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2014年1月 1日 (水)

ダーク・ナイト 映画

Darknightダークナイトに続けてダークナイトライジングを観ます。これはミルトンの失楽園を踏まえるとの話で、そうなのか違うのか関心がわきます。だが私としては映画は黒澤明監督「用心棒」と比較した方が早い気もする。その方が面白いかも、と書きましょう。

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バットマンは、警察や判事側の用心棒です。これに対し、ジョーカーはギャング側に自分を売り込みに行く。ダークナイトの最初が銀行強盗シーンなので、判り難くいが、警察側に比べギャング側の不利、手薄を見て用心棒を買って出る。例の鉛筆を消してみせるシーンです。

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「用心棒」では町を2組のヤクザが対立している。三十郎は両ヤクザを戦わせ、労なく町の掃除をと企みます。このアイデアはハメット「血の収穫」によります。企むというのは、そもそも正邪でいうと邪悪に属する。用心棒では仲代さんがピストルを持って出て来ます。

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三十郎には居合切りの特技があって、仲代卯之助のピストルは更なる新兵器という訳です。元々は三十郎の中に邪悪がある。そう言えないことはないので、時代が下ったり息詰まると人は別の手を考える。その手は旧来から見ると、あまり正しくは見えないと考えらる。

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男の原型は、黒澤世界では加藤大介さん扮する亥之吉のような男と思われる。策略を巡らして勝つというのは卑怯と考えられる、元々はネ。三十郎は呑んで考えるクセがある。そうすると知恵が出ると人物と造型されている。つまり居合切りというのも、やや卑怯な手か?

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酔えば潜在意識と、どれほどかかわれるものか? ともかく無意識が持ち出されます。人物造詣の根拠は黒澤です。三十郎像のモデルは自画像と証言のあるところ。バットマンの造詣では形であって、中身の性格ではない。富豪とかランボ車の設定になります。

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モデルはなく、万能の筋肉男、観客にスタイルの自画を描くよう設計される。つまりナルシズムでしょう。本当に本当は自分はカッコいいはず、偽バットマンの比較は笑えます。そのバットマンが言い合いでジョーカーに負け、レスリングではベインに負け、後はリハビリに励む姿に笑います。

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形から内面に向けて、あるいは意識が潜在意識と対話する。用心棒の世界を掘り下げるとバットマンの世界になる……大雑把にそう言ってもいいでしょう。ただ「ライジング」になると混乱して意味不明の感も否めない。

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現実は光景です。観客は現実世界に閉ざされる。光景を変えるのは物語、ストーリーです。観客は座席でイラだっている。映画には物語があってこその価値とストーリーの結末を待ちます。しかし私のような老人に違う結末があるか、すでに私の結末は訪れているのでは?

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私には自分が身障者であるという現実がある。健常者にも酔って夢想していても思うものには成れないという現実があります。劣等感や老いをはね返すには水泳や筋トレを行うしかない……それは私のリハビリとも大差がない。

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●ダークナイト予告 http://video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88 

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