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2012年10月29日 (月)

それでも生きてゆく 3

Soreiki3「それでも生きてゆく」で味をしめ、良品ドラマを物色しましたが、ありませんなあ。「それ生き」は一応裏が取れていて、被害者加害者の勘違い、思い違いが修復されます。際限もなく疑う、どこまでも悪意という事はない。

 

それ生き以前のドラマは、最初の勘違いのまま、思いに思いを重ねて行く。ご都合主義で主人公や、人気のある女優さんに合わせて物語が流れます。すると勧善懲悪バリエーションの粋を出ない。

 

長女が強気で次女が弱気、そういうドラマもあります。そういう役が振られ、その設定で進行します。実際にそうなるものか、リアリティよりは視聴者に受ければそれでいい。シンデレラとか童話の設定から来たと思われますが、慣れた設定が安心できる。

 

こういう設定を仮に刷り込むと、一般に長女は性格が悪い。次女が善良と思われる。これ困ります。差別になります。身障者は体が悪いだけではなく性格が暗い。暗い性格は直らない……そういうのに似ています。

 

勧善懲悪も、判り難い現実を判り易くして、し過ぎたト思います。そこまで言うと、もう現実でも実際でもなくなってしまう。良かれと思って言い変えたことが嘘になる。勧善懲悪を考え、説いたのは仏教です。

 

今では仏教も、経典に悪い部分があったら書いてあっても読まない。そういう処置がされる。それ生きでは子供の殺人を取り上げ、原因は何かいうのが山になります。また家族は何を償えるか……面白ければ何でもいい、それはなし。

 

つまり一般化できる事実か、科学的な裏付けを必要とします。遠山家の劣悪な家庭環境に、母親は絶望し自殺のような死に方で、子供の目前で死んでしまう。(このシーンの映像化はなくセリフだけ)三崎文哉にはこれがトラウマになる。

 

昨日の「山の音」は、伊豆の踊り子、雪国と並ぶ、康成さんの代表作といっていい。それでもあいまいな表現が多く現代には蘇れない。きっちりした裏が取れません。

 

村上さんのノーベル文学賞が難しいのに、厳しい現実に目を背け、空想に逃げる気持ちがある。つまり私たちの姿勢も問題でしょうネ。文哉はサイコパスではない。満島さんは兄の2番目の殺人を償うために瑛太さんと別れる……

 そうなっていませんが、ドラマはもっと深い完結もあったと私は思います。そこまでは出来なかった。最終回ハッピーエンドの色合いを出したかった。賞は沢山取ったけれど視聴率は取れてない……厳しい。

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