« 泣きたい集計 | メイン | アケビの皮のカレー煮 »

2013年10月29日 (火)

奇跡のシンフォニー 映画

Kiseki俗にアメリカン・ドリームと言う。成功への夢を信じる。ここで上がる「夢」や「信」の文字は、悪くいうと根拠のないことを意味する。目標にそった道はなく、予定の立たない行程を意味する。到達の見込みのない目標や計画だから、当然、無理や危険を伴ないます。

.

映画「奇跡のシンフォニー」はオリバー・ツイストを原案とする。主人公は運を天に任せて孤児院を脱出する。浮浪児を集める元締めに支配されるが、そこを逃れ、良い家庭に引き取られて成人する。いや本作では本当の親に会えるのだから、原作を越える。むろん大昔ではなく現代が舞台です。

.

実際にはありえない事が次々と起こるのも奇跡だが、音楽を超能力に見立てて、具体的にリスナーに提示、説得します。自由こそがすべてト……ハリウッドでは昔、ご都合主義とか、日本ではつい最近、韓流ドラマとか言われました。それをまとめなければならず、仕方がない部分もあります。

.

お判りとは思いますが私、音楽は書けません。知り合いに新曲を聴かされ、 「この曲には歌詞がない。1番だけはあるが1番だけではカッコがつかん。2番を書いて……」書いた事はあります。4~5行書くのに3時間かかりました。こういう知り合いを悪い友、悪友(阿久悠)というのですが……

.

名子役、フレディ・ハイモア君は、ギターを見た途端にタッピングギター演奏法を発明し(実際あるそうです)楽譜の存在を教えられるとオケの作曲を始める。モーツァルトに模して神童と言われます。サバンという症状は日常での能力を欠いて起こる。お判りでしょうがハイモア君には日常の障害はない。

.

私は歌詞をメモにして持ち歩き、専念して書いていた訳ではない。一般に演奏家は日常を犠牲にして楽器の練習をされる。モーツァルトの場合、楽譜にすると金になるいうのでカミさんが、曲を残らず書き留めさせた。それが今に残っていると言われる。

.

言い換えると、我々がモーツァルトの曲を全部聞けるのはカミさんのお陰です。モーツァルトは本当はどうしたかったか? ハイモア君のような神童が本当にいたとして、自分では何をしたいのか? ……つまり映画はアメリカンドーリムを美化している。アメリカにも悪い側面がある。

.

そういう意味で映画には矛盾があります。物事は丸ごと、何もかにもが上手く行く事はない。あれが上手く行けば、これは上手く行かない……両方、上手く行けば他人に、自分のツケを払わせる事になる。映画は意識的に隠し避ける。それとも映画を見る人は、すでに知っている共犯者か。

.

だからロビン・ウィリアムズ扮する悪い元締めにも一面の真理はあります。危険を避けて穏やかに生きれば違う幸福がある。だから日本のお父さんは家業を継いで欲しい。日本のお母さんは地元田舎に残って欲しい。ここは米国ではないのだから……この辺はロビンさんが上手く演じて見せます。

.

でも子供としては納得出来ません。自分の可能性を試したい、いやいや出来るなら世界制覇もしてみたい。可能性を限りに生きてみたい訳です。昔、若かった私としても判ります。映画は内容の相克とは別に、音と音楽がいい。いいオーディオで聞きたい……ただそういう意味であまり何回もは聞きたくはない。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.bbiq.jp/t/trackback/394232/31925073

奇跡のシンフォニー 映画を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿