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2012年1月26日 (木)

余命一ヶ月の花嫁 映画

Yomei 私に限らず、一般に身障者はがん患者に共感的です。屋久島の屋久杉が見たいとあらば、単純に見せて上げたいと思います。首折れサバが食べたいとあらば、食べて欲しいとも思います……ちなみに私は、屋久島に行ったことはありません。

 

がん患者や身障者が何処に行くのも勝手で、今は金さえ出せばフォロー体制は整うと聞いています。その意味では切羽つまる事もない。大きく構えていいかも知れません。

 

ただ他に誰もいない砂浜の夕暮れとか、鼻水を垂らして泣く彼では満足がいかない。ブランドジェエリーや教会の結婚式にしか幸福感はないかトと思うと抵抗がある。この辺は東日本震災後、特に抵抗が出ています。

 

高級車に拘り高額の自動車保険に入る男を見ても、バブルの夢から覚めないんだなあ。そういうのと重なり勘違いと思う。そのかなり成金的なイメージで、この映画は出来ています。たとえばドラマ「僕の生きる道」と比較すると、そこが違う。

 

西部邁さんの本「妻と僕」でも臨終間近な妻と2人で「月の砂漠」を歌うシーンがあります。病室は相部屋であり、あまりロマンチックではないが、現実はそういう物です。私も個室体験が全くない訳ではないが、ごく短期間です。

 

今からの日本は死ぬ時と言えど、贅沢は出来ません。この映画は差額ベッド代をいくらに設定されてるのか、聞きたくなる。柄本明さんも大富豪には見えないし、死んでいく人に生き残る人が尽せるかが、基本的に判ってない。

 

国家予算、福祉費が不足し消費税のアップが言われる中、こんな話はないでしょう? しかしない話をうまく撮ってますねえ。瑛太さんの顔に少し夕日が当たる。榮倉さんは影になる、明るすぎず暗すぎず、光の扱いで内面を映像化してます。

 

瑛太さんが鼻水垂らして泣くシーンは出色です。三船敏郎さんは7人の侍で、このように泣いたそうです。黒澤監督は汚いからとNGにしたと記録があります……記録を越えたのですねえ。

 

榮倉さんが冒頭にひとりで歌う歌が英語で、内面を反映させるに不十分です。指輪は衣装や式場は借り物で借りられるけど、歌の獲得が出来ていないのでは? その辺に希薄がある。

 

バブルが弾けても失う事のない物を得たのなら後悔はない。しかし成金趣味だけ身につけたら、悔やんでも悔やみきれない。たとえばですが死が2人を分かつ時に、2人で歌える歌はあるか? 金に変えられない事とはそういう事です。

 

僕の生きる道ではコーラスを題材にした事もあるが、全体内容では僕生きが、ひとつ上にある。私は考えます。むろん部分では、僕生き的なエピソードもあって、成金趣味が残念な感じです。 

 また日本が豊かになれればいいけれど、それは難しい。世界のどこを見渡しても、文化水準が低い、金銭でない豊かさが身に着いていない。このままだと惨めな事になりそうです。

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