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2012年6月23日 (土)

ミレニアム

Mireniam ミレニアムを見てます。スゥエーデンの雑誌EXPOの編集長だったS・ラーソンさんが、パートナー女性の協力を得て書いた長編ミステリです。ところが作中人物は、この関連誌を連想させる。

 

ミレニアムは作中の雑誌名で、ミレニアム社面々の活躍により物語は展開する。編集長のミカエルが主人公格とはある話だが、女性調査員のリスベットの出生などは前例のない設定で、これは売りのヒロインになります。

 

原作本は3作シリーズ、前後篇の全6冊構成になる。ただ予定ではまだ続くはずだった。6冊目を書き残し、ラーソンさんは心筋梗塞で亡くなってしまう。

 

そういう曰く因縁のミステリなのだが、スゥエーデン現代史の側面があり、ノンフィクションとしても機能する。たとえばリスベットの人物設定にも、戦争の歴史は男たちの物とされている。だがそれは嘘で古来、女性も戦争に参加してきた。

 

そのような前文が付いている。少年のような小柄な主人公が、2mを越える大男に立ち向かうという物語は、まるで宮崎アニメを連想させるのだが、もう少し別なリアリティもある。

 

主体的な女性協力があって、むしろ執筆への条件だったのではないか? ……などと私は考えたりする。火と戯れる女、2編目の副題はそう考えないと馴染まない。私は「2」をビデオで見、それから「3」を翻訳本で買った。現段階、ちょっぴりしか読んでいない。

 

スゥエーデン映画は日本映画、フランス映画とも多少違う。アメリカ映画は主人公が有無を言わさぬ美男美女で、無条件に良い印象を持たされる。無理やり受け入れさせられる。

 

だから日本映画に柄本明さんが出ても、私たちはそういう印象と説得は受けない。真田広之さんでもそうではないか。若くない事もあるが、渡辺謙さんになると背丈やムードとして印象がよくなる。

 

アメリカに無理やり、感覚を受け入れさせられている。特に若い人の人間観のゆがみとなっている。リスベット役をノオミ・ラパスという女優さんが演じるが、最初、スゥエーデンでは拒絶感があったという。

 

たとえばジュリア・ロバーツさんがリスベットを演じたら拒絶されなかったと思う。アンジェリーナ・ジョリーさんだったら、まあまあでしょう。

 

身障者は健常者の中にあれば、障害の外観を気にします。それでこのような指摘をします。指摘はいけないトいう人もあります。身障者の劣等感を刺激するのはどうか? 健常者間の問題と重ねて一般論するのもどうか? 言う訳です。

 

リスベット役は全体にアンジーの演じた「ソルト」に似ます。だがソルトをも超える。同じではないが似たような問題がスゥエーデンにも、主体性の危機と言うと大袈裟でしょうが、あるかもしれません。

 ミレニアムの一作目については米国も映画化権を買い、デヴィッド・フィンチャー監督で「ドラゴンタトゥの女」を作った。私は、これを見るつもりです。スゥエーデン版との比較もいいかも知れません。

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