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2012年5月29日 (火)

人間性の共有化

Pasoneko身障者とは健常者にもどれない事です。そして絶望はしない。健常にもどる希望を持たないで生きる事が、身障者の生き方になります。ただ後段は曖昧に、含みを残す障害者もあります。

 

生来の身障者は自身の障害を受け入れていて、成人後の身障者ほど、自分の健常に含みを残すのが通例です。むろん例外はあるでしょう。私は11才からの障害で、その中間にあります。

 

障害とは老化と同じ……含みや余地を持たせるのに似ている。人間としては全く同じなのに必ずしも共感は出来ません。障害者と健常者という対立軸は、若者と老人の対立軸に重なる。

 

コミュニケーションは人間性の共有です。これは親子に始まる。次第に男女に向かう、同性に向かう事もありますから決めつけは出来ませんが、同性でも双方が男、あるいは双方が女が持つ事はない。

 

役割分担で男女を演じる? 演じておいて、その違いを共有するのがコミュニケーションという、ややこしい話になります。男女共に老いを感じ始めるとトレーニングに向かう。

 

年齢的に女性の方が早く、女性は筋トレに向かう率が高いようです。ピラティスとかエアロビもあるのか、それを全部は知りませんが、私の見るところでは、男は少し遅れプールに来ます。

 

たいていの女性は減量が大きな目的になり、男は体力の減退を止めようとする。共通する部分はありながら動機は違います。ここに性は潜在するのかどうか? これも私は詳しくは判りません。

 

子供は親との関係より、友人との関係を優先するようになる。これは性が潜在化されるからで、ある意味で当たり前、自然な事になります。中年の女性にとって、あるいは高齢男にとって、他者とは誰か?

 

どんな意味を持つか? 若い障害者が生活保護などで自立、一人暮らしを始めるとコンサート通いや音楽、AVシステムに凝り始めます。これを私は人間性の共有というのですが、どうでしょうか?

 

城戸崎愛さんが高齢化して身体が動かなくて、キムタクの追っかけを始めます。(障害の車椅子化のち止められた。12/1/30 に記載)これも人間性の共有ト思われます。

 

 

 つまるところ障害者のコンサート通いと同じでしょう? 城戸崎さんにとってキムタクは若さ、あるいは健常性への希望だったのだろうト私は思っています。

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