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2014年5月19日 (月)

モーツァルトとクジラ 映画

Mo

ドナルドはタクシーの運転手だったが、おしゃべりで客を閉口させ、あげく事故を起こしてしまう。ドナルドは不安になると数の世界に閉じこもる自閉症です。映画の冒頭は、そうは見ない人もあるが、そういう意味になります。

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ドナルドは計算オタクで数字に異常な関心を寄せます。322は特別な数でその3倍、966はイザベルがドナルドより早く生まれた日数を示します。イザベルとの関係には、日数や年の違いとは関係ないと思われるが、自閉症のドナルドにとって、関係性はそう意味付けられる。

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イザベルの方は性的にも奔放すぎるが、理容師としては成功している。自閉症の中では軽い、イザベルはアスペルガー症候群を抱える。ある意味でさばけるが別な意味では不器用で、他人とつながるには障害がある。自閉症やアスペについて、そう説明される。

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脚本はレインマンを書いたロナルド・バスといえば通じるだろうか。ドナルドの数の世界は、レインマンのレイモンドの世界と同じです。ドナルドとイザベルの関係は、仮装パーティに行った後、進展していく。映画は恋愛過程を追いながらもアスペの症状内容を説明していく。

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映画は恋愛映画として作ったのか、アスペへの理解を求める映画か判らなくなる。まとまりはレインマンにある。エピソードいくつも提示されたまま説明なく終る。イザベルが仮装するモーツァルトもアスペだったという人もある。物拠はなく確定することは出来ない。

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自閉症者の着眼点は独特で普通の人は思いつかない。この映画自体をスピルバーグが監督するはずだったそうな、スピルバーグ自身もアスペと言われる。数の世界とか映画の世界とか、アスペ者は独自の世界を築く……天才の世界とあこがれを込めて言う人もいる。

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草なぎ剛、眞鍋かをり、イチロー、信長、エジソン、アインシュタイン……そうなると映画でどう描いても、誰も納得は出来ないかも。実は私もアスペではないか、言われた事はあり検査を勧められた。丁度その頃は忙しく、それ所ではなかったが。

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映画評の途中で自白しても誰も信じないが、この映画を取り上げたひとつの理由です。映画はドナルドとイザベルの恋愛過程を追うが、出会いは初めから破局を予感させる。理由は二人がアスペ者だからではなく、すべての恋愛感情に通じるようにも見える。

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やがてドナルドは結婚を望み、イザベルは望まない。そしてそれはなぜか? そこに映画の主題があるので、内容についてこれ以上は書かないが、アスペについての理解は、映画を見ないより見た方が進む。自閉症、身障者一般についてもそうです。

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人はなぜか生きる事に不安を抱き、他者を理解したり拒絶したりするのか。映画は恋愛を通し、すべての人間関係に哲学的というか、そのような答えを求めても見える。 






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