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2012年10月

2012年10月31日 (水)

めし 映画

Mesi 1951年作品、日本がまだまだ貧乏だった頃の映画です。うなぎめしが100円の話が出て来ます、今だと2000円の感じか? 外食が楽しく家庭の食事がうっとうしく、それでこのタイトルになる。でも娯楽映画ですよ。

 

今年はうなぎが高いと話題になったが、外国産があってそうでもなく、51年頃の方が高かったのではないか? 私はそんな気がする。暑い盛り、月に何度もうなぎを食いたいトの声を聞いた……この頃は、年に何度も食べてない。

 

上原謙さんは証券会の社務め、かなり裕福に設定してある。義妹が転がり込む上に靴を盗まれる。で、会社から数千円を前借する部分がある。コンビの靴が2000円で、義妹とうなぎを食いビールを飲むのだが……

 

「何故、ウチでお食べにならないの?」島崎雪子さんのセリフがあって、上原さんは家庭の飯がまずいと言う。親の反対を押し切って結婚し5年、倦怠期です。それで奥さんを演じるのが原節子さん。

 

原さんは演技が瑞々しい、永遠の処女と言われます。ドイツ系の彫りの深い顔をしている。美男美女を集めておいて倦怠期もないが、その辺が娯楽映画ですなあ。原作が人気の林芙美子の絶筆、中断された部分からは川端康成さんが足しています。

 

林芙美子さんは普通の女性を激励する小説、放浪記でベストセラーになった人です。プロレタリア文学とまで思いませんが、これで観るとブルジョア化してます。映画の中では「着ていく物が……」言いながらクラス会には出て行きます。

 

原作自体が朝日の新聞小説で、華のある光景が多い。ビールもうなぎも外食行為も、あまり批判的に書かれない。林さん自身がそういう店で原稿を書いたそうです……家に机がない意味ではなく今でいうノマドとか、オサレ感を演出した行為と思う。

 

Win8が出ましたがモバイル性能を強化してるようです。Win7も安定性ではXPに負ける……と言う事は基本ではなく、時代は応用力の段階を行っている。iPodも実用の物でなく、オサレ感を演出する道具です。そのうち実用性が高まるかも。

 

それまで私はレシートの裏にメモし、俳句を書きつけていきます。映画の話にもどします。家庭にあって生活を重視する。私はそれが基本と思う。うなぎを食ってもいいんです。私がポルチーニソースハンバーグ、食ったようなもんでしょ?

 

ただオサレ感で生活は出来ません。言ってしまえば「めし」は十分にオサレな映画で、虚飾というか空疎性が見える。昨日の冷たい熱帯魚で、娘がスーパーで万引きするのはファーストフード類、つまりめしなのです。

 ●画像 妻の留守に、夫は寝入った義妹に寄る場面。妻は疑惑を抱きながら、釈明を聞こうとさえしない。原作は絶筆、映画の結末は仲直りで終るのだが……

2012年10月30日 (火)

冷たい熱帯魚 映画

Tumetai 

 埼玉愛犬家連続殺人事件は、あらかじめ完全犯罪を計画していた。それを警察よりマスコミが先行報道します。残忍でヤクザまがいの荒っぽい手口で知られ、ファンが出来た。それがこの映画「冷たい熱帯魚」です。

 

 

 

猟奇的というより、犯人たち一家は主従だった。主従をめぐって暴力と自己顕示欲を争った。犯人の一人は実刑後、顛末を出版するなど特異性がある。私はあの事件を忘れていたが……映画化には当然な面もある。

 

犬を熱帯魚に替えて映画化です。そういう意味では、はっきり裏の取れてます。吹越満さん演じる主人公は、若い奥さんをもらいます。高校生の娘がいるが、家が面白くない。吹越さんに当付けに万引きします。

 

吹越一家はすでに破綻していた。吹越さんが家長としては二人をリード出来なかった……娘の万引き事件をきっかけに、同じ熱帯魚屋のでんでんさんが、一家を状況をリードし、吹越さんを手下化してしまう。

 

協力と従属は違う。しかし愛情と憧憬は微妙です。「みなさん、さようなら」ではガンの父に、息子は麻薬を勧める。状況が状況なので判りませんが、息子による支配かもしれない。

 

数十万の熱帯魚を数千万と売りつけ、金を取ると客を殺してしまう。死体をバラバラに解体して処理してしまう。「でんでん」さんは気の小さい面と大胆な面を合わせ持ち、妻や同業者を率います。怪演です。映画はバトル・ロワイヤルに似ている。

 

桐野夏生さん原作のOUTにも似ています。人を平気で殺し、それをおぞましい方法で処理する。バトルやOUTと違うのは、ヤクザまがいへの憧れ、生きる強さとして尊敬がある。カメラの目線が吹越さんやでんでんさんの目線に重なっていく。

 

観客は、でんでんさんの子分になったような、吹越さんの友達になるような近しさを感じる。よくあるヤクザ映画よりは、あいまいな支配が映画の売りになります。刑事や警察、マスコミ、社会からの視点がない。

 

私は、残忍でヤクザぽい手口、異常な支配への憧憬を感じる。それが嫌です。一匹、数千万円という熱帯魚や犬は、ある意味で私たちの日常への侮蔑です。確かにバブル期の空気、社会、事件にはそういう面がありました。

 

吹越さんは出色の演技、もっと良かったでんでんさんはこの役だけで賞を取っています。しかしこの映画は根源的な意味で卑しく、人間の尊厳が感じられません。

 予告 http://www.youtube.com/watch?v=pc2kzzTBlCE&feature=related

2012年10月29日 (月)

それでも生きてゆく 3

Soreiki3「それでも生きてゆく」で味をしめ、良品ドラマを物色しましたが、ありませんなあ。「それ生き」は一応裏が取れていて、被害者加害者の勘違い、思い違いが修復されます。際限もなく疑う、どこまでも悪意という事はない。

 

それ生き以前のドラマは、最初の勘違いのまま、思いに思いを重ねて行く。ご都合主義で主人公や、人気のある女優さんに合わせて物語が流れます。すると勧善懲悪バリエーションの粋を出ない。

 

長女が強気で次女が弱気、そういうドラマもあります。そういう役が振られ、その設定で進行します。実際にそうなるものか、リアリティよりは視聴者に受ければそれでいい。シンデレラとか童話の設定から来たと思われますが、慣れた設定が安心できる。

 

こういう設定を仮に刷り込むと、一般に長女は性格が悪い。次女が善良と思われる。これ困ります。差別になります。身障者は体が悪いだけではなく性格が暗い。暗い性格は直らない……そういうのに似ています。

 

勧善懲悪も、判り難い現実を判り易くして、し過ぎたト思います。そこまで言うと、もう現実でも実際でもなくなってしまう。良かれと思って言い変えたことが嘘になる。勧善懲悪を考え、説いたのは仏教です。

 

今では仏教も、経典に悪い部分があったら書いてあっても読まない。そういう処置がされる。それ生きでは子供の殺人を取り上げ、原因は何かいうのが山になります。また家族は何を償えるか……面白ければ何でもいい、それはなし。

 

つまり一般化できる事実か、科学的な裏付けを必要とします。遠山家の劣悪な家庭環境に、母親は絶望し自殺のような死に方で、子供の目前で死んでしまう。(このシーンの映像化はなくセリフだけ)三崎文哉にはこれがトラウマになる。

 

昨日の「山の音」は、伊豆の踊り子、雪国と並ぶ、康成さんの代表作といっていい。それでもあいまいな表現が多く現代には蘇れない。きっちりした裏が取れません。

 

村上さんのノーベル文学賞が難しいのに、厳しい現実に目を背け、空想に逃げる気持ちがある。つまり私たちの姿勢も問題でしょうネ。文哉はサイコパスではない。満島さんは兄の2番目の殺人を償うために瑛太さんと別れる……

 そうなっていませんが、ドラマはもっと深い完結もあったと私は思います。そこまでは出来なかった。最終回ハッピーエンドの色合いを出したかった。賞は沢山取ったけれど視聴率は取れてない……厳しい。

2012年10月28日 (日)

山の音 映画

Yamanooto 山の音というのは海の音と同じ意味で死を暗示する。62才の信吾は最近、死期を感じる。具体的には朝、早く目が覚め、うつつに故郷の山が思い浮かび気になる。

 

 

 

私は64才、ここに書かれる主人公の年齢を越えているが、書かれる事はそれほどピンと来ない。しかし康成さんは自分の分身として信吾を書いたとみえる。

 

 

 

康成さんの頃と今では死が遠くなった。いくら遠くなっても死が来ない訳ではなく、おいおいとはやって来る。その辺は薄ぼんやり程度には判る。先日「みなさん、さようなら」でも書いた通りです。

 

 

 

信吾は若い頃に保子の姉にあこがれ、叶わず妹の保子と結婚した。姉に似た菊子20才を、息子の嫁に迎えている。菊子は信吾のお気に入りで、菊子も信吾の気持ちに応える。原節子さんは実際は、この時、何歳だったろう。

 

 

 

ここは私の解釈だが、修一は結婚直後から妻の心を父に盗られた。それで心を求め愛人を作った。愛人が出来た後、修一は夜、菊子とむしろ、うまく行くようになる。

 

 

 

そこで信吾の昔の叶わぬ思いは、仏教の因果のように修一に引き継がれる。修一は父と妻に心を閉じ、ひたすら耐える。そして苦しみを愛人に当たる、今でいうDVになる。未亡人という愛人は、修一と別れても子は生むと言い出す。

 

 

 

反対に菊子は子供をおろし、修一とは別れる決心をする。信吾はその間に立たされる。修一と菊子は二人で、その下話程度はしているような、していないような……微妙な雰囲気の中、信吾と菊子の会話で、観客は現実を知らされます。

 

私の解釈と書いたが、百も承知の上で信吾は菊子の言葉を聞き、涙を見たと解釈しなければこの映画は通じない。キレイに言えばあいまいに、悪くいえばトンチンカンに映画は進行する。原作を読んだのは私が若い時で、これは判らなかった。

 

色に出にけりといいます。男より女性の方が仕草や言葉から、思わず出した感情を読み取る。出そうとして出た感情とさえ言えない部分にも機微はあります。機微のやり取りを色という。

 

これは即座に出来る人と出来ない人がありますようで、結婚はしたが愛される事はなかった妻保子、また同じ仕打ちを受けた実の娘、結婚して現実を生々しく目の当たりにする修一。

 

発端は自分にある事を知りながら、シラをきり続ける信吾です。ただ即座に言わなければ言ったことに成らず、しなければしたことにもならない。過ぎた後の後知恵なら、それは幾らでも出ます。

 一族が同居すれば火車となった時、火は家族全員に飛火し、火炎に包まずには置かない。つまり後のまつり、敗戦後、日本が小家族に移行したのは偶然でも、占領軍のせいでもなかった。康成さん、これは思わない発言をしてしまったか?

2012年10月26日 (金)

みなさん、さようなら 映画

Minasan それはニンジンのように鼻先にぶら下がっていて、それでいいように持って行かれる。20代まで、いや30代も似たようなもんだし40代でも基本は変わらない。ふと自分に疑問を感じるのは50代ではないか?

 

これは昨日の続きではなく仏映画「みなさん、さようなら」の話です。物語はレミが、末期ガンでいよいよ行けなくなる所から始まる。その前のレミは恋愛好き、色事には大っぴらで、今も隠そうとしない。

 

タバコ呑みがタバコを呑むように、酒呑みが酒呑むように、レミは愛人を愛した。仏人のいう愛はどうもそういう所がある。太った歴史学者、元は教授だったらしいが学者として成功はしていないのだろうか。

 

独哲学のハイディガーも似たような線だったらしい。人生には、たとえ何も見つからなくてもセックスは……失礼、愛です愛はある。だから素晴らしい……レミがそう言う訳ではないが、映画にはそういう印象がある。

 

生活保護を取って、何する訳でもなくセッセと、沢山の子供を作って成人させた身障者もあった。あれも人生、これも人生。いい悪いではなく生活に追われ、結局そうなって行く。社会的な所での存在の意味とか、そういう事はいってられないのだろう。

 

私が思うのは、レミにはモデルがあるのではなく、これはある意味、監督自身の自画像だろうトいう事です。太って不細工なレミとスマートで優男の監督では、違うようでいて……キレイに重なっていく。

 

レミの息子は英国で金融トレーダーをやっており、やり手である。父に本当に末期と知ると、入院はさせるが抗がん治療はさせず、麻薬を手配する。日本でも行政は医師会や薬品会社とツルむ。有態には業者肥やしの側面を否定できない。

 

医療、ガンへの対策ではなく、利を上げる仕組みとして機能するト、意味の事を田原総一郎さんがいう。患者のための医療ではないからだ。田原さんは最初の奥さん2番目の奥さんもガンで亡くされている。

 

自分が末期がんと知れば、自分に何が出来るか考え、小さな町の公園を作る。映画「生きる」を連想します。今の時代には、小さな公園も作れないでしょう。麻薬を吸ってさようならを言うのも、暑苦しくなく気が効いている。

 

監督の生き方なのか。それともフランス人がそうなのだろうか。こういう尊厳死なら私も納得が出来る。実存主義的な意味での割切りが感じられる。老いれば性に距離を置いて生きる。思い出が切ないなんて言っていられない。

 

エンドタイトルはピアフでもモンタンでもなくフランソワーズ・アルディです。(youtube下記引用にL’amitieは出て来る)ラストに向けて拍車をかけなければ人生は完成しません。そういう意味で老いは最後の自由です。

 

●みなさん、さようなら エンド部分

 http://www.youtube.com/watch?v=L18dQ89joMM

2012年10月25日 (木)

誰か側にいてほしい

Isuzyossei いきなり男女間で「金がほしい」の話はありません。ただ二人が二人でいる間での消費は、どちらが持つか。費用をどうするかが潜在問題には、なります。基本的に女性の場合、予算がないのです。

 

 

 

いえそもそもは私、障害者の男に取材しました。それで男に聞いてる間は、異性問題は出ませんでした。私が記事化に慣れ、読む側も読み慣れ「女性を取材しろ」と注文が出ます。

 

 

 

私も体験を積み、したたかに取材の難しさを克服し、ある意味では慎重に、別の意味で積極的になる。女性の男たちに寄せる要求を聞いてみようトなります。

 

 

 

「彼氏はいないがデートはしたい。この年になるのにデートを一度もしたことない。それっぽい雰囲気を出してくれるだけでいいが……」これは実名では出せません。車椅子の女性と書いた場合、仮名でもバレそうになります。

 

 

 

このような声は男にも当然ありますが、当たり前に過ぎて記事にならない。それで女性に、もっと聞きます。「出会いがない。遊びたいというとアレだが、女じゃない誰かにそばにいてほしいだけ……」

 

 

 

親元にいる身障者は、特に異性と外に出るのは困難で、地方にいるほど世間の視線が強い。介護者たちは介護を理由にデートし、その後は介護しないデートへと移る。車椅子、本人はそうは行かない。そういう情報がもれ、流れます。

 

 

 

車椅子者の思いは微妙で、気分や成りゆきで後の展開も自由でいいのだと開き直る。ますます実名は出せない。ただ問題は、身障女性特有というのでもない。最初に書いた、金がかかる訳とそれをどうするかの問題にもなります。

 

 

 

その辺を本人は身障女性、特有の悩み、思いと考えています。男は当然、最初のデイトを次につなげ、さらにその次に、最後をセックスにつなげる。何度も書きますが男には、当たり前ソレしかない。それでは私の記事には、ならない。

 

 

 

好きだった人には恋人がいた。失恋というか、誰でもいいからデイトをして気持ちを落ち着けたい。男ならファッションヘルスという状況ですが、女性はその辺りで収まるらしい。逸脱の場面も当然あるでしょうが少ない……らしい。

 

 

 

この辺も、よくある話で、健常女性からも聞きます。車椅子女性は、出て行くとなると家まで迎えに来てもらい、最後も家まで……付近で別れ帰り付くのをクルマから見守ってもらう。健常女性のようには行きません。むろん紙で公表できません。

 

 

 

こういった実行が、個人で電話を持つようになってから、あからさまに出来るようになる。で、飛躍的に世界は広くなる。そうすると「私はセックスが苦手らしい。体験不測なのか、劣等感がある。いろんな人としたい」

 

 

 露骨というか、具体的な欲求も出て来ます。ただ男に比べると低いというか、小さい。健常者に比べれば下回っている。例えば車椅子の場合、色んな意味で困難は大きく……それなりの予算も伴なう訳です。

2012年10月23日 (火)

あげ底のかかと

Innsoru2_2 ちょっと表現しづらい。メーカーは「靴下の中にこっそりあげ底」と言ってます。身障者の障害対策とは書かない。「人体工学に基づいた設計」……かなあ。そこは私、知りません。

 

 

 

背丈に希望のある人に向けた2センチアップの踵グッズ、中敷がグルーポンの対象に出たので、注文を入れました。グルーポンではインソール、靴の中敷の扱いになる。

 

 

 

一般の店に行っても背丈を上げる踵、そういうインソールといっても近所の店にはない。グルーポンでも店の名前ははっきりしないが……「風水国際グループ」株式会社〒135-0064 江東区青梅2-7-4  EOO+SHOP 2cm靴下インソール(2足セット前回より値下げ、今回は送料共999円 だが通常一足1980円、2足3500円という。

 

 

 

アマゾンで「インソール」を検索すると、その手のあげ底用インソールはいろいろ種類があります。ネット内では背丈問題は大きく取り上げられる。これを流用すると下肢、足長差の対策は、意外に簡単に出来ます。

 

 

 

アマゾンでの価格はいくら何でも送料共2足1000円という事はない。だがおそらく数千円。整形病院で補助具の注文を出すより、だいぶん安くなるでしょう。アマゾンでは、むろん行政補助の処置は受けられませんがね。

 

 

 

ここ「EOO+SHOP」ではサイズが2センチに限定される。女性専用のように見えました。コレ関係ない、かといってあまり大柄な人には合いません。つまり踵だけな訳でほぼ、ほぼですよフリーサイズといえます。これを流用しただけです。

 

 

 

左右サイズ差もあるが大差はない。右を左にしても左を右にしても、大きくは変りません。9月28日にネットに申し込んで、到着が翌月の22日ですから、その辺は厳密ではない、いい加減です。

 

――相談に乗って下さい。ト、足長差について知り合いの身障者に聞きました。「なりお整形」では足長差は縮める方針のようです。一般の整形病院では言わない。どっちがいいのでしょうか?

 

Kakato3
「やった方がいい。大分違う、自分はそう思う」大分というのはどういう違いを言うのか。そこは言葉にならなかった。この人は10センチの足長差がある。

 ――私は2センチと言われます。それでも?

「やった方がいいと思う。大分違うよ」

2012年10月22日 (月)

コミュニケーション

Komyu いわゆる主婦層と関係、付き合いがありました。関係といってもそういう意味ではありません。パソコンの黎明期にメル友が流行った一時、私の情報源はほとんど主婦筋でした。今のネット情報が充実する、ずっと前のことです。

主婦層の情報は限られており、間違った情報でも固く信じておられた。ひとつ、ワープロとパソコンは根本的に違う……私は同じものの認識でしたが、説明申し上げてもご理解いただけない。パソコン雑誌も何を読めばいいか判らない。

講習会も価格の高いのを選ばれる……もう一つ判ったのはご主人がワープロに関心がない。情報がない、あまりないではなく全くない。ご理解ないなり判らないなり、パソコンへの意欲は持たられる。

パソコンを購入され、習得にも励まれる。そうしますと雑多なことで、あれはドウするカニはドウするト質問が出ます……私との関係付き合いが多くなっていきます。物事がパソコンに留まらず、範囲は広がるが……そういう意味はない。

私も至りませんがそれでも結構、忙しい。「機械の動きが怪しい、電気屋を呼ぶべきか持って行くべきか、何か買ってくるべきか?」その症状は私のパソコンの、その頃の動きと同じなのです。

――何も買わなくていい、修理を頼まなくても直ります。ただ私は今日明日は行けません。明後日まで待って下さい。

今でこそ書店にも図書館にも関係図書が並んでいるが、当時はあまりなく、対策は講習会に行き、パソコン友達を作るしかなかった。だが主婦は主婦同士、女友達を作られる。全く何も知らない同士では当座の学習は進まない。

そうではなく何か知ってる人と情報交換しなければならない。主婦の情報収集が、より本格的になるは後で、メールがパソコンからケータイになってからでしょう。今や情報の中心はパソコンでなく、内容もそういう、そういう内容になって行く。

そうするとご主人も奥さんに関心がない。交渉がない。あまりないではなく全くない……そういう場合が多いことが露呈します。実態は前からあって判らなかったのが、コミュニケーションの発達で明瞭に見えてしまう。

困っている人が、対処出来る人と会う。出来ないまでも九州の人が北海道の人と会うのも、ヒドく簡単です。私のブログに台湾の人がコメント書き込んだり、ツイッターにはニューヨークのフォローがあったりします。

それだけ便利なことも不都合なこともあります。華僑でも和僑でもいいが、状況はとても似ています。もう今までのようには、ある意味出来ないです。出来れば便利な部分だけで付き合いたいものですが……

2012年10月21日 (日)

味千ラーメンの世界出店

Sigemitu 重光悦枝(よしえ)さんは、初対面なのに前に会った気がする。ただしロマティックな気分ではない。ラジオキャスターの経歴からと最初は思った。講演ぶりは金美齢さんに似ておられる。

 

 

 

お父さんつまり初代は台湾出身という。大きくは華僑といっていいだろう。ただ本人は和僑の会に属される。そういう会があり、女子会もあるという。だいぶその宣伝もあり書いた方がいいでしょう。

 

 

 

身障者も会を作る。身障者の場合、孤立感が深く情報が不足する。いや情報が不足するので会を作り、入るのです。そういう現実を自覚する身障者もあり、しないで会にだけ入る身障者もあります。

 

 

 

仲間からの情報をかみくだき自分の物とする。そうすれば自分を広げられる。だが集まる仲間は似たような者で、特別な情報はない……ような気がする。会を宣伝し仲間を増やさなければトいう事になる。

 

 

 

華僑でも和僑でも、その辺りは似てるかも知れない。今思うと先代の奥さん、つまり悦枝さんのお母さんは台湾人だったか、ご主人の出身も重ねて聞いたら良かった。そう思う。講演ではそこはなかった。

 

 

 

先代の重光さんは麺製造を起業し、失敗される。その借金を背負いながら「ラーメン屋をやろう。ラーメン屋なら出来るよ」と言い出されたのは奥さんで重光さん本人ではない。

 

 

 

「石橋を叩いて、それでも渡らんとよ、この人は」ト言葉があるので多分、奥さんも台湾人と私は推測する。ある意味でだが先代は、日本人のような台湾人であった。そういう推測も成り立つ。

 

 

 

海外出店の第1号にも実は失敗される。第1出店は台湾だった。台湾に麺造りのメーカーがあって、そこと合弁会社を作ろうとする。台湾店では客が入らないとスープの味を変えた。

 

 

 

重光さんは失敗から学べとし、味を変えたのを敗因とする。そうかも知れないが、台湾店のプロデュース権が提携相手だったのではないか? ト私は推測する。今の代、2代目になってからまた提携話が持ち上がる。

 

 

 

リッキー・チェンという。有名らしいが私は知らない。チェンさんは若い27才の香港企業家だった。年齢の関係から今度のプロデュース権は重光さんに来た……のではないか? 土地代の価格など問題はあったがクリアできた。

 

 

 

そこを質問してないので判らない。香港を拠点にアジア、中国を中心に味千粒麺は海外出店を展開して行く。成功の原因は華僑、和僑どちらでもいいが、この最初のコネ、提携先があったトモいえる。何もない日本人には難しいだろう。

 

 

 

ここでの起業問題は、身障者の仲間づくりに似た問題をはらむ。健常者の群れの中で孤立する身障者は、ある意味で重光さんたちと似ている。同じような身障者が何人ツルんでも、あまり意味がないのでは。

 

 

 

重光さん達がしたことは日本と台湾の提携、あるいは台湾と香港の提携だった。そこを海外ではなく「アジアの内需として捉える」という言葉が悦枝さんから出ている。私の推測ではない。

 

 

 

●参考にしたのはご主人克昭さんの記事

 http://diamond.jp/articles/-/9737

 

●次回、回熊本元気塾 ◆日時 平成24年11月15日(木) 18時~20時 

  予約は℡096・377・2091流通情報会館で。

 ◆場所 熊本市流通情報会館5F 第1研修室

 ◆内容 「企業価値を高める!『知的財産経営』のススメ」

 ◆講師 岩下特許会計事務所代表

      弁理士・税理士・熊本大学客員教授 岩下 卓司 氏

2012年10月20日 (土)

それでも生きてゆく 2

Soreiki2 「それでも生きてゆく」は殺された子供の家族と、殺した子供の家族が融和する話です。事件を解明し事実として受け入れる。心に納める意味ですが……再出発しないと時間は動かない。時間は止まったまま意味を成さない

 

これは身障者やその家族に似ているのではないか? ト私は考えます。中途障害者は健常者に戻りたいト思います。戻れない自分を受け入れられない。すると時間が止まってしまう。事実をふまえ次に進めません。

 

自分を積み上げると言ってもいい。小学6年生が病気になって中学に行けなくなると一時、就学猶予になる。障害児として養護学校に行くか、もう少し治ってから普通中学に行くか? そういう事が問題になる。

 

就学免除で小学にも行けなかった身障者もあるが、困るのは本人です。昔は字が読めなくても何とかなる、そういう意見もあった。中学を出なければ高校に行けず、高校を出なければ大学にも行けない。私の頃あたりから、高校中退というのが流行った。

 

学歴と同じではないが人間性にも似た所はある。私は独身なのでいつまでも学生のような所があるそうです。何となく落ち着きがない。既婚者は一般に、もう少し落着きがあるそうな……ただ若い人に独身が増え、これが普通になった……とも言える。

 

トいう事にしておこう。「それ生き」では瑛太さんがヒドい格好と、ヘアスタイルで出てくる。初回の満島さんのブラウスもヒドい。時間を止めた自分、精神的な内面を演出で見せようとする。それは大竹さんや柄本さんに内面的に演じられる。

 

瑛太さんは弟に批判されます。満島さんも妹に批判される。常識に合わないト言う。長男長女にはトラウマがあるが、次男次女は傷が浅い……親も父のが深く母のが浅い。そういうのは身障者にも言えそうです。

 

障害は身体的に出来ない事ですが、余裕もないから常識も身につかない。瑛太さんはヤカンの口から直接、水を飲む事で表現します。満島さんは焼きそばを食べた事がない設定です。満島さんがフラれる理由でもあるんでしょう。

 

いわゆる一緒に居ると恥ずかしい人です。身障者もそうです。ただ常識は表面的な知識で、あまり役には立たない。普遍的ではないから時間や場所が変わると使えない。しかし情報化社会なので、一般にも知識の無効化は早い。

 

ドラマには生きる意味は何か、の問いかけがあって、具体的にはフランダースの犬の意味が問われます。身障者になったら尊厳死を選ぶ、露骨にはそういう考えもあります。

 

●ドラマの時間経過、10年ではなく15年の経過でした。加害者は日垣でなく遠山家でした。20121015日の記載はすでに直しました。