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2012年7月29日 (日)

鬼火 映画

Onibi「鬼火」これもアルコール依存症の話です。前に上げた「酔いがさめたら、おうちへ帰ろう。」と対比が出来ます。「酔い」では依存症には心に穴があるト、体験的に断言しました。ウラは取れました。

 

ここでも依存症はそういう扱いになる。病院でアルコール気を抜いて退院するが、どこに行ったか奥さんが見つからない。そこで主人公アランはコップに手を出し、病院に逆もどり……との物語は進行します。

 

退院したばっかりなのにバックアップして上げなかった奥さんが悪い。そういう見方もあると思います。悪いと判っていて手を出す本人が悪い。もちろんそういう見方も出来ます……ここで奥さんは出て来ません。

 

前の、若い時からの友人はいっぱい出て来ます。ある友人は突き放して見え、ある友人はここにいろと引き止める。本人が逃げるように先を急ぐ。止められても本人が、そこでは意義をみつけられない。

 

あの人もダメこの人もダメ、そして最後の友のようにアルコールに行き着く。主人公アランが彷徨うように街を行く、Eサティの音楽が包むように流れます。モノクロですが映像はきれいでパリの街は美しい。

 

古くはあるがファッションも素晴らしく、映像は今見ても新鮮です。モーリス・ロネはアラン・ドロンのようにハンサムで、今も言寄る女性はあるが……主人公は、救済を見出せない。それは贅沢ではないか?

 

金があっても女性がいても空しい人生は空しいし、そもそも宗教や哲学や道徳で支え切れない。18才から30才までとのセリフがあります。若ければ幸せか? そこで迷うのですが、やっぱり関係ない。

 

結論は動かない。心の穴があるのではないかト、映画もそう問いかけて見える。そう取ると、映画はよく出来て見えます。成熟したか否かの意味もそれほど違わない。ダメを詰めるとでもいうように主人公は先を急いでいます。

 

主人公は「周囲が引止められなかった」かのような遺書を残して拳銃自殺を遂げますから、遺書の額面では周囲に何か求めた形になります。ただ自分に何もない、可能性が見えなくなっての自殺と大きく違わない。

 

三島さんはこの世を見切ってあの世に期待した訳ですが、本当は来世にも期待しなかったカモ……かも知れません。見切っても見切られても風が吹く。あとは風が吹くだけかもしれません。

 

ちょっと甘いニヒリズムが漂う。そういう映画です。Eサティを聞きながら仏蘭西の感触をファッショナブルに楽しめます。でも自分を変える。その際のエネルギーでもって、他人をも変えるぞ……そういう人には足りない。

 ●鬼火冒頭部分 http://www.youtube.com/watch?v=c56AgOM578Y&feature=fvwrel

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