時の運では、それはスポーツではない。そう観ていいモノと、いけないモノの区別がない。主役が1人の芝居を否定し、あげく学芸会そのモノまで否定する……

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 努力だけでは無理。肉体的な素質は簡単に見える。それで断念すべきは断念される。努力する人がいるかもなど、そんなお節介はいらない。可能性のない所で集中するより、ある所で集中した方がいい。当り前だが省略するところがあって、初めて集中するところが出来る。

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 今日は2800m泳ぐ。3000には足りないが本日、打止め。それでプールを上がろうとして声がかかる。
「あんたは前より早くなっている……バタ足を頑張ればもっと早くなる」言われるのは同年輩の方です。
 私の場合は足は。もう無理です、トいおうとして言わない。

 健常者と並ぶ努力はしない。なぜならリハビリマニアも限界で、やり過ぎると好調は不調に変る。
――ありがとう御座います。 もう上がりますので……

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