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2012年2月26日 (日)

市民ケーン 映画

Simin雨上がりの道を図書館に「市民ケーン」を観に行きます。物事は思い道理には行かない。行こうと思うと雨が降る、諦めると雨が上がる……行こうか止めようか、迷うとまた降りそうに曇ってくる。

 

 

 

実際、映画を観ていた間にも雨は降ったらしい。市民ケーンについてはウイッキペディアに恐ろしいほど詳しく書いてある。こういう映画は最早、書く事が何もない。

 

 

 

映画に携わったウェルズが、その初作で何を描こうとしたか。まあ人生そのものを映像化したかったのでしょう。しようとすると何かにつけ上手く行かない。なのにしまいとして生きる訳には行かない。

 

 

 

植物になりたいト思いながら生きる人もあるようです。植木鉢や花壇の、いえ果実園でりんごやブドウの面倒をみながら、無論、植物自体にはなれない。ケーンはそういう事は考えません。

 

 

 

この映画にはいろんな人が出るが、そういう風に考える人は出てこない。私が日本人だからか、病院暮らしが長かったからか、それとも映画摺れしているだけか……

 

 

 

2時間のモノクロ映画は、傑作と言われるだけあって、退屈はさせない物の疲れを蓄積して、雨に濡れてそして乾きかけた夜の歩道は、映画ではない自分自身の命を感じさせます。

 

 

 

駅前図書館の向かいには駅があって、駅のどこかにコーヒーくらいは売っているでしょう……それを探しに行こうと歩道橋を降ります。そこが電車乗り場で、今出そうな電車が待っています。ヤボですねえ。電車に乗ればコーヒーは飲めない。

 

 

 

当たり前……人生ってそういう面もあります。駅前コーヒーなんて美味しくない。それも人生、試しに飲んで見るのも、人生! 止んだ雨は、また降り出さない保障はなく、濡れて帰るには冷たすぎる2月の雨。

 

 

 

何かすれば別なことは出来なくなる。大統領の娘と結婚すれば、歌手志望のただの娘とは結婚できない。思い出の品をすべて買いもどしても、幸福自体は買い戻せず、お城の家に住んでみても誰も自分を訪れては来ない。

 

 

 

夢といえば聞こえがいいが人生はないものねだり……植物はないもを強請らない。どんな小さい植木鉢の中でも足る事を知る。そんな感じで「市民ケーン」ごっこをやりながら帰って来ました。

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