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2015年1月12日 (月)

オタクな葛藤

Otaku

 言葉はありふれるが意味は変化する。意味は付加わり又かすれ薄れる。昔、ばんから今おたく、投げやりに見えるのは外側で、意味を荒く捕らえると乱暴者にされます。

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 言葉の内外をよく測定しなければ。オタク青年のフィギャーを扱う手つきを見ていて、芥川の肘を付いた写真を思い出した。掌をほおに当て……俗に虫歯のポーズというヤツで「私は芸術家です」の証明写真です。昔、海外で流行りました。

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 並外れて小汚く見えるオタク青年の服も、ある意味の証明服であるような……高椅子の上であぐらをかいた太宰治のカフェでの写真も、自らポーズを取って「写せ」とカメラマンに注文をつけた……ト写真家側に聞いてます。

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 純文学なんていうがオタクの元祖のような所がある。奇妙に見えても見掛けほどは奇妙でない。屈託した衒いがのぞく場合もある。「風立ちぬ」ではのっぽの堀越も、ちんちくりんの黒田さんも、どちらも宮崎監督がモデルです。

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  動機はむろん屈託したナルシズムという奴でしょう。あれで十分、自己主張ですからこう書いても悪口にはなりません……もっと上げます? ユーゴーのレ・ミゼラブルで、ジャンバル・ジャンが大男なのはユーゴーが小男だった反映です。

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 芥川龍之介は「3丁目の夕日」でもパロディ化されてます。書きたがりの癖に書けないって矛盾してます。元ネタを用意したと言われる。あ、太宰治もそうでした。漱石も2作ほど……比較すると宮崎監督は立派な部類に入ります。

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 カッコイイことはカッコ悪いこと、モテたいとはモテたくないこと……電車男でも証明がありましたネ。英雄的な行為をすれば本人は満足できるけど、周囲には多少なりとも迷惑で、社会において相手にも誰にも影響のない行為はないです。

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 たとえば私が目立つスーツ着れば、隣に立つ人のジャケットは地味になる。まして作業着を着る人をおとしめる……おとしめるまでは、ないか? 目立つ兄弟姉妹には深刻な問題って言います。そんな自己演出は、もしその場に演出家がいたら迷惑せんばんでしょう。

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 自分をある意味で埋没させ、だがある意味で充足させる。大きな不満もなく極端な満足も望まず、自分をバランスさせるって難しい。でもそれが社会生活という事で、ほころびは端的には太宰状になりましょうネ。

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 純文学という形態はゲームに変わった。酒やタバコは体をこわし、高くつく事が明確になった。その無理がはっきりした以上、こだわる必要はないんです。非合法の怪しいハーブは論外で……そうすると合法で安価な行き先はゲームになります。

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 町でなく街にしあれば、目立たぬよう埋もれていたい。裏返しの願望というか、かなり強烈な自己主張に違いない。「風立ちぬ」を観た後、結婚願望がわいて来て困るそうな、ええ男も女も……元祖オタクって芥川や太宰ではなく、女性だったんだ。

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