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2013年1月25日 (金)

素晴らしき哉、人生! 映画

Suba 貧富の差をいけないとは捕らえるが決定的に悪いとは思わない。主人公ジョージには学歴もない。ごく軽いが身体障害もある……あらかじめ越えるハードルと設定される。ライバルのポッターも車椅子を使うが、障害は越えるべき物と見る。

 

おぼれた弟を助け冷水に飛び込む……で熱を出し障害を負う。このエピソードはなくても物語は成り立つ。ジョージの立派さを証明する話として取り込まれ、それで不自由してる話はない。うっかり大金を失くす別な人はある。聞こえない不自由は書かれない。

 

まだ子供のジョージはメアリーにココナツの説明をする。遠い国から来た味と言う。それはメアリーの好きなチョコ味だって同じでは?……雑誌での独学の強調? その前からメアリーはジョージに思いを寄せる。このように意味不明の描写になる。

 

映画の原型は長かったらしいが短くなって残っている。チグハグは刈り込まれた可能性もある。(米国版で見たが一部見れず)それでなくとも状態は悪い。昔はクリスマスの度にTVで掛けたトいう。そういう教訓映画、道徳映画の側面もある。

 

青年ジョージには夢もあった。いざという場面に上手く行かず夢は断念せざる得なかった。運命のせいで、貧乏のせいではない……と話を運ぶ、ように見える。お前が身障者でヒネくれているからト言われそうです。実際ポッターはそうです。

 

可能性もチャンスも裕福な方に多いと私は思う。学歴はあった方が知識も増えると私は思う。リベラルは不利と思う、少なくとも今の日本はウヨクな言動の方が無難です。貧富の差についてジョージはリベラルだが、その本気度は疑わしい。

 

映画は格調高く、娯楽映画風ではない。だが本当の芸術性があるか……そういわれると怪しいと思う。聴力障害や車椅子を使う事がどういう事か、本当には理解せず、一種の格調へ変えている……ではないか? その疑念は消えない。

 

とは言え、ここで取り込まれる天使の魔術は、今でいうパラレルワールドであり、人間臭い2級天使の造形といい、優れて映像的です。ありふれた娯楽映画では追随は許さない。今でこそ平易に見えるが、当時は難解な部類だったのかも……

 

製作は、チャップリンで言えば「モダンタイムス」から「独裁者」にかけた時代に当たる。両作は共産主義を容認したと避難され、チャップリンは米国を追われる。当時はこういう風でないとダメだったのか? その辺も判らないが、何だか窮屈な気がする。

 

健常者があって障害者がいる、その逆もあり、私は障害があるために自由にはこだわる。映画ではジョージが、長い足で何度も垣根を飛び越える。このように出来れば自由に振舞いたい。リベラルから見える世界がありウヨクから見える世界もある。

 両方を理解し初めて自分が決まる。前提のウヨク、あらかじめリベラルでは自分も育たない。見えない判らないは、あらかじめの断念と同じになる……その本人がどう思おうと、時代と状況のバイアスはかかっている。

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