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2013年4月30日 (火)

他人の顔 映画

Taninnokao 安部公房さん「他人の顔」映画化を観ます。その前に「砂の女」も観ますが、砂の女は小説からの大きな変更はなく、忠実な再現になります。他人の顔の原作は観念的な進行が多く、ラストも主人公と妻の破綻を待つばかりとなる。

 

他人の顔の映画版には、担当の精神科医師が登場し、主人公と対話の内に物語が進行して行く。顔を火傷した主人公が何を求めて仮面を作るか? 顔の持つ意味、自由の意味が哲学的というか、形而上学的に展開する。

 

主人公に仲代達矢、医師に平幹二朗、主人公の妻に京マチ子ほか、岸田今日子、岡田英次、千秋実、市原悦子さんといった役者が脇を固める。映画では副主人公としてケロイドの女、入江美樹さんが出て来る。若い女性の顔のケロイドは人生の意味がない。

  

これではっきりするが、顔がない事は、ほぼニヒリズムを意味する……女は兄と性体験し、入水自殺を遂げる。主人公が妻を誘惑するという仮面の意味は、つまり性的な展開からしか、自由の可能性はないトの意味になる。

 

少し厳密に意味をいうトすれば、ここでの精神科医師はフィールドワークというか現地取材を兼ねて行動する。たとえば仮面を作るために一万円札をチラつかせて型取りのモデルと交渉したり、モデルの男を井川比佐司さんが演じる。

 

性だから売春を計算内にすると話は簡単になる。肉親や元カノ、元カレといった既成関係から流用すると、その次に簡単になる。難しいのは肉体関係に心通わせ、違う成果を期待する場合です。妻を誘惑して復讐とするか、高揚感に酔いたいのか?

 

安部さんが他人の顔を書いた時、大江さんは「個人的な体験」を書き、三島さんは「剣」を書いた。つまり障害児を抱えて生きる意味や、剣道で何が出来るか意味を考えていた……安部さんは医学部を出るには出たが、医師の開業免許は取れなかった。

 

赤貧の中で小説を書いた時期があった。その中からも性は性という結論を出している……言い換えればニヒリズムからの脱却がテーマになる。かなりの長い時間、性を意識して暮らし、やがて卒業の時間とはなるが脱却という事にはならない。

 

長い影法師のように性がまつわりつく。先日も77才の女性が、79才の男を結婚詐欺にかけたとか、フロイトの説は奇妙な形で立証される。長い間、性に引きずり回された過去からも簡単に抜け出す訳にも行かないのだろう。

 

自由は自立と背反する。映画のような医師の存在を置いても、なお孤独という言葉を負わされる。情報収集と、多い情報から判断がつけば、孤独は自由という言葉に変換される。仮面はロボットスーツにも、いや、ただのコンタクトレンズにも変えられる。

 ●他人の顔 本編 http://www.gooddrama.net/japanese-movie/the-face-of-another-movie

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