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2011年12月22日 (木)

17才のカルテ 映画

17sai 後の統合失調症、Aと一緒に映画に行った記憶があります。私が誘ったのか?……いや、Aから誘われたと思います。「日本の青春」という映画は遠藤周作さんの原作小説で、元は「どっこいしょ」といいます。

 

映画内で関係言及はないのですが、Aはすでにキリスト教に凝っており、遠まわしに私も信者にならないか……その旨の根回しだった気もする。今となっては判りませんが……信者になるにも、Aは連れを求めました。

 

今日はその映画ではない映画「17才のカルテ」の方の話です。これは境界性パーソナリティ障害とか、境界性人格障害と言われる、患者手記を題材にしています。

 

ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリーという対照的な女優が、精神病院を舞台に、華やかな演技合戦を繰り広げる。時代設定が1960年末でもあり、この17才は「カッコーの巣の上で」に、とても似ている。

 

ウィノナは軽い精神障害(に見える)普通でもやっていける。自分もそう思っているが……Aも、薬は必要ない。自分は精神障害ではないと主張していた時期があります。

 

ウィノナは親が心配して病院手配をし、すぐ出て来るつもりで、手配に乗るのです。しかしDVDには未公開シーンがいくつか収録され、そこにはウィノナが幻覚を見る映像がある。

 

ここを観るとウィノナの障害性は重度で、観客の同情は来なくなる……で、製作側はカットしたと思います。病院に入らなくともやっていけるけど、親を心配させたくない子という設定が観客に同情を引きやすい。

 

同情を引いたり関心を引いたり、他人を引くことに懸命で……そこまではいいが自分の行動が出来ない。下の方に関連情報を出してますが、その辺に境界性障害の重要な内容があるようです。

 

観たい映画があれば一人で観に行く。それは普通の事で、たとえば一人外食する事が、普通である国もある。家族で行く、あるいは友人と一緒でないと奇妙に感じられる。日本もそういう国です。

 

わが国ばかりでなく、韓国や中国、そういった東洋の国ではそういうメンタリティがあります。どちらがいいのでしょうか? ふっと気が付いた時……

 

何も自分一人では決められない自分を見つける。でもまだイコール境界障害という訳ではない。境界障害には違う要素が絡んでいます。それにしても西欧での、自立の概念には厳しいものがある。

 

若い犯罪者の多くは家族と連絡を取ってない……とある韓国系の作家が指摘しています。服の色も自動車の色も、自分では決められずケータイかける人も、どうかとは思うのです。

 

Aはキリスト教の洗礼を受ける時に、ひとり教会に行ったのでしょうか? 今はともかく、村上春樹さんはオウムのような新興宗教にそれなりの信頼を置いた時期があったようです。

 

映画にもどって、アンジェリーナの方にはそういうメンタリティはないか……に見えます。ハデで自由で気ままに他人をも操作するかに見えるアンジェリーナです。

 

タバコの吸い方が決まっていて、グラサンを首筋でTシャツに引っ掛ける。意気込む猫を逆に威嚇してみせる。金がないと判ると男とも寝てしまう。しかし本当の自由とは……

 

おっと映画のタネは話せません。アンジェリーナさん、この役でアカデミー賞を取っています。私は「カッコーの巣の上で」と見比べたくなりました。

 

 

 

●境界性パーソナリティ障害の特徴と接し方 http://www.fukuchi-clinic.com/ga/be/2008/be048.htm

 

●境界性人格障害とは

 

http://homepage3.nifty.com/doremi/kyoukaiseijinkakushougai.htm

 

必要な時期に適切な愛情や保護・養育が受けられなかった。母親から分離し、個体化していくプロセスでの失敗が原因と考えられている。

 見捨てられ不安が強く情動不安定になり、ときに攻撃的、破壊的になる。過去に「見捨てられた」ような何らかの辛い経験をし、それが思春期から成人期に思い起こされ、過剰反応やパニックを起こすとも考えられる。

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