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2012年6月18日 (月)

宝子たち 原田正純

Takara  その大学院生は殺すのが嫌だったという。しかし研究は動物実験を欠かす訳にはいかない。泥鰌に薬物を蓄積させて茹で、乾燥させ粉にした、その粉泥鰌を規定量だけウサギやラットに食べさせる。

 

大江健三郎さんの短編「死者の奢り」に解剖用の死体を洗浄する。気味の悪いアルバイトが出てくる。あれはフィクション、そんな仕事は実際には存在しない。だが院生の仕事はアルバイトではない。

 

教授の指導によるいわば任務、そこはよく理解し、院生も最後にはベテランともなる。それでも宿命的に飼った動物を最終で、屠殺しなければならない。本当は逃げ出したいほど嫌だった。

 

本にはそう書いてある。講演に聞いた話によると、手術や厳しいリハビリもない病院で、患者さんとキャッチボールをしながら病気を治す、そんな医師になりたかった。そのようなつもりで大学に入った。

 

死者の奢りは、よく生きたいと願う学生が実際には死と直面しなければならない。当時は不条理といわれた……皮肉な現実を書いたお話です。もっとも読んでユーモアを感じる余裕は、私にはなかった。

 

死者の奢りは話題にはなるが、多くの若者はそこにユーモアを読み取る余裕はなかったト思います。熊本大学にそういうバイトがある。小説から独立し、怪談はそういう風に伝わります。

 

院生は水俣という町に、自分がしてきた実験の現実を見ます。そして患者に言われる。「会社(チッソ)も難いが、医者どんも憎か」院生以外の多くの医師が、チッソと水俣病の関連を否定したからです。

 

院生は患者さんの声を聞き、周囲の医師からは聞き過ぎると批判されるにまで至ります。それは泥鰌とウサギの実験から見て来た図式と、怪談やホラーの受止めとの違いでしょう。

 

実存主義で使われる不条理という言葉は、カミユだかサルトルの造語と聞きます。その言葉や感覚はニューシネマや市川昆さんを経て、あのモダンホラーへつながっています。

 

山村貞子は現代のお岩なのに、貞子に薬を盛ったのは誰か。なかなか特定しようとしなかった。作者、鈴木光司さんはリングの着想を熊本で得たそうです。あのアイデアの底には水俣も、あったかもしれません。

 新作「サダコ3D」になって、あのホラー連作は蘇るそうですが……すでに水俣病はあの事と蘇っているのではないか。ほら、あれ……いささか不謹慎な連想が過ぎましたでしょうか? 昔の大学院生、原田正純さんが亡くなられました。

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