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2012年5月

2012年5月30日 (水)

赤とんぼは歌わない

Akato_2由紀さおりさんが理想の歌は童謡といいます。その童謡の中で人気ナンバーワンの曲は「赤とんぼ」。由紀さんは一般に歌の言葉が多すぎると言います。伸ばされた子音が、十分なセンチメントを含有するのでしょう。

 

シンガーソングライターがブームの頃に、由紀さんにも詩を書くよう、お勧めがあったト言います。だが由紀さんは自作ブームには馴染めず「言葉が多すぎる」と感じたそうです。

 

「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ……」という岡林さんの曲はともかく「おいで皆さん 聞いとくれ僕は 悲しい 受験生……」高石さんの曲は、いわれるように音符より言葉数が多くなります。

 

 

 

これはセンチメントをより、状況説明、人物画取った行動を述べる事に重点がある。「夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か」という中、主人公は姉やの背中にある。

 

 

 

幼くて行動がない。姉やは15で嫁に行くが、姉やにも主体はなく、おそらく結婚は周囲の大人が決めたと思われます。赤とんぼの中では、夕暮れのセンチメントが自分の物となっています。

 

 

 

由紀さんは「姉と歌う」この歌に理想を見ます。この時、由紀さんは何をどう思うのか? 姉やや坊やは何をどう思うのか? あるいは何をどうしたいのか? 気になります。

 

 

 

五輪真弓さんの歌でも、状況はともかく行動はあまりない。ユーミンでも「海を見ていた午後」では「あなたを思い出す この店に来るたび」店に行く行動はあるが、後は何も行動しません。

 

 

 

ユーミンも「いちご白書をもう一度」では、主人公は映画をもう一度見に行きます。学生集会にも時々、出かけました。行動を取ることで何をどうしたいか、を考えます。

 

 

 

中島みゆきさんの歌の中で、女性の主人公はとても行動的で、男に出した手紙の束を取りに行ったりします。フラレて立ち尽くす、五輪さんの歌の主人公とは違います。

 

 

 

「逢いたかった逢いたかった逢いたかった、エイ」目当ての男子を見かけ、走り寄ってコクるように迫る。AKB28に出て来る主人公、この女性は非常に行動的です。みゆきさんを越えて行動的です。

 

 

 

親だか親戚だかが決めた、訳の判らない結婚を受け入れる「赤とんぼ」の姉やとは違いましょう? 由紀さんは詞が書けなかった事もありましょうが、自らの行動が取れなかった。何をどうしたいか判らなかった……と私は思います。

 

 

 無論そういう時代であった事もありましょう。私は間違ってるでしょうか。行動する事で考える。考える事から行動する。私は赤とんぼは歌わない。なぜなら以上のような理由があるからです。あなたは赤とんぼを歌いますか?

2012年5月29日 (火)

人間性の共有化

Pasoneko身障者とは健常者にもどれない事です。そして絶望はしない。健常にもどる希望を持たないで生きる事が、身障者の生き方になります。ただ後段は曖昧に、含みを残す障害者もあります。

 

生来の身障者は自身の障害を受け入れていて、成人後の身障者ほど、自分の健常に含みを残すのが通例です。むろん例外はあるでしょう。私は11才からの障害で、その中間にあります。

 

障害とは老化と同じ……含みや余地を持たせるのに似ている。人間としては全く同じなのに必ずしも共感は出来ません。障害者と健常者という対立軸は、若者と老人の対立軸に重なる。

 

コミュニケーションは人間性の共有です。これは親子に始まる。次第に男女に向かう、同性に向かう事もありますから決めつけは出来ませんが、同性でも双方が男、あるいは双方が女が持つ事はない。

 

役割分担で男女を演じる? 演じておいて、その違いを共有するのがコミュニケーションという、ややこしい話になります。男女共に老いを感じ始めるとトレーニングに向かう。

 

年齢的に女性の方が早く、女性は筋トレに向かう率が高いようです。ピラティスとかエアロビもあるのか、それを全部は知りませんが、私の見るところでは、男は少し遅れプールに来ます。

 

たいていの女性は減量が大きな目的になり、男は体力の減退を止めようとする。共通する部分はありながら動機は違います。ここに性は潜在するのかどうか? これも私は詳しくは判りません。

 

子供は親との関係より、友人との関係を優先するようになる。これは性が潜在化されるからで、ある意味で当たり前、自然な事になります。中年の女性にとって、あるいは高齢男にとって、他者とは誰か?

 

どんな意味を持つか? 若い障害者が生活保護などで自立、一人暮らしを始めるとコンサート通いや音楽、AVシステムに凝り始めます。これを私は人間性の共有というのですが、どうでしょうか?

 

城戸崎愛さんが高齢化して身体が動かなくて、キムタクの追っかけを始めます。(障害の車椅子化のち止められた。12/1/30 に記載)これも人間性の共有ト思われます。

 

 

 つまるところ障害者のコンサート通いと同じでしょう? 城戸崎さんにとってキムタクは若さ、あるいは健常性への希望だったのだろうト私は思っています。

2012年5月28日 (月)

大野更紗さん~増税は誰のためか~

Ono大野更紗さんの発言が「増税は誰のためか」に収録されています。大野さんは「困っているひと」というベストセラーを書いた人で、大学院在学中に難病を発症した。現在、車椅子状態。

 

元々が、ミャンマーの難民を取材調査をしていて、ある意味で自分自身がテーマ対象になってしまった。国内国外と研究に回っていた人が、自己もそうなった。それで考え方や問題意識が鋭い。

 

たとえば日本政府の増税の理由は、社会保障の改革です。ところが具体的現実で生活保護の実態がつかめてない。それで有効な対策も打てない。昨日も書いたとおりですね。

 

税と保障の一体改革とは何のことか? 社会的弱者とは誰のことか? 与党も野党も判ってない可能性が高い。なぜならば、3.11で事あらば高速も建築物もズタズタ、ペシャンコ。それが判ったのに、まだ旧来の公共投資を考える。

 

大野さんが発病すると周囲は最初「なんでもしてあげるよ」とサインを送る。だが病気が長くなると、そうは行かないと気がつく。ありがとうは言って欲しいのであり、介護した自分の生き方に賛成して欲しいのが見えてくる。

 

困ってる人には何もかもが有償という訳ではない。だが日本社会は見返りを完全に求めない社会でもない。震災の被害者たちが原発に賛成したのでがっかりしたり……そういう事ってある。

 

むろん欧州やミャンマー、ブータンにもっと正しい美しい社会がある。大野さんは、そういう主張するのではない。前々から薄々判っていた、日本社会の欠点が震災を期に、明確に見えてきた。そういう意味の事をいう。

 

誰かがある日、身障者になります。その人が善人であっても悪人であっても関係ない。それを見て健常者が同情しても、障害を共有した訳ではない。介護が終れば健常者は健常に戻ります。

 

障害者は障害の中に残る。死ぬまで……ただ老いは障害者の障害と似ています。大野さんは難病の本当の病名が判るまで、10ヶ所以上の病院を回らなくはならなかった。そして健常者にもどる事はできない。

 絶望はしない。だが希望も持たないで生きていく。今、日本はもどる目安を持たない。いや持てないまま何もなかったように時間を送ろうとして、見える。そう私には見えるのだが、それは間違っている。

●こんな夜中にバナナかよ 10・11・6 12・2 11・5・26 に記載

 障害者イズム 10・10・7 に記載

2012年5月27日 (日)

どう変る生活保護

Koumoto_2漫才の河本準一さんのお母さんの、生活保護不正受給が発覚します。これがニュースとして大きくなった。それを受け社会厚生大臣は制度の運用を大きく見直すという。

 

私が、よく知っている生活保護受給者は、身体障害受給者で親や家族はあまり生活には困ってない……そういう人もいた。さらに極端なところでは裕福な家の人もあった。

 

何でそんな家がありながら保護を取るかというと、基本的に健常者と身障者では暮らし方が違うから……一言でいうとそうなります。もっと言うと身障を介護でカバーしようとする。

 

重度だと介護が家族だけでは足りなくなる。複数他人を、不特定多数の介護によらなければ障害がカバーできない。そうなると家族の方が、自分のペースを守れず、生き方に困る。

 

もっとも成人した人とは、自分のペースで生きていく。それが基本的人権とする考えがあった……これからは判らない……河本さんはかなりの収入があり、かなりの税金を去年度は払っているそうだ。

 

お母さんが生保で取ったお金が幾らなのか知らない。河本さん本人の税勘定はどうなのか? 扶養家族にした場合としなかった場合の違い、それは所属事務所の税理士に聞いてみないと判らない。所属事務所はここを明らかにしない。

 

私の聞いた噂の額面では、河本さんは税金を払い過ぎている可能性もある。ともあれ河本さんのお母さんは、これから河本さんに生活費をもらって暮らされる。あるいは、これを期に同居されるかもしれない。

 

どうでもいい事であるが、お母さんがもっと年を取られたら、河本さんが面倒を見られるのか。宅配弁当を取られるか、どうなのか。そういったコモゴモが出て来ます。

 

私の食事と親世代に食事は内容に違いがあります。私はバッハやマイルスをかけて原稿を書く癖があって、夜中まで本を読み映画を見ている。うるさいとか話しかけても返事をしません。重い身障の暮らしと健常者の暮らしは違います。

 

もっと具体的には渡辺一史さんの「こんな夜中にバナナかよ」で、身障者のワガママについて、健常者の考えを書きます。大著なのでツタヤでDVD「障害者イズム」を借り出して貰ってもいい。観られると理解は進みます。

 

これらの本、映画では生保を受けた身障者の模様が活写されています。生活保護については今まで、受ける事が恥、あるいは名誉でなかった。実際には生保以下の暮らしをし、意地などで受けない人がありました。

 

これだけみんなが暮らしに困ると、恥だ不名誉だと言っていられなくなります。残念ながら、河本さんやお母さんのような人は他にもあると思われる。震災を境に今からは考え直す問題と、私も考えます。

 

多少なりとも、これからは身障者も生保は取り難くなりますなあ。親や家族となんで一緒に暮らせない。言われる人も出てくるでしょう。時代が変ったのです。

 

生保でない私も、夜中にバナナ喰ったりコーヒー飲んだり、このように面白くもない原稿書いたり……自由をすると肩身が狭くなるのか?

 

 

 11/5/26など「こんな……」 10/10/7 障害者イズム

2012年5月24日 (木)

増税は誰のためか 本

Zozei たとえ増税は仕方がない……としても、何だか変な所はある。私の感覚でいえばクルマ購入での税制優遇です。優遇って税金の一部を取らないことでしょ? それって変です!

 

TVでの優遇処置は期間が短く、破綻が早かったから目立ちませんが、あれも税金を取り損なった訳ですねえ。簡単に言えばそうでしょ? 私はTVを買わない方針でして、前からそのように考えていました。

 

クルマで取り損ねた税は、日本が損をしてクルマを沢山売ったディーラが得をした。日本というと財務省のような気がしますが、役人はグルで被害は国民なような……クルマを買わない国民、たとえば自転車に乗ってるような国民が損をした。

 

……のだと私は思います。幾分、短絡的な思考は自覚してます。クルマのディーラー、つまりトヨタ日産ホンダといった面々も一応、儲かった訳ですが、あまり安心は出来ません、なぜなら。

 

必要を越えて売り過ぎたクルマは満杯になって、しばらく買い替えの需要がない。これはTVの方で露骨に現れ、デジタル化以降、ぱったり電気屋ではTVが売れなくなった。

 

無理にも売るには、斬新なクルマ、新しいTVを作ればいい。端的には電機自動車、パソコンTV……具体的にはアイミーブ、東芝TV、しかし電気自動車は行動が限定され、パソコンTVは操作が難しかった。

 

3D、飛び出すTVについて、アレはメガネかけて見る必要がある。野球の途中で冷蔵庫までもビール取りに行けない。取りに行くとメガネでつまずく等、寝っころがって気楽にTVが観られない。欠点があります。         

 

それで端的にいうと売れなかった。次世代クルマに乗れば幸せになる事もない。大型TVを見れば幸福になれる訳ではない。いつもの道でいつものTVです。もう一方で国はどうやら税金の取り方が下手、取るべきを取損ねている。

 

はっきりしました。私のようにニュースがつまらない。ドラマがつまらない……エエイ、TVを止めてしまえ。面白くなってから買えばいい。普通車に魅力がない、軽でもいいかあ……それくらいの見通しも国は持てない、らしい。

 増税は仕方がないとして5%増税で赤字の穴が埋まるか? やはり埋まらないそうです。とりあえずの10%で始めて、歴代の赤字を埋めるには膨大な予算がいるらしい……そういう所から、この本を読んでいます。

2012年5月23日 (水)

酸味の推論

Kuen酸味は苦手という人は以外に多いのです。なぜ酸っぱいものを食べなければならない、そもそも必要がないじゃないか? 果実は次々と甘く品種改良されます。

 

 

 

ステビア、キシリトール他、無害な合成甘味料も開発された。好きなだけ甘味料を使えばいい気もする。しかし問題をうら返し、なぜ甘くなければならないかト問うと……

 

 

 

ストレスのある人。ストレスが深刻な人はなぜか酸味が苦手、という現実がありそうです。少なくとも甘味でストレスを晴らそうという人は、かなり過剰に甘い物を食べたがる。

 

 

 

塩辛いのダメ、胡椒辛いのダメ、わさび辛いのダメ……ついでに酒っ気もダメ、甘いのだけ言う人もあります。そこまで甘党って困ると私は思います。なぜか?

 

 

 

胃の働きは、酸味の刺激よって活発に動きます、胃につれて腸も動くようになる。だから酸味はイライラした時のリラックス、疲れた時のリフレッシュに使える。

 

 

 

ストレスは誰にもあり、ストレスを処理管理してこそ、大人の人生となります。酸味だけが苦手なら辛味で管理、ヨーグルトで管理、酒は一部が腸の管理に使えます。いろいろ方法はある訳です。

 

 

 

食べられれる物の範囲が狭すぎる。それでストレスが溜まって胃の具合、腸の具合が悪くなっている……疑いがある訳です。その結果として酸味に弱い。

 

 

 

酸味に弱い自体は大した事ないが、ストレスが身体に蓄積していそう。その結果、胃腸が弱い。その表われが酸味弱となっている可能性が高い……クエン酸を飲むと最初はキツい。

 

 

 

次第にというか。1、2週間もするとどうという事もなくなる。黒酢、リンゴ酢、その他、クエン酸と共に酸の商品は色々ある。どれでもいいのか、どれかが一番いいのか? 私は詳しく知りません。

 

 

 ただストレス解消に効きそうです。胃腸薬よりはクエン酸等が安い。胃腸が良くなれば、もっと痩せられそう。絶対の法則とはいいませんが、以上のように、ほぼ成立します……黒酢、リンゴ酢、1本いかがでしょうか?

2012年5月19日 (土)

火災と事故

Onomiti広島県福山市の「ホテルプリンス」はいわゆるラブホテルで、ビジネスホテルや一般ホテルではありません。この火災を一般化してああだ、こうだ言うのは適当かどうか?

 

昔にネットで、関西方面の方と知り合いました。メル友という言葉が、その頃は流行ってましたっけ……九州関西の中間、たとえば尾道あたりで一度会ってみるのも面白いかも。

 

なんて話は、冗談のように終わり、やがてメールは途切れがちになって行きました。先方がクルマを持ってない。つまり一人、走り会いに行くには関西は遠すぎました。

 

しかし熊本大阪の深夜バスを使えば、ある意味で関西は近い。夕方7時前に、交通センターから出発した深夜バスは、翌朝7時に大阪につく。ここでの深夜料金は特別安く3800円、身障者の半額処置で更に安くなる。

 

ただ、つい先に、死者事故のあった、これが例の深夜バスです。このバスは普通の、昼間の定期便とはちょっと違う。シートも4列でトイレがなく、昼間ほど快適とはいえない。使い込まれてノイズも多いエンジン、古いタイプのバスなのです。

 

とにかく安く行きたい。そういう需要は無論あって、映画や放送局のロケハンなど……ムチャな運行になりがちなこの時刻にも、それなりの支持はあるのです。(放送局の関係情報によると費用の理由で新幹線は使えない)

 

20代で異性のメル友というのなら、まあ私も週末ごとに深夜バスで会いに行ったかもしれません。同じように、業務改善命令を聞かなかったラブホテルも、それなり需要がある理屈になります。

 

このラブホテルと深夜バス、同じ線の上にある。予算なく何でもやって、時に危険な業務、むちゃな運営となる。ある意味で起こるべくして起きた火災であり、また衝突事故ともなった。つまり自由化の悪い側面が見えた。

 

体力を無くしメル友に会いに行く元気が出ない。私だけでなく先方も似たような事情で自由は効かず、尾道のロマンスは生まれなかった。よかったやら悪かったやら……

 一般には急ぎ過ぎるより余裕のある方がいい。安全のため規制になるが規制のための規制では困る。急がないと間に合わない事もある。元も子もなく終らせるか? 自分自身の責任のありかを問われる気もします。

2012年5月17日 (木)

結石と尊厳死

 尊厳死の言い方が最近よく使われますが、その前は安楽死と言いました。どちらにしろ死が、痛さや苦しさを伴いそうで怖い……とまあ、そういう事のようです。

 

外見のみじめな生よりは、いっそ死を願う。その法制化には「生の権利を確立させない先に死の権利を確立させるのか」と重度身障者の反発を買います。

 

私が最近やった腎臓結石は痛いので有名らしい。病名が確定するとすぐ医師は、ボルタレンサポ、痛止めを処方します。結石を抱えても外出は不可能ではなく、私は出かける事も検討します。

 

痛みが出たら薬を使えばいい。それはそうですがボルタレンには意識もうろうとする副作用があり、私もボルタレンを使うとすぐ寝てしまう。事実上、クルマの運転は出来ない。

 

バスや電車も出来なくはない理屈ですが、お出かけは現実的ではない。眠いのと尿出し用にコーヒーを入れ、観ても観なくてもいい映画を観ます。強情を張らないで、さっさと寝ちまえ。そういう意見も判らないではない。

 

観た映画は先日、論じましたザ・メキシカンです。体調がよいならガイ・リッチー監督のがもう1本あったのですが、体調が悪いので出気もよくない、という噂の方にします。

 

体調なんて悪けりゃ悪いでやり様があります。腎臓結石で死にゃあしません。どうしても行きたきゃ、バスで出かけてタクシーで帰って来る手もあります。他人に迷惑をかけなければ、そうすればいい。

 

オール・オア・ノッシング、杓子定規にしか考えられない人が時々、おられます。結石ですから薬で溶かし体外に出さなきゃ、対策になりません。早く直すには、寝てるだけでは闘病にならない。

 

生きる意義というのは意外にも、どこにでもあります。こう言っては何ですが障害者ですから障害慣れしている。健常性が高い若い頃には、中年や高齢の気持ち状況が判らない。

 

元気すぎて病んだ感じ、元気がない事も判らない。ああだろうこうだろう親切は判りますが、言われる事が正しくは当たりません。腎臓結石もこうなりゃなったで、やりようがあるんです。

 

みじめか豊か、生きてみなければ判らない。外見から内面は見えない。生きた後でしか判らない……結石は痛そうだから結石になったら自殺しますか? 法制化して死の権利を確立させたいですか? 

 私も法制化には反発します。尊厳死、安楽死どちらでもいい。痛さや苦しさという意味では結石と同じ。私も死が怖くないとは言いませんが、障害については手慣れています。あの世までの通信が出来るならリポート書いて上げたい……やっぱり怖いですか?

2012年5月16日 (水)

新・知的生産術 勝間和代 3

Yumei 勝間和代さんの新・知的生産術の224ページ目に、5つの生活習慣という項目があります。これは偶然、私は全部実行している。それは、そうだろうと思います。

 

禁煙、禁酒、禁TV、ゲーム、付き合い、気の使い……いくぶんパロディ風に書き換えましたが茶化しているのではない。これが5つ並べられ批判的に扱われたのは初めてで、もっと説明が必要でしょう。

 

たとえば酒については百薬説が残る。しかし薬としては能率が悪過ぎます。TVについても、珍しく私は今日TVを見ました。ニュージーランド・ロビンはともかく、その後の「四角い仁鶴」という番組はどんなものか?

 

ましてやゲームとなると、私にとってwiifitはともかく、wiiマリオはどんなものか? 勝間記載に反対ではないが説明不足は否めず。これで説得される人はないでしょう。さらに付き合い、気の使いもほぼ同じ。内容によりけりなので、全部悪くは私は言えない。

 

さて勝間さんは渡邊美樹さんのラジオ番組「5年後の夢を語ろう」に出られていて、放送内容は無駄な付き合いの気もする。いわば有名の害ですね。これは著作「有名人になるということ」の宣伝と思われます。

 

新・知的生産術ほどには意味ある本とは思えません。勝間さんとしてはエンターティメントなのか? 有名というのは、誰かが有名人になると別な誰かがあおりを食い、無名になる。意義を説いても仕方がない。

 

ラジオによれば勝間さんは紅白の審査員になったらしいです。それを切っ掛けに仕事がやり易くなった。そこはいいが……たとえば紅白はポップスVS演歌の攻防です。ポップスに陽があたれば演歌が陰る。勝間さんポップス派でしょう? 演歌派には悪かった?

 

ゲームより筋トレ、隙間の時間も物を考え、生産性を上げろ……言われている事はそうだと思う。しかし陰のない国はない。陰気に裏打ちされない陽気もない。つまらない事を書いていると大事な事を書きそびれる。

 

推測ですが5つの生活習慣は体力の温存、育成する事が大事と言いたかったトそう思われる。ストレス解消のタバコが、結局、長期的に見ると体力を殺いでいる。そういう意味なら私、賛成します。

 

惜しい。酒、TV、ゲーム、付き合い、気の使い。何が悪いか、なぜ悪いか、どう悪いかは書けていません。

 ●「5年後の夢を語ろう」519に続編ありhttp://www.1242.com/program/yume5/

 

2012年5月14日 (月)

ザ・メキシカン 映画

Mek どこで笑っていいのか判らないギャグを見ました。スナッチではあんなに笑えたのに、ブラピのギャグが笑えない。チンピラやくざを演じ、演技内容もそれほど違わないのに……

 

ただ、これは完全なコメディ。コメディの為のコメディなので男の愚かしさ……たいしたセンスもないのにヤクザをやって行きたい。一種の自惚れ感に訴えるものがあって、そこは面白い。

 

しかしジュリア・ロバーツさんが出てくるとお手上げで判らない。心理学というより占いに近いだろう、信じる女性アドバイザーに依存して生きる。よくある女性が出て来る。

 

ロバーツさんは大抵コメディで、同じ感じで出る。プリティ・ウーマンでもエリン・ブロコビッチでも似ていた。女友達に聞くとプリティはともかく、エリンには共感しないという。

 

どちらも売り込みに成功する話で、実力以上に評価される人間像が演じられる。もっと有体に言うと品のないネーチャンが評価される方向に動いて行く……で、元々は品はあるか?

 

ロバーツさんは品のない人が品を付ける演技をするのか、品のある人が品のない人を演じるのか? 映画の前半、品がない。後半がある。プリティもエリンも、どちらもそういう映画です。

 

そのコントラストを演じる。ブラピは明らかに元々の品のない人で、そういう人が品を得ようと演技をしている。エリンの元ネタはP・ニューマンの「評決」なんです。

 

ブラピはニューマンと同じ方向に演技を向ける。プリティの元ネタはマイ・フェア・レディで、ロバーツさんはプリティでオードリーを演じようとしていた。

 

オードリーさんには生来の品が備わり、あれは演技ではありません。演技以前……では、ロバーツさんに生来の品があったか、なかったか? オードリーコンプレックスはあったでしょうね。判りませんが……

 ただブラピは、ロバーツさんを自分と同族と思い、そこを追求すべくお手合わせを願った。つまり競演を受けたのでしょう。しかしザ・メキシカン、それにしては夫婦喧嘩のシーンが足りないんです。