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2012年10月28日 (日)

山の音 映画

Yamanooto 山の音というのは海の音と同じ意味で死を暗示する。62才の信吾は最近、死期を感じる。具体的には朝、早く目が覚め、うつつに故郷の山が思い浮かび気になる。

 

 

 

私は64才、ここに書かれる主人公の年齢を越えているが、書かれる事はそれほどピンと来ない。しかし康成さんは自分の分身として信吾を書いたとみえる。

 

 

 

康成さんの頃と今では死が遠くなった。いくら遠くなっても死が来ない訳ではなく、おいおいとはやって来る。その辺は薄ぼんやり程度には判る。先日「みなさん、さようなら」でも書いた通りです。

 

 

 

信吾は若い頃に保子の姉にあこがれ、叶わず妹の保子と結婚した。姉に似た菊子20才を、息子の嫁に迎えている。菊子は信吾のお気に入りで、菊子も信吾の気持ちに応える。原節子さんは実際は、この時、何歳だったろう。

 

 

 

ここは私の解釈だが、修一は結婚直後から妻の心を父に盗られた。それで心を求め愛人を作った。愛人が出来た後、修一は夜、菊子とむしろ、うまく行くようになる。

 

 

 

そこで信吾の昔の叶わぬ思いは、仏教の因果のように修一に引き継がれる。修一は父と妻に心を閉じ、ひたすら耐える。そして苦しみを愛人に当たる、今でいうDVになる。未亡人という愛人は、修一と別れても子は生むと言い出す。

 

 

 

反対に菊子は子供をおろし、修一とは別れる決心をする。信吾はその間に立たされる。修一と菊子は二人で、その下話程度はしているような、していないような……微妙な雰囲気の中、信吾と菊子の会話で、観客は現実を知らされます。

 

私の解釈と書いたが、百も承知の上で信吾は菊子の言葉を聞き、涙を見たと解釈しなければこの映画は通じない。キレイに言えばあいまいに、悪くいえばトンチンカンに映画は進行する。原作を読んだのは私が若い時で、これは判らなかった。

 

色に出にけりといいます。男より女性の方が仕草や言葉から、思わず出した感情を読み取る。出そうとして出た感情とさえ言えない部分にも機微はあります。機微のやり取りを色という。

 

これは即座に出来る人と出来ない人がありますようで、結婚はしたが愛される事はなかった妻保子、また同じ仕打ちを受けた実の娘、結婚して現実を生々しく目の当たりにする修一。

 

発端は自分にある事を知りながら、シラをきり続ける信吾です。ただ即座に言わなければ言ったことに成らず、しなければしたことにもならない。過ぎた後の後知恵なら、それは幾らでも出ます。

 一族が同居すれば火車となった時、火は家族全員に飛火し、火炎に包まずには置かない。つまり後のまつり、敗戦後、日本が小家族に移行したのは偶然でも、占領軍のせいでもなかった。康成さん、これは思わない発言をしてしまったか?

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