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2012年9月22日 (土)

冷血 映画

Reiketu_2強い印象を残すタイトルだが、それで内容は判らない。むろん「冷血」(67)とは近所から評判のよかった家族を4人全員惨殺した犯人や事件を指すのだが、調べてみると違う含みもある。 

 

 

取材のため表向きは加害者と友情を深めながら、作品の発表のタイミングを狙い死刑執行を待ち望んだ、作者自身を指すという。見知らぬ土地で一攫千金を夢見る犯人加害者像だが、極貧の少年と共に道でビン拾いをするシーンがある。

 

 

映画はシリアスだけでなく、皮肉でユーモラスな場面もある。70年に封切られた邦画「裸の19才」は本作と似ている。ただ殺人とビン拾いが隣合わせる事は忘れ去られる。読者や観客は、その同居の事実をなかなか認めない。

 

 

 

ノンフィクション・ノベルの名称は作者トルーマン・カポーティの銘々という。各当の邦画は「復習するは我にあり」もある。この映画には気楽なロードムービーの面もあるが、その気楽さは観た後で消えてしまう。

 

 

 

ロバート・ブレイクが演じる障害者を、私は自画像のように見ていた。気分屋でキレ易く、知識や常識は持ち合わせず、その時々を行き当りばったりに生きていく。水に浮かんだ風船を連想させる。水中とは関係なく、ただ風に吹かれていく。

 

 

想像や推測を交えず、あくまで取材による事実を重ねていく描写には確かさがあって、曖昧さの入込む隙がない。書く側も読む側もそうなので、的確なコミュニケーションが行なわれる気はする。

 

 

方法に対する一般の評価は必ずしも高くない。映画もアカデミー賞部門にノミネートされながら1本も取れなかった。その一方でカポーティ自身も前に書いた理由からか、以後には小説が書けなくなる。

 

 

 

カポーティと一人の加害者の悲惨な境遇は似ていて、カポーティはノベルに強い執着を寄せるが、ノベルはノベルであり何枚書いたところで自伝にはならない。作者は作者、加害者は加害者という線も越えられない。

 

 

 

物語や映画をロマンテイックな夢と考えると、現実もまた夢の続きに過ぎなくなる。高速の広い道路を走れば、やがて夢の国にたどり着く気がする。襟首から入りこむ砂の感触にうんざりして……ふと目が覚める。

 

 

 

リチャード・ブルックス監督は「ミスターグッドバーを探して」で再び障害者に挑む。音楽はあのクインシー・ジョーンズ、主演は松田優作もマネたロバート・ブレイク。

 

 

 ●冷血予告 http://www.youtube.com/watch?v=7IL-4wAzVCg

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