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2012年9月24日 (月)

二重誘拐 映画

Nizyuu90分映画です。コメンタリで観るといったん120分版を作っておいて、試写の後に削った。だから誘拐サスペンスにはなっているが、ドラマ志向の映画であってサスペンス要素は低いと……。

 

Rレッドフォード、H・ミレン、ウィレム・デフォーさんと3人揃えたんだから演技合戦だろうと思うと、そうはいかない。ミレン、デフォーは顔すら合わせない。責任追及の任にはないが、脚本に問題がないだろうか? 

 

孫の出来た老夫婦の描写は珍しくない。レッドフォードさんはトヨタレクサスに乗っている。ミレンさんは小さく見える自宅のプールで泳いでいる。そんなありきたりからドラマは始まる。

 

お前は軽で近所のプールに行くだけだろう。たいした違いだ……ご批判はあるト思う。ここの自宅プールは冬場は使えない。「卒業」のそれより小さい、いっそジムのプールがよい。いまや駐車場に時々見かけるレクサスより、自分でメンテナンスしたクルマの方が調子はいい。

 

そうすると孫どころか、子供も連れ合いもない私の現実が浮かび上がる。しかし成功者となって幸福の夫婦は、誘拐されてみてそれまで見なかった自分の現実をシゲシゲと眺める。映画はサスペンスでなく、そういう日常を描く。

 

警察はまずレッドフォードに愛人がいる事を暴く。ミレンも知っていた、だが続いているとは知らなかった。それは蒸し返される。ミレンさんは再び愛人に会い、今まで続いた理由を知る。

 

愛人はレッドフォードを愛するいうより、崇拝したのだ……こういう話をクダクダ描き過ぎると物語はダレる。ダレるだけならいいがタネもバレる。ダレバレが重なると話は下らなくなる。

 

一番近くにある為に本当の価値が見えなかった。ミレンは夫の価値を悟るが、それは誘拐後、犯人は夫と金を素直に交換するかどうか? 気丈なミレンも不安になる。そして取引に失敗したと思い泣くシーンは、ここは見ごたえがある。

 

物は失われて初めて価値が判る。もう帰らないとなって初めて逆流する記憶の中に、価値は最後の輝きを見せる。だが一番近い物は近いだけに自分自身をも巻き込む。自分の部分を削り取って消え去る。老いということだ。

 

サスペンス目当てでいると見えない。老いの向こうに消えていく命の本質を映画はかいま見せる。ミレンは夫ではなく、自分の死を感じ泣く。社会には成功や幸福があふれるが、人生の幸福は簡単ではなく、手に入れた端から消えていく。

 

映画の人物は自分の手の中のそんな成果を探す。誘拐されるレッドフォードさんも、犯人側に立つデフォーさんもまた、自分の手の中をのぞく。3人の成果の全部を知り、ベスト判定を下すのは観客、観客だけだ。

 

警察から帰ってミレンは疲れてベッドに横たわる。すると夫は側にきて、自分を愛しているかと聞く。ミレンが「うん」と答えると夫は「それ以上の事はない」と耳元にささやく。

 

ハッピーエンドの映像に子守歌の音楽がタイトルと共に流れていく。とても美しいシーンだと私は思う。しかしこの映画の評判は悪い。サスペンスが足りないと言う。観客は人生の何が大事か、判定能力に欠けてないか。

 ●「二重誘拐」予告 http://www.youtube.com/watch?v=HoyTd1hxrvE

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