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2012年1月

2012年1月20日 (金)

親鸞激動篇 五木寛之

Sinran五木寛之さんの親鸞「激動篇」のモニターをします。未製本版を試読して短い感想を書く仕事です。出版社から「ブログでは出すな」とも言わない。感想を長くしてここにも出します。まずは社から注文のあった誉め言葉から……

 

 

 

これこそが血わき肉踊る小説です。侍たちが切り合う時代小説、坊さんの念仏が地を割き、陰陽師の祝詞が空を切る鎌倉時代の冒険譚……閉塞と束縛から開放されるなら文句は言わない……冒険小説の、読み手のマナーというもんです。

 

 

 

坊さんが主人公でも冒険小説は冒険小説、ミステリーじゃないから理屈はいらない。だって、男がみんな好きになる、きれいな女性がいる。床下に潜る忍者が、秘密情報をささやく。生贄に天気を変える陰陽師がいる……これに文句はヤボというもんです。

 

 

 

浄土真宗の教えは法然から親鸞、親鸞から蓮如と移った、開祖や次祖の流れがあって評伝や小説での説明がない。判り易く事跡や系列を追う必要がありました。この度は五木浄土真宗が白眉の展開……癒しは何か、救済は何か、念仏は何か、読まなければなりません。

 

 

 

いったん手にすれば置くにあたわず、食は休み夜を越え……なみあみだぶつの念仏ひとつを頼りに、私たちは鎌倉時代を旅する。お茶でもコーラでも、バタピ、ポップコーン、フライドチキンでも、必要とあらば、事前にご用意を……いざ日本国、激動の彼方へ。

 

 

 

五木さんのは、ある時期までほぼ全作、読んでいました。氏は戦争で事件に巻き込まれトラウマを負われた。それでそういう登場人物がよく出て来る。私もトラウマ持ちで、ここに共感し、手当たり次第に読んでいたら、そうなりました。

 

 

 

トラウマがあるので屈託し、他人とは違える癖がある。あるいはもっと違う行動を取る。いわゆるへそ曲がりとも違う。その感じが氏の小説を読んでいると解消しました。しかし氏の小説からは、そういう感覚が次第に消えて行きます。

 

 

 

親鸞「激動篇」ではそうだったのか、なかったのか? サトという娘が出てきます。サトは事件に会い、今でいう人格の多重化、神がかる。トラウマ娘は少しの酒を呑むだけで食事をしなくなる。サトの性格多重化には納得しますが、食事をしないで生活には……

 

 

 

ここだけでなく五木さんの中期以降の小説は、そういう描写が多くなって行く。私はだんだん付いて行けなくなって、最後に氏に見切りをつけます。モニター募集を見て、もう一度読もうかと思って応募したのですが……

 

 

 

厳密に辻褄が合わなくとも小説は面白ければ、それでいい……私もそれはそうとも思うが、あまりいい加減な話には付いていけない。私に関してそうですし自分のような人間に関して、いい加減な記載があると付いて行けない。

 

 

 たとえば原発を信じる。これからも信じたいという人はあるかと思います。だが被害実態が広がる現実、あまりに早い意思表示は如何か。乱暴に被害者の被害を否定しては、私が納得できないという意味は、そういう事にもかかって行きます。

2012年1月19日 (木)

3時10分、決断のとき 映画

310jpeg_2 西部劇としては珍しくヒットとなった作品、ジェームス・マンゴールド監督の野心作……「グラディエター」でアカデミースターとなったラッセル・クロウさんに加え、往年の人気者ピーター・フォンダさんも出てます。

 

だが実質的な主役は、クリスチャン・ベールという、やや単価の安い俳優さんです。(バットマン、ターミネーター)南北戦争でも活躍できなかった風采の上がらない牧場主……この戦争で義足身障者という設定。

 

その息子は自立を目前に、父より、ならず者に憧れる。いかにも教養のありそうな美人妻は、実は女郎屋の出……この牧場主は金に困り果てる。経営は火の車、それで犯罪者輸送の仕事を請けるという話です。

 

ここで問題は米国の社会構造です。キレイに言えば誰にでもチャンスがある。実態は金が物いう世界。資本に物を言わせ、鉄道を引こうとする会社は、牧場の川水を断ち、牛小屋には火をつける。さっさと立ち退けという訳です。

 

米国では、これも合法的な警告らしい。ならず者ラッセルはそう言う論理を認めない。だからならず者な訳で、その会社の駅馬車を襲うシーンから始まります。駅馬車運送のもう一方のリーダーがピーターさん。

 

先にも書いたクリスチャンの息子15才は、この襲撃シーンを恍惚と見ます。この段階で、道理と正義とはラッセルの方にある……ようにも見えます。当面20ドルが返せない。抵当に入った牧場なんて、見ようによっては守るに値しませんワナ。

 

今の不景気の原因はです。貧乏な収入の低い人に高利で家を買わせ、サブプライムローンを組む。それで金融商品を作って合法的に売り抜けた。それがリーマンショックの元となった。

 

ここを意識し、当てこするシーンです。義足の捕償と比較しながら、クリスチャンは代価を会社と交渉します。この映画では正義は理想とかけ離れ、条件交渉として描かれる。

 

映画はハイヌーンや、許されざる者を下敷きにしています。ハイヌーンは当時リベラル・ニュアンスがあるとしてアカデミーを逃します。さあ今回は……いや今回も評判にはなるが、主要賞は逃します。

 

アカデミーって今もそういう傾向にある。見せたのかもしれません。西部劇ですから保守、リベラルを打ち合わせた? YES OR NO、あなたのアカデミー賞への判定は如何か?

 

映画に出なくなったピーターさんが、なぜ映画には出ることになったか? あるいはラッセルさんも反骨の人なのネ。ただカッコつける人かも知れませんが……巻き込んで出演交渉したんでしょう。

 

優れた映画は参加した人を裁き、見る人をも裁きます。この映画を見たらハイヌーンや許されざる者を、もう一度、見直さなければなりません。リーマンショックと社会構造も勉強しなければなりません。

 見ないのは恥、知らないのも恥、だって知らなければ交渉もできないでしょう? いやあ、西部劇の正義って本当に疲れます。では、さよならさよなら、さよなら……

2012年1月13日 (金)

ソーシャルメディア

Siyakusyo 佐賀の武雄では、市役所ホームページをFacebookに全面移行し、特産品の販売といった試みにも反響を得ます。ああ、それで熊本市もフェイスブックに注目した?……思うのですがそうは言わずに…… 

熊本市役所で担当に聞いてみます。各部署から一名づつという感じで、現段階で職員全参加では全員ではない。それぞれフェイスブックを作ってもらって熊本市も試行中……トいう事は対外的に軸足がある。

 

目的は何か? それは聞けなかったが市民に背番号を打つ目的では……遠大にすぎる。やはり特産品の方でしょ? パソコンというとホームページを連想した時代があって、プロにお願いして作ってもらう。

 

と、お金がかかります。むろん毎日更新なんて出来ません。半年1か精々年1の更新で……やがて1日教習で出来る、ブログの方に人気が移ります。それにブログは基本的に無料でした。

 

昨日も書きましたが、ブログで話題にしてもらって何ボのモンで、ああして使って、画像の無断使用で著作権は請求されません。大目に見て頂ける。それにブログは今日の記載から始まります。

 

私の場合は少しは掘り下げますが、大差はなく基本はヒマネタです。パソコンに慣れたはいいが、ヒマつぶしのゲーム、お菓子の世間話では時間のムダではないか? そうですよねえ。

 

本当は読書、DVDで問題作を見るとか。もっと資格を取るといった生産性の高い方向に向かないのか? もっともですなあ……しかし書いたようにタダです。

 

タダでストレス解消、特産品が売れたり名前が売れたりします。私は本名は書いてませんが、hataさんの名前は売れました。完全なブログ時代よりツイッターやグーグルプラスを併用してからが売れました。

 

そういう意味では使わない方がオカシイ。便利というかありがたいというか……その意味では、いい時代になったもんです。売りたいものがある人にとってはネ。買わされる人にとっては、その分、いい迷惑の部分もある。

 

そういう訳で基本方針を決めました。フェイスブックはやらない。少なくとも、ここ当分はやらない。ソーシャルメディア……ブログ、その他は今まで通りだけど、もう毎日にこだわらない。

 

パソコンを使ったからと言って、つまらない事はつまらない。どうでもいい事はどうでもいい……当たり前ですが、そういう結論になります。

 

市役所の担当氏は若く無愛想、つまらないジイさんがつまらない事をシツコク聞いているト、そんな顔を露骨にされます(笑)判りました、すぐ退散致します。

 全国の皆々さま、そういう訳で焼酎、馬刺し、辛しレンコン、ご要望の節には、熊本市関係、フェイスブックが役に立つかもしれません。是非にも登録くださいませ。

2012年1月12日 (木)

おからだから グリコ製菓

Okaradakara_2 ダイエットしている訳ではありません。これをもらっただけ……大塚製薬にも似たような食品がありました。アッチの方がちょっと美味しい。

 

おからおからしない分の出来がいい、ただその分、価格もいい訳です。試しにネット検索してみると他にも似たような商品は出ていますネ。

 

こういうのは基本的にダメです。食べやすいから次々、買って来るから単価は安くとも全体では高い物になる。かといって通販でまとめ買いすると味に飽きる。価格的にもカロリー的にもムダ……

 

すると若い人は自分は根が続かないト、自己嫌悪に陥るのです。オカラくらい豆腐屋によってはタダという所だってあるでしょう。自分で何か作ったら……というとメンドクサイ。

 

ホセ・メンドウサおばけが出る(笑)

それでも「どうするの?」と聞くから、

 とりあえず山芋と合わせて、お好みにしたらト答えます。

 

「お好みは飽きないですか?」毎回、自炊は毎回少しずつだが、味付けが変わりますから、お菓子のようには飽きません。飽きたら別メニューにすればいい。

 

「それで飽きたらどうするんですか?」インターネットでおから料理を検索すれば、何かあるでしょう。ト答えておく。この段階で詳しいことは知らない。しかし読まれたか? 突込みがキツイ。

 

例えば、お好みの生地までは作っておいて……

 「作って、それからどうするんですか?」簡単でないとダメという。だったら、揚げたらどうだろう。自前だっけー・フライド・オカラです。ただし油分があるからダイエットにはならない。

 

ここの話のお相手は、若いが一応は成人した方です。書くと特に対話能力が低く、子供なのが判る……判るが言ってはいけない。体力すなわち自立力では若い人が高く、こちらは老人、介護してもらわないと動きが取れない。

 

そういう意味ではこちらも幼稚園、あるいはそれ以下なのです。オレの若い時にはアタシの若い時には……何を思っても自由ですが、思いばかりが空回りして揚げ物もお好みも満足には作れない。

 周囲の迷惑もかまわず、根拠のない考えばかりを振り回しては見っとも無い。……いえそれ私のことだから。本日のお題はグリコ製菓、おからだからでした。

●おから料理 http://www.okara.jp/oishii/oishii2.html

2012年1月11日 (水)

義理の親子

Nekousa2「2年前に再婚した夫と、11歳になる息子は、義理の親子になりますが、育児では、義理の関係はタブー視されているようで、育児書などには、義理の親子に記述がありません。」

 

「参考になる本や映画などがありましたら、教えていただけませんか。息子は夫をパパと呼び、結構うまくいっているようですが、やっぱり、ちょっと遠慮があります。」

 

「それをなくすのは簡単にはいかないでしょうし、逆に、義理の親だから良かった、ということもあるのでは。義理だけど、うまく付き合っているという体験談も知りたく存じます。」

 

私ではない……某所で、とある相談があります。ネット検索してみると確かに、義理の親子の記載は少ない。不謹慎ながら、これは大変に面白い相談と思い、ほとんど感心する。質問が、ある意味での答えになっています。

 

障害児を抱えた健常親は、よく似た悩みを持つ。それは……どう育てていいか判らないト言う、わが子とはいえ障害に実感がないからお悩みになります。義理の親子にも、障害児にも悩みはいくつかあるト思うのです。

 

どちらも体験自体、珍しい事に属しスタンダードがない。逆に言えばそういう例を挙げると、現にある普通は、スタンダードの方が根拠を失くしてしまう。

 

健常という常識と障害という現実は、交流を遮断し、両者を断絶してしまう。だから適用方法はあるといえばあるし、ないといえばないのです。

 

具体例に挙げます。漱石は幼児の頃に養子に出され、養母父に育てられます。そして成人の後、夢十夜というお話を書くのですが一夜目に出る美しい女は実母と思われる。

 

3夜目に出て来るのは子を捨てる父です。養父なのか実父なのか? 両方合わせて2で割ったような父的なもん、でしょう。更にいえば父と母も両方足して2で割って、親というモンでしょう。。「蛇」という短編、晩年の「道草」にも義理の父が出ます。

 

障害児というのは健常親に対し、愛憎二筋を同時に抱くと思われます。継父に対し、なぜもっと自分に似ていてくれなかったかト義理の子は思うでしょう。しかし実の親子でも、似ない親子はいくらもあり、その場合、息子はイラだつのです。

 

実父へのイラだちと義父へのイラだちは違うかと言えば、そんな境目がある訳はない。障害児から父母に、なぜあなたには障害がなかったの? そう聞いてみても仕方がない。息子も娘もイラだちながら、やがて諦め、親という下敷きなしに自分を育てます。

 

漱石に次いで遠藤周作さんも養父母という話です。代表作「深い河」などではキリスト教が表立っていますが、遠藤さんはキリスト教と違うやさしさを湛えておられ、実父母でなかった体験から生まれたと私は思います。

 

読んでいませんが、文字通り本や映画を図書館で探すと下記の通り。

 

僕とエリーの4分休符 生嶋マキ 実業乃日本社 養父、障害息子?

●重力ピエロ 小説原作が映画化、DVDにもなっている。

親父の涙・万屋錦之介 島英津夫 集英社 著者は錦之介さんの義理の息子。

ニュースの女 田淵久美子 フジテレビ出版 ノベライゼーション。母にとっての義理息子。

●世界の民話4 小沢俊夫 ぎょうせい 詳細不明。

2012年1月10日 (火)

吉本隆明さん

Yosimoto 吉本隆明さんが考え方を変えないと表明します。原発事故が起きても、自分は原発推進派である。その旨を週刊新潮、本年1号に3ページに渡って話します。

 

「自動車だって事故で亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう」とまず言われる。

 

次にレントゲンの話になって写真を怖がるのはおかしいト……科学技術は危険との共存だった。放射能防御装置ができたら不毛な議論は終わりになる……ト。

 

話と話は平行して移る、その根拠はない。仮にというばかり。かっての知の巨人といわれた思想家も、若くない。インタビューは2時間あったのに、週刊誌の記事は3ページで終ります。(吉本さんはツイッターや「ほぼ毎刊イトイ」で読めます)

 

一方、鳥越俊太郎さんは去年半ばに「がん患者」という単行本を出す。大腸がんステージ4(最終ステージ)の現実をなぜ告白し、なぜTVカメラ前に立つかを書きます。

 

鳥越さんはサンデー毎日時代に、ジャパゆきさんエイズ事件という誤報を引き起こし、その時に徹底した検証をやっています。簡単にいうと、反省し事実で現実と戦った戦禍です。

 

自分はがんに対しても事実を持って戦う。がんとの関係を鳥越さんはそう位置づける。ジャーナリストはがんになってもジャーナリストである……というと当たり前のようですが、そうでないジャーナリストも無論おられる。

 

また吉本さんに戻り、吉本さんには尊敬する思想家がある。小林秀雄さんは戦後、「俺はもう年寄りだからね。今は違う考えになってるなんて言う気はさらさらない。戦争中と同じ考えを今も持っている」といった。

 

吉本さんは、小林さんに習う気らしい。ただ考えは考えであって現実には被災者があられる。被災者に、そのうち防御装置ができますからでは被災者も困られる。その辺は高齢を理由に頬かむりして……

 

ちょっと話を変えますが、いわゆる小説と報道は違います。先に少し書いたように報道は事実を重んじます。小説は現実や事実を越えたリアリティを言います……それが具体的には何だか、私はよく判りません。

 

がんが、いよいよ進むとタバコや酒は不味くなります。鳥越さんは若い頃にタバコを止めていて、ビールは呑み続けていたそうです。私はがんにはなっていませんが、どちらも止めました。

 

無論、不味くなっても呑めなくなるまで呑み続ける人もあります。吉本さんは思想家の信念とは……ト考えておられるようです。しかし私は思想も酒、タバコと同じような物と考えます。

 

本音は止めたい。止めたいけれども禁断症状が苦しそうだから止めない。自分には止められそうもない……鳥越さんは自分と同じがんのジャーナリストに、電話をかけたそうです。

 がんを表明し一緒に戦おうト……そのジャーナリストは長い沈黙の後、何も言わず電話を切ったと言います。鳥越さんの「がん患者」はそのうち単独で取り上げます。

2012年1月 9日 (月)

クリスマスはストレス?

043_0123 ちょっと前に「クリスマスはストレス」というコラムが出ていて、私も書いたものかと迷います。それでそれぎり書かなかったのですが、これを蒸し返そうかと思います。その昔、山本周五郎さんが似たような指摘をしています。 

 

 

山本さんは「正月は夏場にやれ」という主張で、夏は着物や食物の用意が楽な分、貧乏人に好都合と言いました。一理あるような理屈ですが……寒く心細い現実を晴らすのが正月で、根本的にオカシイ。

 

 

 

紹介が遅れました「クリスマスは……」と言われるのは心療内科の海原純子さんで、ホームズ指数で12点が付いて、その根拠になります。ホームズ指数というのは配偶者の死を100点として換算されたストレッサーを言います。

 

 

 

配偶者の死につぐダメージは離婚、別居です。ただ日本の場合、心療内科は事実上の女性医学で、男に対して裏づけが十分取れてるかは知りません。卑近なことをいうと、家族がいないと何を書いても自由で、そういう意味では開放されます。

 

 

 

家族があると悪口は書けません。ブログには近所の悪口どころか、個人を特定されそうな記載も出来ません。海原さんによると米国の電車の中で「クリスマスはさみしい」と怒鳴っていた人がいたそうな……財津一郎さんのように思われます。

 

 

 

年末は病室が空くので、私は3回ほど年末入院した事があります。「クリスマスなのにねえ」とキレイな看護師さんに同情されます。「手術を勧めてココに入れたの、あなたの上司じゃない」などと私は切り返しません。

 

 

 

FMのヘッドホンでバッハの受難曲かなんか聞くと、孤独は快適です。病室からの夜景は、キリストになったように目に染みますなあ。最近は民家でもクリスマスにはネオンを付けます。実際問題としてネオンと節電は関係ないらしい。

 

 

 

電力会社に都合、不都合があって、さらにそれぞれに本音と建前がある。病院だってクリスマスや年末年始、病室を空けて置くのは経営上の不都合です。つまりダメージとストレッサーは、企業にもあります。

 

 

 

医学用語でストレッサーというと別個な物に見えますが、都合不都合は裏表。私の都合は他人の不都合、他人の都合は私の不都合なのです。そうでしょ……

 

 

 

hataさんちょっと」先の看護師さんが部屋のドアまで、また来ました。う、嫌な予感がする……詰所すなわちナースルームでケーキを食べるそうです。出来ればコーヒーを5人分いれてほしいんですって。

 

 

 ホラね。これはホームズ指数だのストレッサーの問題ではない。バッハなんか聞いていられない。断る? 手術前の弱い立場、コーヒー入れないくらいで意地悪された日にゃあ……断れる訳ないでしょ。

2012年1月 8日 (日)

ウォーク・ザ・ライン/君につづく道 映画

Reese_witherspoon ジェームス・マンゴールド監督作品6本目の映画です。そして私が見るのは4本目で、今のところ一番成功している。リース・ウィザースプーンさんはアカデミー主演女優賞に輝いた、いう事です。

 

これはミュージシャン、ジョニー・キャッシュの伝記で、日本人が見てもピンと来ない。ジョニーはレコード会社の反対を押し切って、刑務所ライブを発表します。

 

他にもデビュー時のバンド衣装、黒シャツにこだわり、成功後も多く使用する等、奇行が目立った人です。ミュージシャンの薬物依存は珍しくないが、映画では依存的性格を根本まで掘り下げます。

 

誰にでも性格には陰陽の2面性はある。が、ジョニーの場合は極端で、原因は少年時代に亡くした兄にある……と、ジェームス・マンゴールドさんは考える。この監督4本見て来ると、その意見に引っ張られますなあ。

 

カントリーともロックともつかないジョニーの歌は、私は管轄外でよく判りません。比較していいか、三波春夫さんが演歌としては異例に明るい。しかし性格は必ずしもそうでなかった。そういう話を聞きます。

 

デビュー時から奥さんに牛耳られ、死ぬまで頭が上がらなかった……ただ音楽家にそういう人は少なくない。ジョニーの場合も合い方のジューンという女性に、深くのめり込んでいく。まあ、簡単にいえばマザコンでしょう。

 

兄弟コンプレックスから依存的な性格、母親的な女性を求める。並外れるコンプレックスを奥さんも解消できない。そんなの誰も出来ないかいうと……世の中は広いか狭いか、合い方にジューンという人がいたんですねえ。

 

麻薬をやっても家庭が破綻してもジューンが、影日向にバックアップするのでジェニーは大成して行く……全体は、そういう話になります。この監督の映画はある種、心理学の講義みたいな所があります。

 

「17才のカルテ」はマンマそうで「アイデンティティ」はホラーを装った心理学、「3時10分、決断のとき」は西部劇ですが基本はそうですね。前半の前振り、伏線があって後半で展開、あるいは結論づけられる。

 

伏線や展開が普通の倍くらいあって、鑑賞後の深い味わいになる。2度見、3度見を前提に作っている感じさえします。たとえば思い出ふかい少年時代は日没後、非常に美しい風景の中で撮っています。

 

美し過ぎる世界には兄がいて、兄のいない現在、麻薬中毒の暮らしにつながって行きます。そこではジェーンが女神のように美しい、現実はそんなはずはないと思うのですが……(画像)

 

リースさん美人でないとは言いませんが、セレブ出身で醸し出すムードが上品に細やかで何とも言えない。男を不様に女性を美しく撮る癖は、監督自身にもそういう傾向があるんです。

 

副題「君につづく道」とあるように、ともかくリースさんは主演女優に輝く訳です。三波春夫さんの名誉のために申し添えますと、日本野球の選手は概ね、年上女房が多いのです。

 理由は知りませんが、マネージメント、生活管理を任せちゃうらしい。そういう現実と重ねると、この映画におけるリアリティは……ま、色々ありますようで。

2012年1月 7日 (土)

老人映画

Eigakan 中年過ぎれば老人という事になりますが、これが狙い目になって、米国では老人が多く映画化されます。日本では老人は、まず映画館に行かないしDVDも借りない。つまり映画として取り上げる対象にならない。

 

60才のラブレター」という映画はありましたが、あれは保険会社がそういうコンテストをして話題になり、応募原稿が本になり、それが映画化というものでした。作りとして特殊になります。

 

そういうのはTVドラマとして見れば沢山で、わざわざ映画館、レンタル店ではない……というのが日本老人の言い草になります。日米文化レベルの差になります。

 

近隣国がですねえ。右にならえでマネをすればいい。文化とはコピーする事と思っています。自分たちの文化を主張する気配はない。あの国では価値は換金する、出来ることに限られる。

 

日本も本のコレクション、ビデオのコレクションのある人はいい方で何もないとなると、近隣外国と限りなく近くなる。ふと気がつくと、自分と言えるものが何もない。

 

ジョン・トラボルタさんの「団塊ボーイズ」という映画は何でもないコメディのように見えて、その辺りを突いて来ます。それで仲間を募ってバイクに乗って旅に出る。この辺から西部劇コメディになります。

 

おちゃらけないシリアスなのは、デビッド・リンチ監督で「ストレイト・ストーリー」というのがあります。古い愛用のトラクターに乗って、ただ一人アメリカを縦断します。一人とはいってもロードムービーの面白さが十分堪能できます。

 

ミッキー・ロークさんの「レスラー」は最初から旅興行のプロレスラーの人生です。筋肉増強剤か何か使ってると思うのですが、実際の筋肉がミッキーはスゴい。筋肉はあるが近親がいない。

 

寄る年波が淋しい。昔に別れた娘と連絡を取ってみる……その辺りはジェフ・ブリッジスさんの「クレイジー・ハート」も似たようなもんで、こちらは流れ流れのカントリー歌手です。

 

酒とタバコの悪い習慣を立切れない。家族があれば嫌がられますから、時代に合わせ健康にも生きる。家族がないからアル中にかかっている。移動の際には居眠り運転、不健康の限りという設定になります。

 

それなのにアッチの方は元気らしく、昔の栄光に言い寄る女性は後を絶たず……娘のようなシングルマザーと恋に落ちるという話になります。この相手役はマギー・ギレンホールという女優さん。

 

この方、どこかで見たような……ハデではないが何となく哀愁があって東洋的な感じがします。細かくて、いい味を出します。ジェフはこの映画で初めてアカデミー主演男優賞を取っています。

 日本の老人も孤立して酒とタバコだけが友だちとなり、体調を崩して一人死んでいく……そうパターン化されます。別に映画は見なくていいが、自分の生き方がなければならない。アメリカ映画は静にそう問いかけています。 

2012年1月 6日 (金)

強い選手の作り方 3

Hekiwan 勝つことに、どんな意味があるか? 英子さんは身障の子供も指導される。これは想定外でした。

 

「健常児は練習時間を長くしてもいいが、障害児の練習はあまり延ばすことは出来ません」

 

 

 

英子さんは幸福な体験だけではない嫌な体験もした人らしい。そう言った後に「出来る事なら障害児を勝たせたい」というようなニュアンスが滲みます。英子さんに何があったかはインタビューの外です。

 

 

 

今回のインタビューは具体的に、目的をどこに置くか。自信を持てば緊張は弱まる。弱めた緊張はエネルギーにならないのか。この辺りは「M子さんの講演記憶」に詳しいと思うのですが、M子さんは緊張を、十分意識化しないまま折合わせたのか。(111112

 

 

 

――ある格闘技の漫画は、最近また映画化されましたが、試合後半で奇手を思いつく……捨て身の奇策です。現実の格闘技とは違うが、漫画には現実モデルがあったそうです。

 

 

 

「それもアリ……何でもありですよ」

 

何でもアリという言葉に、私のプランが崩れます。弱い者が強くなる方法はない、あるいは極めて難しい。インタビューは予定があります。質問趣旨は1点に絞られる、その1点に向かうための補足の2、3が加わる事はあるにしても。

 

 

 

ただ明らかになった、かなり早い段階で障害児は健常児と練習試合をすることです。健常児と練習試合をするのか……勝敗以前にそれがまずは、よい事。昔はともかく今のペタンクやゲートボールでは仲間うちの、身障者同士の練習が多過ぎます。

 

 

 

相手にしてもらえるのなら健常児と試合する方がいい。私はここで再び高鍋さんを引合いに出します。剣道界では、高鍋さんの強さを持って生まれた才能とし、それ以上の解析を行わない。

 

 

 

才能は才能として、別な原因もあるのではないか? 高鍋さんには兄さんがいて剣道は兄さんゆずりと聞きます。相撲の若貴の例もある、親子のスポーツがあって兄弟姉妹のスポーツがある。スポーツでは弟クンが強くなる例がある。

 

 

 

……と言われている。意識化されていない秘密がある……それはこういう事ではないか? 最初の段階で弟クンは、必ずお兄ちゃんに負けるのです。一番近い相手役として何度も何度も負ける。

 

 

 

でもある日、何でもアリの奇策を思い付く、あるいは単なる偶然か、一試合だけ勝つのです。するとお兄ちゃんは、弟クンが勝った事を両親に報告します。

 

「ねえねえ、今日は僕、弟に負けちゃった」悔しさよりも弟が強くなった事を嬉しそうに言います。

 

 

 

兄も母も父も、家中が晩飯に弟クンの勝利を祝う。お兄ちゃんが強くなった時より大きく祝う、だから弟クンは強くなる……というのが私の解析です。もし高鍋さんにお会いする事があったら、この下り正しいかどうか、お聞きします。

 

 

 

そういう訳で勝敗に拘らず、身障者は健常者とも競うべきです。もし障害者に負けたとして、本気で怒る健常者は少ないと思います。高鍋さんのお兄さんや、多くのお兄ちゃんと同じように、敗北を喜んで下さるでしょう。

 

 

 

勝敗にどんな意味があるか? 参加の時代です。今はと断りはつけますが、出来るのにして来なかったとあれば、身障者が偏狭でしょう。早い時期からもまれた方がいい、あるいはそういう身障者があってもいい。

 

 

 

この取材から、そういう感じを深くしました。英子さん不調のところ、ご迷惑おかけしました。こんな結論になりましたが、良いでしょうか?

 

 

 

●画像は清水シューマイさんからの借物、文との関係はありません。

 http://blogs.yahoo.co.jp/stakamatsus/9843200.html